草津・もうひとつの鉱山跡と中和事業のダム

草津・もうひとつの鉱山跡と中和事業のダム 群馬県六合村元山,品木


廃村 元山(もとやま)の分校跡に残っていた往時の看板です。



2006/5/22 六合村元山・品木

# 8-1
草津温泉近辺の「廃校廃村」めぐり,第二陣の目標は,草津の東隣,六合(Kuni)村元山(鉱山関係の廃村)と品木(ダム関係の廃村)です。
元山(Motoyama)は,昭和19年に開山した群馬鉄山の鉱山街として賑わいましたが,昭和40年の閉山とともに鉱山街は消滅しました。現在,鉱山跡地は「JFE奥草津休暇村」として活用されています。およそ1km先には5戸(H.18)の熊倉という集落があり,寂しくはなさそうです。
一方,品木(Shinaki)は,草津温泉を流れる湯川の下流にある山村でしたが,強酸性の河川水を中和する目的で作られたダム(品木ダム:昭和40年竣工)の建設により水没しました。現在は湖から1km近く離れた高原面に,5戸(H.18)の新しい品木集落が作られています。

# 8-2
草津ツーリング第二陣の出発は5月21日(日)午前11時頃。今回のツーリングはkeiko(妻)とふたりです。東松山ICから関越道に入りなじみの渋川伊香保ICへ。のんびりと吾妻川沿いを走り,草津到着は夕方5時15分。宿は先月の下見で見つけた,湯畑からも近い旅館「ちかふじ」です。日暮れ前には西の河原の巨大露天風呂を堪能しました。keikoと歩く夜の温泉街は,前回とはまた違う雰囲気で見えます。
翌22日(月)の起床は朝6時半。天気は晴。「千歳の湯」で朝風呂を楽しんだ後,まずは草津から7kmほどの元山を目指しました。手持ちの地形図に記された元山方面行きの道は,草津の市街地を離れてすぐに通行止の看板で閉ざされていました。

# 8-3
ゲートの近くには「鋼管休暇村」への迂回路を示す案内板がありました。遠回りですが,目的地が観光施設なので安心です。天狗山スキー場まで迂回して,ほとんどクルマの走らない広い道を進むと,9時50分頃,標高1100mの休暇村正門前に到着しました。
ふたり顔を見合わせて「気になるところから行きましょう」と,バイクを置いて,正門からほど近い元山分校跡へと向かいました。
入山小学校元山分校はへき地等級3級,児童数64名(S.34)。平成4年の休校の後,平成10年閉校,最終年度(H.3)の児童数は1名でした。分校入口の跡と思われる道脇の木には,「あなたのゴミはあなたがお持ちかえりください」という分校名が入った看板がありました。

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# 8-4
分校跡の敷地を探索すると,「平成11年度植樹祭記念」という分校名入りの標柱がありました。分校の敷地には針葉樹の苗木が植えられており,中には20cmほどのものもありました。十年も経つと針葉樹は成長し,分校跡の雰囲気は失われていくのでしょう。
続いて熊倉までバイクを走らせると,集落で車道は行止まりとなりました。熊倉は戸数はわずかですが,建替中の家もある人の気配がある過疎集落です。郵便配達の方が来られたので,ご挨拶をしてお話をすると,「熊倉にはかつてスキーリゾートを作る計画があり,計画は頓挫したが,道はその計画のためよくなった」とのこと。また,分校跡には少し前まで分校関係の建物が残されていたそうです。

# 8-5
バンガローで宿泊ができる「JFE奥草津休暇村」にも足を運びました。群馬鉄山の事業者(鋼管鉱業)はJFEスチール(旧日本鋼管)の関連会社で,管理体制は鉱山の頃からのものです。管理棟の方に「鉱山の雰囲気が残る場所はありませんか」と尋ねると,「見晴台で鉱石を見ることができる」とのこと。バイクを置いて,見晴台を目指して歩く途中に見付けた元山神社は,とても綺麗に整備されていました。
15分ほど歩いてたどり着いた見晴台には,赤茶けた鉱石が見えるよう崖が削られていました。見晴台からの山景色は,春らしい霞みと新緑,グラウンドの広さが印象的でした。群馬鉄山は,独自性があるリゾート施設としてその姿を今に伝えていました。

# 8-6
休暇村を後にして,次に目指したのは約7km離れた品木ダムです。新しい品木集落までの高原面の明るい道を経て,下り坂をぐんぐん下ると,ダムの手前に「百八十八観音」という史跡があり,ここにバイクを止めて探索の開始です。
案内板によると,観音様は品木の方が作られたもので「坂東33番・秩父34番・西国33番・四国88番か所霊場を合わせたもの」とのこと。
観音様の脇の山道に入ると墓地があり,さらに先に進むと神社がありました。神社には「祈平和 平成18年4月14日」と書かれた和紙が貼られた灯篭があり,祭礼が行われた後の雰囲気がありました。

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# 8-7
入山小学校品木分校はへき地等級2級,児童数12名(S.34)。閉校は,ダムの竣工と同じ昭和40年です。標高910mの品木ダムは,堤高 43.5m,貯水量 167万立方mの小さなダムですが,墓地や神社はダムを見下ろす斜面にあり,集落や学校はダムに沈んでしまったようです。
上州湯の湖と呼ばれるダム湖は,強酸性の河川水の石灰による中和を促進させる働き,中和の結果できる生成物を沈殿させて取り除く働きがあり,湖水の色は淡いエメラルドグリーンです。「品木ダム水質管理所」Webの記事「中和物語」によると,中和により石膏が生じるとダム湖がすぐに埋まってしまうため,石膏が出てこないぐらいまで中和しているとのことです。

# 8-8
神社からダム湖を見下ろすと,湖畔には新しい公民館があり,近づいてみると氷川きよしが写った献血のポスターが貼られていました。湖畔にある建物は公民館ただひとつ。廃村ということで,古びた建物を想像していたのですが,それは誤りでした。
1時間弱の探索の間,品木では誰にも会いませんでしたが,神社や公民館の様子から,品木の方々が何かの機会ごとにこの地を訪ねられ,見守られていることが想像できました。品木でも新緑のきれいな景色をkeikoとふたりで味わうことができました。
ダム湖の下流の湯川は渓谷で,川に沿う道はありません。上流方向にバイクを走らせると,6kmほどで草津の温泉街に戻りました。

# 8-9
時間は12時50分,天気はすこぶる良好です。しばしkeikoと相談の結果,昼食は白根鉱山跡でとることに決定。コンビニでおにぎりとお茶を調達して,5kmほど走ると,先月末に行ったばかりの静可山スキー場跡の大きなロッヂ跡の建物が視界に入りました。
先月と同じく,広い視界の中に人影はまったくありません。荒涼とした風景は同じものなのですが,雪が消えて新緑が芽生えて,ずいぶん明るくなった感じがします。白根鉱山の事業者は,白根硫黄鉱業所という中小規模の企業です。「白根鉱山跡地」の碑と階段を上がった神社からは,元山(群馬鉄山)とは対照的に,管理がなされていない自由な雰囲気が感じられました。

# 8-10
初心者向けゲレンデ跡を上って,リフトの終点から平たい道を歩いて,その終点が食事休憩のポイントです。ここからは山の遠景と鉱山施設の跡を同時に見ることができます。周囲には白や黄色の硫黄分を含む石が転がっていて,眼下には鉱石集積所の跡が見えます。
綺麗に整備してしっかり管理するのは産業遺産を残すためのひとつの形ですが,そのまま朽ちていくにまかせることもひとつの形に違いありません。荒涼としながらも広々とした風景の中で二人で食べたおにぎりは,とても美味でした。
草津小学校白根分校の閉校は昭和38年で,鉱山の閉山は昭和46年。元山と白根鉱山は閉山と閉校の時期の関係まで対照的でした。

# 8-11
変化に富んだ草津の廃校廃村への旅第二陣も,主要道(R.292)に戻ると,終わった感じになりました。草津には平成5年と平成6年に連続して足を運んでいますが,草津の近辺にこれほど廃村がたくさんあると気がついたのはつい先頃です。灯台元暗しとはこのことですね。
夏には草津から20kmほど先の小串が待っています。「雲上の鉱山」といわれるほど標高が高い小串への道は,5月はまだ閉ざされています。
帰路は「石津鉱山にももう一度」などと欲張らなかったことが幸いして,東松山IC着が午後5時40分,大宮郊外で夕食の後,南浦和着が8時5分と,翌日の仕事に差し支えないペースでたどることができました。

(追記) 群馬県六合村は,平成22年3月,編入により中之条町になりました。また,「JFE奥草津休暇村」は,平成24年4月,中之条町に譲渡されて「チャツボミゴケ公園」となりました。



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