幸せぽい日常――夏の特訓編――




  【8】



「元気そうで安心しました」

 穏やかに笑っていうこの男が、貴族共ご用達の暗殺者斡旋業の元締めだとは普通はまず思わないだろう、とセイネリアは思う。もっとも穏やかな笑みだけを言うのなら前ボーセリング卿もそうだったが、あれは腹黒さがにじみ出ていたから鋭い人間なら騙されなかった。
 だがこの男の場合は、本気で悪意がないからまず普通は善人にしか見えない。
 人を殺すのも、人が死ぬのを見るのも、この男の感情は動かない。暗殺者の斡旋も、仕事であるから悪意はない。この男も自分と同じく、感情がどこか壊れている人間だ。
 ただし、今は前よりずっと人間らしくなったというのはお互いそうでもある。

「あのフユが……随分変わりましたね」
「あんたの下にいた時から変わってきたんだろ? なにせ依存する人間は見つけていたんだからな」

 それに現ボーセリング卿である男はやはり穏やかな笑みを浮かべる。

「そうですね……ですが、前は自分の事をどうこう言われると話を逸らすような子でしたから。……自分が変わったと自分で認められるのが一番大きく変わったところだと思います」

 かつて前の狸親父を蹴落としてこの男がボーセリング卿になるのにセイネリアは手を貸していた。それ以外にも彼とは約束している事があるから、自分に対しては特に彼は表情が柔らかくなる傾向があった。

「フユもあんたも……少なくとも化け物には見えないな」
「それは貴方基準だからでしょう」
「だが少なくとも、あんたも今はそこまで自分を恐れていないんだろ?」

 すると一瞬、男の笑みが口元から消えて、だがすぐそこには自嘲が浮かぶ。

「それは貴方のおかげです。何があっても任せられる人間がいれば気が楽ですから」

 ボーセリング家――貴族たちへ暗殺者の斡旋をしてきたこの家には秘密がある。最初にそんな仕事を始めようとした当時の当主はまず優秀な暗殺者を手に入れるため、魔法使いに自分の子供達を実験材料として差し出した。そうして魔法使いの手で人外の身体能力を手に入れられた数人が最初のボーセリングの犬となったという訳だ。
 ただしその能力が遺伝するかは運任せで、しかもその能力を引き継いだ者は精神的に不安定という特徴があった。だがそれは依存する人間が一人つけば安定するという事で……この目の前にいる男にも、たった一人の特別な存在がいる。

「……前だったら今のセリフにむかついたところだろうな」

 この男がセイネリアとした約束は、この男がおかしくなったら殺してやる事だった。もしセイネリアが誰かと同じ約束が出来るのなら、どれだけ気持ちが軽くなるか、それが分かる。わかるからこそ、それで安堵の笑みを浮かべるこの男にむかついた訳だが。

「貴方と私は似ていると思っていましたが……結局は貴方にも、たった一人の大切な人が必要だったのですね」
「そうだな……そんな人間はいないと諦めていたんだが……」

 不老不死の自分と共にずっといられる人間はいない。だから彼らのように依存する人間さえいれば、という条件は無理だと思っていた。
 だがそこでセイネリアは、目の前の人間が穏やかな笑み……というより、やたらとにやにやと楽しそうにこちらを見ているのに気が付いた。だからわざと、嫌味っぽく言ってやる。

「誰かに依存した事で安定したという部分は似てるかもしれんが、お前達と俺では相手に望む条件が違い過ぎるだろ。俺はお前達の好みがわからん」
「ははは……まぁ、そうでしょう」

 フユの依存する相手がレイでどうしようもないポンコツなのは言うまでもないが、この男の依存する人間――彼の妻は、いわゆるドジっ子的な人間である。どうも彼らは、そういうちょっと抜けてる人間が好みらしい……まぁわからないこともないが。騙したり嘘をつくなんてことを考えもしないような人間、という意味でなら確かに安心して依存出来るのだろう。

「でもだから見つけるのもそこまで難しくもないんです。……貴方の好みは無理すぎます。貴方に対して負けない人間、てところでしょうか?」
「そうだな」

 セイネリアに対して決してひれ伏さず屈しない人間。同等の力を持つ……とまではいかなくても、精神的に負けずに自分と同じ位置にいてくれる人間。今ならわかるが、セイネリアはずっとそうして自分と同じ位置に立ってくれる存在が欲しかったのだ。シーグルはそれだけではなく、一度だけとはいえ実際セイネリアに勝ってみせた。

 互いにそこで黙っていれば、暫く沈黙が流れる。
 そうすれば現ボーセリング卿である男は、少しふざけた口調で言った。

「それにしても、やはりフユをそちらに渡したのは少々惜しかったと思っています。あの子には私の仕事を継いでもらいたかったのに」

 ボーセリングの血を受け継ぐ者は、その能力や適性によってボーセリング家を構成する役目が与えられるという。基本的に高い能力が現れた人間は『犬』になるか、国の特殊な役目を担う任につくかだが、この男がやっていた犬達の指導係、いわゆる『先生』と呼ばれるのは、その中で一番精神が安定している者の役目らしい。
位は基本血縁の者である。フユもやはりボーセリングの血を引く並外れた身体能力を持つ人間の一人で、比較的精神も安定している方だからか次期の『先生』候補であったらしい。ただ彼の見つけた依存先の人間が『犬』候補で、しかも同性だった事で、そのままボーセリングの下に置いておく訳にはいかなかった。
 だからセイネリアはフユをレイごと『買う』事が出来たのだが、ボーセリング家にとっては実際かなり持っていかれるのは痛かったらしい。

「でも面白いものです。こちらで『先生』と呼ばれる予定が、貴方の下で結局先生役をやっているのですから」

 フユがボーセリング家の血筋の者である事も、それがかつて魔法操作で並外れた身体能力を持った者の血である事も、そうしてそのままボーセリングの犬であればやがて指導役になっていただろう事も、フユ本人は何もしらない。彼が本気で調べようとすればわかるかもしれないが、彼は自分の出生に興味はないから調べようとはしない、とほぼ断言できる。

「まったくだな」

 勿論、セイネリアも彼に教える気はなかった。
 彼にとって今が満足できる状況なら、彼が何者であるかなどどうでもいいことだろうから。






 さて、無人島の特訓から帰ってきて前に比べて確実に逞しくなった弟子達であったが、違う方向で逞しくなった部分があって少々フユを困らせていた。

「師匠っ、川で魚を取ってきてもいいですかっ」
「釣りスか?」
「勿論っ、これでっ」

 と意気揚々と島で使ったような槍を持ち上げてエリアドが胸を張る。

「川ってぇと、サンレイ・エシロ川っスか? あそこは泳ぐようなところじゃないスよ、水が綺麗とは言い辛いスから、あそこの魚を食べるのも勧めないスね」

 ここから一番近いサンレイ・エシロ川はこのセニエティの外周をぐるりと囲む堀の水が流れ込んでいるので水は綺麗とは言い難い。なにせ堀には定期的に町を掃除して流す水が流れ込む訳だし、物を捨てる奴もいる。

「じゃぁちょっと行った先の本流のほうならっ」
「あっちはまだマシっスけど、流れ的に釣りならともかく潜って槍でつくようなのは無理っスよ。そういうのがやりたいなら上流いかないとっスね」
「……じゃぁ、お城の湖とかは」
「当然、入ったのが見えたら警備がすっとんでくるスね」
「なら、リシェまで行けば海が……」
「あっちは港っスからね、軍港でもあるスから、釣りならいいスけど堂々と泳いでたら怒られるスよ」

 それでがっくりとエリアドは肩を落とす。エリアド的には無人島での金がなくても自力で食べ物をとってくれば生きていけるという生活が性に合っていたらしい。町でスリをやってどうにか生きてきた彼にとっては、犯罪などしなくても自力で生きていけるのが相当に嬉しかったのだろう。
 だからこうして町に帰ってきても、食べ物を自分で取ってくる生活というのをやりたいようだった。

「というか別に自力で魚を取ってこなくてもここにいる段階で食い物に困る事はないっスよ」

 と言えば、少年は少し寂しそうに下をむいて答える。

「でも……出来れば自分で自分の食い扶持くらいは……さ」

 レイの作ってくれる料理もお菓子も大喜びで平らげる彼らだが、ただ与えてもらうだけには居心地の悪さを感じるくらいのプライドはあるらしい。……こういう子供だから、フユもこの弟子達に見どころがあると思っているのはある。
 フユはエリアドの頭を上から押さえると、少々乱暴に撫でまくった。

「それは全部出世払いで返してもらうスからいいっスよ。今はそんな事考えるより、少しでも早く俺の仕事を引き継げるように努力してほしいもんスね」
「ふぁいっ、でもっ、師匠に追いつける気がまったくしませんっ」

 乱暴に頭をなでくりすぎて、エリアドの頭がぐらぐら揺れる。

「なぁにいってんスか、いくら2人がかりでも俺に追いつける訳ないじゃないスか」
「う、えぇぇええっ?!」

 フユはぐしゃぐしゃと撫でていた手を止めた。そうすればエリアドが顔を上げてこちらを見てきたから、いつも通りにっこり笑って言ってやる。

「ですが2人なら出来ても1人じゃ出来ない事はどうしてもあるスからね、お前達はそれを上手く使って俺に出来ないやり方で俺の仕事を引き継げるようにすればいいんスよ」
「はいっ」

 エリアドの返事はいつも通り、元気一杯で気合一杯だ。

「ところでノーマはどうしたんスか?」

 そう聞けばいつも元気な弟子の少年はちょっと困ったように顔をひきつらせた。

「あーその、レイさんが熱に浮かされてへんな歌歌ってるんですが……傍にいて適度に相槌打っておかないと……その……余計騒ぐんで……」

 フユは笑顔のまま一瞬止まった。本当に一瞬だけだが。

「仕方ないっスね、俺が行ってちょっと大人しくさせますか」
「師匠っ、お願いしますっ」

 まぁこんな日常も悪くない。むしろ楽しいと今のフユはちゃんと自覚出来ていた。


END.


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 そんなとこでやっと終わりです。だらだら馬鹿話やってたりとかで思ったより長くなりました(==;;最後は黒の主の方に合わせてボーセリング家とフユの設定をお披露目。
 



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