海辺の廃村をめざして
海辺の廃村をめざして
小値賀島行きのフェリーから見た野崎島です。ちょうど野首のあたりに太陽が沈みました。
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# 10-1
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廃村探索を重ねていくうちに,廃村は山深くにある場合が多いため,夏休みには海辺の廃村に行きたいと思うようになりました。
海辺の廃村というと,私が最初に訪ねた廃村の新潟県巻町角海浜と,1998年春に行った沖縄県竹富町(西表島)網取が当てはまるのですが,これらの廃村を訪ねたときよりもインパクトがありそうなところを見つけたくなりました。
海辺で廃村というと,やはり島がよいということで,5月中旬あたりから「SHIMADAS」という財団法人 日本離島センターが編集・発行しているぶ厚い本を丹念に見るという,地味な作業に取り組みました。
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# 10-2
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以前から東京都(伊豆諸島)八丈町(八丈小島)の宇津木,鳥打の両集落跡や鹿児島県(トカラ列島)十島村の臥蛇(Gaja)島,西之表市の馬毛(Mage)島など,昔人が住んでいた無人島はいくつか知っていたのですが,特徴は強い分,気軽に行けそうな感じがしません。
検討の結果,めざすことになったのが長崎県五島列島は小値賀(Odika)町の野崎島(Nozakijima)と,奈留(Naru)町の葛島(Kazurashima)です。
「SHIMADAS」のほか,野崎島についてまとめられた「豊かな海と野生シカの島」(山下弘文さん著,北斗出版刊),葛島について触れられている「無人島が呼んでいる」(本木修次さん著,ハート出版刊)という本が,さらに想像力をかきたててくれました。
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# 10-3
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野崎島は小値賀島(小値賀町の中心)の東側,中通島の長細い半島の先にある,険しい地勢のかなり大きな島(面積6.78ku)です。
「SHIMADAS」によると,野崎島には野崎,野首,舟森という三つの集落があり,最盛期(1955年)には648人の人が住んでいたとのこと。しかし,二つのキリシタン集落,舟森は1966年に,野首は1971年に廃村となり,残る野崎にも6戸12人しか住んでいない(1998年)とのこと。
そして現在,「ワイルドパーク・自然学塾村」という小中学校跡を改装した公共の宿泊施設(一般客が利用できるのは7〜8月のみ)があったり,野首には県指定文化財のレンガ造りの天主堂が残っていたり,野生シカが700頭も居たりと,野崎島は話題にはこと欠きません。
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# 10-4
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一方,葛島は,奈留島(奈留町の中心)の北側にある,平地はほとんどない小さな島(面積0.45ku)です。
「SHIMADAS」によると,葛島はキリシタンの集落で,教会や小学校の分校があり,最盛期には300人以上の人が住んでいたとのことですが,1973年に過疎対策事業として23戸122人が奈留島樫木山地区へ集団移転して,無人島(廃村)となったとのこと。
その後の調べで,野崎島は1戸2人になってしまったとか,葛島にはチャーター船でないと行けないとかの情報を入手できたのですが,事前には宿の手配をするくらいで,後は出たとこ勝負となりました。適当な不確定要素は旅の醍醐味といえます。
【島旅とバイクの関係】
「海辺の廃村をめざして」では,小値賀島(面積12.97ku;人口3,000人強),奈留島(面積24.70ku;人口4,000人強)というフェリーで行くには小さな島にバイクを積んで出かけました。
「走るところはあるの?」という疑問が出てくるかもしれませんが,島とは意外に足がないと動きがとれないものでして,島の中心から端のほうへ素早く移動するには欠かせませんでした。また,走っていると,良い道,良い風景にクルマも少ないということで,快適そのものです。
練馬という,遠くから来たことを示すナンバープレートも注目されるらしく,島の人と話をするきっかけとしてもちょうどよいです。
佐世保−小値賀間,小値賀−奈留間,奈留−長崎間のフェリーの代金(運転手+750cc未満の二輪車)はどれも4000円台で,人だけ乗るのに比べるとほぼ倍なのですが,十分値打ちがあったように思えます。バイクが旅の相棒という感じです。
その1
小値賀町野崎,野首,舟森
その2
奈留町葛島,小田
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