棚田を見守る二宮金次郎像

棚田を見守る二宮金次郎像 愛媛県西条市(旧加茂村)千町,吉居


過疎集落 千町の棚田の中の小学校跡に静かに佇む二宮金次郎像です。



2004/5/02 西条市(旧加茂村)千町,吉居

# 28-1
愛媛県西条市の旧加茂村(昭和31年に西条市と合併)の名前は,「加茂の荒獅子」Web(管理者 荒獅子さん)を見て知りました。Webでは,旧加茂村出身の荒獅子さんによって,郷土芸能の獅子舞を中心に,地域の歴史,今の様子などについて詳細にまとめられています。
私が「加茂の荒獅子」を見て驚いたのは,旧加茂村の減少の大きさ(昭和31年 2489人が平成12年 237人)と,合併時には8校あった小中学校(分校を含む)が,平成7年には一校もなくなったということです。また,千町(Senjou)の千枚田(棚田),基安(Motoyasu)鉱山跡(基安は昭和47年の鉱山の閉山とともに廃村)など,興味深い記事も多く載せられていました。

# 28-2
その後見つけた「過疎の変貌」にも旧加茂村は取り上げられており,旧石鎚村,旧大保木村は近隣の地域ということで,「愛媛を訪ねた折には旧加茂村にも足を運ぼう」と,ずっと機会をねらっていました。
今回その実現にあたって,現地での宿泊を1泊に絞り込んだため,旧加茂村の中で足を運ぶポイントも絞り込むことになりました。keikoさん同行ということもあり,歩きを減らす方向に絞り込んだ結果「棚田の中に二宮金次郎像がポツリと残されている」という千町小学校跡と,旧加茂村の集落の中でもひとつ山の中に離れた集落で,分校跡の建物があるという吉居(Yoshii)に行くことになりました。

# 28-3
5月2日日曜日(旅5日目)も天気は上々。荷物を置かせてもらって「関門旅館」を出発したのは朝9時半。加茂川沿いの近道を通りながら,R.194から千町への分岐に到着したのは10時頃。R.194は松山・西条−高知間の主要道路なのに対して,千町への道は袋小路。目的がなければまず通らない道です。
茂みが深い道をたどって,5分ぐらいで千町に到着。いきなり急な斜度の川と高い石垣がありました。石垣の上には「復興碑」があり,碑には「昭和62年に台風による大被害があった」との旨が記されていました。確かにこの斜度では土石流などの危険が大です。

# 28-4
千町小学校跡への道程は,荒獅子さんに尋ねて丁寧なお返事をいただいていたので,気楽に考えていたのですが,棚田の中をつづら折りで登っていく道をぐんぐん進んでもそれらしい匂いがしません。棚田のピークも近づき,「登りすぎたかな?」というカーブのところに,地元の方がふたり農作業をされていたので,学校跡について尋ねたところ,だいぶ下ったところにあるとのこと。
高台から見下ろす棚田は圧巻です。後世に残したい風景ですが,「加茂の荒獅子」Webによると「近年の過疎化・高齢化による後継者不足により徐々に休耕田が増え,棚田は崩壊の危機に瀕している」とのことです。

# 28-5
「千町小学校は,俺の出身校だよ」というおじさんにお礼を言って,つづら折りの道をぐんぐん下っていくと,今度は下りすぎた感じです。再び農作業をされている方に声をかけて確認すると,小学校跡は「伊藤節也氏表彰碑」の脇の小道を登って行ったところにあるとのことで,ここで再びUターン。私のBAJAの取り回しは楽なのですが,小柄のkeikoさんはVTRの取り回しに苦労している様子です。
バイクを碑の近くに止めて,クルマは走れない急な小道を登っていくと,「西条市立千町小学校」と記されたコンクリート造りの門柱がありました。千町小学校の閉校は昭和47年。グラウンド跡は畑となっており,門柱がなければ学校跡とはわからないことでしょう。


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# 28-6
二宮金次郎像は,門柱の左側の茂みの中で新しい「千町小学校跡」の碑とともにひっそりと建っていました。この金次郎像は陶製で,門柱はともにこの地に学校があったことを知らせ続けています。
古い学校にはつきものの薪を背負って本を読む二宮金次郎像(二宮尊徳は江戸後期の農政家)は,「勤勉・勤労な姿勢の象徴」として,その戦時中の昭和10年から15年頃に作られたものが多く,銅製の像は大戦末期の金属類回収の令により失われたものが多いとのことです。
ふたりには綺麗でのどかに感じたこの風景も,棚田を見上げる金次郎像の眼には,ずいぶん寂れたものとして映っているのかもしれません。

# 28-7
千町から吉居までは真新しい林道があるらしいのですが,ダートがあるとのことで,安全策を取り,一度R.193まで戻ってから下津池を経由して向かいました。おかげで碧い水が美しい加茂の名勝 止呂峡を見ることができました。
吉居に到着したのは12時半頃。「人が居るかどうか」と思っていた集落からは,子供の声が聞こえてきました。どうやら,GWということで,吉居に縁がある方が集われている様子です。吉居は定住される方もいる,季節の花が綺麗な過疎集落でした。
小学校の分校は昭和47年閉校。往時の建物はそのまま残っていましたが,なぜか入口前にバスタブが転がされていました。

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# 28-8
ちょうどお昼ということで昼食のおにぎりの時間ですが,ふたりで顔を見合わせると「河原にでも行きましょう」となり,吉居川を上流のほうに進みました。気軽に山のほうへ向かえるのはバイクの良いところです。
ひとりならば,続いて千町の棚田を向かい側から見ることができる過疎集落 李(Sumomo)や基安の廃村跡などにアプローチをかけるところですが,ふたりということで旧加茂村を巡る旅はここで店じまいです。川はどれも水量豊富で,綺麗だったのが印象的でした。西条市街には石鎚山系から発する伏流水の自噴水「うちぬき」があり,伊予西条が「美味しい水の町」で有名ということは後で知ったことです。


# 28-9
満足な気持ちで「関門旅館」に戻ったのは午後3時頃。曽我部さんに二宮金次郎像のお話をすると,石鎚小中学校の金次郎像は寄付により,今は西条市街の中学校に置かれているとの話を伺うことができました。
この日の宿は今治市街の銭湯「今治ラヂウム温泉」の三階にある「ホテル青雲閣」。今治の名物が焼き鳥ということもこの夜知りました。
その後のツーリングでは,雨の多い荒天の中,松山,宇和島,宿毛,足摺岬・竜串(6日目泊),中村,四万十川,高知(7日目泊)と,時計と反対回りに四国の西半分を一周しました。そして,旅8日目の最終日,徳島から東京行きのフェリーに乗り込んだのは,出発10分前でした。



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