【2】 「流石に表通りから行くのはやめた方がいいだろうな」 「ですなぁ」 呆れすぎて笑いが出てしまったという顔で、グスが馬を横につけてきてそれに返す。 馬上からみた大通りは、大荷物を運んでいる馬車が渋滞の列を作り、その隙間を人々が押し合いながら歩いているといった状況だった。これでは事故も犯罪も喧嘩も起こり放題だろうと想像出来、自分たちの担当ではない分、この事態をどうにかしなくてはならない警備隊の者達には同情したくなる。 即位式まであと5日という事で、その式典をみようと押しかける人々と、準備のための荷物を運んでくる馬車で、街中の主要な道はどこもこんな調子であった。これで城に直接続く通りには規制が掛かってかなりの道がふさがれているから、事態の収拾はほぼ不可能に近い。 「いやぁ、外いけって言われても外に出るだけで大変だよなぁこりゃ」 大笑いをしながらテスタも近づいてきて、シーグルは大きくため息をつくと、馬首を返して今来た道を引き返しだした。 「西区の方を抜けていこう」 すぐに他の者達も急いでシーグルを追いかけ、ある者はその前に、ある者は左右に、彼らの隊長を守るように隊列を組んだ。途端、シーグルが兜からも見える口元だけを曲げて不快を露わにする。 「さすがに、この人数でいる騎士団の人間を襲う馬鹿は、そうそういないと思うが」 だが彼らの行動は、シーグルの機嫌を損ねるのを十分承知しての事だったようで、その言葉にもまったく動揺を見せることもなければ、馬の脚を止めさせる者もいなかった。 「確かに西区の裏道を行きゃすいてますけど、その分何があるか分かりませんからね」 「まぁ、俺ら全員を相手しようと思って真っ向から仕掛けてくるようなのはまずいないでしょうが、貴方だけを狙う馬鹿はいないといいきれませんから」 口調は軽口ながらこちらの抗議を聞く気がないのはすぐに理解できて、シーグルはそれ以上何かを言うのは諦めた。 セニエティの西地区は、一応一般住宅区ではあるのだが、南にいくに連れていわゆる貧民街になっていく為、その分治安が悪くなっていく。ただ今回の彼らの目的地は西門である為、街の北にある城門から西門までのいわゆる上区と呼ばれる地域しか通らない。危険と言われているのは中央広場から西門まで伸びる大通りから南、下区と言われる場所になり、やっかい事に巻き込まれたくないのなら知らないものはその地区には入るなというのがこの街の暗黙の了解事項となっている。 「そんでもそれなりにこっちも混んでますなぁ」 西地区の中でも上区となるこのあたりは、裕福ではないがやましい事をせずに生活していける者達の居住区で、普段は外から来た人間が通る事はまずなかった。だが、今日はさすがに表通りの惨状から仕方ないというべきか、抜け道として入って来たような者をそれなりには見かける。ただし、土地勘のない者が入り込んでもまず迷うので、そうそう気楽に入って来られる場所でもないし、狭く細い道が多い為、馬車は基本的に入ってこれないようになっている。だから普段よりも混んでるとは言え、馬を歩かせるくらいの事はまだこちらはどうにか出来ていた。 「道が混みすぎてて街から出られないとか、笑い話じゃ済みませんね、やっぱ早く出てきて正解でしたな」 シーグルの隊、第7予備隊は、今日はこれからリシェに行って、夕刻前にやってくるサヤラ国王を首都まで警護する事になっていた。 実を言えば、リシェ領主となったシーグルは本来ならリシェの街にいて、次々と海路でくる賓客の迎えともてなしをしなくてはならない立場である。だが、まだ領主が交代したばかりというのもあり、その役目は今回はまだ先代であるシーグルの祖父が務めてくれる事になっていた。だから騎士団でシーグルにこの役が回ってきたのは、それでも現シルバスピナ卿として客人に顔見せを出来るようにとの、上層部からの意図もあった。 「街を出たら出たで街道も結構人がいると思うぞ」 シーグルが言えば、グスが『でしょうなぁ』とうんざりした声を出す。シーグルがリシェの屋敷から首都へ帰ってきたのは一昨日の夕方であるが、その時から既に、街道は人や馬車が列をなしているという状態だった。 「ま、今日は街道の見回りじゃありませんからな、道を逸れて馬走らせちまっていいんですよね」 「あぁ、街道警備の連中には、我々が騎士団の者だとわかるようにしないとならないが」 「そりゃ大丈夫でしょ、今日の格好なら」 「そうだな」 グスとシーグルのやりとりに、周りの者達は苦笑する。なにせ、賓客のお迎え係りという事で、今回の彼らは正装というか装備一式省略なしのどこからどう見ても騎士団員だからだ。シーグルでさえ、隊長だけは普段は着なくていい事になっているサーコートを鎧の上から羽織っているくらいで、更には、マニクとシェルサはクリュース王国の紋章入りの旗まで持っている。これでこちらが何者か見てわからないという者はいないだろう。 「しかし、普通はこれって王の親衛隊かいいとこ守備隊の仕事だろ?」 「そりゃな、なにせ重要な仕事だからな」 賓客を隣街から首都まで護衛する、というのは確かにかなりの重要事で、仕事としては本来予備隊にくるようなものではない筈だった。そう考えれば、当然浮かぶ心配事もある。 「迎えにいって『俺達予備隊です』っていったら、向うの王様怒ったりしてな」 というか、怒っても仕方ない、と言える。 予備隊というのはあくまで『予備』であるから、それに王族を迎えに行かせたとなれば、いくらクリュースの方が相手国より大国であっても失礼だと言われても仕方ない。 「だから、向うで祖父から俺の立場を紹介する事になっている」 だが、シーグルが少しだけ不機嫌そうにそう言った事で、大抵の者は成程という顔をして納得した。 つまり、予備隊を迎えに寄越したなら相手は気を悪くしても、現リシェ領主が直々に部下を連れて首都へ送っていく、というのなら相手も納得するだろうという事だ。 「なんていうか……俺達予備隊っていっても、最近は少し微妙な位置にいるよな」 セリスクの呟きには、シーグル自身ため息を付きたくなる。 貴族院としては、早くシーグルを出世させてそれなりの地位につけさせたいのだが、どうにも彼らが思う通りにそれが叶ってない、というのが現状だった。考えてもみても、小競り合いをやっている砦配属でもなければ、この基本平和な国で若くして出世というのは難しいに決っている。だから上は、いろいろシーグルの隊にイレギュラーな仕事を命じてくるのだが、運がいいのか悪いのか、それらは悉く、実際は期待されていた程の派手な手柄を立てられる仕事ではなかった、という結果に終わっていた。 それでも、旧貴族の騎士という肩書を使いたい貴族院や騎士団は、今の地位のままでも、シーグルの隊にこうして予備隊の範囲外の仕事を回してくる事が多々あった。しかも今後、シーグルが『現シルバスピナ卿』となったからには、それは更に増える事が予想出来た。 「嫌なら、別の隊にしてくださいって交渉してこいよ。てかセリスク、お前もう規定期間終わったんじゃねーのか? いつでも好きな時に団辞めていいご身分だろ?」 グスににやにやとそう言われて、若い割にはいつも宥め役に回る青年は、焦ってシーグルの顔を見ると泣きそうな声で言ってくる。 「嫌じゃないです、全然嫌じゃないですからっ、俺、辞めませんからっ、少なくとも隊長の部下でいる間はここにいますからっ」 そのあまりの勢いというか、必死さに、シーグルは思わず馬上で身を引いた。 「あ、あぁ、分かった、これからもよろしく頼む」 「はいっ」 驚いた事で、声が少し棒読みのようになってしまったシーグルだったが、それでもセリスクは嬉しそうにぴんと背筋を伸ばし、やたらといい返事を返してきた。 その様子を見ていた、ほかの者達が笑う。 だが、そうして笑っていた連中の声が、突然ぴたりと止む。それから、各自暫く辺りに警戒し、耳を澄ます。 「何処だ?」 「喧嘩、か?」 「足音が聞こえてくるな」 表情から笑みを消し、足音や怒声が聞こえてくる方からシーグルを守る形で、彼らはそれぞれの持ち場につく。 足音は近づいてくる。走っているその音からでも、相手が4,5人かそれ以上はいる事が予想出来、前に位置していたマニクとシェルサ、セリスク、クーディは馬から降りて剣を抜いた。 そうして、彼らの前に足音の主が現れた時、最初に見えたその姿に、彼らは一瞬顔を顰めた。 「子供?」 必死の形相で走ってきた少年の姿を認めた途端、彼らは一度警戒を解こうとしたが、すぐに表れた後の者達を見てその状況を理解した。 少年の後に続いてすぐ走ってきたのは冒険者らしい若い青年で、更にその後、やはりいかにも冒険者だろうといった男達が4人程、あまり性質のよくなさそうな顔で走ってくる。 「おい、止まれっ」 前を走る子供と青年をセリスクが止めて、その後続の連中には、マニクとシェルサが剣を構えて迎える。 「我々は騎士団の者だっ、お前達が彼らを追っている理由は何だっ」 男達は足を止め、互いに顔を見合わせてから、シェルサとマニクに向けて愛想笑いをする。 「いや……そのガキぁスリでしてね、捕まえてやろうとしているとこでして……」 それで皆の視線を受けた少年が、今度は叫ぶ。 「違うよっ、スリはそいつらだっ。そいつらっ、グループで人囲んで金目のものを取ってたんだっ、俺見たんだっ」 けれども男達に視線が戻れば、彼らも彼らで落ち着き払って答える。 「そのガキは助かりたい為の嘘をついてるんですよ。騎士様方は、まさかガキの言う事などを信用する気ではないでしょうね」 そこで今度は、少年の後に走っていた青年が怒鳴った。 「そいつらは、武器も持ってないその子を殺そうとしてたんだっ」 「抵抗したから仕方なく、ですよ。我々も殺そうとまではしていません」 「嘘だ、押さえつけた状態で最初から殺す気だったろっ」 「その男も、ガキのスリ仲間ですよ。話を聞いてはいけません」 彼らのやりとりを聞いていた隊の者達の視線は、それで自然とシーグルに集まる。 シーグルは少し考えた。 直感的には、正しいのは追われていた少年と青年で、追っていた男達がクロだと告げている。それはおそらく隊の他の者達も思っている事で、今回はそれで確定だとは思うものの、証拠もなく片方を一方的に罪人扱いする訳にもいかなかった。 「彼ら全員の持ち物検査を。それでスリが誰かは分かるだろう」 シーグルが言えば、セリスクが早速少年に許可をとって彼の体を検査し出す。その一方で、シェルサとマニクが男達に近づいていこうとすれば……男達は一斉に逃げだして、元来た方向へと走り出した。 「ばっかだねぇ」 「まったくな」 それを見て、グスとテスタが馬を走らせる。いくら馬が走りにくい粗めの石畳だとしても、男達に追いつくのは難しい事ではない。あっという間に男達を追い抜いて逃げ道を塞げば、今度は追いついてきたシェルサとマニクに向かって男達はやけくそのように剣を抜く。それを見たグスは加勢に馬を下りようとするが、それはテスタに止められた。 「いらんだろーよ、たまには若いやつらにいいとこ見せさせてやりゃいい」 今現在、純粋に剣の腕だけを言うならば、シーグルを抜けばこの隊の前期組でシェルサは一、二番を争う。マニクも一応それに続くくらいの腕はある。実践となればアウドが一番だとは誰もが認めるところだが、いくらまだ経験が浅くても、この程度のごろつき相手に倍の人数程度で彼らが手こずる筈はない。 「そんじゃいいとこ見せようぜ」 お調子者のマニクが、言いながら剣を構えて走り込んでいく。 真面目なシェルサの方は、基本に忠実に剣を構えて腰を落とし、相手を待ち構える。敵がくれば、襲い掛かってくる相手の剣を躱しながら真っ直ぐ剣を突き、向こうの体ではなくその腕に、わざと軽めの切り傷を負わせた。 マニクの方も、身軽な動きで相手二人分の攻撃を躱し、あっという間に一人の足を負傷させていた。 「おしっ、俺の方が先に……」 だが、そう言ってもう一人に向かおうとしたマニクの体はそこで止まる。 人数の優位がなくなった途端、相手は完全に戦意を喪失し、剣を落として手を上げていた。がっかりした様子でシェルサの方を振り返ったマニクは、そちらの方でも、相手が降参したせいで憮然とした表情をしている同僚の姿を見たのだった。 --------------------------------------------- すいません、騎士団連中の話だけで終わって……。 |