【2】 シーグルと同じ背筋のぴっと伸びた姿勢のいい甲冑の青年を間近で見上げて、メルセンは感動でちょっと呆然としていた。 なにしろこの彼は、あの将軍セイネリアに勝った人物である。 ただでさえ体格で見れば絶対的に不利だと言うのが分かるのに、最強と呼ばれて誰からも恐れられ、勝負しようとする者さえいない彼の主にこの人物は勝ったのだ。 あのセイネリア・クロッセスが負けたというのはそれはもう大ニュースで、城の兵士や街の冒険者まで、戦闘職の連中は暫くは雑談と言えばその時の戦いの話ばかりになったくらいだった。とはいえ直後は殆どの者はあまりにもレベルの高い戦いで何が起こったのか分からないという状態で、そこでアッテラ神官の中でも特に腕のいい連中があの試合について説明したことで皆納得して話が盛り上がったという経緯がある。 彼が勝つために使った手段――それはほんの一瞬だけ、出来る限り最大の強化を掛け、失敗したら次がない攻撃を仕掛けた。 勿論最大の強化で将軍の力を上回ったところで、そもそもあの将軍に一撃入れるだけの技能がなければ意味はない。しかもチャンスはたった一回、一瞬だけ。終わった後に身動きが取れなくなるから失敗したら負け確定の攻撃で見事勝ったのである。その真相が広まった時、人々はそこまでして将軍に勝とうとした彼の勝利への執念を称賛し、そしてやはりそこまでやっても試合で勝つのが精いっぱいという将軍の強さに改めて恐れを抱いた。 考えれば分かる事だが、これはあくまで試合だから勝ちを取れただけで、戦場であれば――つまり生き残った方が勝ちという戦いであれば将軍の勝ちだったろうというのは皆分かっていた。もともとアッテラの最大強化は死を覚悟してやるものだから、戦場で生き残る事は考えていない。というか、使えば確実に体のどこかを壊して、完全治癒出来ない可能性が高い……そんな術を一試合勝つためだけに使ったという彼の覚悟が称賛されたのだ。 「お願いしますっ」 頭を下げて剣を構える。技能差がありすぎる手合わせだから向こうは構える必要もないのだが、それでも彼はちゃんと構えて待ってくれる。 メルセンはとりあえず、自分で出来る精一杯の速さで剣を打ち込む。それは勿論当たらず、綺麗に避けられてすれ違いざまに背中をおそらく柄で押された。 「うわぁっ」 それで前のめりにつんのめって必死に耐えれば、彼の冷静すぎる声が聞こえる。 「踏み込んだ足が弱い、もう少し腰を落とす、後下半身にもっと力をつけろ」 「はいっ」 見れば彼はこちらの体勢が直るのを待ってくれている。また一度距離を取って、メルセンは剣を伸ばした……が、今度は剣で受けて貰えたものの、合わせた場所で滑らされて上から押し込まれる。 「もっと手首に力を入れろ。優位なポジションを取られそうになったら腕だけ耐えようとせず、体全体を使って腕に力が乗せやすい状態を維持しろ」 「はいっ」 一回打ち込めばその度にアドバイスをくれて……無茶苦茶、とんでもなく勉強にはなるのだが、そこからさらに3回打ち込んだ後、メルセンは堪らず強さの割りに細身の黒い戦士に言った。 「すみませんっ、一度メモを取ってもいいでしょうかっ」 大真面目に訴えた少年の言葉は一瞬後、皆の笑い声に迎えられたが、いつでも姿勢の美しい目の前の黒い騎士は、笑いはせずに頭に軽く手を置いて言ってくれた。 「あぁ、待っているから紙とペンを持ってくるといい」 「あ、ああ、ありがとうございますっ」 慌ててメルセンが走っていけば、その背にはやはり皆の笑い声が響いた。 「さて、なら今のうちに君の方の腕も少し見せて貰おうかな」 メルセンを見送ってシーグルがアルヴァンを見れば、驚いたアルヴァンが声を返す前に、そこに大きな声が割り込んできた。 「ならおれっ、おれ強くなったからおれのけんみてよっ」 セイネリアの腕の中で唇を尖らせて言ってくる子を見てしまえば、シーグルもそこでだめだとは言えなくなる。今回はフェゼントも仕方ないといった顔でシーグルに軽く頷いて来るだけで、だからアルヴァンの方を見れば、彼も苦笑いをしながら手を左右に振って、不貞腐れるシグネットに向けて譲るように手を伸ばした。 「すまないな、また次に」 「いえ、どのみちお……私はまだ見てもらう程じゃないから」 それにはくすりと笑ってシーグルがセイネリアの方へ行けば、セイネリアはシグネットの脇を持ってこちらに渡すように前に出した。だから両腕を上げてこちらに来る気満々な我が子を受け取って、一度シーグルはその体を抱き上げた。 「大きくおなりになりましたね、陛下」 「うん、おれ、すごくおっきくなったでしょ」 「えぇ、本当に」 その確かな重さと真っすぐこちらを見上げる無邪気な瞳に涙腺が緩みそうになりながらも、シーグルはその手の感触を噛みしめる。 「ねー、レイリース、けん、おれのけんみてっ」 そこで下りたいのだと主張するように手足をバタバタと動かしたシグネットを、シーグルはそっと下してやる。そうすればすぐシグネットは得意げに木刀を構えて、目の前で振ってみせた。 「やぁっ、やぁっ」 小さな子供が懸命に木刀を振る姿は可愛いらしくて……けれども、本人が真剣だというのは目を見て分かるからシーグルは兜の下、口元で微笑みながらも目をどんどん細めていく。きっと自分も父親の前で得意になって剣を振っていた時はこんな顔をしていたのだろうと思えば、こうして息子が自分と同じものを目指して頑張ろうとする姿を見るのは……なんて幸せな事なのだろうと考える。 「……ね、おれも強くなったでしょ?」 少し息を切らして得意そうにキラキラとした目でこちらを見られれば自然と涙が出てしまって、顔が隠れていて良かったとこの時ばかりはシーグルも思った。 「はい、とてもお強くなられました。力強くて真っすぐで、陛下はきっとよい剣士になれます」 「ほんと? おれすじいい?」 「はい、このまま努力されれば、きっと強くなられるでしょう」 小さな少年王はそれに嬉しそうに満面の笑顔で応えてくれる。それがあまりに愛しくて見惚れてしまえば、後ろからやってきた気配がシーグルの肩に触れて軽く引き寄せられた。 「レイリース、シグネットをあまり褒め過ぎるなよ、調子に乗って強くなりすぎると守るメルセンが泣く事になるからな」 「おれ強くなるよ! メルセンより強くなる!」 セイネリアが笑いながらいえば、少しムキになってシグネットは唇を尖らせた。 「強くなってもいいが、お前は戦うなという約束をしたろ。お前の父親はヘタに部下より強かったから、前に飛び出していってしまって部下が相当泣かされたらしいからな。そこはマネするな」 笑いながら言ってくるその言葉は、シグネットに言っているカタチを取って自分に言っているのだろうな、とシーグルは苦笑するしかない。確かに戦場で飛び出して部下を泣かせたという自覚はある分、それに反論出来る筈もなく……セイネリアとしても、もっと自分の身を守る事を優先してほしいといいたいのだろう。 「レイリース様っ、お、お待たせいたしましたっ」 そこで丁度息を切らしてメルセンが帰ってきたからその話はそこまでになったが、セイネリアはやたらと機嫌が良さそうにこちらを引き寄せたまま頭を彼の方に寄りかからせようとしてきたから、シーグルとしては内心『やりすぎだ』と焦りもする。もしかして浮かれすぎて場所と状況を忘れてるんじゃないかと思いつつ、部下という立場を崩さないようにセイネリアから離れるのに、シーグルはそこで少々苦労をする事になった。 将軍一行がやってきた後、王やメルセン達とのやりとりを少し離れているところで見ていたのは、今日の護衛役である護衛官のシェルサとグスであった。 王の一番安全な場所は将軍の傍、というのが常識となっている現在、セイネリアが傍にいる段階で彼ら護衛官は王にぴったりついている必要はない。それよりもこの中庭を見渡せる位置にいて周囲に異常がないかを見ている事――中庭の授業でセイネリアがいる時はそうする事が決まっていた。 とはいってもつい先日の競技会の事があるから、シェルサとしては彼らのやりとり……特にレイリースの言動が気になってちょっとソワソワしてしまうのだが。 「……シェルサ、どうせ子供相手だ、ンな凝視してても適度に手を抜いた動きしかしてないし、お前が聞いて勉強になるような事も言ってないと思うぞ」 それを思い切り見透かされていたらしいグスの声に、シェルサは姿勢を正してから答えた。 「分かってるんですけど……その、いろいろ気になるのは仕方なく……」 「なぁにが気になんだよ」 「やっぱりその……あの方の剣を継いだ者として……そのご子息にどのように剣を伝えるのだろうか、とか」 「って、まぁだ陛下は彼に剣を教えてもらう歳になっちゃいねぇだろ」 グスは呆れて軽く笑い声を上げると、シェルサの背中を軽くたたいてくる。 「ですが、将軍閣下もレイリース様がいる時はご自分で陛下を抱き上げたあとほぼ必ずレイリース様にも抱くよう陛下をお渡しになるではないですか。やはりそこはあの方の剣を継いだ者としてそのご子息を特別に意識させているのではないかと……」 だがそこまで聞くと、グスの笑い声が唐突に止まる。シェルサが不審に思って年上の同僚をちらと見てみれば、先ほどまで気楽に笑っていた筈の彼は何か真剣な顔をして考え込んでいるようだった。 「……そうか、言われりゃそうだな」 呟いた言葉にはシェルサとしては疑問符が浮くだけだ。 「何かおかしい事が?」 「いや、言われりゃ確かに、あの将軍様は陛下をわざわざ彼に抱かせる事が多いなと思ってな」 「ですから、あの方の剣を継ぐ者として特別な……」 「あぁうん、まぁそうかもな。お前さんが思った通りなんじゃないか」 その言い方がなんだかとてもいい加減……というか話を流されたような気がして、シェルサの中には更に疑問符が浮かぶ。だがグスはそこで考え込むような顔は止めて、またシェルサの背中を叩くと少年王や将軍の方を向いて言ってきた。 「ほら、メルセンの坊主がまた相手してもらうようだぞ」 子供相手で手を抜くのは分かっていても彼の剣技を見たいシェルサとしては、そう言われればそちらに注意が行くのは仕方なく……結局グスが何を考え込んでいたのかを追及せずにその話はそれで終わってしまった。 --------------------------------------------- そんな訳でグスとシェルサのやりとりから今回の問題が……。 |