【4】 エフランの森。首都から馬で3日程南に行った場所にあるこの森は、あまり人が訪れない場所な為、中を通り抜ける街道は通っていなかった。その為、軍隊でここを通り過ぎるのは難しく、森を大きく東へ迂回する事になった。ちなみに森の西は高くはないものの山があって迂回に手間が掛かる為、森を迂回するなら東側の荒れ地を通るのが冒険者の間でも一般的となっていた。 「森からは少し離れといた方がいいな、何か仕掛けてる可能性がある」 森ならば召喚の為の魔法陣を隠すのも容易い、だからそう言ってきた魔法使いクノームの言葉に従って、反現王軍の部隊は森が遠くに確認できるくらいに離れて荒地を進軍していた。現在、途中から合流した兵も合わせればその数は2千を超え、リオロッツが現状用意出来るだろう兵の数をゆうに上回っている筈だった。 戦闘は一回で済む、とセイネリアが言った通り、既にリオロッツにはこちらに仕掛けてくるだけの戦力はないと考えられていた。となれば懸念されるのはセニエティの住人を全て人質として立てこもるという事で、それに関しては既にセイネリアは手を回していた為、そこまで問題にならないと考えていた。 ただイレギュラーとしてあり得る問題は、逃げた魔法使い側の過激派という存在である。 彼らにとっては軍隊に勝つ事よりシーグルが殺せればそれでいいため、なりふり構わず何か仕掛けてくる可能性があった。 「レイリース、何か気付いた事はあるか?」 聞けば、今は魔法で声を変えた彼が答える。 「いえ、特にはありませんが」 不思議そうに答えた彼に、そうか、とだけ返し、セイネリアは何故か苛立つその気分を落ち着かせる為に大きく息を吐いた。 人数が増えた所為で長くなった隊列の中、現在セイネリアは先頭部隊の後方に位置する場所にいた。勿論シーグルは傍にいて、守りの術に長けた魔法使いも3人程近くにいる。何か起こっても対処する余裕もなくみすみすシーグルを失うような事はない……筈ではあるが、何故かセイネリアはずっと自分の中の苛立ちを抑える事が出来なかった。 ――これが、嫌な予感、という奴なのだろうな。 それとも単に自分が不安を抑えきれないだけか。不安な心が必要以上に苛立ちを生んでいるだけならそれでいいが、例えば魔剣の力で何かを感じているのなら無視は出来ない。ただどちらにしろ言える事は、いくら警戒してもしすぎる事にはならないという事だ。 その時、セイネリアよりも前にいた筈のカリンの馬が部隊の進行方向を逆行して近づいてきた。 「ボス、森を抜けた辺りに敵の部隊がいます」 ここで仕掛けてくる、というならなにか魔法使いが細工をしている可能性がある。そう思ったセイネリアの直感は、続けられたカリンの言葉で確信に変った。 「ただ数は少なく、多くても2百というところだそうです。どうしましょう」 そんな勝てる筈のない人数で挑んでくるというなら、それは確実に囮だろう。ただ王にはそれだけの兵士を囮にして本隊で叩くという作戦を使えるほどの余力はない。今は首都を固めるだけで一杯一杯だろう。だから確実に、本当の狙いは魔法使い達による何かだと思っていい筈だった。 少し考えたセイネリアだったが、それでも悩む様子は見せずにカリンに返した。 「ここで足を止めたくはないな。俺が出よう」 ただそこでセイネリアは一度迷った。シーグルを連れていくか否か、彼はこのままここにいたほうが安全ではないのかと。 だが、セイネリアがカリンに答えた途端、既に自分も行くつもりで後ろについたシーグルを見て、セイネリアはその迷いを捨てた。 前の教訓を生かして先行調査の報告手順を修正していただけあって、セイネリアが先頭についた時にはまだ敵は見えなくとも既に部隊は戦闘準備に入り、ふいの攻撃に備えていた。 これならアラスの森での時のような混乱はないかと思っても、どうにも嫌な感覚は拭えない。いくらセイネリアでも魔法に関しては何をしてくるか予想しきれないという自覚がある為、不気味に感じるのは仕方がない。なにせ今のセイネリアには守るものがあるのだ、どれだけ警戒してもどうしても不安はつきまとう。 その内に森の切れ間が見えてくれば、予想通り森の影から湧くように敵の部隊が現れた。現れた途端、一斉に駆けてくる敵の部隊の雄叫びと、襲撃を知らせる味方の風笛の音が重なり、戦闘が始まる。 「人数が拮抗していたなら、面白かったかもな」 戦闘が始まって間もなく、セイネリアがそう呟くくらいには、その時の敵の動き自体は悪くなかった。たかだか2百で2千の部隊――細長く伸びている所為で直接衝突しているのは一部でしかないとはいえ――に突っ込んでくるのだから相当に覚悟がある連中ではあるのは確かだろうがとそう思いながらも、彼らの装備が基本バラバラでところどころに騎士団の者がいるという構成には少しだけ疑問が湧く。 ――騎士団の一部隊に傭兵をつけた……にしては混ざりすぎてるな。親衛隊の姿が一人も見えないのも不自然か。 だがそこで考え込むセイネリアの耳へと、はっきり、確実に届いた声があった。 「セイネリア・クロッセスっ、出てこいっ、俺と戦いやがれっ」 セイネリアとしてはまずその言葉の意外さに驚いた。なにせ腰抜けが基本の王の部隊に、セイネリアを名指して戦えという奴などいるとは思わなかったというのがある。余程の怖いもの知らずなのか、ただのはったりか、どちらにしろ、本当にセイネリアと対峙してもその言葉通り戦う気力があるのかが興味がある。 「面白い、呼ばれたなら出てやろう」 セイネリアは笑って、わざわざ通常の長剣を取って馬から降りた。だがそこで何故かシーグルが前に立って行く先を遮ってくる。 「どうした?」 「彼を……殺さないでください」 言うシーグルの声が硬い。つまりあの声の主はシーグルの知り合いかとセイネリアは思う。 「分かった」 言ってシーグルの横を抜けようとすれば、すれ違いざまに彼が小声で更に言ってくる。 「あれはロウだ、彼は大切な友人なんだ……何故王の軍に……頼む、セイネリア、殺さないでくれ」 名を聞いて事情を理解したセイネリアは長剣を抜く。もとから、自分を見た途端逃げずに本気でかかってこれるだけの面白い人物だったなら殺す気はなかった。だからこそ殺すのではなくわざわざ戦ってやる為の武器を取ったのだ。 「大切な、か……」 ただしその言葉には、我ながらばかばかしいと思うくらいに引っかかるものがある。自分を嘲笑いながら、セイネリアは乱戦の中、威勢よくつっこんでくる男に向かって怒鳴った。 「俺がセイネリア・クロッセスだ。望み通り出てきてやったぞ」 がむしゃらに走って、かかってくる兵を突き飛ばしていた男が足を止めた。こちらを見て視線が合えば、その瞳が憎しみに燃える。 「セイネリアァァアッ」 叫んで走ってくる男を待ちながら、セイネリアは周りの兵に手を出すなと指示をだした。 シーグルの幼なじみ――報告ではシーグルに告白して手酷く断られるのが騎士団ではいつもの光景になっていたらしい男は、おそらく剣なら騎士団ではシーグルの次に強いと聞いてはいた。 もちろん、セイネリアを見た途端逃げ出すようなことはない、こちらに向かってくる顔に迷いも、恐れもない。ただ憎しみを込めて睨んでくる瞳に、セイネリアはこの男が何故自分と戦いたがったのかの大体を察した。 真っ直ぐ伸びてきた剣がセイネリアを捉えようとする。それを避けてセイネリアは剣をたたき落とそうとするが、弾いた剣は彼の手から落ちる事はなかった。ただ、落とさない代わりに体ごと弾かれて相手は横にふっとばされる。それでも踏ん張って倒れはせず、下がるのは2、3歩に留め、足を切り替えてまたすぐに突っ込んでくる。 それを今度は剣で受ければ、思った以上の重い手応えにセイネリアの腕に力が入った。なるほど、シーグル程の速さはない分力が上かとセイネリアは思って、その相手を上回る程の圧倒的な力で彼の剣を押し返し、そのまま体ごと弾き飛ばした。 今度は、踏ん張れる程の余裕はなく素直に後ろへと一度大きく飛びのいた男は、そこで構え直すと同時に声を上げて気合を入れ、セイネリアを睨んで怒鳴ってきた。 「何故、あいつを助けなかった」 あぁやはりな、とセイネリアは苦笑する。 「あいつのことを愛してるってんなら、命かけてでもあいつを助けろよっ」 叫ぶと同時に走りこんできて力の入った剣が振り下ろされる。それをセイネリアが受ければ、今度は押さずにすぐ引いて、再び剣を振り下ろしてくる。 「無理だと思っても死ぬ気でどうにかしようとするだろっ、あいつの事を本気だったならぁっ」 がむしゃらに、何度も叩きつけてくる剣を受けながら、セイネリアは冷静に男の顔を見つめる。兜の隙間から見える瞳は憎しみに燃えて血走って……そして恐らく泣いていた。 「俺は認めないっ、あいつが死んだのにそんな平然としてられる奴なんてっ」 ガツ、ガツ、と剣身がぶつかるたびに音が鳴る。重い打ち込みは、常人ならこれだけ受けていればそれだけで十分脅威になるだろう。 「お前がっ、本当にあいつを愛してたならっ」 剣が合わさる度に顔が近づく、一度も逸らされる事なく見つめる瞳をセイネリアも見つめていた。 「死にたくなる筈だろっ、何も出来なかった自分を呪って、生きてる自分が嫌になるだろっ」 涙声で震えた叫びと共に、今までで一番力の乗った剣がやってくる。それを受けて払えば、予想外に軽い感触にセイネリアは眉を寄せる。……見れば、彼は剣が受けられた直後に剣から左手を離し、その手を腰にまで下していた。 当然片手だけで受け切れる筈もなく、相手の剣は弾かれた後に宙を飛ぶ。 その、力を入れて払った所為で剣先が大きく外を向いたセイネリアの懐へ、ロウという男が突っ込んでくる。左手で短剣を持つその姿を見れば、長剣からはわざと手を離してセイネリアの隙を作ったのだというのが分かる。 だが、男の短剣はセイネリアには届かなかった。 突っ込む前に横から弾かれて地面に尻餅をついた男は、何が起こったのか分からないという目でこの場に割り入ってきた人物を見上げた。 「これ以上マスターが相手をする必要はありません。私がこの男の相手をします」 黒の剣傭兵団のエンブレムをつけた黒い甲冑の人物――レイリース、つまりシーグルが、ロウの前に立ちふさがるようにしてセイネリアとの間に立っていた。 それにセイネリアは口元だけを歪ませると、何も言わず大人しく下がった。 --------------------------------------------- 次回はロウとシーグルの戦い、から…… |