前を向く意志と決断の夜




  【1】



 首都において、特殊な催事以外で一番大きなイベントといえば、年に一度のリパの聖夜祭である。
 クリュースの国教となる三十月神教は月の満ち欠けによって神が割り当てられていて、主神リパの月は満月のことを指す。各神殿ともその神が司る月の日は特別礼拝等があり、リパの日のリパ神殿では一夜を通して灯がともり、人々が夜中いつでも祈りに訪れる事ができるようになっていた。
 その中でも一年で一番主神であるリパの月が美しく、魔力が高まると言われる月の日を聖夜として、リパの大神殿があるセニエティでは街をあげての盛大な祭が前後の2日を足して5日の間催される。
 ただでさえ人の多いセニエティには各地から祭を見に訪れた者達や、商売人、祭の準備の為に走り回る者達でごったがえし、その混雑というか混乱ぶりは年々酷くなっているといっても良かった。その状態で外国からの招待客が仰々しくやってくるのだから、首都の警備隊や騎士団、すべての使える人手を使っても街の警備は間に合わず、手伝いの冒険者まで募集してどうにか回しているという状態だった。

 ただ、そんな街の混雑ぶりは主に表通りの出来事で、治安がよくないとされている西の下区に入ってくると辺りは一気に静かになる。表の喧騒とは切り離された廃墟にも近い古い住宅街には、祭り中だというのが嘘だと思えるくらい辺りに人の気配はなかった。
 その、静かな旧住宅街、空き家の一室に、息を殺して身を潜めている者の姿があった。
 全身魔法使いのようなローブに包まれ、顔をフードの中に隠して家具の傍に蹲っている青年は、リパ信徒の祈りの形に手を組んだまま、雇った冒険者が『彼』を連れて来てくれるのをひたすらに待っていた。何もかもが信じられなくなって、日々命の危険を感じているこの青年には、もう『彼』しか縋れる人物がいなかった。
 とはいえ、祭りの混乱に乗じて逃げ出しては来たものの、『彼』はこの期間中は忙しくて会う事は困難かもしれないと言われている。だから青年は祈るしかない、最後の希望――シルバスピナ卿にどうにか会う事が出来るようにと。






 港町リシェはクリュースの海の玄関口とも言える街で、海路でやってくる他国の者がまず訪れる街である。その為、リパの聖夜祭の間は、リシェから首都へと続く街道には人の列が途切れる事なく、当然海外からの賓客を迎えなくてはならないリシェの領主――つまりシーグルも多忙を極めていた。
 やってくる他国の代表、王族達を出迎え、首都まで護衛として連れていったのも何度目か。去年までと違って今では正式に当主となったシーグルは、祭り中は騎士団の仕事をするどころか隊に一度も顔を出す事も出来ず、この二日間、他国の偉いさん方の機嫌取りをひたすら続けて精神的に相当疲れていた。
 そうしてやっと最後の人物、ガナ国のオーロ王女を無事城に送り届け、一番面倒な仕事が終わったシーグルは一息つく。……とはいえ、ほっと息を付けたのは城から出た一瞬だけで、この後の予定を考えると姿勢を崩す余裕さえなかったのだが。

「お前達はこのまま後はリシェへ戻って街の警備の方に合流してくれ。急がせて悪いんだが、向うも手が足りないからな」

 護衛として連れてきたリシェの警備兵達にそう言えば、当然のごとく聞き返される。

「アルスオード様はどうされるのですか?」
「俺は一度首都の館へ行って、夕方からの夜会の準備だ」

 聖夜祭前夜にあたる今夜は、各国からの招待客の為の晩餐会と、その後一夜を通しての交流の為の会がある。当然、旧貴族当主であるシーグルは参加しない訳にはいかないし、その手の場に鎧で行くという訳にはいかない。とすれば、苦手だが貴族らしい装飾過多な服に着替えなくてはならない訳で、考えただけでシーグルはまた気が重くなってくる。

「まさかとは思いますが、お館へはここからお一人でいかれるつもりですか?」

 言われてシーグルは思わず眉を顰める。尋ねた本人――祖父の代からシルバスピナ家の守備兵をしている古参の男が何を言いたいのかは分かっていた。

「一人じゃない。ナレドが一緒だ」

 我ながら無駄な足掻きだとはシーグルも思う。
 そう言ったところで、まだ駆け出しの従者の青年に対する評価は戦力外で、一人で行くのと変わらないと言われるのはシーグルも承知の上だ。
 だから相手は頭を抱えて、強い声で返してくる。

「護衛をお付け下さい」
「慣れた道だ、表通りしか通らないから問題ない」
「それでもです」

 大きくため息をついた男は、それで一団の中にいたリーメリとウルダに声を掛ける。こちらの意見など全く無視をしてその二人に指示をすると、彼らなら文句はないだろうという顔でシーグルに押し付ける。
 勿論、シーグルがそれに文句を言える訳もなく……というよりも、それで文句を言ったりしても彼ら――特にリーメリには口で勝てる気がしなくて、シーグルは了承するしか道がなかった。どうにも彼ら二人については、プライべートの仕事を頼みやすいとシーグルが重宝している半面、古参の兵士たちの彼らに対する認識としては『領主様が言う事を聞いてくれない時に押し付ける』為の人員となっているらしい。重用している新参に対して妬んできつく当たるという事がないのはいいのだが、そういう認識はどうなんだとはシーグルも思うところだ。
 ともかく、古参兵の男の意図通り、シーグルは気の置けない関係でもある元騎士団の部下達二人を連れて、館へと帰る事になったのだった。

 だが、城前のつり橋をわたって大通りまで出た途端、シーグルの予定は変更を余儀なくされる。

 大きな通りはそれだけ人でごった返している訳で、そこをそのまま行くのは流石に躊躇われる状況だった。先程のように賓客の護衛なら道を開けさせて通りはしても、今はそこまでする気はない。となれば、出来る回避方法は一つしかない。

「少し回り道だが、住宅街の方を通っていこう」
「……まぁ、そうなるとは思ってました。表通りだけを行くのは無理でしょうね」
「リーメリっ、だからお前失礼だろって」

 相変わらず、リーメリの毒舌はもっともすぎて、シーグルは自分の軽率な発言を後悔して軽く落ち込みたくなった。それでも、彼の言う事が正しいと分かっているからこそ、それを諌める気はない。

「分かった、これからは大した距離でなくとも、基本、護衛はつける。軽はずみな行動はしない、それでいいか」
「そうしてください」

 澄まして、当然だというようにリーメリが言った直後、ウルダが大きく息を吐く。彼も大変だなと妙な同情をしてしまったシーグルは、そこで僅かにくすりと笑った。

「すみません、俺がちゃんと護衛としての役目も出来れば……」

 先程からのやりとりですっかりしょんぼりとしてしまっているナレドの声が小さく聞こえる。自分も徒歩だったら、頭を撫でるとかやりようがあるのだがとシーグルが返す言葉に悩んでいると、ウルダが彼の隣に回ってその背中を強く叩いた。
 ばんばん、と叩かれたナレドが勢いによろける。

「いいか、今のお前が弱い事なんて当然すぎて誰もケチ付けたりなんかしない。ただな、弱いならそれを自覚して、弱い者なりの考え方で戦わずに主を危険に晒さないで済む方法を考えて行動するんだ。特にうちのアルスオード様はヘタに強いもんだから、たまにその自信が裏目に出る。あの人がどうにか出来ると思って突っ込もうとしても、用心して安全策を取るように勧めるのがお前の仕事だ」
「は……はい」

 なんだかそれだけを聞くと、自分は随分と猪突猛進型の人間と思われている気がして、シーグルとしては少々微妙な気持ちになる。リーメリにはいつもその手の事を嫌味交じりに言われてはいても、ウルダはそれを諌めてくれていた分、彼にもそう思われていたのかという事実はシーグルにとっては少々寂しい。とはいえそれも、落ち込んでいたナレドが少し元気をとりもどした様子を見れば、余計な発言を付け足す気にもなれない。シーグルは軽く苦笑して、ウルダとナレドの様子を眺めていた。

「勿論、何時までも弱いままでいいって話じゃないからな。今、役に立てなくて悔しいって思った分、きっちり訓練して強くなるんだぞ」
「はいっ」

 今度は、先ほどより元気よく返事を返したナレドに、ウルダもにんまりといい笑みを返す。
 それを見ていたシーグルも、先程の話も忘れて自然と口が緩むのは仕方なかった。





 騎士団も城の敷地内にある為、当初予定では、いつも騎士団から館へ帰るのと同じルートを使って大通りから大神殿へ続く道を通る予定であったシーグル達は、その道を使わずに少し南へ下って、大通りから住宅街へ続く道の方に入る事にした。
 ただ、街に詳しければそこを抜け道として使う者はそれなりにいる為、シーグル達の他にも結構、そちらを歩いているものの姿は目についた。それでもまだどうにか馬を通らせる事は可能で、ただし少し人の多いところでは、徒歩のリーメリとウルダがまず先に道を開けさせながら進む事もあった。
 そんな道を少し行って、人が多すぎる時は更に回り道をして……としている内、他に人が見えない道にたまたま入る。人波を避けていたせいで、どうやらかなりの回り道をしてしまったらしいと思えば、館に着くのは相当遅れると覚悟しなくてはならなそうだった。

「この辺りは首都といっても、また随分寂しいとこですね。この状況でお一人だったらどうするつもりなんですか……」

 さりげなくクギを差すリーメリの一言に、シーグルは何も返せない。

「リーメリ、だからいい加減しつこいぞお前」

 だから代わりにウルダが彼に抗議をしてくれる、のだが。

「我が主は、すぐにふらっと冒険者時代のように軽率な行動するクセがありますので、それだけは直して貰わないとなりませんから」

 そこを突かれるとシーグルとしては本気で抗議の言葉も出なくなる。なにせこれは、リーメリばかりではなく、グス達隊の古参組や、やはり古参のシルバスピナ家の使用人やら守備兵達には散々言われている事でもあるので。更にいえば、今は一年で一番危険な数日であるのだから絶対に一人になるな、とキールに祭の準備期間中、しつこいを通り越してそれ自体が呪文か何かかと思うくらいに顔を合わせれば言われ続けていた。

「アルスオード様、貴方なら分かって下さっていると思いますが、リーメリがこれだけしつこいのは貴方の事がそれだけ心配だからです、ので」
「あぁ、分かってる」

 シーグルもそれに軽く笑って、馬を引いているナレドも笑えば、それで場の空気も柔らかくなる。
 ウルダはいつでも言動がとげとげしいリーメリのフォローをしてくれる。それはシーグルに対してだけでなく他の守備兵達にもその調子のようで、いい関係だなとシーグルは思う。それに一見、ウルダはリーメリに対して立場が弱そうに振舞っているものの、何かあった時はまず率先して前に立つのはウルダの方だ。剣の腕の方も確かであり、大商人の息子として交渉事も得意で、状況判断も適切で融通も利く。それに彼は、何かあったらすぐに商人組合の方にも議会の方にも連絡を取れますからと、リシェの大商人達へのパイプ役も買って出てくれている。彼が部下であるというのは、自分にとってはかなり幸運な事なのだろうとはシーグルも思う。

 そんな事を考えながらまた言い合いをしている二人を見ていると、やはりなんだか和んでしまうシーグルは、彼ら二人とナレドとこうして4人でいる事にも随分慣れたものだと思っていた。
 だがそうして人気のない通りを暫く歩いたところで、突然、待っていたように一人の人物がシーグル達の前に走り出てきた。

「お待ち下さい。少々、シルバスピナ卿にお話があります」

 手を上げて攻撃の意志はないと示すその男に、咄嗟に前にいるリーメリとウルダは戦闘態勢を取ったものの、シーグルはその人物に見覚えがあった。

「アルス?」

 名を呼ばれた事でほっとした顔をした青年は、気が抜けたように笑みを浮かべて、それから馬上のシーグルに向かって恭しく礼をした。

「覚えていて下さって光栄です。そして、手順も踏まずに突然および止めして申し訳ありません。貴方にどうしてもお願いしたい事があるのです」

 安堵の表情を浮かべてはいたものの、彼の纏う雰囲気はどこか緊張していて、それだけでただ事ではないのだろうと思ったシーグルは僅かに眉を寄せた。

「急ぎの用件だろうか」
「はい、急ぎの話です」

 返してくる声も固い、だからシーグルはそこで馬を下りた。予想通り、リーメリとウルダの二人が抗議してくるものの、どうするかと考えている方が無駄な時間だとシーグルは判断した。

「俺も時間がない、出来るだけ手短にしてくれ」

 かつて、ヴィド卿からの仕事として、要人護衛で一緒に旅をした狩人の男は、そこで地面に膝をついて更に深く礼をする。

「感謝します。実は、どうしても貴方に会いたいという人物がいるのです。相当に余裕がないらしく、出来るだけ急ぎでという事なのですが……」

 それだけでシーグルは嫌な予感がすぐにしたが、それはこれが罠だとかそういう類のものではなく、会いたいという人物に対しての事だった。

「その人物の名は?」
「俺は聞かない方がいい、と言われました。ただ、貴方に害をなそうとしている人物ではないと思います。気が弱そうで、武器ももっていない青年です」
「そうか……」

 この状況でそこまで言われて、最悪のパターンを予想すれば、恐らくそれは確定だろうと思う人物の名ががシーグルの頭に浮かび上がる。仲介役にアルスを選んだあたりでほぼ間違いないだろう。もしそうならば、断るか、会うのならば一刻を争う程急がねばならない事も分かっていた。
 断るべきだ、と理性が告げる。立場を考えればそれは当たり前のことだった。

「分かった、会おう」

 けれどもやはり、シーグルにはそれは出来なかった。
 とはいえ、会う、と返事はしたものの、その人物がいる場所が西区と聞けば今すぐという訳にはいかない話となる。
 流石に今から西区にいけば、館へいくのがかなり遅れる。何かあったのかと館の方で騒ぎが起きたりするのはまずい為、ほかの方法を取るしかなかった。

「ウルダ、すまないが、俺の代わりにその人物に会って来て貰えないだろうか」

 そうして、まずは代理の印として見せる為の家の紋章が入った短剣をウルダに渡し、それから水袋と一緒にいくつかの緑色の石を渡す。それらは魔法が込められたアイテムで、水を溜めた容器の中にいれれば、繋げられている容器の水面に映像を映し、直接通信する事が可能なものだった。

「はい、承知致しました」

 便利ではあるが高価であるため、普段はそうそうに使うものではないそれを渡されたウルダは、それで事態の重要性を理解したらしく、仕事の重さに彼の表情も強張っていた。

「アルス、ウルダを連れていってくれ、彼が俺の代理としてその人物と会う。もし、その人物がそれではだめだといったなら……俺の事が信用出来ないと同じとして、この話は最初から聞いていない事とすると伝えてくれ」

 代理で会い、その人物の名を聞く事で、ウルダもリスクを負う事になる。それを承知で行ってくれる部下を信じて貰えないのでは話を聞く事は出来ない。名を聞くだけでリスクが生じる相手……そんな人物と接触をとるのに、肝心の向こうがこちらを信じてくれないならいくらシーグルであっても切り捨てるべきだと判断する。
 たとえそれが……どれほど高貴な身分の人物であったとしても。





---------------------------------------------

新エピソードです。前回の襲われ話の後始末というか、それによってどうなったかというお話ですね。



   Next


Menu   Top