7話「憎しみの剣が鈍る時」の前の話。サーフェスと、気持ちを自覚したセイネリアの話。 【後編】 セイネリアの様子を暫く見ると、魔法使いの医者はにこりといつものゆるい笑みを浮かべた。 「……やっぱり、マスターにとっては彼は特別なんだね。大切で失いたくない、特別な存在。違うかな?」 「いや……」 自嘲に歪む唇で呟いてから、またセイネリアは大きくため息をついた。それからゆっくり、自分に言い聞かせるように言った。 「その通りだろうな」 紫の目と髪を持つ魔法使いは、そこで肩を竦めて見せる。 「なら、僕に出来るアドバイスは『後悔しないで』かな。ちゃんと自覚して、彼に気持ちを伝えればいい」 だがそれにセイネリアは喉を揺らして笑う事しか出来ない。 「絶対に拒絶されると分かっているのにか?」 シーグルが自分を憎んでいるのは確定で、だからもし彼にそれを告げたところで何もならないとセイネリアには分かっていた。まったく無駄な事としか思えない。 けれどドクターは当たり前のように笑顔で言ってくる。 「そうだよ。貴方は強いんでしょ、だったら負けが分かっているからって逃げないでよ」 「逃げる? 俺が?」 セイネリアはそれには僅かに眉を寄せた。とはいえ当然、こちらを挑発するためにわざと向うが『逃げる』なんて言葉を使ったのは分かっていた。 「そうだよ、本当は怖いんでしょ? 自分の中に大切で失いたくない存在があるって事が。彼に告げたらもう引き返せないのが分かってるから貴方は思い留まろうとしてる」 あぁ、それはあるかもしれない――その程度の自覚はセイネリアにもあった。正直なところ、セイネリアはまだ本当に自分が彼を愛しているのかを疑っていた。……いや、心でそうだと確信出来ているのに自分で自分が信じられないというのが正直なところだ。 そしてきっと、確定しない方がいいと思っている部分もある。 確定してしまったら、自分がその感情に振り回されてしまう事を……確かに恐れているのかもしれないとセイネリアは思う。 「別に今すぐ行動しろ、なんて言わないけどね。暫くはよく考えてみればいいんじゃないかな。……ただ、彼に伝えるのも行動を起こすのも彼が生きて無事でいる間だけっていうのは分かってるよね?」 セイネリアは苦笑する、それしか出来ない。 「あぁ……確かにそうだ」 黒の傭兵団ではドクターと呼ばれ、実際医者として仕事をしている彼の名はサーフェスと言った。ただ今では滅多にその名で呼ばれる事はない。極々たまに師から手紙を貰った時にそう書かれているくらいだ。 ――迷っているのは僕もだけどね。 主である男に偉そうに説教じみた事を言っておきながら、サーフェスも実はそこまで自分の事に関して悟っている訳ではなかった。 なにせまだ迷っている最中で、結論が出ていないのだ。ただ、自分はもう後戻りは出来ないところまで来ているというのがあの男との違いだろう。 彼女を失った時、たくさんした後悔の中には当然『もっと自分が強ければ』という後悔もあった。もっと自分が強かったなら――彼女を守れるくらい、あんな連中に怯える事なく倒せる力があったなら――例えば、あのセイネリア・クロッセスのように。 でも今の彼を見て、それは意味のない後悔なのだと思った。 たとえどれだけ強くても、人であるのなら絶対はない。どんな人間でもミスをするし、他人を常に見て守るのは難しい。それこそ閉じ込めて自分の手の届く範囲に常においておくくらいでないと――そしてサーフェスは分かっている、主の大切なあの青年なら、そうして閉じ込めたら自ら死を選ぶだろうという事を。 ――人間は所詮人間なんだ、万能ではない。 あれだけ強くて、強すぎて何もなくなった男でさえ思い通りにならない事はある。 更に言えば今まで自分の事しか考えていなかった分、平気で敵を作ってきたから……守りたいもの、つまり弱点を作った段階であの男は今までのツケを払わされる事になる。『不安』と『恐れ』を常に感じる事になるだろう。 ――でもマスター、それが人として当然の事なんだよ。 最初はあの男に弱点が出来る事をサーフェスは危険視していた。敵が多く、今まで何も怖くなかった男に弱点が出来るのは致命的だと思っていた。けれど、あの男自身にとってそれは本当に悪い事だけなのかと考えたら……違うというのはサーフェスには分かっていた。 それは自分にとって、こんなに苦しい目にあうなら人を好きになならなければ良かったのかと問うのと同じだからだ。 だから彼に従うものとして、あの男が変わるのを見届けるべきだと考えた。彼が本当に『人間』になるために、それは必要な事なのだから。 黒の傭兵団の敷地内でも、西館と呼ばれる場所には裏の情報屋登録の者か幹部しか入れない。だから考え事をする時や、人の気配を感じない静かな場所にいたい時、セイネリアは西館にやってくる。 そうしてその場合、大抵は庭の東屋にいる事が多い。 西館の庭は、元リパ大神官であるロスクァールが趣味で手入れをしているため時期によって様々な花が咲き誇っている。別にそんなものに興味があるという訳ではないが、こうして答えの出ない事をただ考えているだけという時には……なんとなくそれらを眺めていた。 今は丁度薔薇の時期で、見事としかいいようのないそれを眺めながらも思わず『お前達ももっとその美しさを褒めて見惚れてくれるような人間に見てもらいたかっただろう』などと思うのだから、つくづく自分はひねくれていると思うところだ。 けれどその中、高く真っすぐ伸びた先に大輪の花をつけている白い薔薇を見て、考えまいと思っても考えてしまう『彼』の姿が頭に浮かぶ。 白く輝いて真っすぐ伸びて人目を引く……トゲのあるところまでそっくりじゃないかと思ってしまえば、我ながら相当の重症だと思うしかない。 ――馬鹿馬鹿しい。 自分の考えに呆れて椅子に背を預けて目を閉じれば、セイネリアは急に感じた人の気配と僅かな物音に気が付く。 勿論、それが誰かなど分かっている。 『彼女』にはこの西館の見張りを命じているのだ、自分が来た事も真っ先に分かっている筈だった。 「あの……マスター」 「なんだ?」 目を閉じたまま少女の声に答えれば、少しほっとしたように彼女は安堵の息を吐いた。 「どうか、されたのですか?」 「いや……」 否定してから、ふと考える。このクーア神官の少女が自分と契約をするために自分に願った内容を。シーグルのために強くなりたいと、強くなってシーグルの助けになりたいと、それが彼女が自分の配下に入る代わりに願ったものだった。 「丁度いい、お前に聞きたい事がある」 目を開けて彼女を見れば、少女は軽く首を傾げて、なんでしょう、と言ってくる。そういえばこの少女は自分を恐れない。いや最初は怯えていたのかもしれないが、少なくともここへ来てから自分に対して怯えた様子は見せない。 「お前はシーグルを好きなのか?」 聞けば少女はそこで大きく目を見開く。基本的にソフィアは表情に乏しい子供だが、それは本当にただ驚いたという顔で……けれど暫く後、彼女の顔は少し困ったように崩れる。 「それは……そんな大それた事、考えた事がありません」 「なら、恩返しとしてあいつを助けたいのか?」 すぐに聞き返せばやはりソフィアは困った顔をする。 「それもあり、ます。でも私は、あの人があの人らしく……いて、幸せになってくれたら嬉しい、だけです」 「分からないな、ならお前はあいつに対して何も求めないのか?」 何故かそれにソフィアはにこりと笑った。 「はい、それはもう、貰っていますから」 「何を貰ったんだ?」 「自分自身、と……生きる意味を」 そこでセイネリアは彼女もまた、カリンがかつてそうであったように従う事しか出来ない自分のないタイプの人間なのかと思った。だからシーグルを助けるという事に生きる意味を見いだせたのかとそう思ったのだが……彼女の顔を見て、それは違うと思い直す。 シーグルを助けたいと願うそれは間違いなく彼女の望みで、意思なのだ。おそらくは、自我を殺して従うだけだった少女が、初めて自ら望んだのがシーグルを助けたいという事なのだろう。 前なら興味もなく理解も出来なかったろうそれを、今の自分はなんとなくだが理解できる。 もっとも自分の場合……それだけではすまないのだが。 「マスター」 そこで名を呼ばれて、セイネリアはいつの間にかまた庭の花を見ていた瞳を彼女に向けた。少女はこちらの様子を伺うように慎重そうに聞いてきた。 「あの人はマスターの大切な人、ですね?」 セイネリアは唇に自嘲を浮かべる。そうして一輪、目立つように真っすぐ上へ向いて咲いている白い薔薇を見つめて呟いた。 「あぁ、俺はあいつを愛している……らしい、からな」 END. --------------------------------------------- ドクターの話から入りましたが、最後はソフィアだったという(==。 タイトル的に後半はドクターの話成分薄くてどうかと思ったのですが、一応メインはセイネリアなのでって事で。 |