【4】 昼食には少し早い時間、事務局で仕事終了の手続きを済ませてきたウィアは、とりあえず機嫌が良かった。 手に入った報酬はウィアの目が飛び出るくらいのものであったし、上級冒険者であるシーグルが一緒だった所為か、事務局員の対応が今までになく親切丁寧の特別待遇だったというのもあった。 「……って事でさ、うちの兄貴は口煩いばっかで、俺にあれしろこれしろって指図しまくってくるからさぁ」 とはいえ、雑談の内容は兄の悪口である訳なのだが。 事務局から出てきて背伸びをしながらも、ウィアはシーグルに話し掛ける。 シーグルは滅多に口を開く事はないから、先程から殆どウィアが一人で喋っているのだが、別段それを彼が不快にしている様子はない。最初は返事さえ余りしてこないから、本当に聞いているのかと思っていたくらいだったが、どうやらかなりちゃんと聞いてくれているらしい事は、たまに返ってくる言葉で分かった。 「フェゼントも、たまにラークには怒っている声が聞こえる」 「ラーク? あぁ、シーグルの下の弟だっけ?」 少しづつシーグルから聞いた話で、彼ら兄弟には更にもう一人、一番下の弟がいる事をウィアは知った。どうやら、同じ敷地内ではあるものの、フェゼントはその末の弟と一緒に、シーグルとは別の場所に住んでいるらしい。 あまり話さないシーグルからそれだけを聞き出すだけでも、ウィアは相当に苦労したのだ。そこまでのシーグルの発言のゆうに二十倍以上は喋っているといってもいい。 フェゼントが『弟』と一緒に暮らしている、といった『弟』がその末の弟の事であるなら、今までの彼の発言がしっくりするというものだった。彼が家事に慣れているのも、もっと年下の弟の面倒を見ているというのなら、ウィアにも容易にその姿が想像出来た。 「あー、なんか分かるなぁ。フェズってお母さんぽいし。うんでもうちの兄貴みたく頭ごなしにいってきたりはしなそうだよな、何々したらだめでしょって、叱ってくれる感じ」 「……フェゼントは、母にとても良く似ている」 そういったシーグルの声は、心なしか響きが優しかった。 残念なことに兜を被っている為その表情は分からないが、いつでも引き結ばれていた唇を少し綻ばせている。 「瞳の色以外は、母さんと瓜二つだ」 ウィアは振り返って、シーグルに満面の笑顔を見せた。 「だったら、すっごい優しそうな母さんだったんだな」 シーグルは一瞬黙って、そして静かに、あぁ、と小さく返事を返してくる。 「フェズってさ、すっごい面倒見いいんだぜ。騎士なのにさ、家事とかてきぱきとこなしちゃうし、料理とかすっごい美味いんだ。シーグルはさ、フェズの料理って食った事あるか?」 「いや……」 浮かれて言った言葉であったが、返されたシーグルの声は寂しそうに沈んでいた。 それでウィアは、また自分が調子に乗りすぎた事を自覚する。 「俺は、家で食事をしないし、フェゼント達は彼らだけで生活しているようなものだから」 そういえば、シーグルは殆ど食べれないのだと、ウィアはここで思い出した。 ならば、とウィアは思う。 ならば、フェゼントが作った料理なら、シーグルは食べれるようになるんじゃないか、と。 食べる事が苦痛ですらあるようなシーグルが、フェゼントが作った料理ならば、美味しいとか楽しいとか嬉しいとか、少しはそういう事を思い出して食べれるようになるんじゃないかと、そうウィアには思えるのだ。 それはウィアとしては、二人を仲直りさせる、かなり良い思いつきな気がした。 流石にすぐに実行に移すことは出来ないだろうが、きっかけとしてはかなり使えそうだと思う。 未だにウィアは、この二人が実際に何があってこんなになってしまったのか、決定的な理由をちゃんとは聞いていない。 ただウィアが分かるのは、シーグルは本当はフェゼントを兄として慕っているという事と、フェゼントがシーグルに対して、罪の意識の所為で彼から逃げているという事だ。 多分、フェゼント本人がいう通り、根元にある問題の原因は彼だったのだろうとウィアは思う。 真面目すぎる弟騎士の方は、何か少しでも彼に非があるのなら、ちゃんと行動に出してどうにかしようとしていると思うのだ。 だから多分、フェゼントの方から何かしないとどうにもならない。 「まぁ、急がないっていったしな」 呟いた言葉は、シーグルには聞こえないようにして。 「では、俺はこれで帰る」 考え事をしていたウィアに、背中からそう声が掛けられる。 振り返ればシーグルは、事務局の敷地内でも外れにある厩舎に向かおうとしていた。 「あぁ、そっかシーグルは馬だっけかぁ。……ってか、その、体の方は大丈夫、なのか?」 昨日の事が事だけに、さすがにウィアは心配になる。 ――そうだ、シーグルにはまた別の問題があるんだよな。 流石にそちらの方に関しては、ウィアはどうにか出来る気がまったくしない。テレイズから言われている事もあるから、ヘタに深入りも出来ない。 「本調子ではないが、これくらいはどうにかなる。2、3日は仕事を受けない方がいいだろうが」 そりゃそうだよな、と思わず呟いてはしまったが、一応見ている範囲のシーグルの動きはぎこちないところはない。真っ直ぐ伸びた背筋も、きっちりと着込まれた鎧姿も、ウィアの見る範囲では問題はないように見えた。 ただし、昨日の時点で直後であっても、彼は辛いだろうに背筋を伸ばして立っていたので、安心は出来ないとウィアは思う。 「……あぁ、そういやシーグルって、帰るのはリシェなのか?」 思いついた事があって、ウィアはシーグルに聞いてみる。 「あぁ、そうだ」 勿論、聞いておきながら、ウィアには肯定の返事が返るのは分かっていた。 「俺もちょっと西の丘に用事があってさ。よければ乗せていってくれると嬉しいんだけど、いいかな?」 事務局がある南門から西門までは、歩けばそれなりに遠くはある。 だからシーグルは何の疑問も持たずに、了承の返事を返した。 「あぁ、構わない」 西門を出てすぐにある丘。 待ち合わせをする冒険者や、首都を前に休憩をする商人達が多く、冒険者達の間では簡潔に『西の丘』だけで通じる場所だ。昨日はシーグルと待ち合わせたここは、昼食時の所為なのか、今日は辺りに誰の姿も見えなかった。 ウィアはシーグルにいってこの場で馬から降ろしてもらい、それからシーグルにも少し休憩していかないかと勧めた。 「仕事ないんだろ、急がなくていいならちょっと話していこうぜ。どーせ昼食いにいくって訳でもないんだろうし」 シーグルは曖昧な返事をして、ウィアが誘うままに木陰へと腰をおろす。 「昼食程度なら、ここでも取れる」 「……ちなみにその場合、昼飯って何食うんだ?」 「パンとチーズ、後は水だ」 ウィアは軽く、眉を寄せて唇を引きつらせた。 「うん、確かに道中でもそんな食事だったよな。それも体がもつかってくらいほんのちょっと」 そういえば、行きの道からシーグルは殆ど食べていなくて、最初は保存食があんまり好きじゃないのかなとウィアは思っていたのだ。……実際は好き嫌い以前の問題だった訳だが。 もしかしたら、ウィアがいたから気を使って食事らしいものを食べていただけで、一人だったら保存食どころかケルンの実だけで済ませていたかもしれない、と思うとウィアは自分の口の中が苦くなる気がして思い切り顔を顰めた。 海からの風が心地よく辺りの木々を揺らし、頬の上を滑りぬけていく。 ふと動く気配がしてシーグルに視線を向ければ、彼が兜を取って地面にそれを置くところだった。 やっぱり美形だよなぁと、ウィアは改めて思う。 日の光に透けるような銀糸の髪が、汗で張り付いた彼の頬から風で離れていく。 濃い青の瞳は僅かに伏せられていて、少しだけ辛そうに見えた。 顔色は昨日別れた時よりはかなりマシではあるものの、それでもあまり良さそうには見えない。元々が相当に肌が白いから気の所為なのかもしれないが、それでも本調子ではない事は間違いない。 綺麗な顔ってのは、こういう憂いのある表情ってのがまた似合うよな、などと不謹慎な事も考えてはいたのだが、ともかく彼の顔が見れただけでもウィアは満足だった。 あのセイネリアとかいう黒い騎士ではないが、彼に惹かれる気持ちはわかるとウィアは思う。 ウィアでは、シーグルを押し倒せる自信が全くない上に、身長差から気後れしてしまうが、男として彼より強いと自信がある者なら、この綺麗な顔を組み伏せて鳴かせてみたいと思うだろう。綺麗なのに張り詰めた緊張感と憂いを合わせたこの雰囲気が、不安定な色気というか……単純に言えばソソルとウィアは思う。 逆に彼に勝てる自信がない者や女性の場合は、彼に押し倒してもらいたいと思うのだろうけど、等とどうしても頭が不謹慎な方にいくウィアは、我ながら自分のピンク色の思考回路に呆れた。 シーグルの横顔をぼうっと眺めていたウィアは、だがその表情が急に厳しく強張ったのを見て驚いた。 「え?」 反射的に周りを見回して、立ち上がろうとしたウィアをシーグルの腕が制する。 「静かに。まだ気付かない振りをして……一度首都に戻ろう。もし連中が俺だけに向かってくるようだったら、ウィアは逃げてくれ。ウィアにも襲い掛かってくるようだったら、一旦、俺の後ろに」 囁かれた声に何かあったのだと思うが、ウィアにはまだ事態が飲み込めていない。 連中、といわれても、ウィアでは誰かがいる気配を感じる事は出来なかった。 「すまない、少し用事が出来た、首都に戻ろう」 いって立ち上がるシーグルと、それに続いて立ち上がるウィア。 同時に、シーグルが剣を抜き、飛んできた何かを叩き落した。 高い、澄んだ金属音が鳴る。 地面を見れば銀色に光るものが落ちていて、飛んできたものが投擲用の小型短剣だと分かる。 続いて木の陰から現れたのは、いかにもやばそうな雰囲気の、顔を隠した不気味な姿の男達。数は二人。短剣を持っている男と、もう一人は紫の僧衣にクーア神殿のマークがある、恐らくクーア神官だ。予言と千里眼の神であるクーアに仕える神官は、転送術が使える事が冒険者間では有名で、だからつまり、こんな傍に来るまでシーグルが気付かなかったのは、転送で彼らがやってきたのだろうとウィアは思う。 「我が神よ、貴方の目を彼に……」 クーア神官が術を唱え、それが短剣を持った男に掛かる。 他神殿の術は、勉強不足なウィアではよく分からない。 だから対策のしようもなくて、結局は無難な術で対抗するくらいしか出来ない。盾の呪文を唱えたウィアは、術が掛かったのを確認して、シーグルの後ろに下がった。 「ウィア、逃げろ」 敵に向かって構えたまま、シーグルが言う。彼の目はじっと相手を睨んでいたが、少しだけ焦りの色が伺えた。つまり、楽に勝てるような生易しい相手ではないと、シーグルは判断しているのだろう。 ならば、ウィアの取る手段は一つだった。 「冗談。あっちも神官いるんだ、防御は出来るだけ受け持つから、攻撃に集中してくれ」 一瞬の戸惑いを見せた後、シーグルが相手に斬りかかる。 だが、敵はまるで剣の軌道を予測したように、シーグルの速い剣先を逃れ、すれ違いざまに両手に持った短剣で切りつけてくる。勿論それは盾の術によって防がれ、男の舌打ちがウィアには聞こえた。 ――これは、不味いな。 ウィアは思う。『まるで予測したよう』に避けているのではなく、クーアの術で本当に『予測』が出来ているのだと。確かにそんな術があることはウィアにも聞いた事があった。 それでももし、体調が万全のシーグルだったなら、そこまで問題ではなかっただろう。いくら『予測』が出来たところで、頭で理解する『予測』では、どうしても『対処』の間にタイムラグが起こる。普段のシーグルの動きであれば、そのタイムラグは致命的だ、対処が追いつく筈がない。 だが今、ウィアが見てるだけで、明らかにシーグルの動きは鈍い。 昨日、あの黒い騎士と戦っていた時に比べれば、踏み込みのスピードは半分くらいではないのかと思う程。それでもウィアが知る雑魚冒険者からすれば相当な速さではあるのだが、相手はかなりの手練で、しかもこの戦い方に慣れている。今のシーグルの動きでは、『予測』と『対処』が間に合ってしまっている。 それでもウィアには勝算があった。 その所為で逃げなかったというのもある。 「神よ、光を彼の盾に、我の願いを力に、彼を守り彼を傷つける何物をも退け給え……」 聖石を手の中に握り、祈りの形を取ったまま呪文を続ける。詠唱を途切れさせなければ、その間はシーグルに攻撃が当たる事はない。 持続呪文による盾の防御は強力ではあるものの、神官側の言葉が一瞬でも途切れると途端に術が切れる。保険で掛けておける通常の術の方が、はるかに使い勝手が良い。 ただ今回、相手にもう一人攻撃役がいたのなら使ってなどいられなかったが、幸い向こうの神官も、短剣の男に『予測』の能力を与える為にずっと呪文を唱えている。だからウィアは、術に集中していても問題はないだろうと判断した。 なにせ、今は時間稼ぎが重要だった。 シーグルの体力を考えれば早く勝負をつけたいところなのだが、最悪の場合でも、彼に怪我を負わせず時間が稼げればそれでいい。 金属と金属が当たる音、土が蹴り上げられる音が聞こえる。 呪文に集中しているウィアは、彼らの戦いをちゃんと見ている余裕がなく、短剣が鎧に弾かれる軽い金属音がする度、内心びくびくするしかない。 相手のエモノが短剣であるなら、鎧を着込んだシーグルには、正確に鎧の継ぎ目を狙わなくてはならない。息の継ぎ目や、唾を飲み込んだ時に声が途切れても、そうそう簡単にシーグルに攻撃が通る筈はない。ただし、今のシーグルであれば、兜がない分、あの綺麗な顔だけは攻撃がいかないようにと願うしかないのだが。 考えながらも呪文を続けて、そうしてやっとウィアの待っていた時が訪れた。 遠くから走ってくる足音と、男の舌打ち。 それから、短剣が弾かれてどこかへ飛ばされる音。 見れば、息を切らしたフェゼントが、シーグルと二人で男を挟むようにして剣を構えていた。 ウィアは、詠唱を止めて、安堵に大きく息を吐く。 実は、ウィアはここでフェゼントと待ち合わせていて、元々シーグルをここに連れてきたのも、この兄弟が顔を合わせたところを見てみようと企んだからだった。 だから最初から、時間さえ稼げれば、フェゼントが来る事が分かっていたのだ。 挟まれた男は、フェゼントの方が楽な相手だと思ったのか、短剣を構えて、長髪の小柄な騎士の方へ突進していく。 それを剣で受け止め、そのまま相手の刃先を逸らすように剣を引くフェゼント。 彼の剣捌きを見るのは2度目だが、シーグルのような速さや強さはないものの、なかなかに上手い動きをするとウィアは思っている。 神官であるウィアは剣術には詳しくないが、相手の力を受け流して利用するといった戦い方なのだろう、小柄なフェゼントには理に叶っているとい言えた。 思ったよりも手強い、と判断した男はフェゼントから距離を取り、だがそこに飛んできたシーグルの剣を避けれずに左腕の手甲で防ぐ。当然、斬られはしないものの剣の重さを腕だけで受けきれる訳もなく、男は体毎後方へと飛ばされた。 多分、『予測』は一人相手が精一杯な筈。 ウィアのその考えは恐らくあっていたと思われた。 明らかに相手が二人に増えた辺りから、男の動きに動揺が見える。 男は剣を受けた左腕をだらりと降ろし、それでも二人の騎士から距離を取りながら後ろへと下がる。ひしゃげた手甲を見ても、腕が折れているのは間違いない。 そこへ。 「引きますよ」 クーア神官が男の元に走り寄り、彼の体に触れる。 その途端、二人の襲撃者の姿はゆらぎ、まるで空気に溶けるようにその場から消えてしまった。 |