日本西南端 西表島(いりおもてじま)は,西表国立公園,マングロ−ブ林,珊瑚礁,イリオモテヤマネコといった豊かな自然のイメージがあると思います。そんな西表島の西部には,明治から昭和(おもに戦前)にかけていくつかの炭鉱がありました。1991年に日比谷図書館で西表炭鉱の写真集を見つけたときは,大いに驚いたものでした。
代表的な炭鉱であった宇多良炭鉱は,1935年頃から45年(敗戦)にかけて,西表島で最大の規模を誇る炭鉱として栄え,炭鉱集落の宇多良(うたら)には,映画館や演芸場まであったとのこと。しかし,戦後は資源の枯渇などによって規模は縮小され,やがて廃鉱・廃村となり,その跡地はジャングルに埋もれて,長い間通じる道さえない状態になっていました。
私は1998年5月,浦内(うらうち)川の河口,マリユドゥの滝に行く遊覧船の船着場から,宇多良炭鉱跡にカヌーで出かけました。船着場から浦内川をさかのぼり,すぐ左手の宇多良川に入り,両岸をマングローブ林に囲まれた川にカヌーを進ませると,目の前に宇多良炭鉱跡の目印のコンクリートの橋が現れました(写真左)。橋のたもとにカヌーをつけて上がってみると,橋の上に積もった土の上にも木々が茂っており,廃鉱から長い間ジャングルに置き去られたままになっているという時の長さが感じられました。
宇多良炭鉱は,戦時中の動乱の中で栄えた南の果ての島の炭鉱ということで,その労働条件は過酷そのものだったそうです。「よい働き口がある」という甘言などによって全国(台湾や朝鮮を含む)から集められた坑夫は,狭い納屋(タコ部屋)に詰め込まれて,厳しい炭鉱の仕事に明け暮れ,マラリアで病死した坑夫は,川沿いの適当なところに葬られ,葬るために穴を掘ると,前に葬った坑夫の骨が出てくるような状態だったということです。
西表島西部には,他にも成屋(なりや),内離島(うちぱなりじま)などに炭鉱の集落跡があります。県道の終点の集落 白浜(しらはま)も,元は炭鉱のためにできた集落です。
マングローブ林に埋もれた炭鉱集落跡の宇多良は,豊かな自然というイメージとはやや離れるのですが,足を運んでみると確かに豊かな自然の中にその跡を見出すことができ,そこには行かなければわからない深い味わいがありました。
現在,宇多良や内離島の炭鉱跡は,観光用の地図にも記されており,エコツーリズムのツアーが行われています。宇多良では歩いて行ける探索路が整備され,レンガ造のレールの支柱やコンクリート造の建物跡を見ることができるようです(写真右)。
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(注) 宇多良炭鉱跡の目印のコンクリートの橋(宇多良橋)の建設時期は,炭鉱最盛時の1935年(昭和10年)と考えていたのですが,後に訪ねられた夜雀さんのレポートにより1959年6月竣工であることがわかりました。
* 画像提供 岩崎正之さん,夜雀さん
* 参考文献 おきなわ文庫「西表炭坑概史」,三木健著,ひるぎ社(1983)
「写真集 西表炭鉱」,三木健著,ひるぎ社(1986)