【11】 翌日、タニアはセニエティを発ち、アウグへと帰る事になった。 急ではあるがそれは一昨日の夜から彼女に言われていた事で、それもあったからセイネリアは昨日も一日彼女に付き合ってやったのだ。勿論、嫁入りする筈が来てすぐに帰る予定を公言する訳にはいかないから、知っていたのはセイネリアだけではあったが。 「本当に、こんなにあっさり帰してしまって良かったのか?」 いつも通りの将軍府の執務室には、今、少なくとも通常会話の声が届く範囲にはセイネリアとシーグルの二人しかいない。この二日で将軍府の事務仕事がかなり処理された所為もあって、後はセイネリアの確認と承認待ちという書類が山のように積み上げられ、今日一杯セイネリアは事務仕事に追われる事が確定していた。 「なんだ、まだお前は俺が結婚すべきだという気か?」 聞いてみれば、シーグルの声が小さく返る。 「……いや、それは……言わない、が」 セイネリアは唇が歪むのを抑えられない。なにせ彼の本心を聞いた今では、今回の件は何を言っても全部笑える話になる。 「ただ、彼女の事情を考えるなら、せめてもう少しこの国で羽を伸ばして行いけば……と思っただけだ」 「知っていたのか?」 「あぁ、レザから聞いた」 成程、と呟いて、それから一度ペンを置くと、セイネリアは体を起こして背もたれに背を預けた。 「彼女が急遽帰る事になった所為で、この件の責任者であるレザも当然帰らなくてはならなくなった」 「あ、あぁ、そうだな」 「だがレザは、少なくともある程度の長期滞在のつもりだったから、既に冒険者として仕事を入れてしまった」 「そういえば、そうだったな」 「だが幸い、仕事は北のゾネック山で、ここからアウグに向かう途中だと言ってもいい」 「……そうだったのか」 まだ話の繋がりが分からずどこかぽかんとした様子で聞いているシーグルに、セイネリアは意味ありげに笑って見せた。 「で、だ。ならばウィズロンなら警備体制は万全であるし、ゾネック山にも近い。タニアはウィズロンでレザの仕事が終わるまで待っていて貰えばいいじゃないかとレザに提案したのさ。仕事の終了報告も、ウィズロンの事務局で終わらせられるように手配しておいてやる、と言ってな」 「そうか、つまりお前、タニア嬢をラタに押し付けたのか」 「そういう事だ」 だがそれを言った時のセイネリアの笑みに、シーグルは違和感を感じたらしく微妙に首を傾げた。それからやっと気づいたのか、彼は顔を顰めるとやけに疑わし気な視線を向けてくる。 「まさか、お前……」 「やっとわかったか、そのまさかだ。まさにラタのやつに押し付けたのさ」 シーグルが頭を押さえ下を向く。セイネリアは軽く笑い声を上げた。 シーグルは最初、単にタニアの世話役をラタに押し付けたのか、という意味で言ったのだろうが、実際はラタに嫁候補としての彼女を押し付けたという事に後から気づいたのだ。 「あいつは真面目に俺の代わりにタニアをもてなしてくれるだろう。タニアにもあいつの事はちゃんと信用出来る男だと言ってあるから、滞在期間、たっぷり二人で話をして仲良くはなってくれるだろうさ」 「そんなに上手くいくか?」 「さぁな、だが確率は高いぞ。タニアはいい女だ、そしてラタもいい男だ、俺がそう判断するのだから気が合わない筈はない」 シーグルは益々顔を顰めるが、セイネリアには自信があった。 「それに境遇的にも互いに共感するものもあるだろう。どちらも夫婦というより協力者という関係の方が上手くいくタイプの人間だ、お似合いじゃないか?」 実を言うと、ラタからは総監督官についた直後から、アウグとクリュースの両方から結婚話が多すぎて嫌になっているという愚痴を会う度に聞いていた。それでも彼が結婚しなかったのは理由がある。ラタは総監督官の地位と共にアウグ王からラクザ伯を名乗る事を許可されたものの、元のラクザ領も返還させようと言った王に辞退を申し出ていた。それは現在ラクザ領を持っているヴァンダン家の跡取りとなっているのがラタの姉の子であるからで、ならば無理に取り返す必要はないと判断したからだった。 だからこそ結婚相手はかなり慎重になっていた。なにせアウグ王は、それでもラタに元ラクザ領を相続する権利は残しておくと言ったからだ。ラタとしては現在の地位だけで十分なのだが、結婚した相手が子供の為にその権利を主張しだしたら困る。ならいっそ、結婚はしない方がもめ事が起こらなくていい――という彼の事情をセイネリアは知っていた。 それもあって、あの若い女領主であるならラタも折れるのではなかと思ったのもある。ついでにタニアにはラタの事を話した後、はっきりと『気に入ったなら落としてやれ』と言ってやった。彼女の立場的にも、ラタなら彼女の後見人達も文句を言えないだろうし、なによりクリュースに好きなだけいる事が出来るようになる。 『貴方が保障するというのならさぞ期待していいだけの男ではあるのだろう。確かになかなかハンサムではあったし、アウグの貴族でありながらずっと冒険者をしていたという過去も気に入った。性格的には……男爵のような男だろうか?』 今朝出立前に会いに行った彼女との会話で、彼女が言っていた言葉をセイネリアは思い出す。 こちらへ来る時はウィズロンに迎えが行っていたから、滞在する間もなく彼女は首都にやってきていた。アウグからの賓客ではあるからラタも出迎えには出ていたが、挨拶で一言二言話しただけであったらしい。 『……いや、あれよりずっと上品で真面目で、更にレザのような下半身男ではない』 『ほう、それは確かにいい男だ』 『だろう、お前がいい女だから特別にお前が落とせるよう協力してやる』 それにタニアは笑って、それから向うも少し嫌味を込めてこちらに言ってくる。 『違うな、昨夜はさぞいいことがあったのだろ、上機嫌だというのは見てすぐ分かるぞ。……だからこその私への礼でもある、というのではないか?』 『さぁ、どうだろうな』 『まぁいい、貴方にいい女と言われたのは嬉しかったからな。だから……ありがとう』 言って彼女はセイネリアに抱き着いてきたから、セイネリアは彼女の額にキスをした。タニアはそれから笑顔で待っているレザのもとへ向かっていった。 「――確かに、ラタと彼女は……合う、かもしれない、な……て、おいっ」 考え込んだ末のシーグルの呟きにセイネリアは席を立ちあがると、気づいた彼に逃げる暇を与えず抱き込んだ。 「何してるんだお前はっ、まだ休憩時間じゃないぞっ」 「昨夜のお前を思い出したら耐えられなくなった。触るくらいは許せ」 「お前の触るだけは絶対それで終わらないんだっ、やめろ、離せっ」 暴れる彼を抑えて、顔のあちこちにキスをして、彼の肩口に鼻を埋めて、セイネリアは笑う。 「馬鹿、どこ触ってる。服の中に手を入れるなっ」 頭を強引に引き離そうとシーグルの手がぐいぐい押してきたから、セイネリアは彼の耳たぶを噛んでその中に囁いた。 「お前が望むなら、お前が俺の一番だという事を、いつでも、好きなだけ思い知らせてやるぞ」 シーグルの顔が耳まで熱くなるのがセイネリアには分かった。 --------------------------------------------- セイネリア楽しそうだな。 |