【1】 北の大国クリュースに、新政権になってから数度目の春が来た。 春といえば、最近では聖夜祭に次ぐ国の一大行事である現王シグネットの即位記念日を祝う式典がある。厳しい冬が明けた春の訪れと共に行われるそれは年々規模が大きくなっていて、今では恒例となった街人達が自分の家を花で飾る事も周囲と競って年々派手になっていた。祭見物の楽しみに家々の飾り付けも上げられるくらい、人々の祭りに対する気合いの入り方も上がるばかりだ。 自身の即位記念であるから、少年王も必ず式の最初と終わりに国民に一声掛ける事が習わしになっていて、最初は子供らしいほんの一言だけで周囲を和ませてきたそれが、年齢が上がると共にちゃんとした内容になっていくのも彼の成長を見守る国民達に取って楽しみな事であった。 ただ、年齢が上がってもちょっとお茶目な少年王は、形式ばったちゃんとしたスピーチを言うようになってからも最後は必ず少しラフな言葉で締めるのがお約束になっていた。『まー皆固い事はなしで楽しんでくれなっ』と最後に言ったその年にロージェンティに後で怒られ、その次の年の最後の言葉が『ハメ外し過ぎて俺みたいに怒られないようになっ』で締められたというのは有名な話だ。ただ以後は国民が楽しみにしているのもあってロージェンティも文句を言わなくなったので、毎年春が近づくとシグネットは最後に何を言おうかと側近達に相談するのが恒例行事になっているらしい。 今年の春も無事式典は終わり、人々は日常に戻っていく……のだが、ここ将軍府ではいつもの平和な日常に戻れない事件が起こっていた。 「えーと……あの女性は誰だ?」 「てか、マスターと平然と話すってだけでもえれぇ度胸のある女傑っていうか……いや、若いのに肝の座った娘さんだな」 「すっさまじく似合わない組み合わせなんだが、一体何があったんだ?」 式典が終わって平常運転に戻った将軍府の中、将軍セイネリアがいかにも貴族といった若い女性を連れて歩いていた。どうやら将軍府の案内をセイネリアが自らしているようだというのは分かるが、何故そんな事になっているのか知らない元傭兵団の者達は勿論、将軍府付きの兵士連中もこの異常事態に騒然としていた。 話は少し戻ってそもそも式典前、近隣国から続々やってくる客人の中には、もう毎年の顔となったレザ男爵がいた。いつも通り男爵自身は将軍府に泊まる事になっていたからセイネリアが出迎えにいけば、彼はセイネリアに国から連れてきたとある女性を紹介したのだ。 それが、タニア・ステック・ダナン嬢(二十歳)。今では友好国となったアウグの王から紹介された……早い話が将軍セイネリア・クロッセスへの花嫁候補という訳だった。 「いや……そりゃまぁ、王様本人はまだ子供な上に許嫁がいる訳で、となりゃ独身の将軍様に白羽の矢が立つってぇのは分かるけどよ」 エルが盛大なため息をついてから顔を引きつらせてそう呟く。 状況が状況だけに今日はセイネリアの執務室で留守番をして書類整理をしていたシーグルは、それでやっと顔を上げてエルの方を見た。 「かつての敵国が友好国となった場合、当然出る話だろう。今までなかった事の方がおかしいくらいだ」 いやエルだって貴族様ではないがそのくらいは分かっている。分かっているが、つっこみたいのはそれにまったく平然としているシーグルの態度の方な訳で……ただそれも言ったところで無駄な気がしてエルは少し話の方向性をずらす事にした。 「そりゃ話がきた段階でマスターは断ってたんだろうさ。あの人に(おそらくとんでもなく嫌そうに脅され半分で)断られて、それでも強引に話を進めようって気には普通ならねーだろ」 「だからレザ男爵が連れて来たんだろう。一応セイネリアとは個人的に友人である、という事になっているからな」 エルは顔を引きつらせて、今では弟という事になっている、主に溺愛され過ぎている青年の平然過ぎる顔を見つめた。 「いや……そういう話じゃなくてな。……ってか、レイリース、お前はどう思ってるんだよ」 エルの訴えに、だが答えるシーグルはどこまでも冷静だった。 「しかるべき地位にいる者として結婚は義務だ。幸い、彼女は軍事国家アウグの出らしく、考え方もあいつと合うし結構うまくやっていけるのではないか。少なくともクリュースのどこかの貴族令嬢を押し付けられるよりはあいつの妻としては相応しい女性だと思うが」 それを本当に当たり前のようにさらっと言ってしまう彼の態度にはつっこみどころがあり過ぎてエルの方が頭が痛くなる。いやそれ以前に、なんだかセイネリアに同情さえしたい気分になってくるのは何故だろうとエルは思った。 「あぁうん、貴族様としての義務やらなんちゃらはこの際おいておいてだ、お前自身がどう思っているかって話だよ、マスターが結婚したら自分の立場はどうなるんだ、とか考えないのかお前」 「俺の立場は変わらないだろ」 「変わらない……って、いうと……」 「変わらないだろ、あいつにとって俺に代わるモノはないし、俺にとってのあいつも変わらない」 エルは本気で頭を抱えた。これは愛されてる自信があるからって奴なのかとも思うが、それでここまで言い切るのはこの青年にしてはちょっと違和感もあるし、となると貴族としての価値観の違いなのかとも考える。 遠まわしに言ってもだめだと判断したエルは、だから今度はハッキリ聞いてみた。 「ってぇいうか、お前はマスターが女と結婚したら嫌だなとか思わないのか?」 だがやっぱりシーグルの返事はどこまでも冷静だった。 「それを言ったら、そもそも俺が結婚しているのにあいつに結婚するなとは言えないだろ」 「え……あぁ、そりゃそうだ、じゃなくってなっ。マスターが女とべたべたしてたりしてイラっとしねーのか?」 一瞬納得しそうになったエルだが、いやいやそこじゃない、と自分に突っ込んで言い返す。 「それでいちいちイラついていられるか、あいつと関係があった人間の数を考えてみてくれ」 「いやそりゃもっともだ……いやそれでもだなっ、なんていうか、自分が一番じゃなくなるかもしれない、とか考えたら不安にならねーか?」 ここでもまた納得しそうになったエルだが急いで言い換えれば、今度は少しは通じたのか、彼はその端正な顔の表情を曇らせて考え込んだ。 「一番……いや、こういうのは順位をつけるものじゃない、妻や家族を愛するのと、あいつと俺の愛しているという感情は別のものだ」 その声はその前までの平然とした様子と違って少し自信がなさそうで……だからエルもまだ考え込んでいる様子の彼にそれ以上追及するのを止めた。 シーグルという人間は、いつでも人を愛して生きていた。子供の頃は家族を、当主となってからは部下や領地の人々、そして妻も、息子も。ともかく大切で愛しい人々の為に彼はいつでも生きていた。 対してセイネリアは誰も愛せなかった。愛し方を知りもしなければ、どういうものが愛なのかというのさえ知らなかったのかもしれない。そんな彼はだからシーグルのような『愛』というものを使い分けるような器用な人の愛し方は出来ない。あの男の愛は、ただひたすら一直線にたった一人だけに注ぐ唯一のものだ。 その分重く、他の何者にも向けられない。それをシーグルが分かっていない筈はないとエルは思う。 ――やっぱり自信があるのか、それとも信じてる、とかかね。 セイネリアの愛情の深さを知るからこそ、それが他に向けられる筈はないと彼は思っているのだろうか。それならそれで結婚する事自体を否定しそうだとも思うのだが。なにせ最初から『愛』のない結婚を肯定するような性格には思えないし……いやでも貴族の常識としてはそれはおかしくないのか。考えてもエルには分からなかったが、分からなくても当然かと、途中でもう考えるのを放棄することにした。 いくら状況がどうであれ、どうせあの男が最愛の青年がいる上で結婚なんてする筈がない……結局はそう思ったからだが。 --------------------------------------------- 一応シーグルの嫉妬話です。最初はいつも通りのシーグル、ですが……。 |