幸せぽい日常―弟子取り編―




  【2】



「あいっとぅーわ、はげーしぃこぅこぅろのうったぇえ〜♪」

 レイが歌えば人々が振り返る。何あれ、と最初は不審げに、だが歌っている本人がさも気持ちよさそうに得意げな顔でいるのを見れば、その目は『かわいそうな人』を見た同情的なモノになって、ちょっと距離を取ると見ないふりをして通り過ぎていく。

――これで本人は『皆俺の歌に聞きほれて道を開けてくれてる』とか思ってるンスから……さすがレイ、やっぱり人前では遠くから楽しむに限るっスね。

 楽しそうにちょっと離れた人ゴミの中からレイを見ているフユだが、一応買い物の荷物は持ってやっているので一緒に出掛けた意味が全くないわけではない。それに当然、レイがどれだけポカをかましても誰かに睨まれても助けてやるつもりなので彼も気が大きくなっているというのもある。……だからこそ、更なる面白展開が期待出来るというのもあるが。

 ちなみにこういう『お出かけ』でのレイの面白展開の定番としては、ガタイの良さそうな冒険者に絡まれたり、チョロそう、と思われたスリに狙われる事な訳だが、今回はどうやらまず後者が来たらしい。
 誰からも距離をちょっと置かれているレイに、下を向いたままの少年が近づいていく。まるで考え事をしていて気づかなかったという風にうつむいたままの少年は、レイのすぐよこに来ると常人では見えない素早さで手を伸ばす……のだが。

「あいっ、あいっ、あいはぁ〜じんせいのすっべってぇよぉ〜」

 そこで丁度歌のサビに入ったレイが熱唱のあまり足を止めた為、少年はついレイを通り過ぎてその手は空振りしてしまった。ちなみにレイは少年の怪しい行動に気づいた訳ではなく、本当にただ歌に気合いが入り過ぎた為に立ち止まっただけなのだ。この運というかよくわからないタイミングの良さがレイのすごいところで、フユは思わず利き手をぐっと握りしめて本心からの笑みが出てしまった。

 予定外のターゲットの行動に動揺したのか、少年の足はマズイ事にそこで止まる。明らかに不自然な少年の動きには一部不審な目を向けるものがいるが、そこで少年は逃げるでもなくレイを睨み付けると大声でどなった。

「なんだあんた? でっかい声で歌いやがって、おかげで驚いて考えてた事忘れたじゃねーか、どうしてくれんだよ」

――おや、スリが失敗したから恐喝の方で来たんスか。

 なかなかいい度胸の子供だと思うと同時に、それだけレイのチョロそう感がハンパなかった、とも考えられる。今日数度目の『さすがレイ』と言う感想と共に、フユはまだ自分が手を出すところではないとまずは観察を決め込む事にした。

「ふふ少年、正直に俺の美声に驚いて足を止めてしまったと言ってはどうだっ」

 やっぱレイはぶれないなぁと思いつつ、周りの『よく言った』という少年への目と、『なんだこいつおかしいんじゃね』というレイへの視線の対比が面白い。

「はぁ? 何寝言いってんだ? いいから俺へのオトシマエどうしてくれんだっていってんだよ」
「ふむ、少年よ、その程度で忘れる考え事などその程度の内容だったという事だ。つまり忘れても問題がない、安心して気にせず生きていくといいぞっ」

 馬鹿で理論は破たんしているのに自信満々過ぎて言い返せない、という事が多いのがレイの発言の面白いところではあるが、今回は珍しく割と理論的にもあっている。一瞬言葉に詰まった少年は、だがそれでも諦めずにまだつっかかってきた。

「ざけんな、どっちにしろあんたのそのへっぽこな歌で俺が驚いたのは間違いないんだよ、詫びくらいはしてもらっていいと思うだろっ」

 少年の理論は強引だが、へっぽこは確かにあっていて皆言いたかった事だったというのもありまだ周囲は少年よりである。
 ただ自分がどんな目で見られているかとかまったく気にしないレイの無敵のメンタルはそれをものともしないのは言うまでもなかった。

「はっはっは、詫び? 詫びとは何だ、俺の美声にうっかり意識がもっていかれて壁にぶつかって怪我をした、とかいうなら誠意を込めて謝罪をしてやろうと思うが」

 ここで笑えるのは本気でこの少年がそう言ってレイを持ち上げていたなら、レイはあっさり少年に小遣いくらいは与えてやってしまったろうという事だ。だが当然、普通の思考回路の人間にとっては、レイの発言は『何だこいつおかしい』以外の何モノでもない。

「あんた起きたまま幻覚でも見てるのか? 頭おかしいぞ」

 そりゃレイっスから常人が理解出来ないのは正しい事――フユは思ったが、少年はとうとう実力行使に出る事にしたらしく、レイの前にずいっと出るとレイの胸倉を掴む……いや、それは掴もうとしただけで終わってしまった。

「俺はいつも俺が信じる真実だけをみているに決まっている!」

 そんな事を言ってレイが体を捻ってポーズを取った所為で、少年の手は再びスカったのだ。

「なんだこいつ」
「ははは、なんだダンスか? ついには躍り出してしまったのか?」
「いや、ちょ、なんだお前っ」
「いいぞ、踊りたいくらいの気分になったんだな? それなら俺もまた歌わねばなるまい」

 少年が手を伸ばす度にレイがポーズを付けた所為でその手が宙を掴む、という、意識してやれているならなかなかだがそうではないレイの動きは楽しすぎる。レイは歌だけではなくすべてがへっぽこではあるが、一応『ボーセリングの犬』としての訓練を受けているだけはあって基礎の身体能力はそれなりにある。主に逃げ足重視の為、素早さだけは『ボーセリングの犬』としての基準値をクリアはしているから、まぁ本気で避けようとしたとしても子供に遅れを取る筈はないのだが……楽勝だと思われるところで笑えるポカをやらかすのもまたレイであった。

 再び恰好をつけて歌いだしたレイだったがその直後、その場に何かが飛んできて地面に落ちたと思ったら破裂する。どうやらそれは煙玉の類だったらしく、それが破裂した途端灰色のもので辺りが軽く靄につつまれ、ついでに人々はくしゃみを始める。

――これはちょっとヤバイスかね。

 フユは首の布を引き上げて口を保護すると、逃げる人々とは逆にその靄の中に入っていった。



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 次回はフユと少年達の話。実は少年は二人組み。
 



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