シーグルとフェゼントを和解させようとウィアががんばる話。 【1】 自由の国クリュース、首都セニエティのあちこちには、様々な神を奉る神殿がある。 但し、神殿の数だけ様々な宗教が入り乱れているというよりも、国教である三十月神教が名前の通り三十の神からなる多神教であるというのがその理由の多くを占める。 また神殿といっても、誰がどうみても神殿と分かる立派な建物から、中に祭壇があるだけの一見普通の家にしか見えないものまで様々だ。 一応、自由の国と謳っているだけあって、他国の宗教を排除したりという事はしていないが、国の援助を受けられない他教は明らかに力がなく、そもそも術を習えない神等殆ど見向きもされず、神殿まで建てているものはまずない。 神殿の大きさと規模がそのまま信者の数ともいえて、王城に近く、一番立派なものが三十神の内の主神であるリパを奉る大神殿になる。これは、王や貴族の大半がリパの信徒で、国の行事の大抵がまずリパ神に祈る事から始められる所為だった。 その、リパ大神殿内でも大神官と呼ばれる内の一人がウィアの兄テレイズであり、その彼の立場にあった住居として用意されたものであるから、屋敷はそれなりの立派なものであるのも当然だった。城に近いこのあたりは、いわゆる貴族や役所の官僚達が住む高級住宅街とでもいうべき場所で、勿論治安はよく、道一つ取ってみても清潔で、石畳は綺麗に整備されている。 そんなウィアの家に、丁度日が落ちた頃、一台の馬車がやってきた。 馬車は長居する事なく用事を済ませるとすぐに敷地外へと出て行ったが、その後に人影が動いていた事を居住者達は知らなかった。 尤も、知らなかったとしても人影の仕事は彼らに害を成す事ではなく、逆に彼らを守る事でさえあったから、家人達が気付かなくても別段問題はなかったが。 ウィアは困っていた。 フェゼントに、何と説明しようかと。 『シーグルは首都で体調が悪くなり、リシェまで帰るのは辛そうだったので、一旦こちらの家に泊まる事になった』 という簡単な説明が、シーグルが来る前にウィアがフェゼントに言っておいた内容であった。ところが、実際来たシーグルは、あちこちに怪我をしていて手足が包帯だらけという状態で、更に、青い顔をして人に支えてもらいながら苦しそうな息を吐くなどという、体調が悪い、で済むどころの状態ではなかった。 これで兄のフェゼントに、心配するなといっても無理な話だろう。 来たばかりの時は、そのどたばたで説明を後でと誤魔化せはしたものの、今のウィアは逃げる理由が思いつかない程追い込まれていた。 ウィアはとしては、出来るだけ早くシーグル本人に事情を聞いて、フェゼントとテレイズに対して口裏合わせの対策をするつもりでいたのだ。だが、シーグルの状態を見たテレイズが、すぐに治療をすると、ついでに話もあるからといって、ウィアは部屋からいきなり追い出されてしまったのだ。 そうなれば、待っていたようにフェゼントがウィアのところにやってきて。 「シーグルに、何があったんですか?」 と、真剣な顔で睨まれているのが現在の状態であった。 ウィアは困った。本当に困った。 へたに嘘をつくのも、シーグルとの約束を破るのもウィアには出来ず、困るしかなかった。 だからこういう場合は、嘘はつかない事にした。 「えーと、俺も詳しくは知らないんだけどさ。なんかシーグルの知り合いの人から言われてさ、シーグルが体調悪くてリシェまで帰すのは大変そうだから、ってんでウチに連れて来るって話になっただけで、どうしてあんな状態なのかは俺も分からないんだよな。体調悪いっていっても、まさかあんなボロボロとは思わなかったし、そのへんの事情は本人に聞くしか……」 ――ごめん、シーグル。事情はお前自身で説明してくれ。 ウィアは心で謝った。 ちらりとフェゼントを見れば、心配そうな顔をしながらも、諦めたように下を向いて考え込んでいる。その顔からは、いくら心配をしていても、本人に話し掛けに行く気はなさそうに見えた。 シーグルのいる部屋の近くにいて、心配してそのドアを見ているのに、それでも彼は踏み切れない。 フェゼントから動けば、溝はきっと思ったより簡単に越えられるのに。 シーグルは絶対に待っている筈なのに。 今、話し掛ければ届くのに。 それでもフェゼントは、俯いたまま一歩を踏み出さない。 だから、ウィアは決心する。 「実の弟なんだからさ、フェズが遠慮する必要ねーだろ、とりあえず会ってこいよっ」 言って強引にその手を掴んで、ウィアは部屋にフェゼントを引っ張っていこうとした。 だが。 「外で待ってろといっただろう、ウィア」 余りにもいいタイミングでテレイズが部屋から出てきて、ウィアの頭を軽くはたく。その所為で、やる気満々だったウィアの勢いは急停止を余儀なくされた。 ――クソ兄貴。 ウィアがじろりと恨みがましく見上げると、テレイズは心の声を聞いたように、再び茶色の尻尾頭をぺしりと叩いた。 ウィアは頭を押さえながらも、ぎっと兄を睨む。 「終わったんならいいじゃねーか。フェズがちょっと用事あるんだって」 テレイズは眉を顰めた。 「なら、もう少し後にしてくれないか。治療したところだから、その……今彼は服を着てないし、術の反動もあるから暫くゆっくり休んで貰いたいんだけどね」 「兄貴、シーグルの事剥いたのか!」 そこで即そう返したのは、流石ウィアのピンク色思考というところだった。 テレイズは呆れたように眉を寄せて、育て方の間違った弟に溜め息を付いた。 「人聞きが悪いな、治療だといっただろう。……まぁ、目の保養にはなったのは確かだけどね」 とはいえ、ウィアの教育をしていただけあって、テレイズの頭もその手の事には相当正直だ。ふふん、と思い出し笑いを浮かべる様は、神官職とは思えない不謹慎さだった。 「まさかシーグルに手を出したんじゃないだろな!」 それでもウィアにそういわれれば。 「流石にまさかだ。俺も命は惜しい」 そう答えるものの、やはりテレイズの口元の笑みは消えない。 「……まぁ……好みだけどね」 それを聞いてウィアは、この兄が、人形のように綺麗に整った顔が好きな事だとか、抵抗した方が楽しいけどね、などと聖職者らしからぬ事を昔口走っていた事を思い出した。 「エロ兄貴ーーーシーグルは素直なんだからな、真面目だからな、治療とかいって騙して脱がしたんだなーー」 「仕方ないだろ、服を脱いで貰わないと治療出来ないようなところも診たんだ」 暴れるウィアに余裕で答えるテレイズ。それはいつもの事で、益々ウィアは頭にくるしかない。だがウィアは、すっかり頭がそっちの方向にいっていた所為で、ここにフェゼントがいた事を忘れていた。 「何処を、怪我していたんですか? シーグルは」 フェゼントが声を出して、初めて頭のピンクフィルターが外れたウィアは、冷や汗を掻いて言葉を止めたまま顔を引きつらせた。 「何、心配する程じゃない。念の為に体中どこを怪我したのか一通りみただけだよ」 固まったウィアの様子をちらりと見たテレイズは、フェゼントに笑顔さえ浮かべてそう返す。 それには、流石のウィアでも兄に感謝せずにはいられなかった。 先程までの悪口を返上して、心の中で感謝するくらいに、ウィアはほっとした。 「特に深い傷は無かったよ。術でどうにか出来るところはどうにかしたしね。ただ、体力の低下が酷い。傷とかハッキリ見えているものは治癒術で治しやすいけど、疲れとか衰弱とか全体的に弱っているような状態は術もそこまで効かないからね。とにかく、今の彼には暫く静かに休息を取る事と、栄養を取る事が必要だね」 「そう、ですか」 テレイズの言葉を聞いて、幾分かほっとした様子を見せるフェゼントに、ウィアもまた盛大に胸を撫で下ろした。フェゼントがシーグル本人に直接確認する気がないのならば、とりあえずはこれで一応納得してくれるだろう。 「栄養っていってもなぁ……シーグルは食べられないだろうし」 ほっとしたついでにテレイズの言葉にそう呟けば、再びフェゼントの視線を感じて、ウィアはまた焦る事になる。 「シーグルは、そんなに食べられないんですか?」 ウィアは本気で頭を抱えた。 心配しているくせにここまで知らないなんて、わざとなんだろうかと思う。しかも、場所が違うといっても、彼らは同じ敷地内で生活している筈であった。 「……まぁ、普段からあいつの食事って食事制限中の女性並ってとこだから。ミルクとパン少々に果物かチーズか野菜とかくらい……後は、食事っていうか、栄養だけ取るみたいなケルンの実とか食ってるらしい。ちなみに、フェズはシーグルの食事の事、全然知らなかったのか?」 「あの……使用人の方から噂は聞いていたんですが。実際にどれくらいかは……」 「そかぁ。そういやシーグル、今は家で食事してないっていってたしなぁ」 これはフェゼントが知ろうとしなかったというよりも、シーグルが隠していたのかもしれないとウィアは思う。きっとあの生真面目で兄思いの弟は、心配させない為に、フェゼントには自分の問題のある部分を見せなかったのだと想像出来た。 ――心配させない為に、って考えるのが必ずしも兄思いではないんじゃないかな。 同じ弟という立場としてウィアはそう思うが、シーグルと自分とでは状況も立場も違う事はわかっている。それでも、シーグルにもフェゼントを寄せ付けないようにした壁を作った原因があると、それで思う。 考えて、溜め息をついて。 だがウィアは、そこでふと気がついた。 「そっか。栄養だよな、栄養つけさせないとな、シーグルに」 前にウィアは思ったのだ、この二人の仲直りに、シーグルにフェゼントの料理を食べさせるのが良いのではないかと。それを思い出せば、今はその絶好の機会といえた。 「フェゼント、あのさ。シーグルがあんな調子だし、栄養つけてもらう為にさ、何か消化良さそうで栄養のありそうなモン作ってやるといいんじゃないかなーと思うんだけど」 フェゼントは、言われて気付いたのが自分でも意外だったのか、目を開いて少し驚いた顔をして見せた。 「あぁ……そう、ですね。えぇでは、何か作って置きます。彼が起きたらすぐに食べられるようにしておきますので、その……彼が食べるといったら教えてください」 言うとすぐに、フェゼントはテレイズにお辞儀をして厨房へと足早に歩いていった。 それを笑顔で見送るウィア。 だがしかし、そのウィアの背中には冷たい声が掛けられる。 「ウィア、彼の事でちょっと話がある」 一つ乗り越えるとまた、という感じに、ウィアは内心かなりげんなりしていたが、それでも振り返らない訳にはいかなかった。なにせ今回は特に、兄は自分側の協力者でもあるのだから。 シーグルを家に迎える為にも、テレイズには今回の出来事をウィアの知る範囲で正直に話してあった。更に今の兄はシーグルと直接話して、もしかしたらウィア以上に知っている事があるかもしれない。 「なんだよ、手短にな」 不貞腐れたその言い方に、テレイズは顔を顰める。 それでも、見下ろしてくるテレイズの、ウィアと同じ茶色の瞳は至極真面目だった。 「シーグル君の事なんだが、そんなに酷いのか、その……食事量は」 「さっきフェズに言った通りだよ。だから細いだろ、シーグル」 ウィアの言葉を聞いて、テレイズは軽く溜め息を吐きながら益々顔を顰めた。 「細いな。なのに無理矢理鍛えているから、なんだか見ているだけで痛々しい感じがする体だったよ。今回の怪我だけでなく、他にも細かい傷がいくつもあって、元の肌が白くてとても綺麗な分、正直勿体なかったね。この容貌なら戦士などにならず神官でもやっていれば、さぞ完璧に美しい青年だったろうにと」 本気で残念そうに首を振るテレイズを、ウィアは引きながら嫌そうに見つめる。 その視線に気付いたテレイズは、自分でも感想が趣味に走りすぎたのが分かったのか、気まずそうに咳払いをした。 「まぁ、いろいろ無理してる体だね。騎士としてこれからもやっていくなら、せめてもう少し食べれるようにして体力をつけるべきだろう」 ウィアは未だに兄に不審の目を向けていたが、諦めたように肩を竦める。 お互いに思考がこの手の方向に逸れるあたり、兄弟なんだと改めて実感してしまう。それがウィアは我ながら嫌だった。 「てか兄貴さー……、シーグルに関わるなとかいってたクセに、いざシーグル前にしたら何だその態度の変化は」 じとりと睨むウィアの顔を見て、テレイズは少し怒ったように頭を掻く。 「ではお前は、俺が彼を放り出した方が良かったのかい? 流石にこの状況になってそれも出来ないから、腹を括るしかないだろう。関わると決めたなら、いっそこの状況を利用でもするくらいのつもりでもないとやってられないね」 「それでシーグルにちょっかい出す事にしたのか」 「し て な い」 どうしても頭がそっち方面に行っているウィアに、テレイズは脱力したように項垂れる。ウィアとしてはテレイズの言っている事が半分理解出来ない分、自分のわかる方向に曲解している感じであった。 「確かに俺も少し調子に乗ったが、流石に彼に手を出したらシャレにならない。少しでもセイネリアにそんな話がいったら、問答無用で俺が消される。いくら何でも俺はお前と違って、趣味と勢いだけで行動したりはしないからな。いい加減頭をそっちから切り替えておけ、この色ボケ」 テレイズとしては、我が弟ながらここまで馬鹿だったろうかと悩む程であったが、ウィアはどうしてそこまで兄が必死になって否定するのかの方が分からなかった。 納得いかないと、考え込むようにして口を尖らせるウィアに、テレイズは数えるのが面倒になった溜め息をまたついて、ウィアの頭をこつんと叩いた。 「彼に本当に手を出したら、セイネリアが俺をただで済ますと思うか?」 「……あぁ、そだな」 やっと合点がいったというように、ウィアは手をぽんと叩く。 テレイズは頭を抱えたい気分だった。 「今のところだと、こちらはシーグル君を保護する立場だ。セイネリアが彼を本気で大事なら、我々に対しては好意的だと思っていいだろう。彼の所為で我々がとばっちりを食うような事になったら、セイネリアを頼って構わない。……まぁそもそも、あのセイネリアが、シーグル君をどれくらい本気で気に掛けているかにもよるけどね」 それにはウィアが断定して言う。 「セイネリアの奴は、シーグルを本気で愛してるよ」 あまりにもきっぱりと自信満々にウィアが言うので、テレイズは一瞬呆気に取られた。だが、そのいかにも当然の事だというようなウィアの普通すぎる顔に、テレイズは考えたものの信じる事に決めた。 「お前もこの手の事に関しちゃ鋭いからな」 くしゃくしゃと、ウィアの頭をテレイズは乱暴に撫でる。 それに文句をいってくるウィアを見下ろして、テレイズは手を引くと腕を組んだ。 「まぁ、その件はまだ今どうこういう話じゃない。とりあえず、今はシーグル君の体をどうにかする事が第一だね。その為にも、彼の食事の件は出来るだけどうにかしたほうがいいだろな。食べてちゃんと体力つければ、元々鍛えてる体だ、すぐに回復するだろうしね」 話を切り替えて、詳しい事情も知らないくせに偉そうにいうテレイズを胡散臭げに見て、ウィアは小さく溜め息をついた。 「そりゃぁ、がんばれば食べれるようになる、っていうような問題だったらいいんだけどな」 現実はそんな単純な話ではない訳で。 といっても、これ以上兄の話に付き合う気がないウィアは、未だ何かいいたげなテレイズに強引に別れを告げると、フェゼントを追うように厨房へ向かった。 |