「廃村と過疎の風景(2)」まとめ(前篇)
「廃村と過疎の風景(2)」まとめ(前篇)
山形県新庄市の萩野小学校にて。1・2年生の教室で三線を弾きました。
「小さな学校」「雪景色」「小さな島」「炭鉱跡」「人との出会い」「廃墟」「廃村」・・・。平成13年2月から平成17年1月までの丸4年間,「廃村と過疎の風景(2)」の全国あちこちの旅を振り返ると,これらのキーワードが思い浮かびました。
旅を重ねることで,これらのキーワードが重なる旅が多くなりました。たとえば八丈小島への旅(平成16年9月)では「小さな学校」「小さな島」「人との出会い」「廃墟」「廃村」の5つのキーワードが重なっていました。
「廃村」を目指す旅を本格的に開始したのは平成11年10月(秋田)。旅を続けるごとに興味がどんどん膨らむのは,「廃村」以外にたくさんのキーワードがあるからのようです。いくつかのキーワードが重なると,訪ねたくてウズウズするようになります。
まとめの旅は,平成17年2月(山形・秋田),3月(長崎),4月(京都)の三分割で行ないました。振り返って「もう一度行きたい」と思った場所が主です。レポートは,これらのキーワードにこだわりながらまとめたいと思います。
このうち,山形・秋田・長崎は,「どこも初めて」という妻(keikoさん)と一緒の沖縄三線を抱えたふたり旅でした。新鮮な目で見た彼女のコメントもあわせてまとめました。
その1 山形県新庄市二枚橋 (2005/2/3)
1年ぶりに訪ねた二枚橋冬季分校の前には,雪だるまが飾られていました。
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「小さな学校が好きだ」…私は5歳から28歳まで大阪府下の新興住宅地(堺市新金岡)で過ごし,中学校では一学年21クラス,高校では一学年24クラスという大規模な学校で6年間を過ごしました。これら大規模な学校には,ほとんど愛着を感じることはありませんでした。その後,大阪では中学校と高校で教師として4年半勤めましたが,都市部の学校や暮らしの中では分校や複式学級といった小さな学校は,別世界のものであり,漠然とした憧れがありました。
「廃過疎(2)」の旅が進んで,地域の方との出会いが重ねるごとに,小さな学校・学校跡が身近に感じられるようになり,その中でも平成16年1月の冬季分校(山形県最上町野頭・新庄市二枚橋・秋田県鹿角市田代)とへき地5級校(青森県佐井村牛滝)を訪ねた旅はひときわ印象に残りました。まとめの旅では,比較的足を運びやすい新庄市の萩野小学校二枚橋冬季分校を再訪することになりました。事前に萩野小学校の矢萩校長先生に電話連絡したところ,1年生の女の子が入って,今年も2名で開校しているとのことでした。
平成17年2月の「東北・北海道への旅」は,ハネムーン休暇を利用した7泊8日で,往路は山形新幹線(大宮−新庄),復路は寝台特急「北斗星」(札幌−大宮)を使いました。経由地の山形(新庄)・秋田(大潟・大館)・青森(市街)・北海道(青函トンネル・函館・桜野温泉・小樽・札幌)は,すべてkeikoさんは初めての場所です。ゴールは札幌雪まつりなのですが,山形と秋田は「廃過疎(2)」のまとめの旅が兼用であり,個人的な山場はこちらにありました。
新庄の宿は昨年と同じく駅前のビジネスホテル「やまき」。市街を歩くと,明らかに昨年よりも雪は多く,あけぼの町の焼鳥屋「鳥吉」の大将は,「雪下ろしで疲れちゃったよ」と話しながら,旅人を迎えてくれました。
翌朝,萩野小学校までは,昨年は見落としていた土内行きのバスで出かけました。幼稚園児達とともに萩野小学校前バス停に降り立つと,除雪車がゆっくり走ってきました。除雪車を見ると,雪国に来たという実感が湧き立ちます。
萩野小学校の入口には,「浅原様,大雪の中,ようこそいらっしゃいました」という板書がありました。迎えてくれる方がいる旅はありがたいです。校長室に入ると,校長先生から「1・2年生の教室で三線を弾いてほしい」という話があり,予想外の展開に驚きましたが,10分後には20名ほどの子供達の前で話を交えて「涙そうそう」と「花」を唄っていました。
校長先生のクルマで二枚橋冬季分校まで送っていただくと,まずは小さな雪だるまが迎えてくれました。この年の冬季分校は,斉藤先生と2年生のまなさんと1年生のみくさんの3人の世界です。
お茶をいただいてから,算数の授業の見学。その後は生活科の時間を使って,三線とピアニカで恒例の「こいぬのマーチ」の合奏,さらに節分ということで先生,子供達,私達夫婦が入り乱れた豆まき,手打ちでそばを打って,包丁で刻んでゆでての昼食と,3時間があっという間に過ぎました。結局,赤坂バス停までは斉藤先生に送っていただくことになりました。
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昭和の時代に戻ったような,とてもアットホームな冬季分校ですが,そこにはパソコンやコピー機が備えられており,時代は間違いなく平成です。とてもホットな冬季分校に身を置くと,存続させたいという地域の意向も実感としてわかります。旅人としては「山間部や島の小規模な小学校を三線を抱えて回るのも面白いかも」と思いつきました。
この日の大雪は伊達ではないらしく,乗車予定の陸羽西線酒田行きは運休となっていました。しかたがないので振り替えた奥羽本線秋田行きも,県境の及位駅では除雪のため20分停車となり,無事に秋田駅に到着したときはホッとしたものでした。
秋田の夜は,なじみの大潟村の佐藤晃之輔さん宅です。つい最近,取材を受けたという東京新聞(平成17年1月5日)の記事には,人口減少社会についての現状と過去・未来のことが淡々と記されていました。現在・過去・未来と,客観的に見ることができる視点の大切さを痛感した夜でした。
【keikoさんのコメント1 〜 二枚橋冬季分校】
・今回の旅では,初めて「雪国の生活」を見せていただいたように思います。雪を溶かすために道に水を流す設備を見たのは初めてでしたし,同じく初めて見た除雪車が雪を取り込む所の高さは私の身長よりも高く,正直恐怖を感じました。
・二枚橋冬季分校でいちばん驚いたのは,いきなりドドドーと大きな音がして,建物全体が揺れるような感じがしたことです。それは雪が屋根から落ちる音だったのですが,先生,まなさん,みくさんと全然驚いている様子がなかったことも印象的でした。
・節分ということで,鬼の役と豆をまく役に分かれて豆まきをしたのですが,まなさん,みくさんは先生に,先生はまなさん,みくさんに,まったく手加減なく豆を投げていました。私達はちょっとひいてしまうぐらい元気な豆まきでした。
・先生にバス停まで送ってもらうとき,若い人が先生と仲良さそうに話をして通り過ぎました。二枚橋に住まれる方はみんなこの冬季分校に通ってきていて,冬季分校は地域に欠かせない存在なんだなあと実感しました。
その2 秋田県大館市合津 (2005/2/4)
廃村 合津の入口にある往時からの家屋です。3年前に比べると雪が深いことがわかります。
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「雪景色が好きだ」…私が生まれ育った大阪は,5年に一度ぐらいしか雪が積もることはなく,積もってもすぐに溶けてしまいます。市街地の雪が積もったまま溶けないという雪国の風景は夢のような世界であり,小さな学校と同様,漠然とした憧れがありました。
「廃過疎(2)」の旅では,雪景色にこだわり,平成13年以来毎冬ごとに雪国の旅を重ねてきました。雪国の旅では,地域の方から「今度は気候の良い季節に来てください」との声をいただくことが多々ありました。確かに私も「一冬雪国で過ごせ」と言われると後ずさりしそうですが,1週間ぐらいの旅ならば,日常生活とはまったく異なるひとときを過ごせるわけですから,大歓迎なのです。雪国の旅を印象深くするならば,やはり冬しかありません。
とりわけ印象に残る雪景色というと,平成14年2月に訪ねた秋田県大館市の廃村 合津の冬季分校跡です。今年は雪が多い冬ということを念頭において,合津冬季分校跡を二枚橋冬季分校と連続して再訪することになりました。
今回はふたり旅ということで,keikoさんにどこまで付き合ってもらうかも大きな判断要素です。幸い合津の手前の集落 別所には,別所温泉という地域の方のコミュニティセンターのような温泉があり,ここをベースとすることができます。
当日の朝は佐藤晃之輔さんと相談の上,まずふたりで別所温泉を目指し,その先は成り行きという予定を立てました。出発前は,佐藤さん夫妻と一緒に干拓記念館,農産物直売所と大きな温室を訪ねたのですが,思えば熱帯樹が茂る大きな温室は,雪国ならではの施設です。
奥羽本線大館駅着はちょうど正午頃。花輪行きの秋北バスに乗り継いで別所入口バス停へ。バス停から別所温泉までは1.8km。ふつうの県道ですが,風に舞った雪が横から飛んできて,keikoさんの顔は真っ赤です。30分後に別所温泉に着き,遅い昼食を食べた頃には,keikoさんから「廃村は無理やでー」との声が上がり,彼女には温泉で待ってもらうことになりました。
合津に向かうダートの道は,3年前と同じく途中まで除雪されており,工事作業のトラックが止まっている場所から先は,足跡もない1mほどの積雪です。「いよいよこれから」と覚悟を決めてカンジキを用意すると,幸いにも雪は止んでくれました。
深いところでは膝まで雪に埋もれながらゆっくり先に進み,橋を渡ると,いよいよ廃村 合津です。「崩れていることはないだろうか」と心配しながらゆっくり歩くと,3年前と同じ佇まいの冬季分校跡が視界に入りました。「もしかしたら30年経ってもこのままかも」と思うと,小さな木造の分校跡がとても力強く感じられました。
合津冬季分校の閉校は昭和46年です。34年前の冬にはここに二枚橋と同じような賑やかな子供達の声があったに違いありません。もし合津が廃村にならずにいたら,コピー機やパソコンを備えた合津冬季分校ができていたのかもしれません。中に乱雑に物が置かれている様子も,地域の方が物置として使っているからと思うと,とても愛しく感じられました。
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星が降るような素晴らしい夜空が広がる地域の方は,星には無頓着といいます。雪国の方が雪をやっかいに思うのも,都会人が人ごみをやっかいに思うのも,星の話と共通するのではないでしょうか。
合津には秋にもバイクで行ったことがありますが,その景色はカンジキを履かないと行けない雪の中のほうがはるかにひき立ちます。このこだわりは,めったに雪が降ることはない故郷をもつ大阪人ならではなのかもしれません。
トラックのところまで戻り,「冬季分校跡を見てきた」というと,不思議そうな顔をされていましたが,ちょうど作業が上がったところとのことで,別所温泉までクルマに乗せていただくことになりました。作業は水田の整備で,動きが取りにくい雪の時期には貴重な仕事とのこと。別所温泉ではゆっくりお湯に浸りたかったのですが,午後5時31分発という花輪線十二所駅の汽車の時間に合わせるため,湯船に入った時間は5分ほどというカラスの行水になりました。
【keikoさんのコメント2 〜 別所温泉】
・ふたりで一緒に向かった別所温泉でしたが,バス停から温泉までは歩きです。バスから降りたところでは少し陽も差していたのですが,その後空は曇り,風も強く,サラサラの雪が風に乗ってグランドの砂のように飛んできて凍えてしまいました。雪が舞いあがるのはTVでは見たことがありましたが,これも初めての経験でした。
・何とか別所温泉までたどり着き,昼食を食べたのですが,それだけでは体の凍えは取れず,廃村に行くのは無理と思ったので,HEYANEKOさんを集落のはずれまで見送って,温泉につかりながら待つことにしました。
・温泉は地域の集会場のような感じで,玄関にお金を入れる箱があり,そこに100円を入れてから入るという形になっていました。脱衣所に入るとおばあさんから声をかけられました。方言がすごくて必死に聞いてやっと聞き取れるような感じです。でも何とか聞きとって話をしました。
・湯船でもしゃべりかけられたのですが,ほとんど意味がわかりません。特におばあさん同士の会話の意味はまったくわかりません。同じ日本人のはずなのに,私の言葉は伝わっているのに,単語すら聞き取ることができませんでした。すごく不思議な体験でした。
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