湖国の山の廃村と過疎集落群 その2

湖国の山の廃村と過疎集落群 その2 滋賀県多賀町桃原,杉,保月,五僧

多賀町(旧脇ヶ畑村)杉の集落跡です。杉に着くと,まずこの風景が飛び込んできます。



2000/7/21 多賀町桃原,杉,保月,五僧

# 9-13
滋賀ツーリング2日目は,堺出発が朝6時頃ということで,宿で泊まったほうがのんびりできたことは間違いありません。
多賀大社前駅に戻り着いたのはおよそ3時間後(8時50分頃),バイクで一日多賀町の廃村と過疎集落群を回るにはよいぐらいの時間です。
この日もよい天気で気分は上々なのですが,昨日Tシャツでうろうろしたので,腕が焼けてしまいまして,最初から長袖着用です。
まずは,地図でも目立つ位置にある杉(Sugi)という集落に向かおうと,八重練(Yaeneri)から地形図で破線で示された杉坂という道をたどったのですが,歩くのがやっとという道で,いきなり断念です。八重練は小さな集落なのですが,雰囲気のある神社とお寺がありました。

# 9-14
一度R.307に戻って,久徳(Kyuutoku)から県道に入ると,小さな商店がある栗栖(Kurusu)という集落に到着。コンビニがあるR.307沿いとはかなりの雰囲気の違いがあります。分岐の道標を見ると桃原(Mobara)まで4kmとの表示。杉への道は通り過ぎてしまったようです。
桃原にも行く予定だったので,「まあいいかー」と山を上がって行くと,標高320mほどの山の斜面に桃原の集落がありました。
集落の入口には「桃原草の根ハウス」なる集会所があり,アジサイも綺麗に咲いているのですが,まったく人気がなく,集会所からの時計の音が空ろに鳴り響きます。神社の入口にはロープが張られているし,永法寺というお寺も無人です。

# 9-15
結局桃原には20分ほどいたのですが,30戸ほどの建物(廃屋を含む)がある集落で出会ったのは洗濯物を干すおじいさん一人でした。地形図に記されている杉に向かう山道には少しだけバイクを乗り入れてみたのですが,すぐに断念しました。
栗栖に戻り,橋のたもとに調宮神社があるクルマの時代になってからの道を登っていくと,およそ8km,15分ほどで杉に到着しました。
杉は標高540mの典型的な山上集落で,地形図では6か所から道が集まってきているので,人はいると予想していたのですが,正真正銘の廃村でした。入口には「杉・向上の郷」との看板と,「村内を無断で立入る事を禁ずる」という彦根警察署,杉区長名の看板がありました。

# 9-16
看板の前にバイクを止めて,集落跡を散策すると,畑もある広場の中ほどに「公明寺之跡」という石碑があり,お寺は1977年(昭和52年)に移転したとのこと。「炭焼きの集落が燃料革命とともに廃れ」との旨の記述もあり,杉の廃村の時期も,その頃かと推測されます。
後に伺った話では,お寺の跡の建物がきちんと整備されているのは,彦根あたりの塾の経営者がサマースクールに使っているからのようです。廃村でサマースクールとは,子供達にも強いインパクトがあってよさそうですね。泊まりとなると,ちょっと恐そうですが・・・
杉の10軒少しある廃屋のうち,3軒は萱葺き屋根で,いつまで持つかは何とも言えないところですが,風情に一役買っています。

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# 9-17
杉で40分ほど過ごし,保月(Houduki)に向かう途中には薩摩杉という杉の大木と祠がありました。昨日の菅沼さんの話では,この道筋は関ヶ原の合戦で,島津氏の軍が落ち延びるときに使われたとのことです。岐阜と滋賀の県境には島津越えという地名も残っています。
杉からおよそ5km,8分ほどで,保月に到着。左手に神社,右手には脇ヶ畑(Wakigahata)小学校跡という碑と公衆便所の看板がありました。小学校跡は駐車場として使われており,公衆便所は学校の建屋にあったものをトイレだけ取り壊さないで使っている様子でした。
保月の標高は600m,集落は小学校跡からなだらかな坂を下りながら,なかなかの長さで広がっています。


# 9-18
妙な味わいがある小学校跡にバイクを置き,保月の集落を散策すると,大きなお寺とちょっと特徴のある二階建ての半壊した建物がありました。半壊した建物に入ってみると,保険年金,為替貯金と書いた窓口の板があり,ここが郵便局だったことがわかりました。
建物の別の入口から入ると事務室,診療所,囲炉裏がある宿泊室らしき部屋もあり,事務室にあった書類から,ここが犬上郡脇ヶ畑村という地方自治体の村役場だったことがわかりました(1955年(昭和30年)4月に村が多賀町に合併してからは,多賀町役場保月支所で,1972年廃止)。村役場のような公共の建物が,当時の雰囲気そのままに残っている例に出会えたのは初めてのことです。

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# 9-19
村役場跡の近くに,窓が開け放たれた家があり,おじさんがいたので「村の話を聞かせてください」と声をかけると,脇ヶ畑村は保月を中心集落として,杉と五僧の3集落から成り立っていたとのこと,保月に定住する人はゼロで,夏の間など気候のよいときのみ彦根市などから小人数やってくるとのこと,おじさん(宮田俊雄さん)はお寺(照西寺)の修繕の用事を兼ねて彦根からやってきているとのこと,お寺の下の入口が二つある特徴的な建物は教職員住宅の跡で,十人ぐらいの先生が住んでいたなど,いろいろなお話を伺うことができました。
紹介されて昼飯を食べたお寺の軒先は風が通って涼しく,ひととき昔の村の様子を偲ぶことができました。

# 9-20
保月はとても居心地がよく,1時間40分も居ついてしまったので,午後1時半にしてまだ三つしか集落巡りができていません。
次の五僧(Gosou)は,保月から谷を下りて向かい(標高500mほど)にあり,保月からはおよそ4km,15分ほどで到着しました。谷からは歩いて坂を登るしか道はなく,パンフレットにも廃村とあるくらいの所なので,静まり返っていることが予想されたのですが,岐阜県上石津町方面に向かう道路の工事をしていて,非常に埃っぽく,くしくも廃屋の軒すぐのところにパワーショベルが走っていました。
そんな事情で「こりゃあかんわ」と,早足で来た道を戻りました。いろいろ回っていると,期待外れなこともあります。



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