見あげる空と見えない顔




  【9】



 月はもう真上にあって、街の明かりも街灯以外は殆どが消えた時間、その街を見渡せる将軍府の西館の屋上には激しく剣を打ちあう二つの人影があった。
 ガン、ガン、と何度も響く音は剣が盾に止められる音。
 シーグルの剣を盾で止めていても、アウド側としては自分の方が追い込まれている事は分かっていた。体が細いとはいえシーグルの剣は決して軽くはない。こちらと違って両手剣であるから単純に武器の重さの所為もあるのだが、シーグルの場合その重さのコントロール能力が尋常ではないレベルな為、重量以上に受けた時の手ごたえが重いのだ。剣の重量を利用して速く振る、相手にはその速度が乗って更に重さを増した重量が襲い掛かる。それで狙いも正確なのだから気を抜く暇がない。
 盾というのは防御に関しては相当のアドバンテージを持っている。ほぼ線である剣を面で受けられるのだから受けやすさは当然ではあるのだが、その代わりにその防御面がすべて死角になるという弱点もある。だから見えない部分は予想するしかない。相手の足元、腕の動き、体の向き、クセ、全てから攻撃がくる方向を経験から予想して盾で防ぎ、押し返してこちらの距離まで詰める。
 だが、シーグルの剣は受け難い。あまりにも型が綺麗でクセがないから剣自体を見ないで剣の軌道を予想し難いのだ。逆にこちらのクセは全て見抜かれているから、それを利用されて受けるだけで向うの意図通りに動かされていたりする。
 それでも今は――。

「こンのっ」

 ずっと受けていた体勢から、アウドは思い切って 右足 から踏み込み前に出る。そうすればシーグルも一度引いて、彼の口元に僅かな笑みが浮かんだ。

「足の調子はいいようだな」
「えぇ、どうです随分動けるようになったでしょう?」
「あぁ、今のは予想出来なかった、かなり自然に使えたんじゃないか?」
「そらもー、このとこずっと付き合って貰ってますからね」

 それで少し調子に乗ってこちらから踏み込んで仕掛ければ、一瞬で剣を絡めとられて足を引っかけられる。それで無様に月を眺める事になって、アウドは大きくため息をついた。

「まったく、騎士団時代よりまた強くなってるんですからね、貴方は。アウグから戻った後に鈍った体がなかなか戻らないと言ってたのが嘘みたいですよ」
「ここはなかなかクセが強くて腕のいい連中が多いからな。彼らと剣を合せているといろいろ勉強になる」
「成程……まぁ確かに、騎士団にいなかったレベルの腕の連中はごろごろいるみたいですがね」

 起き上がれば、アウドが主と呼ぶ青年は兜を取って汗を拭っているところで……月光に照らされたその顔に、目を奪われたまま動けなくなってしまった。

――本当に、変わらないんだ、この人は。

 恐らくまだ本人は気づいていない、だがどうやらシーグルの正体を知っているここの人間はほぼ皆知っているらしい事。もう歳を取る事がない彼は、言われれば確かにアウドが騎士団で部下として彼と再会した時から外見的に変わっていないように思える。ヴィド卿の屋敷で初めて見た時はもう少し子供っぽさがあった気がするから、歳を取らなくなったのはそこから半年から1年くらいの間だろうか。
 正直なところセイネリアからそれを教えられた時、アウドは最初こそ困惑したもののその後に喜びを感じてしまった。この美しい青年の姿がずっと損なわれる事がないというのは、彼に従い彼を守りたいだけの自分には都合が良いい。別に彼の容姿の為に従っている訳ではないが、自分が愛した美しいものが美しいままで在る事が出来るというのを喜ばない人間はいないだろう。
 けれど彼本人には……それは手放しで喜べる事ではないだろう、という事をアウドは分っていた。彼のような周りの人々を自分の身よりも大切に思ってしまう人間なら、それはその大切な人々から自分が置いて行かれるように感じられるのではないだろうか。だからあの男も、未だにシーグル本人にはそれを明かしていない。いつまでも気付かれずにいる事は不可能だと分かっている分、気づくまでは黙っているつもりなのだろうか。

「……少し、休憩するか?」

 黙って座ったままシーグルを見つめていたせいか、そう声を掛けられてアウドは焦った。

「あ、いえ……えーと、そうですね、少し疲れました。休憩しましょうか」
「分った、確かにもうかなりいい時間だな」

 言うと彼は傍に置いておいた水袋を持ち上げて、一つをアウドの方へ投げてくれる。それから自分の水袋から水を飲む彼の姿を、やはりアウドはぼうっと見惚れるように見つめた。
 少しだけ疲労が見えるその横顔は憂いを帯びていて、青白い光の中に浮かび上がる白い容貌は儚げにさえ見える。浮かぶ汗さえ月光を受けて輝き、薄い唇が水袋の口を銜えて飲めばその唇も濡れて艶やかに光を纏う――……まずい、と思ってアウドは急いで彼から目を逸らした。
 本人は色事を好まないクセに、元々の容姿と相まって好まざるといえ不幸な経験のせいでシーグルは時折とんでもなく色気がある。そういう人間の食べたり飲んだりしている姿というのはじっと見つめていると性的な事を連想してしまってヤバイのだ。危うく下半身が手遅れになりそうになって、アウドはとにかく考えを切り替えようとした。何せ実際その身体を抱いた事がある分、きっかけから連想する想像が具体的になりすぎて欲望に直撃してしまう。

「一応マスターからは俺の判断でいいと思ったら知らせろ、と言われてる。ただ仕事に入っても緊急時以外は基本的に表に出る事は禁止だそうだ」

 だから焦って、最初はそれで何を言われたのか分らなかったアウドだったが、ゆっくり考えて会話を思い出して、足の事かと理解してからほっとする。

「あ、えぇ、そらそうでしょうね、ただでさえ貴方を疑ってる人間はいると思いますから、行方不明の俺っぽい体格の人間が傍にいたら余計疑われるでしょう」
「それでもお前が普通に歩いていれば、他の連中は違うと思ってはくれるだろうがな」
「そうですね、そんでもまぁ……疑いの目で見られるでしょうね。そしてそういう目でじっと観察された場合、俺がボロを出さない自信はありません」
「確かに、正直言えば俺もこれ以上注目されたらきつい」
「貴方はもともと嘘を付けない性分ですからね」

 それには返事の代わりに、彼は自嘲を帯びた苦笑をしてから視線を遠くへ向けた。

「今の俺は存在自体が嘘で出来てる、偽りの塊だ」

 暫くして聞こえたちいさなその呟きは、彼としてはこちらに聞こえていないつもりだったのかもしれない。だから逆に、思い切りにっと笑ってアウドは主張するように少し大きめな声で彼に言った。

「それでも俺にとっては、貴方が生きてそこにいるという真実しかありません」

 驚いたシーグルが振り返って来て、それからこちらの顔を見て笑う。
 ありがとう、という言葉と青い光を受けた彼の微笑みの美しさを、自分は恐らく一生忘れないだろうとアウドは思った。








 窓から見える月はもう頂点から降りてきているところで、今がすっかり深夜になった事を伝えてくれる。満月は過ぎてしまったがまだ明るいアッテラの月の夜は、繁華街に行けば戦士である事が多いアッテラ信徒達が夜通しで自らの神を称えながら宴会をしている筈だった。冒険者時代、顔だけは広かったウィアはその宴会によく呼ばれて、リパ神官のクセに一緒になってアッテラを称える歌など歌って朝まで騒いだものだった。

 そんなアッテラの月の夜、賑やかな酒場からずっと離れた城の一部屋で、いつもなら一人でも賑やかだと言われるウィアは黙って何も言葉が返せないでいた。

「すみません、ウィア」

 息が詰まるその沈黙を耐えられなかったのか、フェゼントが謝ってくる。それでウィアは首をぶんぶんと振ってやっと口を開いた。

「フェズが悪いんじゃないだろ。……だから、謝んな」

 それでまた互いに何も言えなくなって沈黙が下りてしまったから、ウィアは下を向いてどうにか笑みになるように歯を出してにっと口を開いてから顔を上げた。

「いや、うん、そーだよな、シーグルがいなかったらそりゃシルバスピナ家はフェズが継ぐしかないよな。うん、とーぜんだ、ちょっとびっくりしたけどさ」

 声も出来るだけ明るくして、フェゼントの迷いが分るからこそ、ここは出来るだけ自分は気にしてないようにしなくてはいけない。

「でもウィア、私は……」
「貴族の当主様だったら、結婚もしなきゃだよな、そーだよなっ跡継ぎが必要だもんな、フェズなら美人だし優しいから奥さんもすぐ決まるさ、それに王様の身内だしなっ、もーよりどりみどりって奴だと思うぜっ」
「ウィアっ」

 らしくなく怒るような大声を出してフェゼントがウィアの手を掴んでくる、それでウィアは口を閉じたが、フェゼントが顔を覗き込んできてじっと見つめられてしまったからそれ以上は我慢が出来なくなった。
 ぽろぽろと、目から涙が落ちる。
 顔は懸命に笑みにしようとしたのに、涙が止められない。
 俺もいい大人なのにと思っても、みっともなく落ちてくる涙はどうしようもない。

「ごめん、驚いただけだから……うん、それだけだ」

 だから泣きながらも顔を上げて笑って見せれば、ふわりとウィアは温かい体温に包まれた。それから引き寄せられて、しっかりとフェゼントの体に押し付けられて抱きしめられたのだと分かれば、ウィアの瞳からは更に涙がどっと溢れる。そうなればもうどうにも出来なくて、ウィアも彼に抱きついて頬を自ら押し付けた。

「でも俺はフェズと離れたくない、フェズに奥さんがいてもいいからさ、フェズと一緒にいたいんだ」

 とうとう本音が出てしまえば、頭の上からフェゼントの優しい声が聞こえた。

「ウィア、今の私にとって一番大切なのはウィアです。だから、貴方が離れたくないといってくれるなら私は離れません」

 それを聞いてウィアは顔を上げる。綺麗に微笑むフェゼントの顔を見たらまた涙が溢れて視界が歪んでしまったから、懸命に涙を拭って鼻をすすって嗚咽を飲むこむ。そうすればフェゼントはウィアの額にキスしてくれて、そうしてまた笑みを浮かべて静かに話し出した。



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 アウドビジョンによるシーグルさん……どれだけ美人なんでしょうね(==;
 



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