日本は2005年より「人口減少時代」に突入したが、すでに様々な理由で人が住まなくなった集落が全国に点在している。私はこうした廃村に足を運び、写真を撮ったり地域の方に話を聞いたりして記録に留めてきた。
全国の廃村の様子について、広範囲でまとめられた資料はほとんどない。県の廃村の様子を記した書籍は富山県と秋田県のみにあり、前者は「村の記憶」(山村調査グループ著、桂書房刊)、後者は「秋田・消えた村の記録」(佐藤晃之輔著、無明舎刊)である。「村の記憶」には、富山県内75の廃村の様子が詳細に記されている。
私は全国の廃村への旅の記録がまとまってきた2000年の冬、山村調査グループの代表橋本廣さんを訪ねて富山市へ出かけた。私には、全国にどのような様子(場所、規模、数など)で廃村が分布しているかということに強い関心があり、橋本さんとそのようなことを含めてざっくばらんに話をしていると、「ダムのため生じた廃村をおいけかていけば、全国規模でも調べることができるのではないか」という意見をいただくことができた。
その後、私が的にすることになったのは、ダムではなく学校跡だった。学校はその存在がはっきりしており、全国規模で追跡することができる。
全国の「学校跡を有する廃村」のリスト作りは2005年の春から始まった。取り上げる学校は、小学校(分校、冬季分校、夏季分校を含む)とした。集落跡だけではなく、五戸以下程度の過疎集落(高度過疎集落)なども広義の廃村として、対象に加えた。基礎資料には、全国の学校名が網羅された「全国学校総覧 昭和35年版」(東京教育研究所刊)、「へき地学校名簿」(教育設備助成会刊)を用いた。これに地形図、住宅地図、地名辞典、各市町村史、離島の専門書、ダムの専門ホームページ、鉱山の専門ホームページなど、各種の資料を調べて、県単位でリストアップを続けた。
2006年の秋、この調査が一段落した時点で、全国の「学校跡を有する廃村」の総数は一千(集落跡が約700、高度過疎集落が約300)となった。全国一の数となったのは北海道(278)で、以下新潟県(85)、山形県(82)、秋田県(50)、岐阜県(40)の順となった。
富山県の廃村は24ヶ所(集落跡16ヶ所、高度過疎集落8ヶ所)で、全国11番目だった。他の県と比べた富山県の廃村の特徴は次の三点である。
・鉱山関係の廃村はゼロ所である(全国では117ヶ所)。
・戦後の開拓集落の廃村もゼロである(全国では126ヶ所)。
・ダム関係の廃村は2ヶ所である(全国では134ヶ所)。
廃村の分布は中山間部に多く、旧市町村別では山田村と福光町に多い(ともに4ヶ所)。16の集落跡の離村時期をみると、そのうち11ヶ所は昭和四十年代の高度成長期だった。
私は全国の廃村への旅の記録を「廃村と過疎の風景」という私家版の冊子二冊にまとめたが、調べるごとに新しい発見があり関心は尽きない。人口減少の時代、失われた過去の暮らしを見直し、今後の生き方を考える上でも、廃村の調査は末永く続けていきたい。
「富山と東京」への投稿を勧めていただいた職場の理事長(連合会常務理事)石岡慎太郎先生に感謝します。