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 全国の廃村訪ねる
                − 浅原昭生さん 八丈小島へ

 37年前の1969年,住民94人が離島して無人となった八丈小島。「観光マップに描かれた小島の地図に,ダイビングスポットや釣場の海岸名は載っていますが,集落の地名は載っていませんね。島の内部に観光で行く人はめったにいないのでしょうね」。こう語るのは,3日小島へ渡ったさいたま市,浅原昭生さん(44)。

●せわしない街の人を惹きつける −時間が止まった場所

 浅原さんは出版社に勤めるかたわら,趣味で全国の廃村を訪ね,これまでに『廃村と過疎の風景』という冊子(私家版)を2冊出版している。100を超える廃村が載っており,八丈小島も6ページにわたって紹介している。「廃村を網羅した本は,県レベル(秋田県と富山県)のものしか見あたらず,全国的にはどうなのかと調べているうちに,自分のものができてきました」という浅原さん。
 廃村を訪ねる旅の面白さを「下調べするときに想像する楽しさ,現地へ行って実際の姿を見て想像したこととのギャップを感じる面白さ,そのレポートをまとめる楽しさ。それぞれ時間もお金も根気もいるけれど,3段階の楽しみがある」と語る。「廃村は侘びしさ,寂しさ,のどかさがある。時間が止まったような場所。せわしない都会の暮らしと対極にあるからこそ,街の人には面白い場所なのだと思います」。
 八丈小島への上陸は前回(2004年秋)は単独。今回は廃村に興味を持つ人たち5人が同行した。浅原さんのホームページを見て集まった人たちで,愛知県から参加した女性もいた。宇津木,鳥打両集落の学校(写真:鳥打)や屋敷跡をはじめ,為朝神社や戸隠神社跡などを歩いたが,心配された雨にも降られず,八丈島も小島も涼しい海風が吹いていて,「とても心に残る旅」と大満足の様子だった。
 今回は,小島出身の浅沼孝則さんの案内で,鳥打地区の貝塚跡を初めて歩いた。2年前の秋には残っていた宇津木の学校の屋根はすべて落ちて,がれきになっていた。

●学校跡有する廃村 ただいま調査中

 浅原さんがこれまでに訪ねた無人島は,世界遺産にしようという運動がある長崎県の端島(軍艦島),八丈小島などの6島だ。学校跡のある無人島は全国に25島あり,面積が一番大きいのは鹿児島県の馬毛島(8.20平方キロ),最盛期の人口が一番多いのは愛媛県の四阪島(約5500人)。八丈小島は面積で4番目(3.08平方キロ),最盛期の人口でも4番目(約600人)という。浅原さんは現在学校跡のある廃村を調べて,ホームページを更新している。

●今後2000以上の集落が消滅!?

 総務省の過疎対策室の99(平成11)年の調査書には「過疎地域において,今後10年以内に消滅の可能性がある集落は419集落,10年以降に消滅の可能性がある集落は1690集落」と記されている。「人口減の時代が始まった今,過去の暮らしを見直し,今後の暮らしを考える上でも,廃村への関心は尽きません」と浅原さんは最後に語った。

        * 「南海タイムス」(2006年6月9日,八丈島・南海タイムス社発行)の記事より

        * 画像は八丈小島・鳥打小学校跡(2006年6月3日撮影)