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【１】 現在、実質的なこの国のトップである摂政の執務室であるここは、国の規模と彼女の権力からすればすっきりとしすぎていた。権力者の部屋にありがちな不必要なまでに華美な家具はなく、置いてあるものはどれも質は良いが実用第一で作られたものばかりだ。ただし、全体的に女性らしい色合いの内装でまとめてあるから、殺風景という印象は受けない。 質実剛健が家訓のようなシルバスピナ家で育ったシーグルならまだしも、権力と贅沢を欲しいままにしてきたヴィド家育ちの彼女からすれば意外過ぎる部屋だといえる。 ただ、セイネリアは彼女がどうして自分の執務室をこのようにしているのかその理由を知っていた。 つまるところ『シーグルならそうしただろう』からだ。 シーグルと会う前の彼女はヴィド家の長女らしく、贅沢もし尽くしたし高慢で我がままなまさに『お嬢様』だった。だがシーグルと会った以後の彼女は、好みも全てシーグルに合わせ、考え方までシーグルに寄せた。 まさに、女というのは好いた相手のためにそこまで変わるのか、とセイネリアも感心したくらいだ。 ただ相手がシーグルというのならセイネリアでさえ納得してしまうのは仕方ない。あの容姿だけでも女は虜になるだろうに中身も申し分なくオマケに強い。その人物に嘘偽りない言葉で『貴女だけを愛します』と言われたら、女ならまず彼以外の全てを捨てられるだろう。 「次回の議会は貴方は出席しませんか？」 「あぁ、どうしても出て欲しいほど厄介な件はないんだろ？」 彼女との会話は常に淡々と用件だけのやりとりになる。彼女にとってセイネリアはあくまで協力者であり、仕事の上だけの付き合いだ。だから彼女は常に摂政としての姿勢を崩す事はない。 「そうですね、一部予算で揉めそうな話はありますが、貴方がいなくても問題はありません」 「なら出なくていいな」 「分かりました」 表舞台にはあまりでなくなったセイネリアだが、城には定期的にくるようにしているし、その度に摂政ロージェンティとは会っていく。 もともと王妃になるため育てられた彼女は国のトップとしてやっていけるだけの能力があり、しかも摂政として国を良くしていくのは愛する息子のため……それも結局は亡き夫であるシーグルのためにつながるので、権力者としても誠実で公平であろうとしている。 だから基本、セイネリアが彼女の政策自体に文句をつける事はない。とはいえ迷う事があった場合や、困った問題がある場合は相談にのる。勿論相談を受けるだけではなくセイネリアから提案をする事もあるが、セイネリアも根本的は『シーグルが喜ぶ』だろう方向に国を変えていきたいから、彼女がセイネリアの提案に難色を示す事もまずなかった。 ロージェンティとセイネリアは決して気の合うタイプではなく、逆に合わないタイプだろう。ただ互いにこの国をどうしたいかという方針と大事なモノが同じであるから協力出来る。もっとハッキリいえば、互いに同じ人間のために、その人間ならそうしたいだろう方向で政策を考えているから方針が合わない事はまずない。更にはその国よりも、国王であるシグネットの方が大事という事でも意見が一致している。 「何か調査が必要な事はあるか？」 ちなみに彼女からは、将軍としてというより情報屋の元締めとしての相談も受けていた。ただ情報屋はカリンの配下であるから、あまりにも込み入った仕事の場合は後からカリンを直接行かせる事もある。新政権が出来たばかりの頃はそれもよくあったが、安定してきた最近はこうしてセイネリアがついで程度に聞いていくだけで大抵は事足りていた。 「今のところはそこまで……いえ、そういえば、エスドラッド領の現状について調べられるならお願いできますか？」 「何かあったのか？」 「エスドラッド卿が最近、領内を通る者から通行税を取っているという話が入っています。通行税を取る事自体は正当な理由と適正な金額であれば問題ありませんが、何かよからぬ企みがあるなら問題です」 「分かった、調べておく。他に用事は？」 「いえ、大丈夫です」 「なら、あとはシグネットの顔を見て俺は帰る」 そこで初めて、ずっと摂政らしい厳しい表情をしていた彼女の顔に柔らかい笑みが浮かんだ。いわゆる母親の顔に切り替わったという訳だ。 「あまり甘やかしすぎないで下さいね」 そうしてまた、セイネリアもそこでわずかに表情を和らげるのがいつもの事だった。 「あいつが調子に乗る程には甘やかさないさ。最近ずる賢くなってきたからな、なんでも望みを聞いてやると後々ためにならない」 「まったく……最近は護衛官達をうまく言いくるめて部屋を逃げ出す事が多くて困ったものです」 子を心配する母らしく困った顔で溜息をつくロージェンティに、セイネリアは笑いながら言う。 「なら少し叱っておくか」 「お願いします。貴方の言う事はききますので」 「あんたの言う事も聞くだろう」 「そうですね、聞きますが……私の場合はバレなければいいと思っているところがあります。ですが貴方の場合はバレずに済ますのは無理だと思っているようです」 「成程」 そこで笑い声を残して、セイネリアは彼女の執務室をあとにした。 セイネリアとロージェンティは本当に仕事だけの協力関係だ。だが、彼女はセイネリアが彼女の息子に対して父親代わりの役目をする事を許しているし、頼んでもくる。 だから当然、よからぬ噂をする者もいる。 セイネリアの女癖の悪さが有名なのも原因ではあるが、未亡人の摂政とそれに継ぐ権力を持った将軍が毎回人払いをして２人だけで会っている上に、彼女の息子である国王はその将軍を父のように慕っている……となれば、ロージェンティとセイネリアが男女の仲であると邪推する者が出るのは仕方ない。 「待たせたな、今日はシグネットは勉強中か？」 「陛下は今日は午前中、中庭にいらっしゃる筈です」 部屋を出て歩き出せば、側近のレイリース、つまりシーグルが恭しくお辞儀をしてから横につく。後ろをちらと見れば、待たされていたらしい貴族の男２人が摂政の執務室へ入っていくところで、こちらを見てひそひそ何かを言い合っていた。まぁ、内容など予想がつくが。 「あいつらはずっと部屋の前で待っていたのか？」 一応シーグルに聞いてみれば、周りに人がいないのもあって、彼は少し怒った口調で言ってきた。 「そうです。まったく失礼極まりない連中です」 ただ流石に口調はまだ側近としてのそれで、セイネリアとしては少々つまらない。城内にいる時は、誰もいない部屋の中や耳打ちの時くらいしか彼は素の口調で話さないようしている。最近は特に、廊下等でどこからか抜け出してきたシグネットが出てくるか分からないので徹底していた。 「何か言われたのか？」 「部屋の中は将軍と摂政殿下の二人だけなのか等、聞いてきてはにやにやと嫌な笑みを浮かべていただけです」 やはりそういう連中か、と呆れるだけでそれ以上思う事はない。そんな噂がある事など百も承知だし、言われたところで痛くもかゆくもなかった。言っているのはどうせ雑魚貴族共だし、噂を流す以上の事は出来ないだろう。 まぁ結局どんな連中が騒いでも、セイネリアとしてはシーグルがその噂を信じそうになるような事さえなければ問題ないのだが。 ただそれで少し思いついて聞いてみる。 「失礼というのは俺に対してか？ 摂政殿下に対してか？」 兜で顔は見えないが、シーグルはこちを向く。おそらなく中ではこちらを睨んでいるのだろう。 「当然、両方です」 セイネリアの女癖を知っているシーグルだが、セイネリアとロージェンティが男女の関係である、なんて事はほんの僅かも疑っていない。それだけ妻とセイネリアを信じている訳だが、おそらくきっと、もしそれが本当になっても彼は怒らない気もする。 セイネリアとしてはもしそうなったら、彼がどちらに対して怒るのか、もしくは妬くのか興味があるところだが、へたに拗れたくはないので試してみようとは思っていない。 ちなみに貴族院に出席するレベルの貴族達はそういう噂はまず言わない。なにせ彼らはロージェンティがシーグルをどれだけ愛しているかだけでなく、セイネリアもまた『側近の顔を同じ顔に作り変えるくらい』にシーグルの事を病的に愛していると知っているからだ。 ただ最近は少し噂を言っている連中は調子に乗りすぎている気もする。 ――あまり好きに言わせておくのも良くないか。 信じて困るような人間はそんな噂を信じない事は分かっているが、シグネットの耳に入ると少し厄介かもしれない。適度なところで彼らに灸をすえておくほうがいいかと最近のセイネリアは思っていた。 --------------------------------------------- 今回はセイネリアメインでシグネット＆ロージェ周りの話、かな。 シーグルは勿論傍にいますが。 |