【2】 クリュースという国が作られ、その首都がセニエティと定められた時からこの国の海の玄関口として栄えてきたリシェは、これだけ首都に近い街であるにかかわらず王宮に対して独立した気質を保ってきた。それは領主であるシルバスピナ家が特殊な収め方をしていたという理由が大きく、商人中心の街の運営は結果的には旧来の封建制度とは違った社会を生み出していたからだ。 だからこそこの街の住人は街の在り方に誇りを持ち、それをもたらした領主のシルバスピナ家を敬愛していた。 シルバスピナ卿――シーグルの拘束から死刑に至る一連の事件が、街に落とした影は大きい。 表面上は大人しく従っているように見えても、リシェの民達は誰一人として既に現王を王として認めていなかった。彼らにとって愛すべき領主の青年を殺した憎き敵、それが共通の認識で、水面下で反乱の火種が成長していたのは当然の事ではあった。 そんな彼らのもとに、やむを得ず逃げた(という認識になるようにセイネリアの手の者がいろいろ噂を操作したらしい)亡き領主の忘れ形見のシグネットを王に立ようとする勢力が現れたとなればそれに協力しようとする動きが起こるのは自然な流れで、その勢力が王の軍勢を倒して近づいてきているとなればその動きが活性化するのも当然であった。 ただし、それが未だ暴動などという表だった事件に至っていないのには明確な理由がある。 「港の閉鎖はともかく、親衛隊の奴らもいなくなるとは思わなかったなぁ」 「代わりに、港に大量にゴミを突っ込んで行きましたからね、大型船は当分は入れませんよアレ」 リシェのとある商人の隠し倉庫。そして現在、リシェにおける反現王同盟の拠点であるここは、持ち主の商人を逃がした折に中の荷物ごと傭兵団に譲られた場所である。 ウィア達黒の剣傭兵団からやってきた面々はとりあえずはリシェに潜入し、街人の反乱勢力と連絡を取った。つまり街の者が勝手に暴れ出していないのは、その所為――実のところそれはウィア達の手柄というより、既にまとめてくれていた人物がいたお蔭であったのだが。 「使える兵は全部首都に集める気つもりじゃないかな。リシェを抑えるには手間が掛かり過ぎると踏んで捨てたってとこだろー」 ジャムが言えば、うんうん、と頷くのはたった今港の様子を知らせてくれた男だった。 シルバスピナの一家を逃がし、ウィア達が逃げた後。ジャムはリシェに残って、親衛隊達とぶつかった連中や彼らに暴力を振るわれた連中を助けて回っていたらしい。そこから街の人達に匿われながら仲間を増やして、いつの間にか街の反現王勢力の纏め役になっていたとのことだった。ジャム曰く『なんで自分達を助けてくれるんだって言われた時にさ、シルバスピナ卿に個人的に恩があるからって言うとな、皆すんなり信用してくれていろいろ良くしてくれてさ……』と言う事で、彼らが既に下地を作ってくれていたからこそ、ウィア達は予定以上にすんなりとこの街に入り込めたのだ。 「……かな。首都の警備は厳重過ぎて、入れないって冒険者が随分こっち来てるようだからね」 ヴィセントが呟けば、その後ろにいたリシェのリパ神殿の神官が前に出て発言する。 「大神殿と連絡が取れません、こんな事は初めてです。……どうやら王は大神殿にまで手を伸ばしたと思っていいかと」 それにウィアは思い切り顔を顰めた。 予定以上にリシェでの活動はすんなり進んだものの、首都方面での予定においては実は全く進んでいなかった。なにせ首都には今外から来た者が入る事さえ難しく、本当なら次は首都に拠点を移してファンレーン達や冒険者仲間に声を掛けるつもりがリシェから動けていないのだ。警備が厳し過ぎて、街の中は中で兵士だらけという事で、首都についての情報はかろうじて首都に潜入している傭兵団の連中とのやりとりで分かる程度だった。 「いい読みっスね、神殿関係は全部兵士に抑えられてるっスよ。勿論リパの大神殿も。そんで神殿の責任者方は王宮へご招待……名目上は保護って事らしいっスね」 そこで唐突に気配もなく現れた人物に皆の視線が集まる。灰色の髪と瞳の――傭兵団の中でもウィア達にとって馴染み深いこのフユという男は、現在首都に潜入している者とリシェとの連絡役となっていた。一緒にきた傭兵団の者達の内、隠密行動が得意な連中は現在首都に潜入していて、このフユだけが数日に一度こちらに帰ってきて報告してくれていたのだった。 「首都はやっぱ相当ヤバイ状況なのか?」 彼がふっと唐突に現れるのはもう慣れたのもあって、ウィアは驚きもせずに彼に尋ねる。 「ですねえ、中は酷いもんスよ。街を歩けば兵士に当たるってね、道歩いてるのは殆ど王の兵士ばっかっスね」 「んーーーー、やっぱ王は首都に兵士集めるつもりなのか?」 ウィアが唸れば、飄々とした風貌の灰色の髪の男は口調だけならまったく深刻そうもなく返す。 「そうっスねぇ、こっから兵を引き上げて行ってるのを見るところ、こっちを捨ててセニエティに篭る気なのは確定じゃないスかね」 「んでも篭ったからっていってもさ、それでどうにかなる訳でもねーじゃん」 現状、籠城するといっても王を助けに駆けつけてくれる勢力がいるとは思い難い。命が惜しいならあっさり白旗を上げた方がまだ生き残れる可能性があるだろうに、とウィアは思うのだ。 「まぁ、最終的にはどうにもならなくても、首都に篭ってる限り手を出せなくはありまスし、嫌がらせはしまくれるでしょうからね」 「いやがらせぇ?」 この期に及んで嫌がらせなんて馬鹿じゃないのかと思うところだが、いつも通り笑みを浮かべたままのフユが続けた言葉にはそれを馬鹿に出来ない不穏さがあった。 「うちのボスはリオロッツに『復讐』するって言ってるっスからね、降参しても命はないのは王も分かってるんスよ。ならもう後先考えず、使えるものは全部使って、こっちの内部分裂を狙ってくるんじゃないスか」 「だから、何する気だっていうんだよっ」 フユの表情も口調も少しも変わらないのに、ウィアの中で嫌な予感が膨れ上がる。 「そうっスねぇ、首都の人間を全部人質にして、反現王軍が撤退しないと毎日数人殺すと言ってみるとか、あの王なら生きた人間で壁を作ってもおかしくはないっスね。見せしめに何人か殺せば、こっちの軍も動揺して揉める事になるでしょうしね。……なにせ首都には身内がいる人間多いっスから」 流石のお気楽思考のウィアでさえそれには血の気が引く。ごくりとつばを飲み込んで、咄嗟に何かを聞き返す事さえできなかった。 「勿論、ウチのボスはその程度予想の内っスよ。だからあんたがいるんじゃないスか」 「俺に……何しろっていうんだ」 やっとの事で声を出して聞けば、灰色の男は珍しくその顔から笑みを消した。 「リパ大神官様……あんたの兄上に話を付けてくれないスかね」 「で、具体的には何に気をつければいい」 この上なく不機嫌なセイネリアの声に、金髪の魔法使いは嫌そうに答える。 「具体的か……まぁ具体的に何か出来そうなのは多分、召還術士と空間系魔法使いだ。あとは幻術使い……は多分、あんたには意味ないだろうからあんたが傍からその坊やを離さなきゃ大丈夫だろ。同じく召還術士もあんたがついてりゃまず大丈夫だろうさ、あんたが倒せないようなモンを出せるとは思えない」 首都に大分近づいたランダン・クーデの街、その領主の館内のセイネリアの為に用意された部屋。主であるその黒い騎士の背中ごしにシーグルは魔法使いの話を聞いていた。 魔法ギルドからの使者である金髪の魔法使いが知らせにきたのは、王側についた魔法使いについて。ヴネービクデの戦いの後、現王側についた魔法使い達の一部を取り逃がしたというその報告だった。それでセイネリアがここまで不機嫌を隠そうとしていないのは、逃がした魔法使いが例のシーグルを殺そうと狙う連中の仲間で、追い込まれた今は連中の内の過激派が暴走し、なりふり構わずシーグルを狙っている可能性がある、と言われたからだった。 「なら問題は空間系の魔法を使うという奴か、何が出来るんだ?」 「……まぁこいつがちょっとやっかいなんだ。空間系と言っても面白い使い方をする奴で、空間をわざと半端に繋ぐことで亀裂をつくり、材質の強度も関係なく大抵のものを引き裂く」 セイネリアがただでさえ寄せていた眉を更に顰める。 「随分物騒な能力だな」 「まぁな、ただ亀裂自体は本人が触れるか魔法陣を描いたトコじゃないと作れないし、詠唱も3段階は必要だからイキナリ現れて触られたら即アウトって事にはならない。そもそも転送は断魔石でも結界でも防げる、警戒してりゃ大丈夫だとは思うんだが……」 それでも魔法使いの言い方は『大丈夫』とは到底思えない歯切れの悪さがあった。 「問題だと思うのは何だ?」 だからかすかさずそう聞き返したセイネリアに、魔法使いは口元を歪ませると慎重な声で返した。 「いや、こいつが頭のいい奴で、元々魔力自体は大した事ないのを使い方の工夫で特殊能力にしたって奴だからな、どんな事をしてくるか分からないって怖さがあるんだよ。最初から奴が向うについるって分かってりゃもうちょい慎重になったんだが……今までずっと力を使わずに隠れてたのが自分がいるってのをアピールして見せたんだ、何か狙いがあるのか……」 仮面をつけていなかったら相当に苦い顔をしているのが分かるだろう魔法使いは、そこまで言ってから立ち上がった。 「ともかく、ヘタにあっちを突付くより目的が明白な分、こっちは全力で守りに回る事にした。まぁ坊やにはあんたがついてるだろうから、こっちからのサポートは守りと治癒に特化した連中を置いとく、俺は可愛い次期国王尾陛下のほうについてる。用があれば何時でも呼び出してくれていい」 それで魔法使いは去ったのだが、やはりというべきかセイネリアの機嫌は直らず、シーグルは苦笑するしかない。自分の事になればあからさまに表情を変える主である筈の男に、困ると思いつつも内心嬉しくも思うのだからと、自らの感情にも実は困ってしまうのだが。 「余程の事がない限りはお前から離れない、それでいいだろ?」 なだめる為にシーグルは、何時までも顔を顰めて考え込んでいるセイネリアにそう言ってみた。 「余程のこと、というのはなんだ?」 だから即そう返されて、シーグルは少し驚く。 「それは、状況によってはイレギュラーはあり得るだろ、なにが起こるかわからないし」 まさかそんな事に反論されると思っていなかった分、シーグルとしては困惑するしかないのだが、セイネリアの顔は真剣で冗談の欠片も見えない。 「お前は一言多いんだ、単に『絶対に離れない』と言えばいいだろう」 「絶対、という訳にはいかないだろ、想定外というのはどんな時もありえる」 「どんな想定外が起こっても、お前は自分の身の安全をまず考えろという事だ」 「どんな、というのは約束しかねる。俺があくまでお前の部下なら自分の身より……」 シーグルとしてもある意味売り言葉に買い言葉と言うか、意地になって反論してしまったのだが――そこまで聞いたセイネリアは、唐突にふと瞳を和らげると、それに驚いて声が止まってしまったシーグルに笑ってみせた。 「なら尚更、お前は主である俺の側を離れるな、それが部下として正しい筈だろ?」 それは確かに正しすぎて反論が出来ず、シーグルは面食らって口を閉じる。そうすればセイネリアの手がのびてきて、シーグルの頬を撫でてくる。 「俺に無茶をさせたくなければまずお前が無茶をするな、俺が冷静さを保って計画を実行する為に、お前は自分の身の安全確保を最優先して俺に心配をさせるな」 筋が通っているのかいないのか、理屈はわかるのだが納得するには疑問が残るその言葉に、なんだか呆れてしまってシーグルは苦笑する。 「……酷い理論じゃないか?」 だから悔し紛れにそう言えば、セイネリアはまた楽しそうに笑って、今度は腕をつかまれて体ごと引き寄せられた。 「ン……」 そんな強引な状況のくせにキスは優しくて、丁寧で。口腔内で優しく舌で触れてきて、こららが反応を返すまで待ってから絡ませてくるのだから怒れなくなる。 しかも唇を離せば嬉しそうに抱き抱えられて、頬を寄せて、髪を撫でられて、それでもう文句を言える状況じゃなくなるのだからシーグルは彼の狡さに呆れ果てるしかなくなる。 「なんだか、子供が抱いてるぬいぐるみにでもなった気分だ」 せめてもの反撃代わりに嫌味を込めて言えば、これくらいじゃ全く効かない彼は体勢そのままで声だけで返してくる。 「そうか、俺はぬいぐるみなんぞ抱いた事がないから分からんが」 「……そうだな、まぁ普通、男には無縁な話か」 言われれば確かに、とちょっとシーグルは恥ずかしく思うのだが、村で生活していた時は母親がぬいぐるみを兄弟に一つつづ作ってくれて、自分は兄と違って扱いが乱暴で、母親がよく修復していたなんて事までを思い出してしまった。 ただそれで少し拗ねたようにシーグルが顔を顰めると、セイネリアが楽しそうに唇を耳元に押し付けて来ながら言ってくる。 「まぁ確かに女は持ってる奴もいたな、ただ俺の場合は母親が良くこうして……」 だが、セイネリアはそこまで言うと急に黙る。撫でてくる手さえ止まったから、シーグルは不審そうに軽く体を離して彼の顔をのぞき込んでみた。 「どうかしたのか?」 「いや、ちょっとな、母親、などと口にしたのが久しぶりすぎたせいで自分でも違和感があっただけだ」 その時の彼の表情がかなり彼らしくない、不思議そうというかぼうっと考え込んでいるようだったので、シーグルは首を傾げて彼の顔をじっと見つめてしまった。 「セイネリア?」 名を呼べば、すぐに彼は気づいてまたキスしてくると、今度はシーグルに何か聞き返す暇を与えず着ている装備に手を掛けてくる。いつもの事だが、キスをしたまま片手だけで器用に装備を外していくセイネリアに内心感心しつつも、どこか彼から焦ったような空気も感じてシーグルは体の力を抜いた。 「なんでもない、過ぎた事など忘れるものだ。……今、こうしてお前が感じられればそれでいい」 唇が離れた合間に小さく囁かれた言葉は既に熱が上がり始めたシーグルにはあまりよく分からず、当然それに何かを返す事も出来なかった。 --------------------------------------------- ここでやっと首都潜入中(予定だった)ウィアの方のお話が入ってきます。 次回はエロではなくまたウィア達のお話です。 |