栃木県の「廃校廃村・高度過疎集落」リスト



栃木県鹿沼市の廃村 梶又(Kajimata)の小学校跡です(平成17年11月)。




・私が確認した栃木県の「廃校廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は,鹿沼市梶又,足尾町横根山,藤原町五十里,群馬県桐生市(旧 田沼町)入飛駒今倉の4ヶ所です(廃村3ヶ所,高度過疎集落1ヶ所)。

・栃木県(旧国名は下野)には,藤岡町旧谷中村(明治39年閉村),足尾町松木(明治34年閉村)という有名な廃村がありますが,リストにおける廃校廃村は4ヶ所です(ダム関係3ヶ所と開拓集落1ヶ所)。
・鹿沼市梶又は,南摩ダム(貯水量 5100万立方m,平成22年竣工予定)の建設のため生じた廃校廃村です(水没戸数 76戸)。
・足尾町横根山は,戦後の開拓集落の廃校廃村です。「角川日本地名大辞典」によると,昭和23年入植,昭和48年開拓農協解散とあります。
・藤原町五十里は,五十里ダム建設(貯水量 5500万立方m,昭和31年竣工)のため,多数の住居が移転した高度過疎集落です。角川の辞典によりと,昭和28年に57戸中49戸が集落外に移転したとあります(8戸はダム湖のほとりに移転)。
・群馬県桐生市入飛駒今倉(S.43 栃木県田沼町より編入)は,桐生川ダム(貯水量 1200万立方m,昭和57年竣工)の建設のため生じた廃校廃村です(水没戸数 59戸)。
・もっとも高いへき地等級は4級(1校)で,塩谷町高原にありました(熊ノ木小学校高原分校)。高原は酪農集落として存続しています。
・栃木県内には代表的な鉱山として足尾町に足尾銅山(昭和48年閉山)がありましたが,小学校跡がある小滝はその閉村が昭和29年のため,リストには含まれません。



  集落名 学校名 自治体名 へき地
等級
児童数 閉校年 (特記)
産業・離村時期

1
(Kajimata)
梶又
梶又小学校 鹿沼市 無級 61名 平成16年 (南摩ダム)
農山村・H.16年

2
(Yokoneyama)
横根山
足尾小学校横根山分校 (日光市)
上都賀郡足尾町
2級 20名 昭和48年* 開拓・S.48年

*3
(Ikari)
五十里
三依小学校五十里分校 (日光市)
塩谷郡藤原町
1級 16名 昭和36年 (五十里ダム)
農山村・−

4
(Irihikoma-imagura)☆
入飛駒今倉
入飛駒小学校 (群馬県桐生市)
安蘇郡田沼町
1級 82名 昭和43年 (桐生川ダム)
農山村・S.55年

(注1) リストにおける「廃村」(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),「高度過疎集落」は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落(番号欄*印付き)です。

(注2) リストの対象となる学校は,昭和34年4月以降の小学校とその分校,冬季分校です(中学校,高校等,昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注3) ◎は私が訪ねたことがある「廃村・高度過疎集落」です。

(注4) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。( )書きは閉校当時の名称です。

(注5) 閉校時期は,原則「全国学校総覧」により1年ごとの所在を比較して調べたものです。また,*印付きの閉校年は年度途中の閉校です。

(注6) 特記欄の(開拓)は,戦後の開拓集落で,緊急開拓行政の中で戦後に新設された学校の跡がある廃校廃村です。

(注7) 市町村名は,説明文が平成13年4月現在(平成の大合併直前),リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成21年2月現在です。

(注8) お気付きの点があれば,お知らせいただけると幸いです。