折れた剣と心の欠片





  【3】



 高山地帯の山と山、谷と谷の間を流れる川はサンレイ河と呼ばれていて、古くから山で伐採された木材を運んだり、氷を運ぶルートとして使われていた。
 冒険者システムが確立されてからは冒険者がこの河を下る事も増え、メジャーという程ではないが、この方面の仕事をするものなら大抵は知っているルートとなっていた。
 そのサンレイ河が見えてすぐの合流地点、待っていた者達の顔を見た途端、シーグルは驚いて、それから唇に自嘲の笑みを乗せた。

「こりゃまた体力的には問題なさそうな面子だな。エルマ、やっぱ道中で足引っ張るのはお前さんだけなようだぞ」
「煩いわね、当然でしょ、私は女なんだし、職業柄あんた達と同じレベルで考えないで貰いたいわ。それに体力馬鹿ばっかでも魔法に対処出来ないから私がいるんじゃない、ある場所をカバーする為に別の場所でマイナスになるなんて当然の事よ、それくらいちゃんと考えて欲しいわ」

 どうにも仲がいいのか悪いのか、この短い道中の間で、ベーガルはエルマを面白がってつつき、それに過剰に反応する彼女の姿が定番になってきていた。

「本当にきついと思ったのなら言ってくれ、状況を見て出来るだけの対処はする」

 だが、そうシーグルが言えば、彼女は溜め息をついて退くのだから、彼女自身も本気でベーガルにつっかかっている訳ではないのだと思われる。だからシーグルも、そうそう滅多に彼らの会話に口は出さない。
 とはいえ今は、そんな事よりも頭が痛い問題が目の前にあった。

「これからよろしく頼む、俺はアルセイリア・ガーレスパ。アルス、と呼んでくれ」

 そう言って日差し避けのフードを外した人物は、見ただけで狩人と分かる姿の、シーグルより少し上なだけの若い男だった。大きな弓を肩に担ぎ、皮のベストには彼らの称える神である森の女神ロックランの印が描かれている。森や天候等の自然に関する事を読んだり、動物避けの結界を張るのが得意な彼らは、確かにこういう仕事ではいれば心強い。
 だが、問題は残りの二人だった。

「ラタだ、よろしく」
「クリムゾンだ」

 そう言って頭を下げたいかにもタイプの違う戦士風の二人には、シーグルにはその目立つ容姿にハッキリと見覚えがあった。
 胸に描かれたエンブレムさえ隠そうともしていない、黒い装束に身を固めた二人は、どう見ても黒の剣傭兵団の一員でありシーグルも面識がある人物だ。
 無駄に目立つ金髪のラタと名乗った男は、その胸に騎士の印である騎士団の紋章が入っていないのが不思議なくらい、その所作は騎士然とした正統派の剣を使う、まだ20代半ばだろうが落ち着いた雰囲気を持つ戦士だった。
 そしてもう一人はそれとは逆に、いかにも傭兵らしく自己流の技を磨いて来たと思われる戦士で、装備はかなり軽装の、少し普通の規格とは違う形をした武器を身につけた、こちらもある意味目立つ長い赤い髪の男だった。
 彼らは、シーグルがあのクーア神官達二人組みに掴まった時、セイネリアが連れていた二人に間違いはなかった。

 二人の姿を見た途端、エルマとベーガルは明らかに驚いた様子をした。……恐らくは、彼ら二人というよりも、彼らの胸にある傭兵団のエンブレムを見た所為でだろうが。

「なぁる程、流石に金払いのいい雇い主だけあるわね、あそこの連中を雇うなんて」
「高い代わりに、信用とメンバーの腕は保証付きだからな。まぁ、味方にいる分には心強い事だ」

 それに、と。
 その先を口に出さないで、彼らはシーグルの顔を見る。

 ――それに、黒の剣傭兵団の連中なら、少なくともシーグルに不利益になる事態は起こさない筈――と、そう彼らの目は語っていた。長であるセイネリアの情人を彼らが裏切る事はない。となれば、後はシーグル自身が信用出来る人物であれば問題ないという結論になる。
 そしてそのシーグルにおいて、その地位や立場からすれば、信用という点においては他のメンバーからは疑う余地はない、と一応の判断はされているようだった。
 シーグルのように明らかにピリピリとはしていなくても、やはり後から合流するメンバーについては心配をしていたらしい二人は、そう結論を出したのか明らかに表情を和らげていた。

 要人の警護というのは、実は裏切りや内通者が紛れている可能性というのが高く、そしてそれが一番恐ろしい。対象の身分が高ければ高い程その可能性も危険も高く、上級冒険者が命を落とすような事態になる事も、強敵の討伐などより余程この手の仕事の方が多かった。
 それが分かっているからこそ、シーグルもずっと神経を張り巡らせていたのであったし、だから正確には驚いている反面、何処かシーグル自身も安堵した事も確かだった。

 ――俺は、あいつをどれだけ信用しているんだ。

 憎んでいるくせに――とは、自分で自分にいくら問うても答えが出ず、いつも考えないようにしていた疑問だ。

 ――結局、俺はまたあいつに借りばかりを作るのか。

 そうしてまた彼に抱かれて、その後きっとまた助けられるのだろう。いつまで経っても彼に借りは返せない、彼に組み敷かれるしかない無様な自分。これでは祖父が言っていたように、体を餌にしてセイネリアを利用しているのと変わりはしない。その程度しか自分という存在は期待されていない、利用価値がないのだと、そう思えばもう自分を嗤う事しか出来なかった。

 ならばもう、彼を憎む意味も、拒絶する理由もあるのだろうか。

 そう考えても答えは出ない。
 そして疲れきった心は、もう全てを諦め掛けていた。










 人数が少ないながらもメンバー的には万全の体制で、心配していた情報漏れもなかったのか、それからも特に問題はなく一行の旅は順調だった。
 セイネリアの部下である二人は他のメンバーと話をする事は殆どなかったものの、後の三人はそれなりに意気投合したらしく、互いの冒険談などをよく話しているように見えた。
 彼らはシーグルにも時折話をふっては来るが、シーグルは無視をする事はなくとも聞いた事以上の返答はしないので、雑談めいた話に組み込まれる事は少なかった。どちらかといえばシーグルは、彼らとの雑談よりも、今後の予定や道程の話を王子の供の者達と話す事の方が多いくらいで、セイネリアの部下の二人とに至っては、指示以外の話は全くといっていい程していなかった。
 ただよく見れば少し不思議な事に、傭兵団の二人は、ならば二人だけでつるんで他と離れているのかと思えば、どうやらその二人が会話をする事は他の面子やシーグルと話す事以上にしていないようだった。まるで、互いが別々のところから来て一人づつ孤立しているような状態に見えた。
 思い出せば、あの時セイネリアに二人でついて来ていた時といい、彼ら二人が共に行動する事がまずない程面識が乏しい――とは思えなかった。けれども二人が互いに対して取る行動はどう見ても他人だ。いっそ不自然な程互いに関わらないようにして、皆の輪から外れていた。

「彼らに話し掛けるのは無駄よ。あそこの連中は上にいけば行く程仕事中に余計な事は言わないから。でも信用は出来るし、言えばちゃんと契約内の仕事はこなしてくれる。貴方は放っておいて、指示だけ出しとけばいいのよ。……貴方、仕事であそこの連中と会う事なかったの?」

 どうにも彼らを気にしている様子は、他人にも分かってしまったらしい。
 エルマにそう言われて、シーグルは意識して表情を消し、平静を装う。

「国境の小競合いで一緒だった事はある。だがその時は部隊が違っていたから、会話をする機会自体なかった」

 ふーん、とさして興味もないように彼女はそれに返したが、面白そうに伺って来るその表情はどう見てもその先の話を期待しているように見えた。
 それでも、シーグルはそれ以上を話しはしなかった。
 エルマは暫くシーグルの顔を見ていたが、シーグルが何も言う気がないと察すると、肩を竦めて少し口を曲げ、溜め息をついて離れて行った。

「ほんっとーに貴方、お堅いって言うどころか頑なねぇ。若いのにそんなに余裕がないと早死にするわよ。……ただまぁ、あの男はそんな張り詰め切った貴方が面白いのかもね、私は会った事ないけど、たしかにちょっとつつきたくなる気持ちは分かるわ」

 そう、ただ揶揄っている、遊んでいる、それであるならシーグルにもセイネリアの感情を理解する事が出来る。シーグルはただの憎む対象としてあの男を見ればいいし、セイネリアはシーグルに何かがあったところで何も痛むものがない。
 けれども、そうではない。
 今のシーグルは気づいてしまった。

 だからこそ、どこにも感情の逃げ道がない。

 最早シーグルには、セイネリアに対して自分がどうすべきなのか、どうしたいのかさえ分からなくなってきていた。





 別組と合流してから二日目。
 船とは言ってもいかだを補強したような船の旅では、船上で夜を明かすのは無理がある。だから、夜が近づくとそこそこの広さの川辺のある場所で一度船を降り、そこで一晩キャンプを張る事になる。谷の間を流れている川は基本が回りを崖で囲まれていて、そういう場所は限られている分、ここを旅する者達の間でキャンプポイントは決っていた。
 だからこそ、襲う側からすればその時が絶好の機会だろう。
 夜は二人づつの交代で見張りをする事が決っており、その割り振りも、シーグルとしては信用度や傭兵団の二人が共にならない様等を考慮して決めたものだった。
 けれども、二日目の割り振りを前日と同じでいいかと聞いた途端、エルマが異を唱えたのだ。

「絶対に変えて頂戴」

 前日にエルマが組んでいたのは、ラタと名乗ったセイネリアの部下である男だ。

「つまらない上にこんな失礼な男とは組みたくないわ」

 当のラタの方は特に何も言う事はなかったが、彼女の話を纏めれば、どうやら彼女は無駄だと思いつつも彼にいろいろ話し掛けたようで、余りにも無視をされた事に腹を立てて詰め寄ったら、女性を侮辱するような言葉を言われたらしい。

「ねぇ、アルス、私と代わってよ、どうせなら私、シーグルにいろいろ聞いてみたいもの」

 言われた狩人の青年は、困ったようにシーグルを見る。
 シーグルはこの中では一番の若輩者で、正直纏め役をやるのは無理があると思っていたが、セイネリアの名が後ろにある所為か、それともシルバスピナの名の所為か、今のところ一行の決断役をシーグルがやるのに反発する者はなかった。
 基本的には指示はシーグルが出す事で同意をしている彼らは、その判断をシーグルに任せる事にしたらしい。アルスだけではなく、傭兵団の二人を除いた皆の視線がシーグルに集まる。

「見張りは話をするのが目的じゃない」

 だからそうシーグルが言った事で、アルスは溜め息をついてエルマに向かって顔を左右に振った。

「でも、眠気覚まし程度に話したりするものじゃない、普通。ちゃんと辺りにも警戒してればいいんでしょ? 結界内の侵入者への反応は私が一番早い自信があるわよ」

 それでもエルマは諦めない。
 だがそこで、ここまで散々好き放題言われても何も言い返さなかったラタが口を開く。

「なら、俺とアルスが交代すればいい。そこの狩人なら、いくらでもその女の愚痴を聞いてくれるだろうよ」

 アルスは一応、別組の方ではヴィド卿から直で仕事を受けて向こうのリーダーをしていただけあって、シーグルにとっては傭兵団の連中の次に信用度は高い。それに、野宿における警戒については、彼が一番慣れている。
 更に蛇足として付けるなら、正直、シーグルはエルマと二人で見張りの間中声を掛けられる続けるのは避けたかったというのもあった。
 だから、エルマの意見を聞きつつもただそれを通すだけではないラタの案でいいかと言えば、彼女も多少は不満がありそうにしながらも了承するしかなかった。

 それから間もなく、船は予定のポイントにつき、問題なく一行は上陸を果たした。そこからキャンプの支度を済ませ、夕食を食べる時になって、シーグルとラタは他の者達とは離れて最初の見張りについた。





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ってことで、ここまでがこのエピソードの前置きというか状況説明というか設定説明でした。
早い話このエピソードで書きたかったのは、シーグルとラタ、クリムゾンのセイネリアに関するやりとりだったりします。



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