何時か会う誰かの為
<番外編・ウィア16歳のお話>







  【2】



「つまり、冒険者に依頼する仕事を、タダで学生に押し付けようって事なわけだよな、コレ」

 資料と旅支度を詰め込んだ鞄を背負いながら、ウィアは少し大きな声で悪態をついた。街を出て外の街道に出れば、少なくとも多少声を出しても聞こえる程傍に他人はいない。
 ここまでくれば愚痴の言い放題とばかりに、ウィアは上機嫌のアルステラ神官の顔を思い出して彼の悪口を連発した。

 ウィアが言いつけられた仕事は、首都から比較的近くにあるアウグスト山の調査。ここのところの大雨でところどころが崩れたらしいので、その状況を詳しく調べてこいと、調査項目の並べられた書類と共に言い渡された。

 ウィアは知っている、本来こういう仕事は、冒険者に依頼するようなものだという事を。だから学生であるウィアを仕事にあてるのは、ただの経費削減というか節約というか、単にケチって見習いを使ってやろうという腹なのだと。
 しかもそれが、気に入らない学生に理由をつけて堂々と押し付けられるならそれは気分がいいだろう、とウィアは思って顔を顰めた。

 とはいえ。
 心で文句を言いながらも大人しく従ったのには、この仕事に対して多少の興味がウィアにもあったというのがある。

 流石に、何も分からない学生に一人でやってこいと言うのは無茶だと分かっているのか、この仕事にはもう一人、冒険者として雇われたガイドというか護衛というかをやってくれる人間がついてくれるらしい。しかもそちらの人間は慣れているから、ウィアは彼に付いて行って書類の項目を埋めてくればそれでいいという事だった。
 アルステラ神官の思惑は気に入らないものの、冒険者と仕事を出来ると考えれば、ウィアだって興味が湧かない筈がない。タダ働きは癪に障るが、冒険者生活の予行練習と思えば悪くない。

 願わくば、組んでくれる冒険者が、嫌なヤツとかではなく気が合う人間、出来ればウィアの好みだったら嬉しいのだがと思いつつ、悪態をつきながらも軽快な足取りでウィアは首都南の森の街道を歩いていく。
 そうして、指定された街道途中の休憩小屋で、ウィアはその冒険者と会ったのだった。







 首都セニエティを南門から出ると、まず森が見える。
 それを街道沿いに南へ抜けると、すぐに田園風景が広がり、後は延々森と畑、丘、川という風景が繰り返し続いて、ずーっとずーっと先の大樹海へと繋がっていく。けれども、南へ抜けずに街道の途中から森の中を東に進めば、森はどんどん深くなり、やがてアウグスト山の麓に出る。とはいえ、立地条件的にやはり首都に近い為、この山には冒険者らしい事をしてみたいという駆け出しの冒険者達がよく訪れ、そこまで危険な生物が住んでいる事はない。

 ただし、首都から森を進んでアウグスト山麓へくるまでは、徒歩でならそれだけでそこそこの時間が掛かる。小柄なウィアならば更に。
 そんな人々の為に、森から山へと向かう境に、休憩小屋は設置されていた。

 誰が使ってもいいとされている小屋はお世辞にも綺麗とはいえないもので、外見は蔦や苔がへばりつき、結構くたびれた印象を見た者に与えていた。ウィアも一度、首都に来て間もない頃に冒険ごっこを兼ねてこの小屋の傍まで来た事があるが、その時はちょっと不気味で中に入ってみる事はしなかった。
 今、まじまじと見てもやはりあまり入りたくはないのだが、ここで待ち合わせとなれば仕方ない。
 意を決してウィアが扉をそっと開ければ、むっと何か、恐らく中に篭っていただろう匂いが鼻に入ってきて、ウィアは思わず途中まで開けた手を止めた。だが、すぐに思い直して中が見える程まで扉を開け覗き込むと、中にいた数人の毛皮に身を包んだ男達と目が合った。
 男達は眼光鋭く、髪も髭も伸ばし放題といった風貌で、人間というよりも獣に近い気がして、ウィアは扉を開けた事を深く後悔した。

「あ、す、すいません」

 その時のウィアの心情としては、『うわこれ絶対ヤバイやつらの集団だよ、見たなって顔してたし。何か秘密の計画の相談とかしてたとこに俺入っちまったんじゃねーか、どうしようどーするよ俺』というところだが、あまりにも焦りすぎて、ウィアの体は頭のパニックと共に、それ以上の言葉も出せず固まっていた。
 だが、混乱から回復したウィアが、腰どころか体が引けて、扉を開けたまま一歩後ずさり今にも逃げ出そうとしたところ、小屋の奥から声が掛かった。
 その声が、いかにも怖そうな男のダミ声だったならば、ウィアはすぐに逃げていただろう。
 だが、掛けられた声は、ゆっくりと落ち着いた優しそうな男の声で、ウィアは足を止めてそっと中を覗き込んだ。

「リパ神殿からの使いの人かな? すまない、ちょっと話を聞いていたとこだったから気付くのが遅れてしまった」

 そうして、小屋の奥からウィアに向かって歩いて来たのは、優しそうな水色の瞳に柔らかなクリーム色の髪の気の良さそうな男だった。歳の頃は丁度ウィアの父親ともいえる年代だろうか、少し長い髪は後ろで一つに結び、毛皮のベストを着ているものの汚れた印象はなくきっちりとした服装の男に、ウィアはほっとして顔の筋肉が緩んでいくのが自分でもわかった。

「俺が君の案内役のエルフラット・ロスト・モーゼスだ、よろしく頼む」

 そういってくしゃりと笑う顔は、歳の割りには可愛いというか人懐こそうというか、思わず釣られて笑ってしまったウィアは、出された彼の手をがっしりと掴んで握手した。

「俺はウィア・フィラメッツ。よろしく、……えーと……エルって呼んでいいかな、名前長くてさぁ」

 言われて男は少しだけ驚いたように目を見開いて、それからまたくしゃりと笑う。

「あぁそれで構わない。こちらこそよろしく、ウィア。この時間なら、まだ今日中に裏の小屋まで行ける。疲れてないならすぐ出発でいいかな?」

 それに了承の返事を返せば、エルは小屋の中に別れを告げて、すぐにその場を後にする。

 実際のところ、あの小屋の中で休憩するのは遠慮したいところで、だからすぐに出発してくれたのはウィアとしては助かったと思っていた。
 一緒にいくエルは好みかといえば年齢的に難しいところだが、少なくともいい人物ではありそうだとウィアは思う。
 エルの後ろを歩きながら、ウィアはこれからの仕事が楽しみになってきていた。







 アウグスト山の周囲にある川に沿って、二人は歩く。
 歩きながらエルが説明してくれた調査ポイントは、この川沿いに上流まで登った辺りまでと、そこから山を一周して下りるまで。主にその辺りまでは、冒険というよりも薬草や鉱石、花を取りに来たりという戦闘能力のない人達も多く訪れるから、崖崩れや危険な場所はないか、または凶暴なモンスターや動物の来た形跡がないか等、定期的に調べなくてはならないらしい。
 聞いてみれば、エルはその仕事の為に国に雇われている冒険者で、普段はエルの報告だけで済んでいるのだが、今回のように大雨があったり、問題が通報されたりといった後の調査には、神殿から確認の人間が派遣される事になっているとの事だった。

 つまり、案内役というよりは、実際の調査をエルがやって、ウィアはそれを確認すればいいだけという事らしい。思うところ、神官達の間でも、山歩きをするだけの面倒な仕事という事で、押し付け合っていたような状態だったのだろう。

 ――そりゃー、気に入らない学生に押し付けるには丁度良かったろうさ。

 そう一人ごちて、ウィアは引き攣った笑みを浮かべる。
 実際、分かってはいたが、調査というよりはただの山歩きだ。神殿で働くような神官様達では、体力的に辛いだろうと思う。

「しかし、今回はまた随分と若い神官様だね」

 唐突に、エルが、ウィアがついてきていることを確認するように振り向いて、そう声を掛けてきた。

「えぇまぁ、俺まだ神官っていうか見習いなんで」

 ウィアが急いで返事をすれば、エルが、最初に見たときに年齢以上に若く見えると思ったくしゃりとする笑みをまた浮かべる。

「あぁ道理で。仕事内容が内容だから、いつでも若い神官さんが来てはいたんだけどね、今回はまたやけに子供が来たから、本当に神殿からの人か不安になった」

 子供、という言い方にむっときたウィアは表情を強張らせた。

「子供って、俺、16歳なんだけど」

 とはいえ確かに、目の前の男からしたら子供といえる年齢ではあるのだろうが。
 エルはそれで少し驚いた顔をしたから、あぁやはりな、とウィアは思う。
 身長の所為か、童顔の顔の所為か、ウィアはいつでも実年齢より年下に見られる。16歳より下に見られていたなら、一体どれだけの子供が来たと思われていたのか、いやそれ以前にいくら何でもそこまでの子供を寄越しはしないだろうというつっこみを言いたくなったが、それは頭の中だけで留めておく事にする。
 そんなウィアの一人百面相を見ていたエルは、またくしゃりと笑うと、足を止めてウィアにちゃんと向き直って頭を下げた。

「本当にすまん、そうだよなぁ、本当に子供っていえる年齢の子が来る筈はないよなぁ」

 屈託なく人懐こい顔でそういわれると、ウィアだって怒る気はなくなる。
 冒険者なんてのはいわゆるごろつきみたいなモンで、モラルも常識もおかしい連中ばかりだと常々兄から聞かされていウィアだが、少なくともこの男はそんな不味い人間には見えなかった。

 ――うん、こういうオッサンも結構いいかも。

 いわゆる美形といえる程ではないが、彫りの深い顔はいい意味で印象的だった。日に焼けた肌も年齢が刻んだ皺も、彼の優しそうな風貌をより引き立たせる為のアクセントに見えた。
 だからウィアは、こういう人物となら寝てもいいかな、とふと思ってから、さすがに自分の思考回路が爛れすぎているのに気付いて苦笑した。

「まぁいいよ、慣れてるし。俺かわいーから仕方ねーな」

 言えば今度は更に驚いたように水色の瞳を丸く開いて、エルはまじまじとウィアをみてから、ぶっと吹き出して声を出して笑った。

「あぁ、確かに可愛いね。すまないが、実は最初女の子かと思ったんだ」

 ウィアは拗ねるように唇を尖らせる。

「よく言われるけどさ。……言っとくけど、男相手に可愛いってのは褒め言葉じゃねーからなっ」

 びっと指差して言い放てば、今度はにやりと悪戯っ子のような含みのある笑みをエルは浮かべた。

「あぁそうだな、悪かった。まぁでもすぐ女の子じゃないとは思ったよ。この口の悪さは小生意気な坊主に間違いないってさ」

 今度はウィアが目を丸く見開く。
 正直、優しそうに見えた彼がそういう返し方をしてくるとは思わなかった。
 ウィアは顔を赤くして、ますます唇を尖らせた。

「坊主っていうな、だから子供じゃねーっていってんだろ」

 そうすればエルは今度は柔らかく微笑むと、ウィアの頭に手を置いて、くしゃくしゃと茶色の柔らかい髪をかき混ぜる。

「坊主だよ、俺からしてみたら。まぁおとなしく言われておけ、俺はお前の倍以上の歳だぞ、俺から言われたんじゃ仕方ないってもんだ」

 いつもなら、こうやって頭を上から撫でられるのは大嫌いだった。知人や神官達がそうしてきたなら、怒って足を蹴るくらいのことはよくやっていた。
 けれども今、不思議と彼にはいつものような怒りが湧く事はなかった。それどころか、こうして力強い手で優しく撫でられるのは、何か懐かしいような安心するような気さえして、ウィアは唇をぎゅっと結んで黙ってエルの顔を見上げた。

 浅黒く、彫りの深い顔の中、水色の優しい色が細めてウィアを映している。
 それを何故か見ていられなくて、ウィアはすぐに下を向いた。

「……まぁそりゃ、オッサン相手じゃ俺もガキだろーけどさ……」

 呟く言葉は何故か大きな声にならない。
 そうすればまたくすりと彼が笑ったのが分かって、それから頭に置かれていた手が離れていく。ウィアが顔を上げれば歯を見せて笑うエルがいて、彼はウィアの背中を軽く叩くと、背を向けて歩きだした。

「それじゃウィア、行こうか。日が暮れるまでに小屋に着かんと流石に面倒だからな、男なら多少急いでも付いてこれるな」

 広い背中が前へ進んでいく。
 ウィアは一瞬その背中に見とれて、それからすぐに我に返ると、急いで彼の後を追った。






 いくら駆け出しの冒険者や戦闘の出来ない一般人がやってくるといっても、山は道が整備されているわけではない。基本は川沿いを歩いて、場所によっては獣道に入る程度だ。
 実際のところ、人が来るのなんてその周辺くらいで、その範囲で危険がないかを調査さえ出来れば国の安全確認なんて事足りる。それ以上の奥にいったりする者は、腕に自信のある者か、パーティを組んだり等してそれなりの覚悟がある者達だ。そういう奴らが危険に合うのは本人の責任という事で、国が安全を保障する限りではない。
 ただし、冒険者として一山当てたいとか考えるなら、それこそ人がいかないような場所に行ってみなくては始まらないわけだが。
 とはいえ流石にこんな首都の近く、ある程度の調査が終わっているこの山で、そんな大層な冒険をしようという者はまずいない。

「やっぱりこの辺りは被害が出てるな、まぁ、ここまで来る者は滅多にいないだろうけどね」

 言ってエルが指差した方を見れば、山が崩れて川原にまで土砂が積もっていた。
 歩けなくはないだろうが、土砂は川にまで流れ込んでいて、ただでさえ雨で水の増した川の流れは、川幅を狭められた事で余計に強くなっていた。

「んー、先を行くなら水に入るしかないかな、まぁ濡れるのは仕方ないとしても、結構流れが急だな、危険かもしれん」

 言いながらもエルは悩む事なく川の中へ入っていき、ウィアはそれに続くべきかどうか迷った。

「おいエル、オッサン、大丈夫か?」

 エルは振り向くと、やはりウィアに笑顔を返す。

「ちょっと様子を見てるだけだ、お前はいいって言うまで来るんじゃないぞ」

 そう言われれば黙ってみている事しか出来なくて、ウィアは顔を顰めながらもじっとエルの姿を見ていた。
 エルは水の中で足場を確かめるように踏みしめながら暫く歩くと、今度は振り返って戻ってくる。

「うん、まぁこれくらいなら大丈夫だろ」

 呟いた声と共に、彼はウィアに向かって左手を差し出した。

「よしこい。水の流れが急だからな、足を取られないように踏ん張って歩くんだぞ」

 ウィアが手を伸ばせば、その手はエルにがっしりと掴まれて、引かれるままにウィアは川の中へと入っていく。
 悔しい事だが、エルにとっては膝を気持ち越す程度の浅瀬であっても、ウィアならばゆうに膝を越して腿といっていい。言われた通りに水の流れは急で、足を前に出すのさえ苦労する。
 そんなウィアを心配してか、エルは一歩進む毎に振り向いて、ウィアの顔を見ながらちゃんと付いて来れているかを確認して腕を引いてくれた。その腕は力強く、慣れているのか彼の体がよろける事もなくて、とても頼もしくウィアには見えた。

 ――そういや、こうやって大人に腕引いてもらうのって、俺、無かったよな。

 幼い頃に両親を亡くしたウィアの腕を引いていたのは、いつでも8つ年上の兄だった。ある程度大きくなれば、兄に手を引かれるなんて恥ずかしくてやらなくなったから、こうして人に引っ張ってもらうの自体も本当に久しぶりの事だ。
 ウィアの手を握るエルの手は大きくて、皮の厚く硬い肌は、ウィアが今まで触れた事のある手にはなかった感触だった。たくさんの年とたくさんの経験を重ねた力強い手はがっしりとウィアを支えてくれて、自然と信頼して体を預ける事が出来た。

「よし、無事渡れたな、お疲れさん」

 渡りきった途端、そうやってエルはまた満面の笑みを顔の皺を深くして言うものだから、ウィアは何故かその顔を見ていて頬が火照るのを感じていた。

 ――ヤバイ、俺もしかしてオッサンに惚れたかな。

 こういう泥くさいタイプは好みって程じゃなかった筈なんだけどな、と呟いて、ウィアは再び前を歩きだしたエルの背中をじっと見つめる。
 ウィアよりも頭一つ以上高い背、背中の広さは倍とまではいかないけれど、彼の後ろにならウィアは完全に隠れられる自信がある。よく見れば右の肩が少し下がっているのは彼のクセだろうか、それとも左に荷物を持っている所為か、歩き方も少しバランスが傾いている気がする。腰に巻いた太いベルトにはいくつかの皮袋の他にナイフが2本、それから背中に矢筒と小型の弓。どれも使い込まれた印象を受けるそれは、山の調査をずっと続けているという彼らしい武器達だった。
 街で見かけるまだ若い冒険者とは少し違う熟練の冒険者という感じは、その雰囲気だけで憧れるものがある。これで顔はあんな穏やかなのだから、実は結構モテるんじゃないかとウィアは思った。

「どうしたウィア、遅れてるぞ、もう疲れたか」

 声を掛けられて気がついて、ウィアは急いでその背を追いかける。

「るっせーな、ちょっと濡れた靴ン中が気持ちわるくて歩きにくいんだよっ」
「そこは我慢してくれ、小屋までいったら火を焚いて乾かせるからな」
「でもそれまでに足も靴も臭くなりそーなんだけど」
「そこは諦めろ」

 ウィアが顔を顰めれば、エルは笑う。
 山道は歩き難くて息は切れたけれども、前を歩く背中を追いかける事は楽しかった。
 そう、この仕事を押し付けてくれた、あの嫌なアルステラ神官にさえ感謝したくなるくらいには。




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