<番外編・セイネリア×シーグル> 【2】 「おい、シーグル」 聞き覚えのある声に振り返れば、思った通り、前に酒場で声を掛けてきたあの男だった。 シーグルは馬に荷物を積む手を一時止め、ジャムに振り返る。 「これから仕事か? 何処行くんだ?」 「あぁ、南の方にな」 一応警戒してぼかして言えば、途端にジャムが真剣な顔をする。 「まさか、一人か?」 「……そうだが」 彼の反応がよく分からなくて、シーグルは困惑する。 返事を聞いた途端、ジャムは更に顔を顰めて、シーグルの両肩に手を置いて声を潜めた。 「お前まだ付けられてるだろ、一人で街出たら奴らの思うツボじゃないか」 それがどうやら自分を心配してのことらしいと分かると、シーグルも僅かに口元が緩む。 「別に、襲ってくるならさっさと片付けられていい」 実際のところ、仕事を受けたのにはそういう意図もあった。今回の相手は余程慎重なのか、少し寂しい通りに入ったくらいでは襲ってくる事はなく、正直シーグルもうっとおしくなっていたのだ。 「成る程ね、余程腕に自信あるんだろうが、あんまり感心はしないなぁ」 ジャムは考え込むようにしながら頭を掻く。 だが、すぐに彼は何か思いついたように笑みを浮かべると、腕を組んでシーグルの顔を真っ直ぐに見た。 「それじゃ俺も行く。こう見ても結構強いんだぜ、少なくともお前さんの足手纏いにはならんよ。よし、そうと決ったら俺も馬を借りてくるからな、待ってろよ」 言ってすぐにでも事務局に向かおうとする彼に、さすがのシーグルも驚いた。 「待て、何故そういう話になる」 「俺暇だし、組もうといった相手の仕事ぶりを見てみたいからな」 屈託なく笑うジャムに悪意は見えない。 だからこそシーグルは、彼について来て欲しくなかった。 「他人を巻き込む気はない、やめてくれ」 彼のおかげで今回の奴らを撃退出来たとしても、その所為で彼が自分の仲間として別の連中に狙われるようになるのはなんとしても避けたかった。 だが彼は今度は優しい笑みを浮かべると、顔を顰めているシーグルの肩をぽんぽんと軽く叩いた。 「そんなの構うかよ。俺としては首都に来て初めて知り合ったお前にさ、出来たら助けてやりたいって思っただけなんだから。それに馬鹿にするなよ、俺はお前が思うよりは強いと思うぞ」 それから一転して、今度はガキ大将のような笑みで片目を瞑り、シーグルの顔の前に指を立てる。 「まぁ、俺もちょいっと下心はあるんだよ。何せ首都に出てきたばかりに一人じゃロクな仕事回して貰えなくてなぁ。無事帰ってこれたら、報酬までくれとは言わないんで仕事で組んだ事にしてくれないかな。評価点さえもらえれば今後仕事を取り易くなるんでな」 ジャムのその言い方が可笑しくて、シーグルはくすりと笑みを漏らした。 それでジャムもまた嬉しそうに笑う。 「分かった、ならよろしく頼む。組むならちゃんと報酬も渡す、代わりに仕事もして貰うが」 「あぁ、任せとけよ。じゃ、暫く宜しくな、相棒」 その言葉にシーグルは一瞬だけ目を見開き、そしてやはり笑みを浮かべた。 それは、シーグルにとって、セイネリアの件があってから初めて他人と組んでの仕事になった。 □□ □□ □□ □□ □□ □□ シーグルが誰かと組んで仕事をするらしい、という情報は、勿論セイネリアの耳にも入っていた。 とりあえず報告の者にはそのまま彼らを見てるように告げたものの、どうにも気に入らないものを感じていたセイネリアは、彼らが仕事を終えて首都に帰った事を聞くと傭兵団から一人出かけた。 今日の報告では、シーグルは朝に帰ってきてから一人で南の森の方へ出かけたらしい。つい最近までシーグルを付け回していた者に関しては、仕事の道中で襲い掛かって撃退されたという話も聞いている。だから、今なら邪魔者もいない、セイネリアにとっては好都合だった。 今のところシーグルにちょっかいを出して来ている者は、試しに程度かたいした力もない奴らばかりだった。そういう輩は、自分達では手を出し難いと分かれば諦めるような者が殆どだ。 ただ問題はその後で、シーグルが自分の力でどうにか出来ないレベルの者を使ってくる連中は、今はまだ様子見をして計画を練っている段階と思われた。その連中が動き出してからが少しばかり厄介だとはセイネリアも思っている。だからその前に、シーグルが折れて完全に此方の手元へくればというのが希望的な予定ではあるが、その為には彼を助けるような人物がいてくれては困る。 セイネリアの目的は、彼を追い詰めた上で、自分の力では身を守れないと自覚させる事だった。 今のところシーグルは、組んでいた仲間達との連絡を絶ち、彼らに被害が及ばないように孤立していっている。此処までは予定通りだといってよかった。 ――後は、どこまで追い詰めればあいつが諦めるか。 追い詰めすぎて壊すのはセイネリアの本意ではない。 彼は、彼のままであるからこそ価値がある。追い詰められても強く見つめ返す、あの瞳を失ってしまうのはあまりにも惜しかった。 セイネリアは馬を歩かせ、傭兵団のある特別区から表通りへと抜ける道に差し掛かる。 異変が起きたのはその時だった。 道の真中に立つ一人の男。 まるで道を塞ぐように立っている男に眉を寄せたセイネリアは、だがその男の様子がおかしい事にすぐに気付いた。 身なりはその辺りのどこにでもいる冒険者の一人。 だが、男は立ったまま眠っていた。 目を瞑っているだけではない、眠っている。その状況にある人間を、多くの特殊な方面の部下を持つセイネリアは知っていた。 セイネリアは、男の傍までくると馬を止める。 「アルワナ神官か、随分と回りくどい事をする」 眠りと意識の神であるアルワナの神官は、眠りに関する術を使う。そこそこの力あるものなら、眠っている者を操ることさえ可能だ。 男は目を瞑ったまま、操り人形のようにぎこちなく右腕を上げると、その手でセイネリア自身を指差した。 「セイネリア・クロッセス。我々は復讐者だ。我々はお前の所為で大切な者を失った。だから、お前の大切な者を奪おうと思っている」 眠った男が話す言葉には全く抑揚がない。 セイネリアはそれを鼻で笑った。 「俺の大切な者だと?」 「そうだ。既に我々は何時でも『彼』を手に入れる準備が出来ている。銀髪の騎士の青年、『彼』の骸(むくろ)をその手に抱くのを楽しみにしていればいい」 言い切ると男は、糸の切れた人形のように地に崩れ落ちる。調べなくても男が眠っている事は分かっていた。 セイネリアは琥珀の瞳を細める。 シーグルが自分の大切な者に該当する、とは、セイネリアは思っていない。だが、彼を殺されるのは許し難(がた)かった。これだけセイネリアが興味を持ったままの人物は今までにいない。それだけに、執着とも言えるものを自分が彼に持っている自覚があった。 その彼を、自分以外の何者かが傷つけたり、ましてや勝手に殺す事など許せる筈がなかった。 今セイネリアは、彼に身に降りかかる火の粉を払わせるのを楽しんでいるのだ。彼を狙う連中はその為の道化役のようなものだった。分をわきまえない道化は舞台に出る前に退場させておくべきだろう。 「警戒しておくか……」 現時点で手を出してくる者では、シーグルに危害を与えられる程の者はそうそうにいない。それ以上の者達が動いているのなら、こちらに何かしらの情報が入ってくると、そうセイネリアは思っていた。 セイネリアは馬を進ませる。 こちらの情報に引っ掛かっていない勢力というなら、恐らくは個人レベルの私怨。『我々』とはいっていたとしても、その人数は極少数である可能性が高い。その手の連中に関しては問題にならない雑魚共と認識していたが、今回の連中は捨て置くには少しばかり危険な気がした。 特に、アルワナ神官の術は厄介だ。持ち駒としての彼らは便利ではあるが、敵側にいると面倒極まりない。 「少し急いで手を打った方がいいだろうな」 セイネリアは馬を走らせる。 まだシーグルに何かしらの問題が起こったという報告は来ていない。 ならば先に手を打つだけ、セイネリアは頭で計画の変更を考え直していた。 剣を振る。 重い剣は振るだけで戦う為に必要な筋力を作れる。 一心不乱に、ただ、体の覚えているままに剣を振る。 誰も傍にいない森の中で剣を振るのは、シーグルにとって久しぶりの事だった。 このところ付けている者がいたり、屋敷の敷地内であったりと、マトモに何も考えず剣を振る機会がなかったというのもある。 セイネリアの手の者がまだ見ているという事は分かっているが、彼らはまず気付かないくらいにまで気配を絶って、少なくとも邪魔に感じる事はない。最初は苛立ったものの、今では慣れて気にならなくなっていた。彼らを撒こうとして行動するのが馬鹿らしくなったというのもある。 シーグルは剣を振る。 型から型へ剣の重さをコントロールし、何度も足を踏み込み、地面を固める。 剣が空気を斬る音と、体に感じる風が心地よかった。 こうしている時間が、子供の頃からシーグルは好きだった。 唯一、幸せなあの頃と同じ時間だった。 だが、その時間もそう長くは続かない。 馬の足音を聞いたシーグルは、溜め息をついて現在の構えを解く。 乗る者と同じ黒い馬が木々の間から姿を表し、ひらけた場所に出てすぐに足を止めた。 ばさりと、黒いマントを翻して、黒い騎士が馬から降りる。 シーグルは、今度はその黒い騎士に向けて構えを取った。 「なんだしーちゃん、今日は最初から歓迎してくれるのかな?」 「……これが歓迎に見えるのか」 セイネリアは兜を脱ぐ。 黒い甲冑の上に、黒髪に琥珀の目を持つ精悍な顔が現れて、笑みをシーグルに向けた。 「俺にとっては歓迎だな。お前が戦う気があるという事はな」 それを本当に嬉しそうに言うのだから、シーグルにとっては苛立ちにしかならない。 セイネリアも剣を抜く。だが、それは見ただけでもその辺りのどこでも手に入る程度の代物で、さすがに安物ではないが特別な業物(わざもの)であるという訳ではなかった。つくりの良さだけでいうなら、シーグルの持つ剣の方が余程高価(たか)いだろう。 だから、いつもシーグルには逃げ様がない。 セイネリアは、普通の者なら一生見る事もない魔剣を複数所持している。戦場ならば使うそれを、シーグル相手に持ってきた事は一度もなかった。 つまり、もっと楽に勝つ事が出来るのに、わざわざこちらに合わせた程度の装備で、こちらが準備出来るのを待って仕掛けてくる。 いくら勝てる気がしなかったとしても、ここまでお膳立てをした上で正々堂々戦えと言われたら、騎士として逃げる事が出来る筈がない。 例え、負けて屈辱を味わわされる事がわかっていても。 ――負けたくないなら強くなるしかない。この男に勝てる程に。 セイネリアが剣を構える。 シーグルは一度、声を出して吼えると、セイネリアに向かって踏み込んで行く。 戦うからには勝つつもりだった。勝てないなどと僅かでも考えてはいけない。引く事が出来ないなら勝つ事だけを考えろ、そう、シーグルは教えられてきている。 シーグルの剣が、セイネリアの脇を突く。 だが、セイネリアが躱した事で、剣は肩当てに弾かれて軌道をずらす。すかさず、上から剣で叩かれそうになって、シーグルは身を屈めながら後方へ跳んで距離を取る。 セイネリアが剣から左手を離し、その親指をペロリと舐めた。 「今のは良かったぞ。俺を殺しに来てた、その調子だ」 言って今度はシーグルと同じ構えを取る。 セイネリアの剣が、真っ直ぐシーグルに伸ばされる。 シーグルはそれを躱しながら踏み込み、左手を柄から離して刀身の中程を握る。刀身は両刃だが、先端から半分程までしか刃はついていない。甲冑同士の接近戦なら、こうして刀身を持って剣を棒術のように扱うのは、斬り合うより余程普通だった。 だが、この戦い方は相手がセイネリアならば賭けの意味が大きい。 刀身を持つ事で、剣にはより力を掛ける事が出来る。シーグルはセイネリアの体を引き倒そうと、相手の鎧に剣を引っ掛ける。しかしそこで、セイネリアの足が、シーグルの足を払った。 どうにか倒れなかったものの、代わりにセイネリアの体に手をついて体を支える状態になってしまい、そこを下から膝で蹴り上げられる。 鎧を着込んでいるシーグルには、腹に直接打撃を受ける事はない。が、衝撃は全身に来る分、一瞬、平衡感覚がおかしくなる。 地面に叩き付けられる感覚があって、初めて自分が倒れた事を知り、反射的に体を転がして相手から距離を取りつつ起き上がる。構えを取って、息を整えると、セイネリアが琥珀の瞳を楽しそうに細めて見ていた。 ――やはり、接近戦では不利か。 体重差と力の差の所為で、相手を引き倒すのはかなり厳しい。体術の方がメインになれば、体格差が顕著に優勢を決める。 まだ、剣を合わせて一本取るのを目指した方が勝機があるか。 斬れない甲冑同士で剣を合わせるのは、戦いというよりも試合の意味合いが強くなる。それでも、最初から遊ぶ気のセイネリアにとってはどちらでも構わない筈だ、とシーグルは判断する。 勝ちを取れるのなら、今は何でも良かった。 シーグルは再び踏み込んで、今度は剣を振る。 それはセイネリアの剣に受け止められ、一度離してまた剣を振り下ろす。 何度か剣の打ち合いをし、鍛えた鉄同士が火花を散らす。 それからまた一歩間合いをとって、息を整える。 長い打ち合いはそれだけ体力のないシーグルにとって不利だった。だが、ただの打ち合いだけならそうそうには負けもしない。 「――つまらんな」 呟いて、セイネリアが剣を肩に担ぐ。 馬鹿にした笑みを顔を張り付かせて、シーグルをわざと見下す。 「なーにやってんだよ、しーちゃん。殺す気で来いっていつも言ってるだろー? さっきまでの勢いは何処にいったのかなー」 シーグルは歯を噛み締める。 「……うるさい……」 そして斬り掛かる。 だが、今度は合わせた剣を体毎押し返された後、剣と剣が離れたのを見て、セイネリアが先程のシーグルのように左手で刀身を持つ。バランスを崩したシーグルの胸を刀身で押せば、簡単にシーグルは地面に背から倒れる事になった。 起き上がれないよう、セイネリアの足がシーグルの胴を踏みつける。 「くそっ」 藻掻いてはみても、勝負がついた自覚がシーグルにもあった。 見下ろすセイネリアが笑みを浮かべる。 「さぁて、しーちゃん、今日はどんな風に抱いて欲しいのかな?」 --------------------------------------------- 次回はセイネリア×シーグルのHシーン。 |