何時か会う誰かの為
<番外編・ウィア16歳のお話>







  【4】



 次の日、泣きはらした目のウィアが重い瞼を開けると、窓の外はすっかり明るくなっていて、小屋の中にエルの姿は無かった。
 一瞬、それでウィアは彼がどこかへいなくなったのかと思って驚いたが、部屋の隅にエルが持っていた荷物が並べられているのを見て、ただ単に彼は外へ行っているのだろうと分かった。

 耳を澄ませば、鳥のさえずりにまじって、人が土を踏みしめる小さな足音が聞こえる。ザク、ザク、と踏みしめた足音は少しづつ大きくなっていて、彼が帰ってきた事を知らせてくれる。
 足音は小屋のすぐ前で止まると、何かを持ってきたのか、地面にものが落ちる音と、小屋の壁に硬いものが立てかけられる音がした。それから布を払うバサバサという音に、ドン、ドン、と地面を強く踏みしめたのか、重いものでも落としたかのような音。その音達が何をやっているのか気になりながらも、ウィアはじっと扉が開くのを待ってみていた。
 やがて、一通りの作業が済んだのか、足音は小屋の入り口の方に向かってきて、そうしてやっと扉が開いた。

「お帰り、さすがオッサンは早起きだなぁ」

 何かいろいろ手に持っていたエルは、ウィアに気付いてまたくしゃりと笑う。

「ただいま、ったくお前は寝坊しすぎだ、こんな時間じゃ朝の礼拝に間に合わないんじゃないか?」
「まぁね、よく遅刻する」
「オイオイ、神官様になろうってのがそれじゃ、普通の信徒に示しつかねぇだろが」
「いいだろ別に、俺冒険者になるんだし」
「へぇ、なるほどね」

 ウィアを揶揄うような物言いも、屈託のない笑みも、特に彼に変わりは無かった。昨夜の話で、彼がウィアに対しての態度を変える事がなかったのが嬉しかった。

「まぁ、朝はわざわざ作るの面倒だから昨日の残りでいいな、待ってろ、今火を点ける」

 持っていた薪の束を持って、エルは暖炉の傍にまで行く。
 慣れた手つきで火をおこしているその姿を見て、ウィアは大きく欠伸をしながらもなんだか笑みが湧いてきた。
 薪を暖炉にくべて、火を点ける。残った薪は暖炉の傍に積み上げて置く。その姿を暫く見ていたウィアは、彼の動作に少しだけ違和感を覚えて、そしてすぐにその理由に気がついた。

「あれ、オッサンて左利きなんだ」

 薪の束を持ち上げる時も、重い鍋を持ち上げる時も、エルは左手でやっていた。そういえば川を渡る時にウィアを引いてくれたのも左手で、だから彼が作業している動作に微妙な違和感を感じたのだ。昨夜は部屋が暗かった所為でそこまで気にならなかったが、日の光の下では彼の作業する姿がよく見えたというのもあった。

「いや、本来は右利きさ」

 だがそう返してきたエルに、ウィアは首を捻るしかない。
 ウィアの疑問が分かったのか、エルは振り返ると苦笑を顔に張り付かせた。

「本来は右利きなんだがな、怪我をしてね、まぁ普通の生活をするにはそんな不便はないんだが、右腕はあまり力が入らないんだ」

 それでウィアも合点が行く、そして恐らく、ずっと見ていた彼の背中の右肩が少し下がって見えたのも、どこか歩き方のバランスが可笑しかったのも、その怪我の所為なのだと理解した。

「俺は元々冒険者というより狩人でな、弓にはちょいと自信があった。だが今では大物を狙うような大きな弓は扱えなくてな、ちょっとヤバイ奴が来たら逃げるしかない」

 エルは自分の右腕を軽く摩りながら、どこか遠くを見るようにして呟く。
 ウィアはそんなエルの顔を見ていたが、急に彼はいたずらっ子のように含みのある笑みを顔に浮かべると、ウィアの顔を見て言った。

「まぁそういう事なんでな、今でもこの山の案内に関しちゃ自信はあるが、化け物が出たらお手上げだ。いいか、だからヤバイの出たらな、基本はお前が目くらましの術を使って一目散に逃げるぞ。俺はあくまで案内役であって、護衛は出来ないからな」

 胸を張ってそんな事を言い出す彼が可笑しくて、ウィアは思わず吹き出してから、声を上げて笑ってしまった。
 エルもすぐに楽しそうに笑って、二人してどちらが逃げ足が早いかなどと言い合いながら、ウィアも食事の準備を手伝い、他愛のない馬鹿話に花を咲かせた。









 小屋で今までの状態を地図や書類に書き加えたりして、それから小屋の護符の点検、それらをウィアがしている間にエルが掃除と旅支度をして、出発出来たのは昼に近くなってからだった。
 当然そうなると、心配になる事がある。

「なぁ、エル。次の小屋って今日中につけるのか?」

 そうすれば彼はあっさりと笑って答えた。

「今晩は野宿だ」

 これが、歩き出してすぐの二人の会話。
 小屋を出て殆ど歩いていないのに、ウィアはそれでもうUターンしたい気分になった。というか、一旦くるりと向きを変えたのだが、エルに首根っこをつかまれて向きを修正された。

「こーら、お前冒険者になるんだろ、野宿くらい慣れておけ」
「いーや、こんな可憐な少年をそんな危険な目に会わせようとかありえねぇ」
「お前……都合いい時だけ子供ぶるんだな」

 大きく溜め息をつかれて、引きずられるように手を引かれる。

「まぁ安心しろ、野宿する時はする時で簡易結界を張るもんだ。そらー小屋みたくがっちりしたモンじゃないけどな、この山じゃそんなヤバイのはいないから大丈夫だよ」

 とは言われても、夜道を歩いていた時のことを考えると、あのまま外で寝るというのは考えただけでぞっとして、ウィアは思わず身震いする。どう考えても冗談じゃない。

「でもさ……ほらやっぱ安全を考えるとさ、もう一日小屋にいて明日朝はやーく出発とかのがいいだろ?」

 ウィアは食い下がってそういってみたのだが、それに対するエルの返事で諦めざるをえなくなった。

「残念だがな、朝早く出発したとこで次の小屋になんかつけないんだ。どっちにしろ今日は野宿の予定だったんだよ。お前が言う通り朝早く出れば着けるようだったら、最初からそうしてるに決まってるだろ」

 そんなやりとりが出発早々あった所為で、ウィアのやる気は最初から半減していた。

「俺、無事に帰れるのかなぁ……」

 と、不安を隠せないウィアに。

「だから朝逃げる作戦を打ち合わせたろ」

 と、エルが面白がって余計に不安を煽る事をいうものだから、ウィアの足の運びは悪くなるばかりだった。
 ただし、流石にウィアの遅れがちな様子に脅しすぎたと反省したのか、エルは広く川原になっているところまで出ると、足を止めて、休憩にする事を告げた。

 最初からすればかなり上流に来ている所為か、麓のあたりでもあまり大きくなかった川は飛び越せそうな川幅になっていて、深さも然程あるようには見えなかった。ただし、増水している所為か流れ自体は結構急な為、危険といえば危険であったが。
 ウィアが大きな石の上で座っていれば、エルは水を補充したり火を起こしたりとまたマメに動き回っていて、何もしないでぼーっとしているのになんだか罪悪感を感じてしまう。
 かといって、外での活動なんて経験のないウィアにとっては、何を手伝えばいいのかは分からなくて、結局ただ見ている事しか出来なかった。
 座っていれば汗も引いてきて、それどころか風でひんやりと冷やされて、その心地良さにウィアの目はやがて閉じられていく。
 けれど。

「これは、不味いかもな」

 ふと、エルのそんな声が聞こえてきて、ウィアは驚いて目を開けた。

「なんだよ、まだヤバイ事あるのかよ」

 ウィアが言えばエルは空をじっと見ていて、こちらの声が聞こえていないかのように黙っている。その顔は真剣で、先程の発言が冗談や揶揄う為のものでないことが分かる。

「もしかしたら雨が降るかもしれない。風が少し湿気を含んでる」

 空は言われれば雲は多めかもしれないが青空で、ウィアには雨が降るようには見えなかった。ただし更に良く見れば、雲の流れは少し速めで、確かに不穏な空模様ではあるともいえた。

「少し登って、雨宿り出来る場所を探したほうがいいな」

 エルは立ち上がると、降ろしていた荷物を持ち上げて火を消した。
 ウィアも急いで立ち上がったが、歩き出す前にエルから何かを投げられて、慌ててそれを受け止めた。

「ちいっと重いが、雨が降ったらそれかぶれ」

 それは麻布であったが、寝具として掛けるものよりもずっと小さく、広げてみればどうやら麻袋の袋にしている側面だけを解いたもののようであった。底の部分は解いていないから、頭から被るには丁度いい形になっている。
 少し荷物が増えたのはきついもののそれを丸めて手に持てば、既にエルは歩きだしていて、その背中が離れて見えた。
 ウィアは急いで追ったが、エルは山の方を何か探すようにじっと見ながら歩いていたので然程先に行っている訳ではなく、追いつく事自体は難しくなかった。
 ウィアが追いついても、エルは山の方を見ながらゆっくり歩いているだけで、ウィアはその真剣な様子に声を掛け難くて、黙って彼の様子を見ている事しか出来ない。
 だが、そこから暫く歩いたところでエルは足を止めると、子供の身長くらいに一段高くなっている場所に生えた木につかまり、そのままそこまで登りあがった。
 そうして、そこから今度はウィアに手を伸ばす。

「ほらウィア、掴まってお前も上れ」

 ウィアが手を出せばがっしりと彼の左手で掴まれて、殆ど持ち上げられるような形でそこへ上る事が出来た。
 ただし、上ってはみたものの道もない山の斜面は休めるような場所ではなく、ウィアは上を見上げて、これからここを登るのだろうかと顔を引き攣らせる事になった。

「ここ、登るわけ?」
「そら登るさ」

 確認してもそう返されてしまえば、覚悟を決めるしかない、のだが。

「別に頂上までここを登る訳じゃない。休めそうな場所までだ」

 エルはウィアの顔から何を考えていたかは察していたようで、そういって笑った。それから、少し急な斜面をウィアの手を掴んだまま登りだす。
 地面は積もった落ち葉の所為か、柔らかくて安定しない。
 更に、岩や木の根っこがあちこちに隠れていて、足をひっかけそうになる。
 けれども、腕を引いてくれるエルのお陰で、どうにか転んだり滑り落ちたりという事にはならずに済んでいた。なにせこんな斜面で滑り落ちたら、運良く木にぶつかって川原まで落ちなかったとしても、大怪我をするに違いない。

 暫く歩けば、窪みになっているところを見つけて、そこならば二人で座るくらいは出来そうに思えた。
 エルはその場所までくると、そこを少し広げるように軽く辺りを足で掘り、その上から強く踏みしめて地面を固めた。ウィアも見よう見真似で踏み固めてみたが、体重差を考えるとあまり役に立っていない気がした。地面を踏みしめた後は、その辺の落ち葉や枯れ草を上に敷いて座る場所を作る。
 そこまですると作業が完了したのか、エルは背伸びと腰を伸ばして、それからどっかりとその場に座った。そこでウィアも傍に座る。

「雨宿りっていうからさ、洞窟みたいなの探すのかと思ってた」
「洞窟なぁ、そう簡単にあるもんじゃないし、あーゆーとこは先客がいる可能性が高いからな、いろいろ面倒なんだ」

 一息つくと、エルは荷物を下ろしてそこからいろいろ出していた。
 ウィアは少し体を伸ばして彼が何をしているのかを見ようとしたが、丁度エルの体が邪魔になってその手元までは見えない。

「先客って?」
「そらお前、いろいろ、他の動物とかな。そもそもそういうとこは何かの巣になってる事も多いしな」

 エルがウィアに投げるようにして何かを渡す。

「昼飯食ってる余裕無かったからな、それ食っとけ」

 手元を見れば干し肉のスライスで、エルが自分の分を噛み締めるのを見ながら、ウィアもそれに噛み付いた。
 その様子を見て、エルは僅かに笑みを浮かべると、視線を辺りに向けた。

「いいかウィア、そこの少し黒っぽい木、あれはアオルツの木ってやつでな、この辺りは多いだろ、あれは根っこが深くて丈夫でな、あの木の傍は地面が崩れ難いんだ」

 確かにエルの言う通り、あたりを見回せばそれっぽい木があちこちに見える。

「しかもこいつは葉っぱも大きくてたくさんつける、つまり山で雨宿りするには最高の木なのさ」

 言って今度は上を指差したエルに従うように、ウィアも上を見上げる。
 木は相当高く、見上げた視線のずっと上に、空を覆い隠すように枝が伸びてたくさんの葉を広げている。確かにこれだけ葉に覆われていれば、雨は結構しのげるかもしれないとウィアも思った。

「まぁもっとも、まったく濡れないってわけにはいかんだろうがな。後はあまり酷い雨にならん事を祈るだけだ」

 雨宿りの準備が出来た事でほっとしたのか、エルは干し肉を噛んでどこかのんびりした様子でゆっくり口を動かしている。ウィアも肉を噛みながらあたりを見回して、そうして遠くにざぁっという音を微かに聞いた。

「おいでなすったな」

 エルが呟く間にも音はすぐに近づいて来て、パタパタパタっと水滴が葉に叩きつけられる音が傍でしたと思えば、すぐに辺りは激しい雨の音で満たされる。
 上に茂る葉の所為で雨は直接落ちてはこないものの、たまに大きな水滴がポタリポタリと落ちてくる。少し離れた場所には葉の密集の切れ間があるらしく、そこには雨が大量に落ちているのか、すぐに地面の色が変わっていた。
 それでも、頭上高くで葉達に遮られた雨音は遠く、隣でのんびりと干し肉を噛んでいる男の所為で、焦る気は全く起こらない。
 ウィアがエルを見ていた所為か、彼は唐突に気がついたようにウィアの方へ顔を向けると、目があった途端に安心させるような柔らかい笑顔を浮かべた。

「お前はなんならさっきのヤツ被ってろ、あと長くなってくると下が濡れるかもしれないからな、そしたら立った方がいいぞ」
「おう、分かった」

 それでもまだ濡れる程水滴が落ちてこないから、ウィアはそのままエルによりかかる。
 遠くに雨の音を聞いて、隣に好きな相手の体温を感じて。
 こんなのもいいなと思いつつ、ウィアは無言でただ辺りを見る。

 けれども、そんなゆったりとした気分で居られたのは、日が高い間だけだった。




Back   Next


Menu   Top