クリスマス企画。シーグルとフェゼントの子供の頃のお話。BL要素なし。 【前編】 北方の大国、クリュースの冬は寒い。 それでも、海に面したこの街は比較的暖かい方で、雪はそこまで酷くは積もらない。 窓をみれば、暗い夜空にぼんやりと浮かぶ光達。 近づいて手で窓を拭けば、暗い夜空にちらちらと落ちる雪と、街灯や家々の明かりがきらきら光って、見ているだけで楽しくなる。 もうすぐ年が終わる。 そんな時期のこの港町は、すっかり暗くなったこの時間でも賑やかで、耳を澄ませば遠くに街の喧騒も聞こえる。 フェゼントはうっとりと窓の外を眺めて笑みを浮かべ、楽しそうなその光景をずっと見ていた。 けれども、見ていると直に拭いたガラスも白く曇って他の場所と同じになり、再び拭こうとすれば、ずっと窓辺にいたせいか、急にぶるりと寒気を感じてくしゃんと小さなくしゃみが出た。 「にーさん、何してるの?」 フェゼントが下を見下ろすと、見上げてくる青い目と目があった。 彼はまだ小さすぎるから、窓の外の景色が見えないのだろう。 「フェゼント、ラーク、そこは寒いから、カーテンを閉めてこちらにいらっしゃい」 暖炉の前にいる母親の声に、二人の子供は元気よく返事をして声の方へ駆けていった。 この家で一番広い暖炉の部屋は、光を増幅してくれるランプの設置台があるせいか昼間と見まごう程に明るい。部屋の中央では暖炉が暖かそうに赤くちろちろと燃えており、寒い外とは別世界のような快適な空間になっていた。 その部屋の丁度暖炉の前、椅子に座った薄茶色の髪の母親が、自分と同じ髪の色の子供達に微笑み掛ける。 「風邪を引くから、出来るだけこの部屋にいなさい」 そこまで裕福ではないこの家では、暖かいのは実際この部屋だけで、他の部屋や窓辺にいけば途端に外よりはマシ程度の寒さになる。 「かーさん、とーさんは何時帰ってくるの?」 ラークが聞けば、母親は少しだけ寂しそうにまだ幼い下の息子の髪を撫ぜた。 「そうね、年を越す前には帰ってこれるそうだから、多分もうすぐよ」 「とーさん土産買ってきてくれるかな」 「ラーク、父さんは何もない山の方にいってるから、土産買うとこなんかないに決ってる」 フェゼントが諌めると、幼いラークはぷぅと顔を膨らませる。 その二人共の頭を撫ぜて笑顔を浮かべていた母親は、そこでふと、瞳に悲しい色を浮かべて口を閉じた。 「母さん?」 様子の変化に敏感な兄のフェゼントが、母親の顔を不安げに覗き込む。 「何でもないの、ごめんなさい」 言いながらその顔が今にも泣きそうなのに、フェゼントは気付いてしまった。 けれども、母親がそんな顔をする理由をフェゼントは知っていたから、それ以上彼女に聞く事は出来ない。 だからフェゼントは弟の手を引いて、母親の前からいなくなってやる。 弟には本を読んでやって、彼女が泣く姿を気付かせないようにする。 本当ならもう一人、この部屋の中にいた筈の子供を、彼女が思い出してしまったから。 母親と同じ、金髪に近い薄茶の髪の子供達。 けれども本当は、もう一人、父親と同じ銀色の髪の子供がこの家にはいる筈だった。 フェゼントより一つ年下の、髪だけでなく顔も父親によく似ていたシーグル。 彼がこの家からいなくなってから、もう6回も年を越した。 未だに父親はほとんど笑わず、母親は時折思い出しては涙を流す。 生まれたばかりだった所為で彼を知らないラークは、母親が泣く度にわけがわからず不安になるので、そんな時はこうやってフェゼントが彼の気を逸らしておく。それが何時の間にかフェゼントの大事な仕事になっていた。 「母さん、また、シーグルの靴下も編んでいるの?」 暖炉の前で編物をしている彼女は、先ほどとは違い幸せそうに見えた。 ラークがいる時はシーグルの名を出さないのは家族の決まりごとになってはいたが、幼い弟は本を読んでいるうちに眠ってしまっていた。 「父さんがね、この間騎士団にいった時にシーグルを見たって。あの子は今、偉い騎士様について勉強しているんですって」 そういえば、幼い頃から活発な弟は、父親と同じ騎士になるのだといつも言っていた。 「シーグルは騎士になるんだね」 「きっと、父さんみたいな立派な騎士になるわ」 「シーグルは父さんそっくりだったから」 「えぇ、騎士になったらあの人の若い時そのままになると思うわ」 夢見るように話す彼女は、本当に幸せそうだった。 今はいない弟を、彼女は本当に愛していた。 彼だけが父親似だったせいか、彼がまだ家にいる間も彼女は彼にばかり構っていた。 兄弟の上なんてそんなものだ、とよく近所の少年はフェゼントにそういっていたが、確実に彼女はシーグルの方を自分より愛していた。 それはきっと、それだけ彼女が夫である彼らの父親を愛しているからだろうとフェゼントは思っていた。 けれど、彼がいる間は、それでもフェゼントはそんな事全然気にならなかった。 子供らしい嫉妬をしたことは無かったとは言わないが、それ以上に、シーグル自身がフェゼントを好いてくれていたから。大好きだと言ってくれて、いつでも自分と一緒にいて、引っ込み思案だった自分の手を引いて、守ろうとしてくれたから。 『俺はね、とーさんみたいな騎士になるんだ。にーさんはかーさんみたいな神官になって、俺はにーさんを守って、一緒に冒険者になって冒険するんだ』 兄弟の中で一番ハッキリとした深い青の瞳をきらきらと輝かせて、小さな少年はよくフェゼントにそう言っていた。 そんな弟をフェゼントもまた大好きだった。大切だった。 ……けれど。 彼が居なくなってからは、正直、フェゼントはシーグルの事を思い出したくなかった。 それでも、居ない弟の話をすれば母親が嬉しそうにするから、こうして彼の話をする。彼が居なくなってから滅多に笑わなくなった母親が、彼の話をすると笑顔を浮かべるのだ。 今もまた、彼女は彼のために靴下を編む。 ちゃんとフェゼントとラークの分も編んでくれるけれど、渡す事が出来ずに溜まっていくだけの彼の靴下を編んでいる時が、一番、彼女が幸せそうに見えるのは気の所為だろうか。 だから、いつもフェゼントは喉まで出掛かる言葉を飲み込む。 母さん、帰ってこないシーグルよりも、自分達を見て、と。 「父さん、お帰りなさい」 「とーさん、おかえりー」 大きなフード付きのマントをすっぽり被って、雪を払いながら、彼らの父親が帰ってきたのはそれから3日後の事だった。 もうずっと笑わなくなった父親は、それでも飛びついてくる子供達を抱き締めて、愛しそうにその頭を撫でてくれる。母親はそんな彼の姿を見て嬉しそうに微笑んでいた。 いつも通りの年末。 シーグルがいなくなる前は、もっとずっと南の村で母親と一緒に畑を耕していた父親は、今では騎士として騎士団に復帰して働いている。 騎士団の仕事は時折長期でどこか遠くへ行くことがあり、彼が家を長くいないことも珍しくなかった。それでもこうして、彼は年末は必ず休暇を取って家に長くいるようにしてくれていたから、年越しは家族全員で過ごすのが毎年の約束だった。 父親が居れば、母親がシーグルを思い出して泣く回数が減る。 笑う回数が増える。 父親は笑わなくても、子供達にちゃんと愛情を注いでくれる。 たとえ、その幸せが崩れ易く脆いものであっても、暖かい普通の家庭のようでいられる。 銀色の髪と青い瞳の父親は、今は居ない『彼』を思い出させはしたものの、それでもフェゼントは父親が大好きだった。 いつも通りの、家族揃っての年末。 一年で、一番幸せな時間。 けれども、その年の年末は、少しだけ様子が違っていた。 父親が帰ってきた次の日、いつもなら彼がいる時はそれだけで機嫌のいい母親は、何故か朝から暗い顔をして落ち着かない様子だった。 すっかり表情を見せなくなった父親は、いつも通り子供達と家の大掃除や薪割りをしていたけれど、彼もまたたまに何か考え事をしているようだった。 母親はずっと何をするにも上の空で、時折思いつめた顔で祈りを捧げていて、明らかに何かが起こった事をフェゼントは感じていた。 そして、その夜。 早くに夕食の支度を終えた母親は、何処かへ出かけて行ってしまった。 だが、不安がる子供達を、父親はただ寝かしつけるだけだった。 彼は、母親が何処に行っているのは分かっているのだと、フェゼントは思った。 リシェの街は、年末の活気の中、夜でも大通りは明るく街を行く人々の姿は多い。 けれど彼女はその人波を抜けて、高台にある高級住宅街にやってきていた。 有力な商人の屋敷が多く立ち並ぶこの辺りでは、人の行き交いは少ないものの、警備隊が定期的に回っている事もあって、女の一人歩きが出来るくらいには治安はいい。 更に言えば、ここも年初めの準備の為に人の行き交いは普段より多く、その中を歩く彼女は目立たずには済んだ。 そうして、彼女がやってきたのは、高台の中でも街を見渡せる一等地にある、この街の領主である貴族の屋敷だった。 「また、いらしたのですか」 門番達に呼ばれて屋敷の中から出てきたのは、ここの主である男の、忠実な部下の騎士だった。 「お願いします、一目だけでも」 縋るように騎士を見ながら、彼女は両手で握り締めた包みをぎゅっと抱き締める。 「何度来られてもお通しするわけにはいきません。そして、何かを受け取ってシーグル様に渡す訳にもいかない。 何度もいった筈です、私としては此処でそれを受け取って棄てるという事も出来るのです。だが、そんな事はしたくない。私の気持ちを分かって頂きたい」 毎年、彼女は決して渡せる事がない靴下をもってここへきて、そうしてこの騎士に追い返される。 彼女もいつか、ここへ足を運んでいても追い返されるだけな事を諦めていた。 けれども、今回だけは、彼女は諦める訳にはいかなかった。 「シーグルが、熱を出して倒れたのでしょう?」 騎士は言葉を詰まらせる。 この男は、愛する息子を連れ去った張本人であり、いつでも彼女の前に立ちはだかる憎いとも言える存在だが、決して嘘を付く事はない。 騎士が否定をしないのを見れば、それが本当の事だというのは確定だった。 「医者も、治療師も、最高の人物を呼んであります。貴方が心配する必要はない」 そして、この男が決して折れてくれない事もまた、彼女は分かっていた。 広い屋敷の敷地内を取り囲む高い鉄の柵。 それらを無理に登って越えようとすれば、柵に埋め込まれた護符が発動して侵入者の存在を知らせる。 それはこの手の屋敷ではどこでもそうなっている事で、だからこれを乗り越えてまで進入しようとする者はそうそうにいない。 柵の外、屋敷の見える位置を探して彼女は歩いていた。 入る事は出来ない、けれどもせめて、愛する我が子のいる窓が分かれば。 そこまでを望まなくても、屋敷の中の様子が分かれば。 使用人が慌しく走り回ってはいないだろうか、屋敷の跡取が大変な事になっていれば、きっと使用人達はおおわらわに違いない。逆に屋敷内が静かであれば、息子の熱はたいした事ではないのだろう。 そう思って、彼女はどうにかして屋敷の中の様子が見える場所を探して歩いていた。 「不審人物発見、じゃ、ないですよね」 急に掛けられた声に、彼女はびくりと肩を跳ね上げた。 「こらこらレーリィ、失礼だろお前」 最初に掛けてきたのは少年の声、そして次に聞こえたのはそれなりに年がいった男の声。彼女は緊張しながらも、ゆっくりと振り返った。 「でもセンセー、この人あやしーですよ。こんな思いつめた顔して中見てて、ずーっとうろうろしてたんですよ」 大きなフード付きのマントを被った二人組み。 小柄な一人が少年で、もう一人の背の高い男の方は手に長い杖を持っていた。 つまり、魔法使いだ。 「ふむ、事情があるのは確かなようだが……」 魔法使いはフードの前を少しだけ上げると、顔をのぞかせて彼女の顔をしげしげと見つめてくる。声だけなら少ししゃがれた感じがあるが、顔は思った以上に若く、彼女の夫より少し上程度だ見てとれた。 彼は、じっと見透かすようにその灰色の瞳で彼女を見ると、暫くして笑みを浮かべた。 「もしかして貴方は、この屋敷の子供の母親かな?」 彼女は思わず息を飲む。 それを見ると、魔法使いは今度は意外そうな顔をして、目をまるく開いて手を口に当てた。 「おや、当たっちゃったよ」 「センセーすごーい。それも何かの術ですかー?」 「いーや、ただのカンに近いんだけどね」 緊張感の欠片もない彼らの会話に面食らっていた彼女だったが、ここにきてやっと、彼女はその魔法使いが「センセイ」と呼ばれている事と、ここに魔法使いがいる意味、そして彼がこの屋敷の子供を知っているという事が何を指すかに思い至った。 「もしかして、貴方はお医者様か、治療師の方でしょうか? この屋敷に呼ばれて、子供を診に来た方なのですか?」 真剣な彼女の面持ちに、少年と軽口を言い合っていた魔法使いの表情が変わる。 彼は彼女の目の前まで近づくと、少ししゃがんでその手を取り、穏やかに微笑み掛けた。 「冷たい手だ。どれくらいここでこうしていたのだい? 本当に、貴方はここの子の母親なんだね、それならさぞ心配だったろう。 察しの通り、私は今日ここに呼ばれて中の子を診て来たんだ。本来なら一番心配してあの子の傍にいるべき親の姿が見当たらなかったからね、おかしいとは思っていたんだ。何か、会えない事情があるんだね?」 はい、と訴える声は、溢れてきた涙によって声に出来なかった。 彼女はぎゅっと魔法使いの手を握り締めると、ぼろぼろと涙を流してしゃくり上げながらも事情を説明する。 止める事の出来ない涙で、話は度々途切れ、声は震える。 それを静かに、辛抱強く魔法使いはただ聞いて、そして彼女を優しく見つめる。 外見は壮年という程度の魔法使いのその瞳は、まるで老人のように落ち着いて穏やかな光を持っていて、話す内に彼女も不思議と心が落ち着いてきていた。 全てを話し終えると、魔法使いは優しい声で宥めるように彼女に言う。 「貴方はリパ神官ですね。ならば明日、日が沈む頃に今度は神官服を着て此処にやって来て下さい。その時に、何か、あの子に食べさせられるものを作って持ってきてくれますか?」 彼女は何のことは分からずに首を傾げる。 その彼女の手を柔らかく握り締めて、魔法使いは優しく笑いかける。 「リパの神官なら、助手として連れてきたと言えば誤魔化せる。偽装はこちらで出来るからね、貴方を、子供に会わせて差し上げましょう。きっとそれがあの子にとっても一番いい薬になると思いますしね」 彼女は大きく瞳を開き、信じられない言葉を聞いたかのように、何も言えず暫く固まる。けれども、その意味を理解したのか、見開いた瞳から再び涙を溢れさせて唇を震わせた。 「ほんと、に。本当に、あの子に会えるのですか……?」 魔法使いは笑顔でそれを肯定する。 「ありがとうございます、本当に、ありがとうございます……」 何度も頭を下げる彼女に、魔法使いは困ったように肩を竦めて傍らの少年を見つめた。 少年は少し不貞腐れたような顔をしながらも、どこか羨ましそうに彼女を見ていた。 |