望みと悪意の計画




  【8】



 薄紅色と白のストライプの壁は、ここの主が彼女へと変わる時に前王リオロッツのイメージを払拭する為に張り替えられたものであり、確かに明るく女性らしい雰囲気を出すのに効果的だと言えた。
 とはいえ今のセイネリアにとってはこの部屋に入る事は出来ればあまりしたくない事ではある。勿論、個人の感情で仕事を放棄する気はないし、しかも今日は彼女からの呼び出しでその用件の重要さも分かっている。

「少し早かったか?」

 セイネリアが入って来ても未だに書き物をしていたロージェンティは、言えば手をとめてペンを置いた。

「いいえ、時間ぴったりです」
「そうか、なら早速話に入ろう。互いに忙しい身だ、無駄な挨拶などなくてもいいだろ?」
「えぇその通りです」

 セイネリアがそれで椅子に座れば、彼女も侍女に部屋を一時出るように告げる。
 この部屋に入れば嫌でも目に飛び込んでくる絵――シーグルの肖像画――に思わず一度体が止まって、けれどもそれに僅かだけ自嘲の笑みを浮かべるとセイネリアは口を開いた。

「それで、お前のお母上とは連絡が付いたのか?」
「えぇ。……単刀直入に言えば、貴方の予想通りです。リーズガンという男は確かに母が匿っていたそうです」

 それにセイネリアが僅かに目を細めれば、現在この国のトップに立つ女はため息をついて改めて話を続ける。

「あの男はかつて父と繋がっていたそうです。それで家にも来た事があって、母も面識がありました」
「それで、リオロッツが倒された後、保護を求めてきた、というところか」
「そうです。……母も、心細かったというのがあるのでしょう。兄達も亡くして一人でいるところに頼って来た者がいて嬉しかったのかもしれません。首都へ来るように呼び掛けて断られた時におかしいと思うべきでした。こちらの事で一杯一杯になっていて母の事を考えなかった私の落ち度です」

 気丈にそう答える彼女に、だがセイネリアは少しだけ苛立ちを見せて足を組んだ。

「別に誰の責任だという話がしたい訳じゃない、それでリーズガンはどうした?」
「宮廷特使が来た段階で逃げたそうです」
「逃がした、のではなく?」
「……おそらく、本当は逃がしたのでしょうね」

 ロージェンティの声も顔を沈んでいて、彼女は言い切ると唇をきつく結んだ。

「逃げたとしても一日も経っていない話だからな、まだ遠くへは逃げきれていないだろう。もしくは魔法使いの手引きがあって逃げられたとしても急過ぎて手がかりを残している可能性も高い」

 言いながらセイネリアは席を立つ。

「クォンクスに行くのですか?」
「あぁ、ついでにお前の母上も城にお連れしてくるさ」

 それを聞けばロージェンティの顔が強張る。

「まさか、貴方本人が行くのですか?」
「そうだ、その方がいろいろ手っ取り早い」

  それ聞いても彼女は顔を軽く顰めたままで、だからセイネリアは軽く笑ってみせた。

 リーズガンの厄介な点は一つ、シーグルが生きているという事を知っているというだけに過ぎない。普通なら放置してもいい程の小物だが、実際リオロッツの裏仕事をしていたという事実があるからあの男が言えばただの戯言と聞き流す者より本当なのか疑いを持つものの方が多いというのが問題だった。……確実に、現時点で表に出てくるような事があれば面倒な事になる。
 それにセイネリアとしても、小物のくせに何度もシーグルを貶めようとし、実際に手を出して弄んだあの男が未だに存在しているという事自体が気に入らなかった。出来るだけ早く、確実にあの男を始末するなら自分が行くのが手っ取り早いと考えた。

「安心しろ、お前の母親の罪を問う気はない。ただ一人で旧ヴィド領に置いておくとまた利用される可能性がある。それに本人的にも今回の件は参っているだろうからな、可愛い娘と孫の顔でも見れば気も晴れるだろうよ」

 だがそう言っても彼女の表情は厳しいままだった。

「いえ、罪は罪です。身内だからといって隠蔽するのは愚かな為政者のする事です」

 セイネリアは彼女の目をじっと見て、軽くため息をついてから殊更ゆっくりと話し出す。

「……いいか、そもそもリーズガンはもとから内密に始末するつもりだった、だから公にする気はない。例えもし後で何かあったとしても、今回の件を公表しなかったのはお前の指示ではなく俺がもみ消そうとしたからとでも言えばいい、それで少なくとも王家のイメージダウンにはならんだろ」

 言えば彼女は驚いた顔をして、セイネリアを見つめ返した。

「何故……そこまで?」

 セイネリアはそれにはまた笑ってやる。だが今度の笑みはロージェンティが滅多にみる事がない柔らかな笑みで、またそれが彼女に向けたモノではない事をその視線の示す場所で彼女は知る。

「お前が自分の母親を罰する姿など見たら……あいつが悲しむだろ」

 言えば彼女も苦笑して、そこから深く頭を下げた。

 部屋を退出し、既に準備済だった事もあってセイネリアはその後すぐ魔法使いによってクォンクスに飛んだ。だが……将軍府で主の留守を守るカリンのもとへシーグルが消えたという報告が入ったのはそれから間もなくの事だった。






 高い天井、それに祭壇。まるで本物の神殿のようではないかと、その部屋に連れて来られた時シーグルは思った。
 魔法使いと命をつなげ、その生命力を少し差し出す代わりに見返りを受ける――皮肉を込めてそういう者達を『信者』と呼ぶそうだが、そこはまさに信者が集まる神殿だった。恐らく地下なのだろう、窓がないからステンドグラスはないものの、壁には凝った彫刻のついたランプ台が並んで明るすぎないくらいに広い部屋を高い天井まで照らしている。祭壇には人の頭程ある赤い石がおいてあって、それが崇める対象なのかと思わせる。
 入って来た時、そこには人はいないように見えたが、よく見れば祭壇から遠い奥まった場所には跪いている人間の姿が見えてそれなりの人数がいるようだった。魔法使いを先頭としてここへシーグルと共に入って来た信者達も10人程いるから、少なくとも魔剣を呼んだとしても力づくで逃げる事は無理だろうとシーグルは思う。それ以前に、どうにかして逃げられたとしてもこの場所から外へ逃げる手段がない段階で詰んでいるのだが。
 前を行く二人の魔法使いは祭壇の前までくると足を止め、その場で振り返った。

「驚いたかね? まるで本物の神殿のようだろう?」

 初対面から生理的に嫌悪感を感じた方の魔法使いが得意げにそう言ってくる。どうやらここの『信者』と繋がっているのはこの男の方らしく、信者達はこの男を『サテラ様』と呼んでいた。
 腕に枷を嵌められ、両脇を特に体格の良さそうな信者に掴まれているシーグルは嫌悪感だけを顔に浮かべて何も言わなかったが、代わりにもう一人の魔法使いが嫌そうな顔をしてサテラの前に出た。

「いつ見ても悪趣味だな、自分が神にでもなったつもりか?」

 自ら過激派の首謀者だと名乗った魔法使い、こちらはリトラートと言うらしい。サテラにそう呼ばれていたのを先ほど聞いたのだが、この魔法使い達の会話を聞いたところ分かったのはこの二人は協力関係ではあるがあまり仲は良くないという事で、特にこのリトラートの方がサテラを嫌っているらしい。

「どうせこの国の神など全て我々が作ったインチキだ、私が神でも構わないだろう?」

 真面目に彼らの会話を聞く気などなかったシーグルだったが、その言葉は流石に聞き流すにはひっかかるものがありすぎた。

「それは……どういう意味だ?」
「おや、まだ知らなかったのかね? 確か君は魔剣の主だと聞いたのだが」

 意外そうにそう言ったサテラという魔法使いは、だがシーグルが睨み付けると歪んだ笑みを顔に浮かべて勿体ぶった口調で言ってくる。

「ふん……そーかね、知らなかったのか。そういえば君のお母上はリパの神官で、君自身もきちんとしたリパの信徒だったかな、それは知ったらさぞショックだろうねぇ」

 どうにもこの男は徹底的にシーグルにとっては生理的に合わないらしく、その話し方を聞いているだけで苛立ちと気色の悪さが積み上がっていく。

「確か三十月神教……だったか、この国の国教はね、そもそも初代王アルスロッツと魔法使い達とで作ったものなんだよ」
「それは、どういう……」

 だがそれに答えようとしたサテラを止めるように、リトラートが声を張り上げて会話に割って入って来た。

「それは今ここで話す事じゃない。せめて貴方の信者がいないところで言うべきだな」
「……そんな事を気にしているのかね。既に魔法使いとして禁忌を犯している私に今更だな」
「それでもだ、聞くべきでない者達にべらべら話すのは感心しない」

 シーグルとしては聞けるならすぐにでも答えを知りたいのだが、サテラの方は話す気を失くしたらしく、シーグルに背を向けると祭壇の前に行って何かを始めた。それからすぐ肩を押されてシーグルも祭壇に向かう事になる。抵抗しても無駄だろうと大人しく前に出て行けば、祭壇には丁度人一人が乗れるくらいの台があってシーグルはこれから自分がどうなるかを理解する。そうして案の定、両脇の信者だけではなく他の者達に足を持ちあげられて、シーグルは祭壇の上に寝かされてしまった。腕の枷を頭の上で固定され、両足首も何かで固定されれば完全に拘束された状態になる。ここまでの状況になると流石に逃げるどころか抵抗さえ絶望的で、今は殺す気はないといった魔法使いの言葉を信じるしかなかった。
 おそらく、今頃皆自分を探している筈だった。
 セイネリアへも連絡は行く、魔法ギルドも動くだろう。
 自分に出来る事は無事でいる事と、出来るだけ時間を稼ぐ事。時間さえあればきっとセイネリアはやってくる。

「なんの儀式かは知らないが、俺を生贄にでもする気なのか?」

 何か術の準備をしているらしいサテラに聞けば、姿は見えないものの傍で楽しそうな声だけが返ってくる。

「生贄? まぁ、間違ってもいないが少し違うかな」

 そうすれば次に視界に現れたのはリトラートの方で、彼は暫くじっとこちらの顔を見下ろしてから、表情を変えずにシーグルに告げた。

「貴方にはこれから仮死状態になってもらます」
「何?」
「セイネリア・クロッセスが貴方の命と繋がった『知らせの指輪』を持っている事を知りました。あれは貴方の心臓と繋がっている、つまり一時的にでも貴方の心臓を止めればあの指輪は燃えてなくなるのです。そうすればきっと貴方が死んだと思ってあの男は我を失い、かつてあの剣を持った他の者達と同じように剣の憎しみに囚われて暴走するでしょう」




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 ここにきて指輪の意味が……。
 



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