知らなくていい事
将軍と側近での二人。二人のいちゃいちゃ+セイネリアが裏でちょっと動きます。



  【1】



 将軍府の朝――というか将軍府の主である将軍の朝は、いつもこの声から始まる。

「おい、いい加減起きろ」

 毎朝毎朝不機嫌そうにそう言われて起きるのは、普通の人間ならば少しはうんざりしてしまう事かもしれない。だがしかし、誰もが恐れるクリュースの将軍であるセイネリアにとってはそれが当てはまらない。何故ならそう言ってくる声はセイネリアにとって何より愛しい者の声であり、その声で起こされるという事はその彼が今日も自分の腕の中で眠っていたという事なのだから。

「おい、寝たふりは分かってるんだぞ、いい加減起きてくれ」

 体を揺らしてくる程度の内はまだ本気でなくて、その内腕や顔を叩いてきたり髪を引っ張って来たり、更には蹴ってきたりもするがセイネリアは目を開けない。そこから先は彼の機嫌次第で、本気で機嫌を損ねると頭突きをしてきたり、低い声で今夜は絶対一緒に寝ないと言い出すのがいつもの流れだ。
 ただ前日ベッドに入って即寝てしまったとか、彼の望みを聞いてやったとか、そういう彼にとって後ろめたい理由があったり、あとは本当に稀に彼の機嫌がやたらいい時はそのまま諦めてもうひと眠りしてくれる事もある。

――夕べ付き合ったから、今日はそういかないだろうが。

 思った通り、そこで諦めてくれなかった彼は、そこから本格的に怒りだした。

「セイネリアっ、さすがに起きるぞ。……今日は城に行く日だ、寝坊して時間がなくなったら俺は馬車に乗らずに馬に乗っていくからな」
「何故そうなる」

 目を開けず、体勢も変えずに声だけ返せば、大きなため息をついてからシーグルが言ってきた。

「その方が気兼ねなく馬車を飛ばせるだろ。というかそもそも側近なら一緒に馬車に乗らず馬で並走する方が普通だ」
「お前の分無駄に一頭、馬が必要になるだけでメリットが何もない」
「お前、御者に馬車があまり揺れないように飛ばしすぎるなと言ってあるだろ。そうだよな、揺れすぎると俺にあれこれ出来ないからなっ。なら俺が乗ってなければ飛ばせるだろっ」

 勿論このやりとりの間もセイネリアは目を閉じてシーグルをしっかり抱きかかえたままだ。たださすがにここで起きないとシーグルが言った通り馬車に乗らなくなると判断して、セイネリアも目を開けて腕を緩めた。
 途端、がばっと勢いよく、逃げるようにシーグルは起き上がって即ベッドから出た。

「まったく、毎朝毎朝、なんでこんなやりとりが必要なんだ。起きてるならさっさと起きあがって行動したほうが時間効率がいいだろ」
「起きててもベッドの中にいるのが心地よいのだから仕方がない」
「いかにも怠惰な人間のセリフだな、それはっ」

 言って彼はさっさと顔を洗いに水場へ行ってしまったからそれ以上反論はしない。毎朝同じようなやりとりをして、毎朝怒っている彼だが、それでも彼も分かっている――セイネリアがいつまでもベッドから起きたがらないのは別に寝ていたいからではなく、腕の中にシーグルを抱きしめて密着していたいからだというのを。

――だからこそ、自分が無理矢理にでも起きれば俺も起きると分かってるんだろうが。

 毎朝同じ事をやっている自分達を馬鹿だとは思うが、そのやりとりが楽しくて飽きる事などありえないのだから止めようがない。シーグルがいつでも傍にいる生活になってからは自分の馬鹿さ加減ばかりを実感する日々だ。
 ……そしてある意味、こういう馬鹿になれることこそが幸せなのだとも思う。

「まだベッドにいるのか、さっさと起きろ」

 顔を洗ってきたシーグルが寝室に戻ってきた。既に服は着ていてあとは鎧を着ればいいという状態になっている辺り、余程裸のままでいるのが嫌だったらしい。更にはこちらの服をベッドの上に置いていくところからして、こちらにもさっさと服を着ろといいたいのだろう。

「事務仕事しかない日ならまだしも、午前の予定が入っている時くらいは遊んでないでさっさと起きてくれ。本気で寝ぼけてる訳じゃないんだし起きようと思えば起きれるんだろ? それでもし本気で遅れたらどうする気なんだ?」

 シーグルは足の装備を着けながらそう言ってくる。基本的に朝食前に鎧を完全に着る事はないが、最近時間がない時は足の装備だけは先に着けている。勿論ここまで来てだらだらする気もないから、セイネリアもさっさと服を着る事にする。

「遅れたら用事をキャンセルすればいい」
「……本気で言ってるのか?」

 真面目なシーグルは更に眉を吊り上げた。

「別に仮病でもなんでも、断る理由なぞ何でもいいさ。俺が中止と言って文句を言える奴はいない」
「お前な……あぁだが仮病は止めろ、お前が病気したなんて話を聞いたら騒ぎになる」
「確かに、何事かと大騒ぎになるかもな」

 セイネリアが笑えば、シーグルは頭を抱える。
 本当にこんな馬鹿なやりとりが楽しくて仕方ない。何度やっても楽しいのだから相当重症だ。
 セイネリアは今日も朝から、愛しい人物の顔を見ていられる幸せに満足げな笑みを浮かべた。






 今日はどうにかシーグルが本気でヘソを曲げる前に起きたのもあって馬車の乗車拒否まではされず、城までの道中ではそれなりにセイネリアは楽しい時間を過ごす事が出来た。
 いかにも子供子供していた頃ならともかく、シグネットも自分の立場をちゃんと理解出来る歳になったから、今は前のようにプライベートに会ってやって甘やかしてやる事は滅多になくなっていた。
 なにせシグネットも前のようにそれだけの時間がない。
 母親と一緒ではあっても今はきちんと王座に座って、毎日謁見の時間にやってくる人々に声を掛けてやらなくてはならないのだ。勿論まだ勉強の時間も山のようにあって、ついでに母親の業務を見て学ぶ時間もあるから前のように遊ぶ時間はない。
 それでも要領がいい少年は、今日ならぎりぎり許されそうと思う日にはこっそり抜け出して皆を呆れさせ……つつも笑ってすまさせてしまう。その辺りはあの筆頭家庭教師のガキっぽい神官の教育のたまものという奴だ。

 そういう事情であるから、セイネリアが登城するのは定期的に首都にいる貴族が集まってそれぞれの報告をする日であり、セイネリアもその中の一人として報告をしに行くだけである。
 シグネットは前のように甘えられなくなったのを寂しそうにはするが、セイネリアが前に出ると他の貴族達の緊張を他所に一人でニコニコと嬉しそうにしている。セイネリアの報告が終わるともっと話したそうな顔をして、下がると途端にシュンとするのが分かりやすすぎる。ただ、そういう分かりやすい表情を浮かべるシグネットに対して、まだ子供というのもあるが他の貴族達は皆好意的だ。

「今日も陛下はご機嫌麗しゅう   」
「うむ、バゼリー卿も壮健なようでなによりだ。……ただ私は、今日はちょっと会う人間が多すぎて疲れた、すまぬ」

 と言ってあくびをしてみせれば、周りからはくすくすと笑い声が上がって、隣にいるロージェンティが眉を跳ね上げる。ついでに隣にいるレイリース――シーグルが困ったようにため息を付くのも分かって、セイネリアは笑い声を上げそうになるのを押さえるのに少し苦労した。
 ちなみにこれはシグネットとしても計算済みの行動である。
 あの子供は自分がどう見られているかを自覚しつつ、子供である事を最大限利用して自分も周りも楽なように振る舞う。この辺りもあの神官の教えであるが……多少セイネリアの影響を受けているようでもあった。

 ただその日セイネリアは、そうして和やかに進む謁見の中、少しも笑わない人物がいるのに気がついた。いかつい武官や気難しいそうな老人とかならまだそこまで目立たなかったが、それがどうやらまだそこまで歳という訳でもないリパ神官だった事でやけに目についたというのもある。更に言えばその顔は初めてみる顔で、ただいる場所からすればおそらく城内の祭壇を管理するために大神殿から派遣された人間かと思う。

 人々がシグネットの子供らしい姿に頬を緩ませる中、その人物は少しも笑わず、ため息をついては視線を逸らす。まるで見ているのが辛いというその顔は、シグネットを憎々しく思っているようではないが、少なくとも良く思っている訳ではない。何か事情はあるのだろう、確実に。

 とはいえセイネリアも、その神官が何かしらの行動に出そうな人間には見えなかったから最初は放置していいかと考えた。だがその考えが変わってすぐ調べるようにカリンに告げたのは――帰りの馬車でシーグルが気付いていたのが分かったからだった。

「なぁ、セイネリア、お前気付いたんだろ?」
「何がだ?」
「新顔の宮廷神官で一人……なにかシグネットを思いつめたように見ていた者がいただろ」

 シーグルは自分に対しての事となると鈍感なくせに、こういうのはきっちり気がつく。だから彼があの神官について誰かに尋ねるより早く、さっさとこちらで事情を把握して対処しておかなければならないとセイネリアは考えた。

「あぁ、分かっている。調べておくからお前は気にしなくていい」

 そうして彼を抱き込めば、彼が藻掻いて文句を言ってそれでこの話は終わりとなる。あとは例の神官の件がこちらが危惧するような内容でなければいいだけだが……セイネリアとしては直感的にどうにも嫌なひっかかりが拭えなかった。




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 少し不穏な話になってますが、基本は将軍と側近の日常話です。
 



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