シーグル・セイネリア・フェゼント・ウィアそれぞれの状況と、セイネリアの賭け。 【1】 クリュース王国首都セニエティ、昼の大通りは、各国からやって来た人種豊かな人々で犇き合っている。 そんな、いつも通りの風景を黒いフード越しに見ながら、セイネリアは裏通りの一つに入って行く。西地区でも南にあたる下区は、あまり治安がよくないとあって、裏通りに入れば人通りは極端に少なく、いる人間も顔つきだけで善良な一般人に当てはまるとは思えない者達ばかりになる。もしくは、セイネリアのように、顔を隠している者か。こんなところをうろついているというのは、それなりに事情のある者も多い。 治安が良くないとはいっても、余程の馬鹿でもなければ、他人が何者であろうとどうなろうと関わらないのがここのルールだ。だから派手な喧嘩ざたや騒ぎはここでは滅多に起こらず、ある意味、一見、表通りよりもずっと平和なように見えなくもない。 ただし、この異様な雰囲気で、大抵は察するだろうが。 何処かの建物から流れて来る怪しい匂いに苦笑しながら、セイネリアは今歩いている通りから更に細い路地に入って行く。 目に見えたトラブルは滅多に起こる事はなくとも、人が消えたり、死体が転がっていたりというのはここでは日常茶飯事だ。警備隊も気味悪がってあまり来ないここでは、追われている者が身を隠すには最適だが、公に出来ない趣味や研究にいそしんでいる者達、非合法の商売人達が、獲物を探して歩いている。 つまるところ、自分の身を守れない者は来るな、というのが暗黙の了解となっている場所である。 人二人がどうにかすれ違える程の細い通りを大柄なセイネリアが歩いていけば、やはり体格のいい、いかにも戦士といった風情の男が正面から歩いて来る。 男は近づいた途端、退けというように睨んで来たが、無言を返すセイネリアのその雰囲気にのまれて、逆に自分が身を縮ませて道を譲った。セイネリアはそれに一瞥を向ける事なく通り過ぎると、目的の建物を見つけて足を止める。 鉄製の扉を叩けば、のぞき窓からすぐに顔が出てきてセイネリアの姿を確認する。セイネリアは目深に被っていたフードを上げ、顔を曝すとのぞき窓の人物に向かって口を開いた。 「俺だ、ケンナの奴は今日はいるんだろ」 程なくして、カギが外される音がして、それから重い金属が軋む音とともに、鉄製の扉が開かれる。 「師匠は待ってる。今日はあんたの為に時間あけてあるってさ」 歳の頃は二十歳を少し過ぎたくらいの無愛想な青年が、セイネリアを無表情に見上げて言う。戦士といった出で立ちではないが、むき出しの腕に鍛えられた立派な筋肉が付いている彼は、ここへ弟子入りしてもう四年になるだろうか。ここに来た時からセイネリアの顔を知っている青年は、特に案内をする事もなく、扉に鍵を掛けると軽くお辞儀をしてすぐに別室へと行ってしまった。 セイネリアはその彼を気にする事もなく、高い金属を叩く音が聞こえて来る奥の部屋へと入って行った。 「仕事中だったか」 声を掛ければ、一定のリズムを刻んでいた金属を叩く音は止まる。少し肌寒さを覚えるこの季節とは思えない程、部屋の中は熱気に包まれ、その熱気の中心にいる年齢には似つかわしくない、むき出しの腕に素晴らしい筋肉を纏った初老の男が振り返った。 「今日は鎧か? お前さんに一太刀浴びせた奴でもいたのか?」 鍛冶屋特有の汗とススにまみれた顔を振り向かせて、セイネリアに嫌味を含んだ笑みを返す、男。 「いや、残念ながらお前の腕に頼る程のへこみもひびもないが、このところ少しばかり動き回っていたからな、微妙な歪みが出てるらしい」 言いながらセイネリアは着ている鎧を外して行く。ケンナと呼ばれた初老の鍛冶屋の男は、床に落とされた外したばかりのそれらを手に取ると、目を細めてさまざまな角度からそれを眺める。 「成る程な、ついでに全体的な調整も必要なようだな。右腕が少しきついんじゃないか?」 「あぁ、確かに。最近鎧は省略する事が多くてな、右の籠手は殆ど着けていない」 ケンナは、鉄くずを纏めてあった場所からその一つを手に取ると、それを火の中に放り投げる。 程なくして、再び部屋の中には金属を叩く高い音がこだました。 「ふん、いっそ鎧を何も着けてなくても、お前さんなら問題あるまい」 「いや、流石にそれは困る」 音が止まる。 部屋の壁によりかかっていたセイネリアをちらと見て、鍛冶師の男はにやりと唇に笑みを浮かべた。 「ほう、毎回傷一つ付けずに持って来るお前さんでも、こいつに命を救われた事があるのか?」 「いや、これを着ていないとハクがつかない」 表情を変えずに、悪びれもせず言われた言葉に、ケンナは思い切り顔を顰めた。 「ぬかせ。まったく、俺の渾身の作を見た目だけのお飾りにしやがるとはな」 再び鳴りだした金属の音に、セイネリアは笑う。 「見た目だけじゃないぞ、俺としては実用を考えてお前にしか頼んでいないんだがな。他の連中が打ったものじゃ、本気でこちらの動きを阻害するだけで着ていない方がマシになる」 今度は振り返りもせず、金属の音を途切れる事なく響かせながら、ケンナは少し大声で返した。 「は、俺の腕を見込んでくれるのはいいが、お前さんみたいな奴は本来なら、魔法鍛冶の鎧が欲しいところだろ」 言われてセイネリアは思い出す。 いつでも魔法鍛冶製の銀色の鎧を着た銀髪の騎士を。 途端、口元に自嘲の笑みが浮かぶ。 「まぁ、魔法鍛冶の材料も、あれを打てる連中も国に管理されてて、旧貴族様の直系以外は手に入る事はねぇ。貴族のもやし共じゃなく、あんたみたいなのにこそ、最高のモンで身を固めて貰いたいもんだがな」 軽い体重と力の足りないその体をカバーする為に、彼程魔法鍛冶製の鎧の利点を活用しているものはいないだろう。体の動きを磨く事に特化するには、重さを極限まで削れる魔法鍛冶製の鎧は、今では彼の戦闘スタイルには必須になっている筈だった。 銀色の甲冑に包まれた、たとえどれだけ負かしたとしても自分に立ち向かって来る彼の姿を思い出せば、心の奥が熱くなると同時に、それが失われそうな現状に恐怖がゆっくりと競り上がって来る。 それらを頭の中から追い出すように、セイネリアは軽く頭を左右に振った。 「まぁ、貴族の全員が全員、もやしと言う訳でもない。着るに相応しい者もいるさ」 「そうかね。少なくとも俺はそういう騎士様は見てないが」 「まぁ、そうだな……」 ケンナは間違いなく、魔法鍛冶師を除けば、首都では一番腕がいい鍛冶屋と言えた。こんな場所に店を構えているのは、ここに来るのを恐れる必要がない程度の腕はなければ客として認めないというのもある。 旧貴族の鎧を継承する立場の人間は、専属の魔法鍛冶師と契約している。シーグルが一般の鍛冶屋を使う事はないだろうとセイネリアは思った。 規則正しく、高い音を鳴らすその音を聞きながら、セイネリアは目を閉じる。このところ、一人になれば考える事は彼の事ばかりで、自分の無力さに歯噛みする事しか出来ない。 現状、シーグルには、再びフユが付いている。 彼からの報告では、少なくとも表面上はシーグルの生活に変わりはない。屋敷に殆ど帰っていないというのと、仕事を只管こなしているという報告だけで、特に問題視する事は起こっていない。 彼が、彼である為に、必要ならば。 セイネリアは、どこまでも彼に憎まれる存在でなければならない。 セイネリアの胸に冷たい感触が広がる。 口元には自嘲の笑みを浮かべる事しか出来ない。 この腕に抱き締めて、彼に愛しいのだと伝える事は間違いなのだと。縋ってくれた彼の腕とあの暖かさは幻なのだと、求めてはいけないものなのだと。そう、考える事は、予想以上にセイネリアの精神を冷たく、凍らせていくように蝕んだ。 「――……リア、セイネリア」 名前を呼ばれた事で、ふとセイネリアは思考の中から意識を現実に戻す。何時の間にか金属を叩く音は止まり、意外そうな顔をしたケンナがこちらを見つめている事に気付いた。 「お前さんが呆けてるなんざ前代未聞だな。何があったかは聞かないが、こっちはもう少し掛かりそうでな、向こうの部屋に行っててくれんか? 丁度お前さんに客も来たようだしな」 「客だと?」 胡散臭げに目を細めたセイネリアに、ケンナは背を向ける。 「会えば分かるそうだ。なに、どう考えても危険そうな人物じゃない。尤も、お前さんが身の危険を感じる人物なんざいるかどうかが怪しいが」 ケンナの弟子である鍛冶屋見習いの青年に案内されて、別室に連れて来られたセイネリアは、そこにいた人物を見て、驚く事はなかったが不審そうに眉を寄せた。 椅子に座っていた小柄な人影達が、セイネリアの姿を見た途端慌てて立ち上がる。 それから、ぺこり、と形式だけのお辞儀をすると、一人はこちらの空気に押されたのか青い顔をして、もう一人は腰が引けながらも睨むように、じっとセイネリアを見て来る。 どちらも男というには華奢過ぎる、服装が服装なら女と思われるような顔のまるで小動物のような印象の二人。その内のこちらを睨もうとがんばっている、髪をポニーテールに纏めたリパ神官の顔にはセイネリアも見覚えがあった。 だが、もう一人は――。 「あんたに、話があるんだ、セイネリア。……シーグルの事で」 セイネリアは、表情こそ変えなかったものの僅かに目を細め、それから、彼らの前にある椅子に腰掛けた。 「いいだろう、話せ」 幾分か安堵した顔をして、その二人も再び椅子に座る。椅子に深く腰掛けたセイネリアは、値踏みするように見覚えのない方の人物に視線を向けた。ただでさえ、こちらに怯えているのが目に見えて分かる様子だったその青年は、セイネリアの視線を受けて、今にも倒れそうな程更に顔を青くする。 それに気づいた神官が、注意を向けるように軽く咳き払いをした。 「えー……俺の自己紹介はいいよな。どーせあんたの事だから調べてあるんだろうし」 「あぁ」 セイネリアの返事を聞いた途端、恐怖に体を小刻みに震わせてさえいる長髪の青年が、精一杯の虚勢を張るように、緊張を纏ってセイネリアの顔を見返した。どうやら、鎧の胸の印からすれば騎士だと分かるが、騎士資格をとれる程の実力があるようにはあまり見えなかった。 「わ、私は……フェゼント・セパレータ、です」 その名を聞いて、初めてセイネリアは理解する。今まで、名だけは知っていたが、興味がなかったのもあって顔を見ようとした事がなかった。 「シーグルの……兄、です」 セイネリアは唇に皮肉な笑みを浮かべる。 --------------------------------------------- 新エピソードスタート、ってとこなのですが、……すいません、今回はちょっと短めでお許しください。orz。 |