呼ぶ声と応える声と




  【2】



 シーグルは夢を見ていた。
 夢の中で『彼』が見せてくれる風景はいつでも戦場という訳でもない。
 戦場でない大抵の場合はそこは魔法使いの部屋の中で、彼が調べものをしている風景だとか薬を調合しているところだとかを見る事になる。魔法使いの生活風景などというものを良く知っていた訳ではなかったからそれはそれで興味深くもあったが、なんだか最近はそれを見せる事で彼が何かを隠しているような気がしていた。
 というのも一度、夢の中で彼が魔剣になる過程が見えた時に、シーグルは一度聞いてみた事があるのだ。

『なら、黒の剣の中にも魔法使いがいるのか?』

 いつもなら問いには何かしらの答えとなるイメージが返ってくるのだが、その時は急に彼の意識が混乱を起こしたようによくわからなくなって、拒絶の意志と共に目が覚めた。つまり、黒の剣についてはこちらに教えたくない何かがあるのではないかとシーグルは思った。
 ちなみに彼のいる筈の魔剣本体は今はレザ男爵が持っている。自分を見つけた時身に付けていた装備の中でどう見ても蛮族の物ではないと思った為、レザがこれはお前の物かと聞いてきたのだ。それに頷いた事でそれは彼が預かるという事になったのだが、自分の立場としては武器が取り上げられるのは当然の事なので仕方ない。ただ主と認められた魔剣はどこにあっても呼べる為、いざという時の為に彼が持っているのは都合が良いとも言えた。
 もしここから逃げる機会があった場合、こちらに武器がないと思わせておいたほうがいい……果たして、そんな機会があるかどうかは分からないが。

「で、ラウ。どんな感じだ?」

 シーグルの治療中、椅子に座ってそれが終わるのをじっと見ていたレザは、ラウと呼ばれた参謀の青年が立ちあがった途端に待っていたように聞いて来た。

「そうですね、思ったよりもずっと治りは早いですが……まだ、だめですからね」

 それで睨まれれば、レザはあからさまに情けない顔でがっくりと肩を落とす。一方、シーグルとしてはほっとするのだが、それでもこれは少し猶予期間が延びた程度なのだとも思って気が重くなる。
 一度ノウムネズ砦にいた時調子に乗ってシーグルを抱いた後、この参謀の青年にレザは相当に怒られて、彼は最低限シーグルの胸の怪我が治るまでは手を出すなという事を約束させられることになった。
 だから今、ここはレザの部屋であっても彼が夜眠りに来る事はなく、彼は屋敷の養子の誰かの部屋で寝ているらしい。いくら養ってやる為の形式的なものだとはいえ、父親と息子と呼び合う間柄でそういう関係があるというのは想像したくないが、そこにまで何かを言う権利がシーグルにある筈もない。他国の風習に文句をつけるより、当事者達が納得済みなのだからいいのだと自分に言い聞かせていた。

「それにしてもラウ、キスもだめってのはないんじゃないか?」
「だめです。貴方前の時もキス程度だっていってて抑えきれなくなって最後までやったんじゃないですか。つまり貴方は我慢が出来ない人なんですよ、自覚してください」
「酷い言い草だな、父に対して」
「はい、貴方とは長い付き合いですのでそれくらい分かっています」

 それで諦めて部屋を出て行ってくれるのだから、彼自身も自分が我慢が出来ないタイプだという事は自覚しているのだろう。だから彼が悪い人間ではない事は分かってしまうし、実際剣を合わせたこともある立場上兵士としても尊敬できる人間だとは思うものの……彼が自分をそういう意味で気に入っているというのには考えれば考える程溜め息しか出ない。

「貴方が暗い顔をしているのは、祖国を離れた敵国にいる所為でしょうか、それともあのすけべ親父に抱かれる事を考えてでしょうか?」

 部屋に残って治療道具の片付けをしていた青年にそう声を掛けられて、シーグルは苦笑しつつも彼に言った。

「どちらもだな」
「ふむ……前者はおいておいても、後者には同情しますよ。あの人の最大の欠点は、あの絶倫ぶりというか色事に我慢がきかないとこですからね」
「その……やはり君も彼と……そういう関係を持った事があるんだろうか」
「そりゃ勿論」

 予想はしていたものの当たり前のように言われて、シーグルの口元が引き攣る。

「まぁでも別に嫌々ではないですよ。なにせあの人は私の恩人ですから」
「恩人?」

 聞き返すと、青年は眉を寄せて少し考えた後、そうですね貴方はクリュース人ですし……とぶつぶつと呟いた後ににこりと笑った。

「実は私、一応魔法使いなんですよ」
「――え?」
「まぁ、魔法使いとは言ってもたいしたことは出来ません。そうですね、貴方の国の言い方だと魔法使い見習いとなるのでしょうか。……あぁ、勿論ここではバロン以外にはそのことは内緒ですよ」

 シーグルがそれにただ驚いていると、彼は懐から短い杖を取り出して見せた。

「私は元々アウグに取り込まれたとある小さな村の出身でしてね、幼い頃、ふらっと遊びにきたクリュースの魔法使いに才能があると言われて軽く魔法の手ほどきを受けた事があったんですよ。で、魔法使いがいなくなっても自己流でいろいろやっていたんですが、アウグ軍が村にやってきた時に、あの人が一人でいるところにつたない術でかかっていきましてね、まぁあっけなく押さえつけられたんですがその時に『黙っててやるから俺のとこにきて将来俺の役に立て』っていわれましてね、今に至るってとこなんです」

 アウグ国教のデラ教が魔法使いの存在を許していない事はシーグルも知っている。だから貴族であるレザが彼を匿うという事にどれだけのリスクがあるかも想像は出来る。それは文字通り、彼が言うところの『恩人』といえるだけのことであるとはシーグルも理解出来た。

「大人しくしない私に、魔法使いとバレたらどれだけヤバイかそこで相当脅されたわけですけどね。ただここに来てからは好きなだけ勉強もさせて貰いましたし、あの人も息子として他の連中と分け隔てなく可愛がってくれましたからね、ある程度の歳になった時に自分から言ったんですよ」
「そうか……」

 そこまでの事情があったなら、彼が自分からあの男に抱かれようと思ったのも理解は出来る。そして彼が、文句やら小言を言いながらもどれだけレザを敬愛しているのかも想像出来た。
 だが、それだからこそこの彼なら分かっている筈だとシーグルは思う。

「君は俺の正体を知っている。なら、俺をどうすべきか分かっている筈だ」

 青年はそれに思い切り顔を顰めて、見せつけるように大きな溜め息をついた。

「えぇわかってますよ。もう何度も何度もバロンには言っています、さっさとリシェに連絡して身代金ふんだくれって。聞いてはくれませんけどね」

 その反応で、彼が自分の世話をしながらもいつも不機嫌そうなのはそのせいではないかという予想は確定かとシーグルは思う。

「何故あの男はそうしないんだ。彼は俺をどうする気なんだ」

 だから聞いてもはぐらかすレザ本人より、この青年にそれを聞いた方がよいとシーグルは思ったのだが。

「正確には私にも分かりませんが……まぁ、悪い癖が出たんではないかと思います」
「悪い癖?」
「だから、あの人は貴方を気に入ったんですよ。自分の元に置いておきたいって思うくらいに。少なくとも、貴方を欲しくてあんなに盛り上がってる現状では、当分貴方を帰す気はないんでしょうね」

 その答えには頭を抱えるしかない。
 常識的に考えてあり得ないと思っていた為、シーグルは馬鹿馬鹿しすぎて呆れるしかなかった。

「……つまり、あの男が俺に飽きるまでは俺を帰す気はないという事か」
「まぁ端的に言やそうですね」

 呆れるのが過ぎれば、今度はそれが怒りになるのにさほど時間はかからなかった。

「馬鹿にするな、あいつは捕虜をなんだと思ってるんだ」

 そうすればまた大きくため息をついて、シーグル以上に呆れた顔で青年は言ってくる。

「言っときますけど、あの人は貴方のことを捕虜として逃げ場がないのをいいことに好き勝手弄んでやる、なんてつもりは欠片もないですよ。気に入った青年を囲って抱いて口説いて自分のものにしようとしているだけです」

 怒りに向かっていたシーグルの感情はそこでまた矛先を変えられた。再び呆れて脱力したシーグルは、顔をひきつらせて聞き返した。

「……なんだ、それは」
「だから、最初から貴方を捕虜にしたつもりなんかないんですよ。気に入ったから連れ帰ったというのは周りを欺く為の建前なんかじゃなくあの人の本心です」

 シーグルはそこでなんだか自分が怒っていた事さえバカバカしくなってきた。気が抜けすぎて、思わずベッドに座ったまま天井を仰いだ。

「なら、彼は俺をこれからどうする気なんだ」

 やけくそというか、気が抜けきった声で聞けば、やっぱり大きなため息と共に青年は返してくる。

「さぁどうなんでしょうねぇ。貴方の事をもういいって思ったら、貴方の領地に連絡つけて交渉したりもするかもしれませんが……あの人あれで一度惚れた人間はそうそう手放したがりませんから」
「冗談じゃない、俺はこんなところで奴の愛人になるつもりはない」
「だからあの人の悪い癖だって言ったじゃないですか。戦士としては英雄視されるくらいの人なのに、下半身に正直過ぎるのが困りものなんですよ」

――なんだ、それは。

 もう言い返す気力もなくなって、シーグルはがっくりと項垂れた。
 レザ自身は悪い人間ではない、と思う。兵士としても指揮官としても立派な人物……だとも思える。治療をして貰った事も蛮族達から匿って貰った事も感謝していると言っていい。
 だが彼に口説かれてやる気はシーグルにはこれっぽっちもない、と断言できる。

「あぁ、交渉はバロンと直接してくださいね。俺に言っても何の権限もないですし、どんなにどーしょもないなと思ったとしても、あの人の意志に背くような事は俺は一切しませんから」

 部屋を去り際、魔法使いでもある青年は項垂れたままのシーグルにそう言うと、嫌味な程馬鹿丁寧なお辞儀をして出て行った。





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 とりあえずラウさんの事情。



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