【5】 「隊長、遅れて申し訳ありません……と、文官殿はどうしたのですか?」 「用事があるから一度戻るそうだ」 「今からクストノームにですか。本当に魔法使いっていうのは便利なものですね」 「そうだな、便利ではあるが……」 得体が知れない、と声にはせずに呟いて、シーグルはアウドに促されるまま彼の引いてきた馬に乗った。 「さて、どうされます? 今日はあまり無理をせずにセニエティの館に帰る事を勧めますが」 「あぁ、そうだな」 言えばアウドは馬を引いて、その向きを反転させる。ここはセニエティ内の北東にある高台の一角で、もう少し上がれば広場になっていて人も多くいるし警備隊の建物もある。そこからは死角になる場所であるから、突然人が現れても驚かれなかったのだろう。 「そういえば、ここからなら館に帰る前に騎士団に寄る事も出来ますがどうします? 顔を出せば皆喜ぶとは思いますが」 確かに、ここから屋敷に行くならまず坂を下って騎士団、つまり城へと続く正面門の傍に出る。帰ってきたといっても明日からすぐ騎士団に復帰という訳にもいかないのを考えると、相当に心配をさせたらしい隊の者たちに顔を見せるのもいいかとシーグルは思った。 「そうだな……いや」 だが、そうつぶやいた後に、シーグルはふと気づいてアウドに馬を止めさせた。 「どうしたんですか?」 シーグルはあたりの気配を探る。こちらがわかったのであるから、気づかせるつもりが相手にあったと考えていい。だから、それが本当に『彼』なら自ら顔を見せるつもりもある筈だった。 「いるんだろう? 丁度話があるんだ、でてきてくれないか」 しばらくすれば、木の影から、音もなく現れる人影が一つ。それがよく知っている灰色の髪と瞳の男……今度は確実にフユ本人である事を確信して、シーグルは馬を降りた。 「お元気そうで良かった、というとこっスかね」 反射的に前に出ようしたアウドを手で制して、シーグルは相手に近づいていく。 「セイネリアはまだ首都にいるのか?」 「えぇ、いますよ」 「会う事は可能だろうか?」 「……そうですね、可能といえば可能ってとこっスね」 「なら、会わせてもらいたい」 言えば、男はいつも薄ら笑っているような表情を崩して、灰色の目をじっと値踏みするようにシーグルに向けてくる。 「なんの用でしょうかね、ボスにごめんなさいしたいってとこっスか?」 「あぁ、そうだ」 迷いなく即答すれば、以前はいつでも自分を見ていたセイネリアの部下の男は、呆れたような間の後にくすくすと笑いだした。 「なるほど……まぁいいでしょう、貴方が会いたいって言ってるのに連れてこなかったと言ったら、俺の方が怒られるとこっスからね」 そうして、ついてくるように促されてシーグルが行こうとすれば、当然だがアウドに止められた。 「隊長、そいつは何者です?」 「セイネリアの部下だ、だから俺の身は心配しなくていい。悪いがお前は先に館の方に行って、少し帰りが遅れることを伝えておいてくれないか」 けれどアウドは強引にシーグルの前に出て、前を塞ぐように立つとじっと睨みつけてくる。 「冗談じゃありません、行くなら俺もついていきます」 シーグルも彼を納得させるだけの言葉を返せない分、彼を睨むしかない。 「そういう訳にもいかないだろ、少し話をしてくるだけだ……今日中に帰る、必ずな」 「……今日中にっスか」 シーグルの言葉をフユが苦笑しながら繰り返して、それからまたセイネリアの部下である男はくすくすと笑い出す。 「なら途中までは付いてきてもらって、指定の場所で待っててもらうってとこでどうスかね。……もし今日中に帰れなくなった場合には、屋敷への連絡役をしてもらうってことで」 それにシーグルが返事を返すより早くアウドが返事を返したことで、灰色の髪の男の提案通りにアウドもついてくることになってしまった。 首都、西の下区の一角にある特別区は、大規模な私設騎士団や傭兵団の拠点を作ってもいいと指定されている場所である。かつてはそこに、冒険者であればまず名を聞いた事があるような有名な団が名を連ねていたが、その中でも特に有名な2つの名が消えた事で、今ではその辺り一帯は人影の滅多にない寒々しい風景が大半を占めていた。 ――まぁ、ここは単に買い手がつかないらしいが。 以前は、人数的な規模では国一番であった一角海獣傭兵団の敷地横を歩きながら、セイネリアは思う。長であるアルスベイトが行方不明となり、更に団員の多くが冒険者を引退する事態となった一角海獣傭兵団は、今では団自体がなくなり、この敷地も冒険者事務局の物となった後、売りには出していても買い手がつかないという状態らしい。まぁ確かに、今首都にここを買い取れる程の傭兵団はないだろうとはセイネリアも思う。 とはいえ黒の剣傭兵団の方も、名目上は売りに出しているが買い手がつかない、という状態であることにはなっていた。実際は売る気などないが、そういう事にしておかないと何時帰ってくるのではないかと上に警戒されるというのがその理由である。 放置してあるといっても最低限の清掃等の維持作業は定期的に入れているし、ごろつきが中に入れないような結界も敷いてある。だからこうして突然セイネリアがやってきたとしても、暫く滞在する程度には問題がない状態であった。 とはいえ、思ったよりも長くいる事になった、とはセイネリアも思うところである。 そもそもの首都へ来た当初の目的は、金髪の魔法使いと会うついでに首都での細かい用事をいろいろ済ませてくる……そのついでにシーグルの結婚式の様子を見てくるというものであったのだから。 だからもう、本来ならセイネリアは何時アッシセグへ帰ってもいい筈だった。それが今でもまだぐだぐだとこの街にいたままだったというのは、セイネリア自身未練がましいとは思うところだった。 けれども、自分はおそらく予想していたのだろうとセイネリアは思う。 セイネリアを拒否したシーグルは、正気ではあったがまともな状態とは到底言えるものではなかった。だから、あの真面目過ぎる彼なら、あの時の事をもっとマトモな状態できちんと告げたいと言い出す事は分かっていた。そしてきっと、酷い言い方をしたと謝罪をしてくるのだろうという事も。……結局、自分を拒絶する事に変わりがないのに謝罪など意味はないだろうと、セイネリアは苦々しい笑みをうかべるしかないのだが。 だから、話をする為にやってきたシーグルと今会えば、彼から決定的な別れの言葉を聞く事はセイネリアには分かっていた。本当に、真面目で真っ直ぐ過ぎて、彼の考えなど予想しやすくて――それでも、会いたいとセイネリアは思う。あり得ないと分かっていても、予想よりもマシな結果が出るのではないかとそんな望みを抱いてしまう。馬鹿馬鹿しい、愚かだと自分を嘲笑っても、一縷の望みに掛けてしまう。 「全く、あいつの事となると、俺は何処まで馬鹿になるんだろうな」 自嘲を唇に乗せながらも、それでも心はやはり望む。ただ、彼に会いたいのだと、彼に触れてその存在を感じたいのだと。 例え誰もいなかったとしても、上からは監視対象になっている事は確定である為、傭兵団の敷地へセイネリアが正面門から堂々と入る訳にはいかなかった。ただここには、元から隠れて行動する情報屋の連中の為、西館へは人に見られず入る事が出来るルートがあった。だから現在首都に滞在している間、セイネリアはそれを使ってこの建物内を出入りしていた。 西館を抜け、本館に入って、人の気配を感じるほかの部屋を見る事もなく、真っ直ぐセイネリアはかつての自分の執務室に向かう。フユから受けている連絡では、シーグルはそこで待っている筈だった。 そして、やはりドアを開けた途端そこにいたシーグルに、セイネリアの足は一瞬止まる。 振り返ったシーグルの顔を、セイネリアは目を細めて見つめる。分かっていても錯覚しそうになる風景を断ち切って、セイネリアは口元に柔らかく笑みをうかべた。 「病み上がりなのに、待たせて悪かったな」 「いや、俺の方こそ急ですまない」 椅子から立ち上がろうとしたシーグルにはそのまま座るように言って、セイネリアは部屋に入った途端、体をすっぽり覆っていたマントを脱ぐ。どう声を掛けてこようか迷っている彼の気配を感じながら、黙ってゆっくりとマントを壁に掛けると、自分の執務室の椅子に座る。 座って、やはり殊更ゆっくりと顔を上げて、そこでセイネリアは自然正面から顔を見合わせる事になったシーグルを見つめた。 「体はもういいのか? 後遺症等の問題は?」 「一応、治療を担当してくれた魔法使いからはもう大丈夫だと言われている。ただ、後遺症は……たまに、無性に体が、疼く、かもしれないと……」 まったく、そんな事を自分に正直に言うなと思いながら、セイネリアの口元には苦笑が浮かんだ。 「それで、疼いたら、お前の部下にどうにかしてもらう訳か」 シーグルの顔が赤くなる。予想通りの反応に、セイネリアはまた目を細める。 「それはっ……もう治療中とは違う、その程度は我慢すれば済む事だ」 「それでも、もしどうにもならなかったらあの部下に頼むのだろう?」 「本当にどうしようもない場合だけだ、出来るだけはそういう事態にならないようにする」 確かに、シーグルが耐える気なら、彼は余程でなければ他人に体を許しなどしないだろう。それでも、仕方ない状態になる事がないとは言えない、だから彼もあり得ないとは断言しないのだ。 「何故、あの部下の男だった? 俺だけは嫌だと言ったのは何故だ?」 言ってから、自分の発言のあまりのみっともなさに自嘲する。どれだけ未練がましいのだと、自分を罵りたくなる。 「彼は、あくまで俺の治療を手伝ってくれただけだ。その為のただの処置として俺を抱いた、それ以外の何物でもない、何の意味もない割り切った行為だ」 そこでセイネリアは立ち上がった。 「なら――俺も、お前が望むならそう抱いてやってもいい」 言いながら近づいていけば、彼は苦し気に眉根を寄せる。それでも逃げずにじっと見返してくる彼を見つめたまま、セイネリアは目の前にまで行って彼を見下ろした。 「セイネリア、それでも、お前だけはだめなんだ」 見上げてくる青い瞳は、苦しそうではあっても真っ直ぐで強い。セイネリアが何よりも愛しいと思う強い意志が宿る瞳が、動く事なくセイネリアの顔を映す。 それに、見ているだけで耐えられなくなったセイネリアは手を伸ばした。 この彼をこそが欲しいのだと、伸ばした手が彼に触れた途端、彼の温もりを感じた途端、感情を抑えきれなくなる。 「セイネリア、お前に言う事が……」 「黙れ」 セイネリアはシーグルの椅子に膝を立て、腰を折り顔をおろす。彼の顔を手で固定してその唇に口づける。 「う……」 シーグルは唸ってセイネリアの腕を掴んでくる。それによって彼の顔を掴む手が離れるなどという事はないものの、その手に入っている力加減から、彼が本気で引きはがそうとしているのだという事がセイネリアにはわかった。 「だ、め……ぅ」 シーグルは必死に顔を背けて唇を外そうとする、セイネリアはそれをさせまいと唇を合わせなおして彼の口腔内へ舌を押し込む。暴れて逃げる彼の舌を無理矢理押さえつけて絡ませる、逃れようとする彼の動きを封じるように、セイネリアは彼の唇を追っては塞いで自分の唇を強く押しつける。……彼に、それ以上を言わせない為に。 腕を掴んでいない方のシーグルの手が、セイネリアの体を押し返そうと胸を押してくる。だから逆に体毎彼に押しつける勢いで、セイネリアはシーグルの唇全てを覆う程口を開け、噛み付くように唇を合わせた。声が漏れないよう、何もいえないよう、少しの隙間も許さずその唇を塞ごうとした。 「やぁ……う……やめ、ろ……んぅ……やだ、やだ……」 それでも、僅かに唇がずれた時、逃げた一瞬、彼の唇はセイネリアに告げる。ただひたすらに拒絶の言葉を、だめだと、嫌だと、セイネリアが聞きたくない言葉だけを紡ぐ。 やがて、押さえている彼の頬が涙に濡れている事に気づいて、セイネリアの手が緩んだ。その隙に顔を離した彼を呆然と見つめながら、セイネリアの顔も彼から離れた。 はっきりと瞳から涙を流しているシーグルが、苦しそうな瞳を向けてくる。 「……お願いだ、やめてくれセイネリア。俺はお前だけにはもう触れられたくない。触れられる訳にはいかないんだ」 涙に濡れる瞳は、それでも真っ直ぐにセイネリアの顔を映していた。セイネリアは再び手だけを彼に伸ばして、彼の頬の涙にそっと触れた。 「泣くほど、俺に触れられたくないのか?」 「違う」 「なら何故泣いている?」 聞けはシーグルは歯を噛み締め、眉をより一層歪める。そうしてついに彼は目を閉じてしまう。 「嫌なら、噛めばよかったろ。前のお前はそうしていた」 軽く喉を揺らして笑ってみせても、勿論少しも楽しくなどない。この笑みは、馬鹿な望みをまだ捨てきれない自分に対するものだった。 「出来る訳がない。俺は、お前を傷つけたくない」 そこでセイネリアは笑う。声を上げて喉を震わせる。自分を決定的に傷つける言葉を告げるために来たくせにそんな事をいう彼と、その言葉に馬鹿な望みを見出そうとする自分の感情がおかしくて、滑稽過ぎて、笑う事しか出来なかった。 「シーグル、それでもお前は俺を傷つけるためにここにきた」 笑みが収まると共に言えば、シーグルが椅子から立ち上がって叫ぶ。 「違うっ」 辛そうに、苦しそうに見上げてくるシーグルの顔を、セイネリアは琥珀の瞳を細めたまま見つめた。 「違う事はない筈だ、お前は俺を選べない。……その前提がある限り、お前は俺を傷つける事しか言えない」 シーグルが息を飲み、唇を噛み締める。きつく握り締められた手がぶるぶると震え、体は固まったまま動かない。何も言うことが出来ず、ただ震える彼をセイネリアは見つめる。そのまま抱き締めて連れて行ってしまいたくなる欲求を押さえて、伸ばしかけた手を下ろすと、セイネリアは大きく息をついて視線を天井へと向けた。 --------------------------------------------- ここで切ると流石にアレなんで次まで同時UP。 |