静岡県の「廃校廃村・高度過疎集落」リスト



静岡県水窪町の廃村 門谷(Kadotani)の分校跡です(平成19年5月)。




・私が確認した静岡県の「廃校廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は7ヶ所です(廃村5ヶ所,高度過疎集落2ヶ所)。

・静岡県は遠江,駿河,伊豆の3旧国からなりますが,廃校廃村はすべて遠州・天竜川流域にあり,特に水窪町が5ヶ所と集中しています。水窪町に廃村が多いのは,山の中腹に小集落が多くあるためと思われます。
・静岡県内にはへき地4級校の分校が3つありました(春野町小俣京丸,水窪町大嵐・門桁)が,小俣京丸は廃村に,大嵐は高度過疎集落になりました。門桁分校はその後門桁小学校として平成13年まで存続しました。なお,大嵐分校は,JR飯田線大嵐駅とは関係のない,水窪町北部にあります。
・児童数から見た最大規模の廃校廃村は,水窪町峠です(大地分校,児童数 93名)が,この分校はいくつかの小集落が校区となっており,うち,両久頭・小又・瀬戸尻は水窪ダムの建設に伴い無住の地になりました。分校がある峠,周囲の下田・根・戸中も廃村または高度過疎集落です。
・静岡県内には,修善寺町の大仁鉱山(主要鉱物は金,昭和48年閉山),龍山村の峰之沢鉱山(主要鉱物は銅,昭和45年閉山)などの鉱山がありましたが,鉱山関係の廃校廃村は見当たりません。また,戦後の開拓集落の廃校廃村も見当たりません。
・静岡県内には,佐久間町の佐久間ダム(貯水量 3億2684万立方m,昭和31年竣工),静岡市の井川ダム(貯水量 1億5000万立方m,昭和33年竣工)などの大きなダムがありますが,ダム関係の廃校廃村は見当たりません。



  集落名 学校名 自治体名 へき地
等級
児童数 閉校年 (特記)
産業・離村時期

1
(Omata-kyoumaru)
小俣京丸
石切小学校小俣分校 (浜松市天竜区)
周智郡春野町
4級 13名 昭和41年 農山村

2
(Shinkai)
新開
瀬尻小学校高誉分校 (浜松市天竜区)
磐田郡龍山村
3級 28名 昭和36年 林業・S.42年

*3
(Kouchiure)
河内浦
水窪小学校河内浦分校 (浜松市天竜区)
磐田郡水窪町
1級 26名 (S.45)
昭和44年
農山村・−

4
(Touge)☆
水窪小学校大地分校 (浜松市天竜区)
磐田郡水窪町
2級 93名 (S.53)
昭和45年
農山村

5
(Arimoto)☆
有本
水窪小学校有本分校 (浜松市天竜区)
磐田郡水窪町
2級 29名 (H.13)
昭和46年
農山村

*6
(Oozore)
大嵐
水窪小学校大嵐分校 (浜松市天竜区)
磐田郡水窪町
4級 56名 (H.16)
昭和60年
農山村・−

7
(Kadontani)
門谷
水窪小学校門谷分校 (浜松市天竜区)
磐田郡水窪町
2級 12名 (S.45)
昭和44年
農山村

(注1) リストにおける「廃村」(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るものを含む),「高度過疎集落」は5戸以下程度の集落(番号欄*印付き)です。

(注2) リストの対象となる学校は,昭和34年4月以降の小学校とその分校です(中学校,高校等,昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注3) ◎は私が訪ねたことがある「廃村・高度過疎集落」です。

(注4) ☆は中学校が集落内にあった「廃村・高度過疎集落」です(併設校,分校を含む,昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。有本の中学校の所在は渡元(隣の集落)です。

(注5) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。( )書きは閉校当時の名称です。

(注6) 閉校時期は,原則「全国学校総覧」により1年ごとの所在を比較して調べたものです。再開されなかった休校は閉校と同一に扱っています。

(注7) 市町村名は,説明文が平成13年4月現在(平成の大合併直前),リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成21年4月現在です。

(注8) お気付きの点があれば,お知らせいただけると幸いです。