【3】 「すまないな……来客中だったのか?」 「そうですね、話は丁度終わったところですが……食事中、とは聞いていないのですか?」 「いや、見張りの奴は来客中としか言わなかった上に誰が来ているかさえ知らなかったぞ」 「まったく……」 「出直した方がいいなら帰るが」 「いえ、大丈夫です」 ロージェンティが申し訳なさそうに目配せをしてきた事で、フェゼントは彼女に深く礼を返して踵を返す。それと同時に彼女がベルを鳴らした事で、テーブルを片付ける為に使用人達がやってくる。 そうしてフェゼントは部屋の中へ入って来た長身の男とすれ違うように部屋を出た。フェゼントにとってあの男は苦手というか、その顔を見るだけで圧力を感じて何も言えなくなってしまう相手である。単純にいえば『怖い』という感情なのだろうが、はっきり言って出来るだけ会いたくない人物な事だけは確かだった。だから背後で締まった扉の音には彼から離れられたとほっとしたくらいで、考えればこの時間はいつも将軍であるセイネリアがやってくる時間だったかと気付く。 だがそうしてフェゼントが少し気を抜いて廊下に出れば、そこに見知った顔であるウルダとリーメリと、それから普段はセイネリアの後についている筈の黒い甲冑の人物を見て思わず足を止める。しかもその黒い甲冑の人物はシグネットを腕に抱いていて――思わずフェゼントは、目があったウルダに尋ねた。 「どうして貴方がたがここにいるのです? しかも陛下まで」 「あー……その、将軍閣下の指示、という事で……」 言葉を濁したウルダだったが、フェゼントもそれでなんとなく事情は察する。そうすればそこで外扉が開いて、中にいた警備兵がその黒い甲冑の青年――レイリースを呼んだ。レイリースはシグネットを抱いたまま扉の中へ入っていったが、入る直前、フェゼントの前を通る時に、失礼します、と軽く頭を下げていった。その声は当然シーグルの声ではない。 「ウィアはどうしたんですか?」 「え? いや家庭教師殿はフェゼント様を探しに……」 「ではウィアをここへ呼んで来てくださいませんか? 御用が終わり次第皆で陛下をお部屋にお連れしようと思いますので、急いで二人で探してきてください」 言えば慌てて二人は廊下の先に消え、フェゼントは一つ息をつくと自然に見えるように立ったまま扉に背を寄り掛からせた。それからだめもととは思いながらも扉の中――外扉と内扉の間の小部屋から何か聞こえてこないだろうかと耳を澄ませた。 『陛下は、将軍閣下がお好きでいらっしゃいますか?』 聞こえたその声はあの甲冑の青年のもので、彼のその質問に幼いシーグルが元気よく、うん、と言ったのをフェゼントは聞く事が出来た。 『でしたら、たくさん将軍閣下に笑い掛けて下さいませ。大好きだと言葉でお伝え下さいませ』 『うん。……れいりぃは?』 『私には出来ないのです。その資格がないのです』 そこで内扉が開かれたのか、彼らの会話は終わって彼らを呼ぶ兵士の声が聞こえてくる。フェゼントはそれでそっと扉から体を離した。 ――彼は、やはりシーグルなのだろうか。 今の会話では何も確定は出来ないが、最後の台詞はとても彼らしい言葉だとフェゼントは思う。そうして、思うと同時にもしかしてという言葉を否定出来なくなる、違っていたら辛いと思っても期待してしまいたくなる。 ――シーグル、貴方はいつも、自分が悪いと全部一人で背負い込もうとしていましたね。 もしあの甲冑の青年がシーグルであるというのなら、彼はまた何か苦しんでいるのだろうか。……恐らくあの男の事で、また悩み、自分を責めたりしているのだろうか。 少しだけ時間は戻って、フェゼントがロージェンティとまだ話している丁度その時。王の公務室の前では小さな騒ぎが起こっていた。 「へ、陛下まで?! 何故こちらへ?」 朝の挨拶にセイネリアがくるのはいいとして、その彼がシグネットを抱いてやってきたのだから、予定外の事態に当然ながら警備兵達は驚いた。 「陛下は摂政殿下に用事があるそうだ」 セイネリアが言えば、警備兵達は顔を青くしながらも現在来客中である事を伝え、しかもその来客中に警備の交代があった所為で誰が来ているのかが分らないと言い出した。 実際のところ、シグネットが急かした所為でセイネリアが来たのはいつもより早い時間であったから、まだ時間ではないと断られても仕方ないところではある。だが、気楽にお待ちくださいなどと言える訳がない相手に、警備兵達は完全にどうすればいいのか分らずに狼狽えた。 「誰が来ているのか分らないとはな、引き継ぎに問題がありすぎるだろ」 「申し訳ございません、申し訳ございません」 彼にしては相当軽くではあっても、あのセイネリアに嫌味を言われるに至って下っ端兵達の狼狽えぶりは尋常ではない程で、青い顔でガタガタと震えるその姿は可愛そうなくらいだった。 「まぁいい、こんな時間に俺が見てはならない程の重要人物と会っている事もないだろうしな」 そうして、本気で止められる訳もない警備兵達を無視してセイネリアは中に入ってしまった。……ただし、腕に抱いていたシグネットは入る直前、シーグルに渡してからであるが。 「流石に王様の姿をヘタな人間に見せる訳にはいかないからな。お前は呼ぶまでここで待っていろ」 確かにそれはそうだが、セイネリアが抱いているという前提だからこそシグネットを部屋から連れ出してもいいという特別許可を貰っているので、これはこれで問題ではないかとシーグルは思った。 ……ただ、恐らく。 もしかしたらセイネリアは、シーグルにシグネットを抱かせてやろうとしてわざとそんな行動を取ったのかもしれない。だからシーグルは何も言わずにシグネットを受け取り、記憶よりもずっと大きくなった息子を抱いてその重さを実感する。 「すぐに呼ぶから少し待っていろ」 言えば小さな少年王はシーグルにしがみつきながらこくこくと頷く。いくらシーグルが細いとはいえこのくらいの子供を抱くのは問題ないが、抱かれる側としてはセイネリアよりも不安定に感じるのは仕方ない。側にリーメリとウルダがいても、僅かに不安そうな少年王の手はシーグルのマントを相当に強く握っていた。 「大丈夫です、すぐに呼んでくださいます」 安心させようと思って声をかければ、シグネットはその丁度自分とロージェンティの中間のような濃さの青い瞳でじっと顔を見つめてくる。 「れいりぃ、それ、とれないの?」 顔に向かって手を伸ばして言われれば、それがこの兜の事を言っているのだというのは分かる。分るからこそシーグルは言葉に詰まった。 「申し訳ありません、これは……」 だがそこで扉が開いて、シグネットの顔はくるりとそちらに向けられる。内心助かったと思いながらも、そこからでてきた人物にシーグルは僅かに緊張を纏った。 「どうして貴方がたがここにいるのです? しかも陛下を連れてくるなんて」 「あー……その、将軍閣下の指示、という事で……」 先客とはフェゼントだったのかとそれに驚きはするものの、考えればこんな時間に呼び出して話をするなど身内くらいのものだろうと思う。さて、この状況はなかなかきついな……とは思ったものの、すぐにまた扉が開いて中の警備兵が顔を出したから、シーグルは兜の中でほっと息をついた。 「レイリース様、将軍様が陛下をお呼びです」 それに自分より安堵したのはシグネットの方だったようで、ぎゅっと握りしめていた手が緩んで少年の顔が嬉しそうに笑う。だからシーグルは促されるまま素早く扉の中へと入った。 「少々お待ち下さい」 入ってすぐはそれでまた内扉前で待たされる事になったものの、確認をとる程度だからたいしてかからない筈だった。もうすぐ母親に会えると思うからか、期待に胸を躍らせるシグネットの足は元気良くぶらぶらと動いていた。 「ねぇ、れいりぃはしょーうん、すき?」 だが、内扉を見ていた筈の少年が唐突に振り返って聞いてきたその言葉に、シーグルは一瞬固ることになった。 「え、えぇ。……ですがどうしてそんな事を聞かれたのでしょうか?」 驚いたあまりその疑問をそのまま子供に返してしまって、シーグルは言ってから自分の失態に後悔した。 「あのね、しょーうんはいつもれいりぃをみてるの。しょーうんはれいりぃがすきだよ」 それでシグネットが返してきた言葉には正直反応に困るしかなかったが。子供にこんな事を言われるなんて一体どんな目でセイネリアは自分を見ているんだとは思いつつも、子供というのは何も知らないようでいてその実本当によく見ているとも今更に思う。 だが、セイネリアが自分を見ているというのに気にしてこんな事を聞いてくるというのは、シグネットがそれだけセイネリアを見ているという事もであるのだろう。だからシーグルは出来るだけ柔らかい口調でシグネットに尋ねた。 「……陛下は将軍閣下がお好きなのですね」 「うん、しょーうん、おっきくてー、つよくてー、かっこいい、なんでもできるっ」 思い切り瞳を輝かせてそう言ってくるシグネットには、こちらも笑みが湧いてしまう。セイネリアがシグネットに優しいのは計算もあるのだとは思うが、いくら彼であってもこんなに純粋な好意の目を向けられれば自然と笑みが浮かんでしまうに違いない。特にそれがシーグルとよく似たその血を引いた存在であるなら。 だからシーグルは父と名乗れない我が子に頭を下げる。 「でしたら、たくさん将軍閣下に笑い掛けて下さいませ。大好きだと言葉でお伝え下さいませ」 「うんっ。……れいりぃは?」 元気よく返事をした後に不思議そうに聞いてきた少年には、兜の下で苦笑しか返せなかったが。 「私には出来ないのです。その資格がないのです」 --------------------------------------------- シグネットを書いてるのが結構楽しいです。 |