竹籔に埋もれた修験所縁の村
竹籔に埋もれた修験所縁の村
和歌山県打田町今畑
竹籔に埋もれた廃村 今畑に残る往時の住居です。
2003/8/29 打田町今畑
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# 20-1
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平成15年の東京地方の夏は10年ぶりの冷夏で雨が多く,「梅雨が明けたら旅に出よう!」と思っているうちに8月末になってしまいました。
目標は,5月に行く予定を立てながら直前に廃村巡りとはかかわりのない沖縄行きに変更したという曰くがある愛媛県の石鎚山近辺の廃村・過疎集落です。大阪の実家に置いているバイクに乗って,瀬戸内航路のフェリーを使って出かけ,現地で2〜3泊する予定でした。
資料を揃えて,スケジュールを立てて,「さあ,行くぞ!」と大阪行の新幹線チケットと1泊目の宿の予約をした翌日(8月26日火曜日),右足の親指の付け根が腫れて痛み始めてしまいました。天気予報も思わしくないため,渋々キャンセルすることになりました。
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# 20-2
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すでに休みは申請しているため,「大阪の実家には帰りましょう」と,右足を引きずりながら目的なく新幹線に乗ったのは28日の木曜日。この日の東京は曇でまるで秋のよう(最高気温は28℃),前線は静岡近辺に横たわっていて,新大阪に着くとムアッとした空気に迎えられました(大阪も曇,最高気温は34℃)。深夜には強い雷雨があったようです。
明けて29日金曜日の天気はおおむね晴れ(最高気温は33℃)。幸いにも足の痛みは普通に歩けるレベルにまで回復しており,まずは一息。こうなると実家でゆっくり過ごすような気分ではなくなってきました。
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# 20-3
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「とにかく近場の廃村に行こう!」と決めて,実家(堺)からバイクに乗って出かけたのは午後1時30分。目標は,「林道野郎プロジェクトAチーム」Web(管理者タンロンさん)で紹介されている和歌山県打田町の今畑(Imahata)で,堺からの距離は50km弱です。持って行ったのは,実家にあった古い和歌山県の分県地図のみでした。
R.26を泉佐野まで下って,府道泉佐野打田線で県境を越えたのは2時20分。ほどなく温泉がある集落 神通(Jintsuu)があり,ここで県道を離れると急に田舎の空気に変わりました。しばし走ってたどり着いた川沿いの集落 中畑(Nakahata)では,過疎の匂いが感じられました。
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# 20-4
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道は中畑を過ぎるとさらにか細くなり,「ぼちぼち今畑かな?」というところで「この先自動車は通れません」との看板が出ていました。久々のバイクの上,足の調子のこともあり,看板の箇所にバイクを置いて荒れた道を歩きました。我ながら弱気な話です。
ゲートがある三差路を右に折れて,道に沿って立っている電柱を見ると「今畑 昭和50年」の文字が見られました。深夜の雷雨のせいか道にはあちこちに水溜りがあり,登りの坂を歩いていると暑さと湿気のため,まとわりつくように汗が吹き出てきます。クルマが残されている車庫跡を過ぎてしばらくすると,うっそうと茂った草木に道は途切れ,草木の隙間に一軒の廃屋が見えました。
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# 20-5
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見つけた廃屋は全部で三軒で,他に倒壊した家屋の跡や石垣に囲まれた屋敷跡がありました。空は晴れているのに草木や竹籔に埋もれた集落跡は暗っぽく,荒れた感じがします。地図上では同じように見える中畑と今畑ですが,訪ねてみると驚くほどの差がありました。
とりわけ目を引いたのは,集落を取り囲む竹籔です。屋敷の中まで竹が生えた廃屋もあり,無住になってからの時間が感じられました。
8月はバイクで走るには気持ちの良い季節ですが,草木の茂みが深くなるので,今畑のように手入れされていない廃村を巡るには適した季節とは言えません。渋々だった愛媛行きの中止は,ちょうど良い判断だったのかもしれません。
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# 20-6
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後で「角川日本地名大辞典 和歌山県」(角川書店刊)を調べたところによると,今畑は白髭党(南北朝時代の武士集団)の拠点で,葛城修験(山岳信仰)との係わりが強く,古文書が多く残されているとのこと。明治24年には14戸(88人),昭和25年には9戸(55人)だったのが,昭和59年には2世帯(5人)となり,住民基本台帳で0人になったのは平成10年とのこと。
この頃は,地図をはじめとする資料,スケジュール等の下調べを丹念に行ってから廃村を訪ねるというスタイルが定着していたので,まずとにかく足を運んでみて,後でいろいろ調べるという今回のスタイルは,予期せず初心を思い出させてくれました。
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# 20-7
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今畑集落跡の入口から少し入ったところには,白髭明神社と多聞寺跡があり,竹籔の中ながらこちらは多少は手入れがなされています。お地蔵さんを横に添え,大木を背にした祠には「修行葛城二十八宿」と書かれた真新しい札が奉られていました。
葛城二十八宿とは法華経 経塚のある地のことで,経塚とは修験道の開祖が「法華三部経」を埋納した地のことをいいます。
「葛城修験研究序説」Web(管理者 葛城修験研究会)によると,葛城二十八宿は和歌山市友が島から柏原市亀ノ瀬までの葛城山脈の中にあり,今畑多聞寺と白髭明神社は第五経塚(打田町倉谷山)と第六経塚(粉河町松峠,志野峠)の間の行所とのこと。
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# 20-8
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今畑を後にして,中畑まで戻り付いたのは4時40分。学校跡にバイクを降りて集落を歩くと,なぜかなつかしさが感じられました。
中畑来迎寺も葛城修験の行所で,「経塚巡行」と記された小さな案内の札がありました。誰かに声をおかけして今畑のことを伺いたかったのですが,どうにも気が進まず,5時の放送がスピーカーから流れたタイミングにあわせて中畑を後にしました。
実家に戻る前に,平成2年に高校の教師をしていた縁がある貝塚を訪ねました。なじみのビリヤード屋「WAKAYA」も久しぶりです。バイクということで,ビールの替わりにレモンフレーバーのペプシコーラで大将と乾杯しました。
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(注) 住民基本台帳の資料は,打田町役場 教育委員会 生涯学習課の方に提供していただきました。
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