ソフィアの過去とクーア神官のお話 【2】 セイネリアだけが城へ行った場合、彼が帰ってきた時には必ずシーグルは将軍の執務室にいなくてはならない……という命令というか決まりがある。さすがにどうしても仕方ない要件があった場合は例外だとは思うが、これは基本何があっても絶対に守れと言われている事で……まぁ守らないとセイネリアが機嫌を損ねる。 別に暴れたり何かにあたったり怒声を浴びせたりとかする訳ではないが、シーグル個人としてはとてつもなく面倒な事になるのだ。 なので例えキールの事務仕事を手伝っていても、セイネリアが帰ってきた途端にソフィアに教えてもらって急いで執務室に戻る事になる。 ちなみに、それならいっそ迎えに出た方がいいのかと聞いた事もあるのだが――実際前は出迎えたりもしていたが――耐えられなくなるから部屋で待ってろ、という事に現状はなっている。『ふざけるなそれくらい耐えろ馬鹿』という言葉は飲み込んだが、御者やら警備の連中がいる前でべたべたされるのは勘弁してもらいたいので、シーグルとしては出迎えに行ってやる気は一切ない。 ただ今日はキールの部屋で事務処理を手伝うのではなく、書類を受け取ってきて執務室の方で作業をしていたので別にセイネリアがいつ帰って来てもいい状態ではあった。の、だが、その安心感と、少々仕事に没頭していたためシーグルは途中から完全にセイネリアの事が頭から抜けていた。なにせ場所は同じでもセイネリアがいないと余計なちょっかいを掛けられる事がないため仕事が捗るのだ。 と言う事でシーグルがセイネリアが帰ってきたのに気付いたのは本人が部屋に入ってきた時で、しかも書類を注意して読んでいる最中だったから椅子から立つ事も顔を見る事もなく、シーグルは一言、おかえり、だけで主の出迎えを終わらせてしまった。 当然、セイネリアが面白い筈はない。 かといってセイネリアは口よりも行動の方が早いタイプではあるから、それに文句の言葉が返ってくる事はなかった。それより書類を見ていたシーグルは、背後から脇を持たれて唐突に椅子から持ち上げられた。 「え……ちょ、おい待てっ、今この書類が終わるまで待ってくれっ」 シーグルだって内心失敗したとは思った。セイネリアが怒るのは無理はないし、怒ると彼の場合はまず実力行使だからこうなるのも当然ではある。 「待たない」 予想通り返ってきたのは不機嫌そうなその一言で、そのままシーグルは将軍様の肩に担がれて寝室に連れて行かれる事になった。 ……と、怒ったセイネリアに強制でベッドに連れて行かれるというトラブル(?)があったものの、この手の展開が起こると前後で立場が逆転するのもいつもの事だった。 「ちゃんと出迎えなかったのは俺が悪いが、少しくらいは待てないのかお前はっ。おかげで途中まで読んだ内容が飛んだじゃないか」 「それが嫌なら俺が帰ってくるのにもっと注意していろ」 怒る側はシーグルの方になって、セイネリアといえばベッドでこちらを抱きしめてご満悦状態だ。シーグルももうここから仕事をする気もなくなって、今日はこのまま寝てやろうかと思っていたりはする。 「仕事時間くらい仕事をさせてくれ」 「上司の俺の命令の方が仕事より優先されるべきだろ。それにそもそも、俺の出迎えはお前の立場としてはかなり優先させるべき仕事の筈だ」 「それは……確かに俺が悪かった。だがお前もたまには少しくらい待ってくれという言葉を聞いてくれてもいいだろ」 「それは余程の優先事項だった時だけだな」 まぁこんなやりとりをしていてもセイネリアはずっと上機嫌な訳であるから、シーグルとしては文句を言う気さえなくなってくる。 仕方なく一つ溜息をついて、これ以上は不毛な言い合いは止めるかと諦めた。 ただセイネリアがこうして上機嫌な時ならば……思い立ってシーグルは『お願い』をしてみる事にした。 「もういい。次は俺が気をつければいいんだろ。……ところで、少し頼みがあるんだが」 「何だ?」 聞いてくるセイネリアの声は嬉しそうだ。 「ソフィアの事なんだが……彼女の出生というか家族の事を調べられないだろうか?」 セイネリアはそれには少しだけ間を空けてから聞き返してくる。 「ソフィアに頼まれた……訳ではないだろ? お前が気になるのか?」 「もし彼女に家族がいるのなら……会わせてやりたい、と思う」 「余計なお世話じゃないか?」 「状況によってはそうかもしれない。ただ、家族が生きているかどうか、どうしているか、それを知る権利は彼女にはある。知った上でどうするかは彼女に任せる。それにそれくらい……お前ならすぐ調べられるだろ?」 セイネリアの持っている情報網は少なくともこの国では一番強力な事は間違いない。しかも彼の場合、いざとなれば魔法ギルドにも協力を要請出来る。 「ふん……まぁな」 セイネリアは口元に機嫌の良さそうな笑みを浮かべたまま、シーグルの髪に鼻を埋めた。 「彼女の場合、幼い頃に親と共にクーアの適正を調べに来た可能性があるんじゃないかと思うんだ。だからクーア神殿に問い合わせれば記録が残っているかもしれない」 「確かに……そうかもな」 セイネリアが髪を撫でてくる。 「お願いだ、無理のない範囲でいいから……彼女の家族の事を調べてほしい」 「そうだな……」 セイネリアが顔をこちらの頭に埋めながら呟いてくる。手は髪の中に入れたままだ。 おそらく……セイネリアはそれを了解してはくれるだろうとシーグルは思っている。だが、代わりに何か向うの頼みを聞くとかの取引は持ちかけてくるかもしれない。だから少し身構えていたシーグルだったが、返ってきたセイネリアの言葉は想定外のものだった。 「調べるのは構わん。が……お前が調べて欲しいと思うのは、ソフィアに恩を感じているからか?」 「それは……確かに、そう、かもしれない。彼女にはいろいろ世話になりすぎていて……だから、何か返したい。それにたとえもし会わなかったとしても、彼女に肉親がいたのなら、彼女も家族の温もりを少しは感じられるかもしれない」 セイネリアが鼻で笑った気配がする。彼の手は尚もこちらの髪を梳いている。 「お前はソフィアに幸せになってもらいたいのか?」 「当然だろ、俺は……出来るだけ多くの人に幸せになってもらいたいし、近くにいる人間なら特に、彼らの幸せのために俺が出来る事があれば行動したいと思う」 セイネリアが喉を鳴らす。それはおそらく呆れているからだろう。 「……なら俺は? 俺を幸せにしたいと思っているか?」 「当然だろ、だから俺は今お前の傍にいるんじゃないか」 セイネリアはまた喉を鳴らして笑う。今度は、機嫌が良さそうに。 「分かった、ならいい」 それはこちらの頼みを聞いてくれるという事かと聞き返そうとしたら……すぐに唇を塞がれて声は出なくなった。あとはいつも通り流されて意識が薄くなって……結局、その話はそれで終わりになってしまった。 クーア神官というのは他の神殿に所属する神官と違って、神官学校にいけば神官になれてクーアの術が使えるようになる訳ではなかった。術に対する適正が必要で、適正が認められないと神官になる事は出来ないのだ。 であるから勿論信徒になったところでクーアの術は使えない。となれば当然ただの信徒というのもまずいない。普通なら信徒がいないとその信仰自体神殿そのものが成り立たない筈であるのだが、クーア神殿は成り立っている。というより、ある意味リパ神殿の次くらいにはこの国で力がある神殿と言ってもいいくらいだ。 その理由は、クーア神官の転送能力を使って街間転送を行っているからである。 一人だと短い距離、限られた重量しか移動出来ないクーア神官だが、飛ばす側と受け取る側でそれぞれ複数人のクーア神官が力を合わせ、更に魔法陣で補助する事によって長距離の転送が可能となる。広いクリュース国内、クーア神殿があるところならどこでも瞬時に移動できる。それは、高額な料金を取っても利用者が押しかけるだけの価値がある。 だから当然クーア神殿は金を持っている。金は力であるから、信徒がいなくてもクーア神殿が潰れる事はあり得ない。ここまでくると宗教というよりただのそういう商売をしている機関なだけだが、もともと使いたい術のために信奉する神を決めるような宗教への信仰の感覚が薄い連中が多いこの国では自然に受け入れられていた。 クーア神殿側もその集めた金で権力に食い込もうとする事もないから特に反感を買う事もなかった。ただ神殿としては街間転送の機能を維持するにはクーア神官の確保が重要であるから、その潤沢な資金でクーア神官を好待遇で養っていた。なにせ家族ごと衣食住がほぼすべて保障されるので、どんな貧乏な家庭であっても子供がクーア神官になって神殿勤めとなれば家族全員一生生活に困る事はなくなるのだ、だから子供が生まれたらまず、クーア神官の素質がないか調べてもらうのは貧困家庭では特に当たり前の事だった。 おそらくソフィアも、そうして生まれて間もない頃にクーアの適正を調べてもらってクーアの印を体に入れて貰ったのだろうと思っている。 ただ術の使い方を習うのは神殿で神官修行に入ってからであるから、あの男に拾われた時には術はまだ使えなかった。あの男がクーア神官でなければソフィアは術を使えないままだったろう。まぁ正式に養父登録出来る状況であるなら、拾ったあとでソフィアを神殿に入れればいいだけの話だったろうが。 とはいえ神官修行をしていないのにクーア神官としての能力が使えるという状況は少々厄介で、黒の剣傭兵団に入った後、正式にクーア神官として登録に行った時はいろいろ手続きが大変だったらしい。カリンからさらりと言われた程度だが、セイネリアの力で強引に能力テストだけで登録完了させたという事だ。 --------------------------------------------- あと1話、次回で終わりだと思います。 |