【1】 首都から少し南、あまり高くはないが割合高地にあるエーヴィス村。かつてシーグルの両親が駆け落ちして住んでいたこの村は、高地用の農作物を作って生活をする人間が大半を占め、狩人が動物たちから農地を守る小さな集落であった。また、村人の多くが敬虔なリパ信徒という事もあって、村の小さなリパ神殿がこの村の学校であり、首都からの情報を得る場所であり、ともかく村の人々が顔を合わせる村の中心となっていた。 「っていっても……ロウの奴は代々続く狩人の家つってたから、神殿来ても情報は得られないか」 村に来た途端、村の事で何かあれば神殿にいけばいいと言われてきてはみたものの、考えればロウの家が狩人なら当然ロックランの信徒だろうと思って、ここに来ても意味がないのではないかと考える。 「おじちゃん、村の外の人? 冒険者?」 途方に暮れて神殿の前でぼうっと立っていたアウドは、掛けられた声に合わせて視線を下に向けた。 「あぁそうだ、ちょっと人を探してるんだけど……」 「もしかしてアズ先生? ロウ・アズーリア・セルファンって名前のっ」 それでアウドは、質問を投げる前にあっさりそれで答えを手に入れてしまった。そうして瞳をキラキラと輝かせた小さな少年は、興奮しながらアウドにロウの居場所を教えてくれたのだ。 「……成程、アズ先生、ねぇ」 村外れの広場で剣を振る少年や青年達の姿を見ながら、感心したようにアウドは笑って顎を擦った。村に帰ってきたロウは実家の狩人を継ぎはしたものの、騎士になったという話を聞いて村の若者達がこぞって剣を教えて欲しいと押しかけてきたのだという。今では近くの村から来る者もいて、この辺りじゃすっかり『先生』扱いなのだそうだ。 「よぉ、偉くなったモンじゃねーか、先生っ」 見つけたロウに向かってそう言いながら近づいていけば、難しい顔をして立っていた男は途端に表情を崩してこちらを見てくる。 「ってぇ、なんでお前がここにいんだよっ」 「いやちょっと、お前に聞きたい事があってな」 「なんだよ、お前ら今忙しいんじゃないか、こんなとこいていいのかよ。それとも何かヘマやって王様の護衛のお仕事をクビになってきたのかぁ?」 恐らく冗談のつもりで言ってきたその言葉に、アウドは笑顔のまま答える。 「いや、俺は護衛官の仕事は辞退したんだ。……俺が仕えるのはあの人だけだと決めてるんでな」 聞いた途端、気さくな青年の顔から笑みが消える。そうしてじっとアウドの顔を見てからため息をついて、ロウは彼の生徒達に指示を出すとアウドに手招きをして傍に見える建物へと向かった。 眩しい光に目を細めながらも目を開ければ、目の前にはいつもの男の胸がある。やれやれ、また寝ている間に彼に抱き込まれたらしいと思いながらも僅かに身じろぎすれば、すぐに彼は起きたらしくより引き寄せられて完全に抱きしめられている状態になる。 「おはよう」 言えば、おはよう、とすぐに返されてシーグルはため息をついた。 「離してくれないと起きられないんだが」 「なら起きなければいい」 「ふざけるな、今日は引っ越しだろ、何時までもねている暇はないぞ」 「指示は出してある、俺達がいなくても勝手にやるだろ」 「セイネリアっ、お前本気でサボるつもりか」 くっきりはっきり起きているくせに、ほぼ毎日、彼はこうしていつまでもベッドでだらだらとしたがる。仕事をサボってもいいと言い出すのも割とよくある事で、それでもそれは本気で言っている訳ではないのだろうとシーグルは思っている。……ただし、自分がそれに了承など返した日には本気でサボっていつまでもこうしていそうだが。 「実際サボってもそんなに問題にはならんさ」 そうしてセイネリアはまた、腕の中に抱き込んだままのシーグルの顔のあちこちに触れるだけのキスをしてくる。 「いつまでもだだをこねるな、俺は怠惰な人間は嫌いだ」 言えば、少しだけ機嫌が悪そうに、いかにも仕方ないといった顔で腕を緩めてくれるから、やっとそこでシーグルはベッドから抜け出す事が出来た。 いつも通りの朝のやりとり。それは本当に、彼と契約をしてこうして共に寝るのが普通になってからの毎日の事で、それどころか最近は更に悪化しているような気がシーグルはしていた。その原因が単に彼が調子に乗っているだけであるならいいのだが、彼の不安な心の現れではないかと思う事もあって怖くなる。こちらの不安を彼に伝えないように努めているシーグルだったが、こうして機嫌のいい時の彼の顔の中にも何か問題のある兆候がないかを探してしまう事がある。……その度に、彼は大丈夫だと自分に言い聞かせてシーグルは平静を装うのだが。 セイネリアはあれから約束通り、シーグルが拒絶しても力で押さえつけてくるような事は一度もなかった。だからあれは余程彼にとって気に触る状況が重なってしまっただけで、ちゃんと抑えようと思えば彼は自分を制する事が出来るのだと、そう、考えられなくもなかった。いや、シーグルとしてはそう考えたかった。それでも分かっている彼の事情からすればそんな楽観視出来ることでもないというのが理解出来ているから、シーグルはその度にリパに祈るしかない、彼が彼でいられるようにと。 「お前は昔から真面目過ぎる。いつもそんなに規則正しい生活ばかりしていたら息が詰まるだろ」 「生憎、ずっとそれで生きていた所為で、だらだらしている方が落ち着かないんだ」 今度は少しだけ驚いたような間があって、それからセイネリアが笑いだした。 「成程、確かにそれはそれでお前らしい」 セイネリアが自分に向かって『お前らしい』という時はいつも必ず嬉しそうで、彼が自分といられる事をどれだけ喜びに思っているのかが分ってしまう。一時的に不機嫌そうな顔をして見せても、こういうじゃれあいのようなやりとりをしていればすぐに上機嫌になるあたり、彼は余程こうしている今が楽しいのだろう。 セイネリア・クロッセスという男は難しい、複雑な人間だと思うが、こうして自分に向けてくる彼の感情はとてもストレートで分かり易く、純粋だとシーグルは感じている。 レザの言った通り、恐らくセイネリアはまともに親の愛情を受けて育っていないのだろう。その所為で感情が普通に育たなかったものがシーグルに向けて芽生え、それが初めてで唯一だったからこそこんなにもただシーグルだけに向けられている。 純粋であまりにもストレート過ぎて、だからこそ強すぎて不安定になる――彼はそれに振り回されているのだろうか。いや、振り回されているというよりも、今の彼はその感情を一番に優先させて全ての行動を起こしているのかもしれない。 なにせ、王を追い落としたのも新しい政府を作り上げるのも、おそらく、きっと、すべては自分の為だという事をシーグルは分かっている。シーグルを救い、セイネリアの傍に居ざる得ない状況を作る為に、彼はこんな大それた事をあっさりやってのけたのだ。自分の為にそこまでやる彼の行動にシーグルは不安になるが、それでも今は彼の強さを信じる事しか出来なかった。おそらく魔剣の影響で感情が不安定になりやすい彼の為に、シーグルが自分の不安を彼に感じさせてはならないと思っていた。 「まったく、まだ起きてないのか。デカイ図体した大の男が、起きたくなくてベッドでぐずってる姿は子供みたいでみっともないぞ」 顔を洗ってきて帰ってみれば、まだベッドで寝転がっている男にシーグルは呆れてため息をついた。そうすれば彼は、起きるでもなくその体勢のまま肘をついて偉そうに答えた。 「別にいつまでも寝ていたい訳じゃないが」 「ならさっさと起きろ」 「お前とこうしている時間が終わるのが惜しい」 笑ってそう言われてしまえば、呆れながらもシーグルも自分の顔が赤くなるのを抑えられない。本当に彼にとって最優先事項は自分とこうしている事なのだと、分かる度にシーグルは呆れる。だが呆れながらも、彼が向けてくれる全面の愛情を嬉しくも思う。愛してくれる彼を愛しいと思う。例え不安という影を心に感じてはいても、自分は彼を愛しているのだと実感する。 けれどシーグルはまた、その度に迷いもする。 こうして、彼の愛情を感じて、彼の腕の中を心地良いと思いながらも……いや、そこに幸福感を感じるからこそ、自分はここにいていいのかと思ってしまう。本当に自分が今こうしている事が、自分を信じてくれた、愛してくれた人々にとっていい事なのか……そして、彼にとってもいい事なのか、それが分らなかった。 やる事ばかりがあって仕事がいつでも山積みという状態では、季節の変化を気にしている余裕がない、という事を今回シーグルは改めて思った。騎士団時代も相当に忙しかったが、あの時はまだ外に出る用事も多かったし、何より回りにいる人間が季節のイベントに敏感で教えてくれていたから、かろうじて『もうそんな時期か』と思うくらいの余裕はあった。なのに今はデスクワークが多い所為だけではなくただひたすらセイネリアの傍にいて城と仮の館を行き来しかしていないせいか、本当に日が過ぎていく実感もなければ季節の変わり目さえ気づく暇もない。 だから、元傭兵団の館の場所に将軍府の施設が完成したと聞いて、初めてシーグルはシグネットの即位式典からもう半年近くが経った事に気付いた。何時の間にか秋になろうとしている外の風景にそこで初めて気付いたというのは、余程自分も余裕がなかったのだと思うしかなかった。 「しかし、本当に俺の部屋を作ってくれたのはいいが……あいつはどうする気なんだ」 将軍府敷地内にある元西館の建物の中、ここは元から傭兵団でも表に顔を出せない者向けの居住場所となっているため軽い改装程度しか手を入れられていない。その中の一室、セイネリアから『お前の部屋だ』と指定された場所に行って、待っていた係の者に鍵の登録をしてもらってシーグルは部屋に入ったところだった。 部屋は割合広く、机や椅子、それとは別にテーブルセット、更にはベッドだけではなく大小棚までもと、思った以上に家具が揃っているのを見てシーグルは呆れる。部屋に帰る余裕があるならいいのだが、滅多に帰れない状況だったら勿体ないなと思わずそんな事まで考えてしまう。 「マスターは自分がこちらに来るつもりみたいです」 声に思わず振り向けば、そこにはよく見知っているクーア神官の女性がいた。 「あの、すみません、ドアが開いていたので……」 「いや、気にしないでくれ。そうか、あいつがこちらに来るのか」 申し訳なさそうにするソフィアに部屋に入るように言えば、彼女は笑みを浮かべて控えめに一歩だけ中へ入った。 「椅子が2脚あるのはそのせいか……それにベッドが大きいのも。というか、棚に酒まで置いてあるんだが……結局あいつはここを自分の部屋扱いにするつもりなのか」 今度は部屋の家具類を見て回りながら、シーグルは軽く頭を押さえる。 「本館にある自分の寝室は殆ど使わないつもりみたいです。向うにはベッド以外何もありませんから」 ソフィアに笑ってそう言われれば、更にシーグルはがっくりと肩を落とすしかない。だがそうしてシーグルが酒瓶の揃った棚の前でため息をついていれば、ドアの前に立ち止まっていたソフィアが近づいてくるのが分かった。 シーグルが振り返れば、彼女はやけに緊張した面持ちでシーグルを見ると、頭をさげてやけに丁寧な礼をしてきた。 「私の部屋は隣なので、御用がありましたらいつでもおっしゃって下さい……私、すぐに参りますので」 その態度に違和感を感じたものの、シーグルは彼女に笑顔で答えた。 「そうなのか。なら、何か分からない事があったら遠慮なく聞きにいかせて貰う」 「いえ、そうではなくてっ……その机のベルを鳴らして頂ければっ、私はすぐに参りますっ」 「え? あ……あぁ、そうだな、女性の部屋にわざわざ呼びに行く方が失礼だろうか」 「いえっ、ですので私はっ」 なんだか泣きそうな顔で訴えるように言われて、シーグルとしては困惑するしかない。 だがそこで、まだ開いたままだったドアからしてきた声に、シーグルは反射的に顔を顰める事になる。 「つまり、ソフィアはお前の身の回りの世話役になっているという事だ」 「セイネリアっ」 笑いながら入ってきた主である男を睨めば、彼は楽しそうに歩いて来て、部屋の中をぐるりと見回した。 --------------------------------------------- 新エピソードです。 こっそりソフィアさんはがんばってます。 |