将軍様と側近時代の二人の話 【2】 翌日、空は快晴とは言えず曇っていたが、天候の神レサッドラ神殿の発表では雨は夜まで降らないとの事だった。 登城ではないから遅めに起きて、ゆっくりシーグルと二人でいつも通りの朝食を取ってからセイネリアは一人で馬車に乗って出かけた。行く先は南門から街の外へ出て水路――ではなく通称『南の森』。しかも入って少し行ったところで馬車を下りると馬に乗って併走してきたカリンから馬を借り、セイネリアは一人で森の中へ入って行った。 ――やはり、いるな。 追いかけてくるように空を飛ぶカラスの姿を認めながらセイネリアは馬を森の奥へと進ませる。そうして程良くひらけた場所まできてから、セイネリアは馬を下りて草の上へと座り込んだ。 一人でこんなところにいるのは久しぶりだと思いながら、暫くは目を閉じて風や木々のざわめき、鳥たちの声に耳を澄ます。森の番人の元にいた頃を思い出して懐かしさを感じる辺り、自分も随分普通に人間らしくなったじゃないと思う。 だが、そうして暫く過ぎて。人の気配を感じたところでセイネリアは目を開いた。 ――きたか。 「久しぶりだな、復讐者」 まだ姿を現さないその人物に声を掛ければ、彼は諦めて森から出てくる。 「何の用だよ」 返せば男は頭を掻きながら、セイネリアとはまだかなり距離があるところで座り込んだ。 「悪いが顔は隠したままにさせてもらうぞ。本物だと証明出来ないが」 「いーよ、あんたの顔が見えないぐらいで偽物だなんて勘ぐったりはしないさ、で将軍様は俺に何が言いたいんだ?」 「それはこちらのセリフだ、言いたい事があるのはそっちだろ?」 セイネリアは軽く笑ってやる。確かに親書を送って今日直接ここへ呼び出したのはセイネリアだが、10日程前からずっとこちらを探っていたのは向うの方だ。同じ気配の鳥がずっとこちらを見張っている――確か鳥使いが彼らの仲間にいた筈だった。 「最近随分こちらを気にしているようだから少々うっとおしくてな、言いたい事があるなら聞いてやろうと思っただけだ」 それにはチッと舌打ちの音が聞こえて、だがすぐに男は観念してこちらを見て来た。男の名はジャム・コッカー。かつてセイネリアのもとにいたある騎士の昔の仲間で、その騎士が死んだ事を恨んでその復讐にシーグルを利用しようとした男。 だが彼は結局シーグルに何もしなかった。それはおそらくシーグルに情が湧いたからと……シーグル自身に何もしなくてもセイネリアに対する『復讐』は果たせると彼が気づいたから。 「……あんたは俺らがリシェのシルバスピナ家に雇われてるってのは当然知ってるんだろ」 「あぁ、ついでに言えばあのチビ神官にお前達が協力してシーグルの家族を助けたのも、その後もずっとリシェの反王勢力に協力してたのも知ってる」 ジャムはまた大きなため息をついて、胡坐を掻いた膝の上に肘を置いて顔を乗せた。 「まぁ、だろうなとは思ってたけどさ。で、知っててずっと放置してたのは何故だ」 「お前達のしている事はこちらにとって都合が良かった、なら排除する必要などないだろ?」 「だが俺らはあんたを恨んでる、いつ逆にあんたの不利益になる事をしでかすんじゃないかとは思わなかったのか?」 「それはないだろ」 「どうしてだ?」 「お前がシーグルの為に動いているのは明白だった、なら俺の不利益になる事はあり得ない」 それには暫くの沈黙が返って……それから彼の笑い声が聞こえてくる。 「あぁ本当に……聞いちゃいたがすごい惚れっぷりだな」 「あぁ、あいつの所為で俺の人生は変わった」 「愛してたのか」 「あぁ……何よりも、あいつだけを」 「……だよな、その為に王様倒すくらいなんだからな……て、本当にそれは全部……」 「勿論、全てあいつの為だ」 それにジャムはまた笑う。ただ今度は笑うというよりも少し嗚咽が混じったように、掠れて裏返ったような笑い声だった。 「なら今のあんたは、俺らがあの時言った『復讐』の意味を理解した筈だ」 その声には笑いはない。セイネリアは目を閉じた。 「そうだな……身に染みてよくわかったさ。お前の復讐は為された。……確かに、あの時点でシーグルを殺されていたなら俺はそれを自覚できなかっただろう。だが今は分かる、それくらいには苦しんだ」 勿論彼はシーグルが生きている事を知らないしセイネリアの事情も知る筈がないから、セイネリアの感じた本当の苦しみも喜びも分かる筈はない。けれど彼が『復讐』と称して何をセイネリアに味わわせたかったのかは今では分かる。 「あの時点のあんたは大切なものを失った事がなかった。そのあんたにどれだけ恨み言を言ったって理解できはしない。だがあの時……あんたはシーグルを愛し始めていた」 「そうだ」 だからこの男はシーグルに何もしなくていいと思った。 誰も人を愛した事などなかった男が初めて人を愛し始めている。けれどそれは拒絶されるだけで絶対に叶う事のない想いだとこの男には分かっていた。あの時点でシーグルを殺すより、シーグルを愛したと気づいた時の苦しみの方がよりセイネリアを苦しめる事が出来る――だから彼はソレを待って首都を大人しく去ったのだ。 「あんな苦しみも恐怖も、あいつを愛する前は知らなかった。自分で自分のポンコツぶりに絶望するなんて前の自分なら想像も出来なかった経験もしたぞ」 呟きには自嘲が乗る。ジャムは何も言わなかった。その場で動かず、ただ座っている。セイネリアも座って目を瞑ったままただ風を感じていた。 頭の中によみがえるのは愚かだった自分。彼を失いたくなくて、足掻いて、耐えて、勝手に傷ついて、そうして彼を傷つけた。何度心臓が止まる想いをしただろう、何度全身の体温を感じない程心が凍える想いをしたろう。確かにどんな復讐をされるよりもそれは辛い想いだった。 だが勿論、それだけはない。 「だがな……その苦しみを全て上回る喜びも感じる事が出来た。何も感じ無かった心に熱を感じた、幸福というものを知る事が出来た。だからきっと……あの時の貴様に俺は礼を言うべきなんだろう」 ずっと黙っていた男がそこでぶっと吹き出すようにして笑いだした。今度はただ単純に面白い冗談でもきいたかのような馬鹿笑いで、思わずセイネリアもつられて口を笑みにゆがめた。 「確かにあんたは変わったな。恐怖の化身の将軍閣下の中身はそんなに変わってたのか」 「そうだな、あの頃の俺とは別人かもしれん」 そこで笑いながらジャムは立ち上がった。 「そっか――なら、あんたを信じてもいいかもな」 セイネリアは目を開く。ジャムがこちらに歩いてきていたからセイネリアも立ち上がった。 「俺だってさ、逆恨みだってのは分かってたんだよ。それに死んだリオだって、俺があんたに復讐したって喜ばないのは分かってた。あいつはあんたを愛してた、あんたの為に自ら死を選んだ。そんなあいつが……あんたが酷い目にあって嬉しいなんて思う筈ないよな。しかもそれが自分の所為なら絶対嫌な筈だ。……だから、あんたに復讐したかったのはただ俺で、俺があんたに嫉妬して、一方的に恨んでただけだってのも分かってた。でも絶対にあんたを許せないと思ってた……なのにな」 ジャムの瞳に涙が光る。彼は曇り空から僅かに覗いた青色を見つめて苦し気に呟いた。 「シーグルの為に動いて、沢山の人と知り合って、助けて貰って助けてさ……そうしたらなんだかあんたを恨んでた自分が綺麗にいなくなってた。あんだけ憎んでたあんたがやってることが全部シーグルの為だって思ったらさ、そのために働く事が癪だとかそういう思いをまったく感じなくて……うん、俺もあいつの事好きだったから、あいつを好きな連中の事は助けたいし、そのために働きたいとしか思わなかったんだ」 「つまり、お前の今の行動はやはりあいつの為という事か。なら俺もお前を信じよう」 ジャムは笑う。それからゆっくり、妙に芝居掛かった動作で頭を下げた。 「将軍閣下、俺はあんたの部下じゃないが、この国があんたの望むようになるために働こう。それはきっとシーグルが望んでた……よりよい国になる為だろうから」 セイネリアも笑みを返して、黙って頭を下げたままのジャムを見てから背を向けた。それから馬を呼んでそれに乗れば、やっと彼は顔を上げてセイネリアを見た。勿論、笑顔のままで。 「そういや最後にもう一つ聞きたい事がある」 「なんだ?」 返事と共に馬上から彼を見下ろせば、彼が笑みを消して聞いて来る。 「今、あんたの傍にいるレイリースって騎士の事なんだが」 一瞬、まさか、とは思ったが、勿論その動揺を彼に見せるセイネリアはでない。 「もし、そいつに何かがあったら、今度はあんたは助けにいくのか?」 「当然、行くに決まっている」 少しの間も置く事なく即答で答えれば、ジャムはにっと歯を見せて苦笑した。 「あんた本当に随分人間臭くなったじゃねぇか」 ――あぁ、まったくだ。 おそらくジャムが聞きたいのとは意味が違う事は分かっている。彼はレイリースがシーグルである事を知らない。セイネリアもレイリースがシーグルでなかったらどうするかなんてわからない、言葉の意味は同じでも本当は内容が食い違っている事は承知の上だ。 ただ最終的な感想はセイネリアも彼と同じなのだから面白い。 ――本当に、随分俺も人間らしくなったものだ。 今ならジャムがセイネリアを恨んだ気持ちが理論ではなく感情で理解できる。彼の後悔と恨みと哀しみを想像出来る。それは恐らく、自分が他人を愛する事を知ったから。だから、彼の復讐の意味が分かる、けれど同時にその苦しみを感謝出来る程の幸福を知っている。 セイネリアは、馬の向きを一度彼に向けてから言った。 「ジャム・コッカー。そのうち将軍府に仲間をつれて来るといい。あそこの敷地内にリオの墓がある。お前達がきたらそこへ案内するように言っておく」 ジャムの顔が驚愕に見開かれる。けれどもすぐにそれは崩れて泣き笑いのような表情になり、そうして彼はその場で再び頭を下げた。 「あぁ――必ず行く」 セイネリアはそれには何も言わず馬首を森の外へと向けた。 --------------------------------------------- 一応ここの話が今回のメインではあるんですが……結局はいちゃいちゃしてるところが文章的には多くなるのですよ。 ってことで次回はまたいちゃいちゃ。 |