後悔の剣が断つもの
シーグルの過去と両親の事情・解決編です。





  【1】



 まるで自分のいる心の闇のように光の差さない部屋に、明かりが灯る。
 けれども、その明かりは自分を救う光では決してない。
 ランプが部屋を照らした所為で、今、自分がいる場所が分かる。見たくない男の姿が見える。

「よく眠っていたようだね」

 声だけなら優しい男の声が、すぐ傍で掛けられる。
 むっとする臭いの中、起き上がれば体中の感触に身震いが起こった。
 それでも、ベッドから這い出し、服を着ていない体に脱ぎ捨てられた衣服を着ていけば、体に情事の跡を見つけて、皮肉な笑みが口元に上る。

「そういえば、今度の貴族院のパーティには、君も出席するそうじゃないか」

 何処でそんな情報を仕入れてきたのだと思いながら、シーグルは感情のない声で肯定を返した。

「そんな席に出されるという事は、そろそろ君の花嫁候補が決ったという事かな。君はお爺様に言われた通りの女性と結婚する気なのかい?」

 男の顔は一切見ず、シーグルは男に汚された体を鎧に包んで行く。
 視界から見えなくなった自分の肌と、体に掛かる重みが、ほんの僅かではあるが心の負担を軽減した気がした。

「するさ……祖父が決めた通りの相手と無条件で。……俺は、父とは違う」

 それに返されるのは、狂気じみた高い笑い声。
 シーグルがそれを無視して鎧を着込む手を止めずにいれば、未だベッドの上にいる男は、楽しげに黒い瞳を細めて笑みを浮かべていた。

「同じだよ。本当に君はアルフレートによく似ている」










 現在、セイネリアの元には彼が眉を顰める情報が2つ入ってきていた。
 そのどちらもが、シーグルに関するものだというところが、彼自身、自嘲するところではあったが。

 一つは、最近シーグルが会っているという人物。
 シェン・オリバーという男だが、あまり性質のいい男ではない。
 シーグルの父親の元仕事仲間ではあるから、会う事自体はおかしくはないものの、この男は現在、仕事上で問題を起こして二箇所の連中から追われている。シーグルが金を渡しているらしい、という情報もあり、セイネリアにはどうにも嫌な匂いがして仕方なかった。

「申し訳ありません、泊まっている場所が場所なものなので、実際会っているところを確認するまでは出来ないようです。どうしてもというのであればどうにか致しますが……」

 明らかに報告を聞いて不機嫌そうなセイネリアを見て、カリンがそう言う。

 現在、首都セニエティには、男が泊まっていたような、客の秘密を守る事が売りの酒場がいくつか存在する。そういう店の常連となるのは大きな取引を多く扱う者か、立場上秘密裏に街に遊びにくる連中、つまり地位や金等、力のある連中が多い。
 彼らは店と親密な繋がりを持つようになり、その反面、その常連連中に敵対する勢力はその店に来なくなり、別のところで同じように自分達と親密な店を作る。
 その結果、その手の店には勢力図のようなものがあり、別勢力の者が店へ行けば敵対行動と見なされるようになっていた。

 男が泊まっているのは、黒の傭兵団とはあまり仲のよくない別傭兵団と繋がっている店だった。そこになにかしらの手を出す事は、後々面倒事を引き起こす可能性が高い。
 だからこれ以上詳しく調べるかどうか、カリンの一存では決める事は出来なかったという理由があった。

「いや……それはいい。ただ、この男の事を詳しく調べておけ、特にシーグルの親絡みの辺りをな」
「了解致しました」

 セイネリアの判断は、この傭兵団の主としては正しい。
 だが、それが本当にセイネリア個人にとっていいのか、言われたカリンの中には不安が残る。
 とはいえ、彼女にとって主の決定は絶対である。
 即答で了承を返すと、カリンは部屋から去っていく。
 部屋の中には沈黙だけが残る。

 セイネリアは不機嫌を隠そうともせずに、椅子に深く腰掛け、机の上に足を組んで投げ出した。
 誰もいない部屋に、乱暴に机に足を置いた音が響く。

 セイネリアが気に入らない情報の二つ目は、貴族院の動きだった。
 もうすぐシルバスピナ卿になるシーグルに関して、既に表面下でいろいろと有力貴族達に動きが出ていた。
 騎士として『マトモに』優秀であり、見目よく、旧貴族の中で血筋もかなり良く、それなのに政治的な発言権が殆どない。――確かに、自己顕示欲と権力欲に塗れた貴族連中にとって、これだけ利用価値のある存在はそうそういないだろうと思われた。

 大きく分けると彼を利用しようとする動きは2種類ある。
 彼を貴族が優秀であるという広告塔にしようと動いている動きと、自分の派閥に取り込もうとしている動きだ。

 前者は主に貴族院の役員達で、現在、騎士団の関係者にいろいろと根回しをしている。
 いくらこの国では平民が騎士になれるとは言っても、ある程度以上の地位は貴族の出でないとならない決まりがあった。だが最近、貴族として血筋の良さの象徴とでもいうべき王位継承権順位のついた旧貴族の中では、この方面でマトモな人物がいなかったという事情がある。
 その為、現在の騎士団上層部は、血筋のいい無能貴族と、上に上がる為に貴族の称号を買った名目だけの貴族騎士しかいないといって良かった。
 だから能力的にも血筋的にも問題のないシーグルを、出来るだけ早く上に上がれるように貴族院は既に働きかけている。
 これに関しては、今までシルバスピナ家が代々優秀な騎士であったが故に、代が切り替わる毎に貴族院から期待されてきた事である。代々のシルバスピナ卿の多くが騎士団のトップにまで上り詰めているのは、貴族院のこの思惑によるところが大きかった。

 ただ問題は後者の方で、こちらは貴族個々の家単位での動きがある分、全てを把握しきる事は困難だった。

 シルバスピナ家は、政治的発言力がない割りに、血筋だけなら宮廷の有力貴族達にも並ぶ程の上位にいる。旧貴族の血筋の良さは王位継承順位に言い換えられるが、実際に王位を狙えるような順位では到底ないものの、シルバスピナの血は十分上位にいる。
 未婚の若き次期当主を自分の家に取り込もうとする動きは、力があっても血筋が今ひとつの家は勿論、自分の派閥に加えたい王家に順ずる有力貴族からもあった。

 更に今は時期が悪い。

 現在、国の権力争いは、一番重要な時を迎えつつある。
 現クリュース王のソラスティアV世は既にかなりの高齢だった。近年は殆ど表舞台には出ず、王権交代も時間の問題だと噂されている。

 恐らく、大きな問題が起きなければ、シーグルは騎士団、もしくは軍部全体の最高責任者まで上る事が可能だろう。時期国王候補の取り巻き連中が、その彼を放って置く筈はない。
 更には、シーグルにセイネリアがついているという噂まであれば――計算高い連中は、シルバスピナ家をなんとしても自分の傘下に加えたいと考える。

 そこまで考えて、セイネリアは他人が見たら驚く程に、その顔を忌々しげに顰めて舌打ちをした。それからすぐに、軽く溜め息を付くと、彼は自嘲気味に唇を歪める。

「結局俺は……あいつにとってはどこまでいっても厄病神か……」

 額を指で抑え、喉を僅かに震わせて嘲笑う。
 我ながら愚か過ぎると思いはしても、もう、後戻り出来はしない。
 状況的にも、心情的にも、今更手を引けばそれでどうにかなるという問題ではない。その、自覚がセイネリアにはある。

 現在、シーグル自身の報告を見れば、例の男と会っているという事以外はあまり問題がないように見える。強いて言えば、この間とは逆にここ暫く彼が全く仕事を受けていないという事があるが、これは彼自身が自分の体の回復の様子を見ている事も考えられた。

 もしくは、家から止められているか。

 セイネリアは、椅子に体重を任せながら、ちらと自分の足元に立て掛けてある剣に目をやる。
 つい一年前まではよく使っていた、彼にしか使えない剣。
 この傭兵団の名前にもなった魔剣は、名前の通り黒い刀身を持っている。
 恐らく現存する魔剣、そして現在いる魔法使い達全ての中でも最高の魔力を備えたこの剣は、今のセイネリアに使えるのかどうか、実はセイネリア本人も自信が無かった。

 使う必要がなかった、最初はそれだけだった。
 だが、途中から使わないのは、使えないかもしれない、という予感の所為だった。
 それでも、使うかもしれない、否、使ってでどうにかしなければならない事態を予測して、今、この剣は武器庫ではなくここにある。

 使えないかもしれない理由も、使うかもしれないと思う理由も、全てがたった一人の為――そう考えれば、我ながら自分の愚かさに笑うしかなくなる。笑えば笑う程苦しい胸の内をどうにかする方法などありはしない。

 シーグルは確実に、時期王権争いの駒の一つにされる。
 それを回避し、今まで通りシルバスピナ家を政治権力から離れたままでいさせる為には、少なくとも、これ以上宮廷に近い位置の家と婚姻関係を持つ事は絶対にしてはいけない筈だった。
 しかし、シーグルの祖父である現シルバスピナ卿が、シーグルの結婚相手の候補として話を通している者達を見ると、疑問を持たずにはいられない。
 
「どういうつもりだ……」

 老獪なあの老人が、その程度、分かっていない筈はなかった。
 セイネリアは前に老人からきた手紙を思い出し、眉を顰める。顔に手を当て、らしくなく頭を掻く。

「シーグルに何をさせる気だ、あのクソジジイは」









 何時きても馬鹿らしい光景だ、とシーグルは思う。
 金箔と鮮やかな絵に彩られた壁や食器達。テーブルには贅を凝らした食べ物が並べられ、色取り取りに着飾った人々が歩き回る。
 シーグルがこのような貴族院のパーティーに出席したのは今回が三度目だった。
 一度目はシルバスピナを名乗るようになって暫くして、二度目は騎士となった時に。どちらもお披露目の意味もあって、いかなくてはならない立場であったからしぶしぶ出たというところだ。
 今回の出席は祖父からの命令だった。
 名目上は、遠縁であるレドリナ夫人のエスコート役として。彼女の、亡くなった夫の代わりの付き添いとして行けと。
 ただ実際は何が目的か、それくらいシーグルにも分かっている。結婚相手候補達への顔見せだ。
 シーグルはもうすぐ十九歳になる。
 約束の自由のタイムリミットは後一年と少し、そうしたら祖父の決めた相手と無条件で結婚する事が決っている。
 別に、それを今更嫌だという気はシーグルには欠片もない。どんな相手であろうと、祖父が決めたら結婚する覚悟は出来ていた。

「シーグル、お分かり? 皆貴方に注目していますよ」

 先程からレドリナ夫人はずっと上機嫌だった。

「どの娘さんが貴方のお爺様のお声が掛かってる娘かしら。貴方は何も聞いてらっしゃらないの?」
「はい、祖父は私には何も教えてはくれませんので」
「そう、でもそうね、逆に分からないほうが意識せず済みますものね、あの方もなかなか心得てらっしゃるわ」

 実際のところ、夫人のいう通り、シーグルは注目を集めていた。
 まず滅多にこういう席に出ない存在という珍しさもあるが、なによりも容姿からして人目を引くのは仕方ない。
 前回の時は、騎士としてのお披露目の意味もあって甲冑姿が許されたが、今回はさすがに貴族として普通に盛装での参加となる。こんな服を着るのは何年ぶりだと思うくらい、シーグルは酷く居心地の悪さを感じていたのだが、銀糸の織り込まれた青い衣装は仕立て屋の会心の出来で、本人の希望で華美にしすぎないで欲しいといわれたままシンプルに作られているが、だからこそ余計にシーグルの容姿を引き立たせていた。
 しかも、近年の貴族達が地位が高ければ高いだけ騎士とは名ばかりになっているのに比べ、シーグルは本物の現役の騎士である。他の居並ぶ煌びやかなだけの青年達とは、姿勢や所作からまるで違っていた。
 真っ直ぐに伸びた背は堂々としていると取られ、いかにも戦士といった体格の者なら無骨と言われるきびきびとした動作は、シーグルならば外見と合わぬ男らしさや頼もしさを見ている女性達に感じさせた。

 これで愛想よく笑顔を振り撒いてでもいたなら人だかりが出来ていたところだが、生憎シーグルは不機嫌さを隠そうともせず、笑顔どころかずっと回りの視線に不快そうな顔をしていた。
 それでも、そんな表情が彼の美貌を損なう事はなく、熱を上げる女性達にとってはそれこそが盛り上がる材料になったのだが。

 ちなみに、シーグルの回りに人だかりが出来ていないのには他にも理由があった。その一つが、シーグルが一緒にいるのがレドリナ夫人だという事だ。
 彼女は宮廷貴族の間では毒舌家として通っている為、特に若い女性には近づき難くなっていた。厳しい顔をしているシーグルの前で、彼女の毒舌であらを探され失態を見せてしまったらと思うと、余程自分に自信のある者以外は近づけないのだ。
 今回、付き添いを命じられたのが彼女だった事にだけには、シーグルは祖父に感謝したいと思っていた。煩わしい連中の対応をしなくてはならないのに比べれば、視線だけで済むのはまだマシだと言えた。
 ただし、その系の手合いが来なければ来ないで、また面倒な人物ばかりに声を掛けられはするのだが。

「やあ、初めまして。君がシルバスピナの若君か、噂はかねがね」
「初めまして、シーグル・アゼル・リア・シルバスピナです」
「シーグル、こちらはラーズラテット卿。この方の領地はグレイバーラットの西の方で、素晴らしい果樹園が広がるとても豊かで美しいところなのよ」

 こんなやりとりはもう何度めになる事か。
 シーグルを出す口実にレドリナ夫人を祖父が選んだのには、彼女がそれだけ顔が広く、この手の場に出てくる貴族達に詳しいというのもあるのだろう。つまり、貴族同士の付き合いが殆どないシーグルへの説明役だ。
 将来のシルバスピナ卿に対して興味がある者は少なくはなく、声を掛ける機会を伺っている者はあちこちに見える。
 ただ、彼らはいろいろな思惑がある為、他の者と話している時には近づいてこない事が殆どで、また話している者も自分より立場の強いものがくれば去っていくので、基本対応は一対一になる。それは力ある貴族が話し掛けてくれば誰も割り込めず長話になるという欠点もあるが、それでも、この手合いとの対応は、基本話さないで相手の話を聞くようにしていればいいので、まだシーグルにも耐えられた。
 とはいえ先程からずっと、腹に一物あるような連中ばかりとのやりとりは、流石のシーグルも疲れを感じてはいた。

 そうして相手の話に相槌をうちながら、内心終わらない話に辟易していたところで、また次の人物が現れた。

「君がシーグル君だね、少し話しをしても良いかな?」
「おぉ、これは申し訳ありません」
「ふむ、すまない、話の途中だったかな?」
「いえいえ、私は丁度話が終わったところでしたので」
「そうかね、それは良かった」

 前の男もかなりの地位だと説明を受けていた分、今度の相手は相当の上だという事は、前の男だけではなく周りの反応を見ても分かる。

「ヴィド卿は、王妃殿下の弟君にあらせられます」

 小声で耳打ちしてきたレドリナ夫人を見れば、彼女らしくない緊張した面持ちで、シーグルは彼女に倣って頭を下げた。

「いやいや、そんなに緊張しないでくれたまえ。今日はそういう席ではないからね。もっと気楽に楽しんでいってくれるといい」

 夫人の耳打ちがなくても、彼に関してはさすがにシーグルも顔は見た事がなかったが何も知らないという事もない。現貴族院の役員うちの一人で、王位継承権の順位も20位以内に入る、今回のパーティの主催者だ。
 何度したか分からないお約束のような社交辞令の応酬をして、さしさわりのない会話に時折相手の腹を探るような質問を混ぜてくる。それらを失礼にならないように流す事くらいはシーグルもそろそろ慣れてはいたが、いかんせん相手が相手であるから特に慎重に言葉を選ばなければならない。
 だが、これで長話は参ると内心思っていたところで、当のヴィド卿自身が唐突に話を終わらせてくれる事になった。
 ただし、それはシーグルにとって、今度は別の拷問ともいえる時の始まりになったのだったが。

「時に、君は踊らないのかね? 先程から君に相手をしてもらいたがっているレディ達がいるのに、壁の花を決め込んでいる姿があまりに勿体なくてね。今日の主催としても、ぜひ君にはもっと中央へ行ってパーティを盛り上げてもらいたいのだが」




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シーグルの過去と両親の事情、解決編、スタートです。
貴族、騎士、といったらダンスもお約束です。まぁ、BLなので女性とのダンスシーンをわざわざ書いたりしませんが(笑)。
次回はセイネリアとシーグルが久しぶりに対面。


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