求めるモノと偽りの腕




  【1】



 クリュース王国の首都セニエティ。王城があるその街は、勿論、王が直接治める地であり、更にいえば当然ながら街の周辺地帯も王の直領地に当たる。だが、徒歩でも半日も掛からずにつく一番近い街である港町リシェはシルバスピナ領であり、それはリシェを中心に周辺の海岸沿いに細長く続いていた。
 土地の広さだけでいえば、持っている領地自体は極小とも言えるシルバスピナ家だが、首都と直結する港町を持つというのは大きく、それをもってシルバスピナ家を馬鹿にするものはまずいない。だが、いくらでも富を得られる商人の街を持ちながらも、その利権を街の議会に渡して自ら富を得過ぎないようにしているシルバスピナ家のやり方は、昔から他の貴族達に馬鹿にされてきている事であった。
 とはいえ、そんな理由で貴族達から馬鹿にされればされる程、実際のシルバスピナの領民達は自らの領主を誇り、特に商人の集まるリシェの街においては、領主は街人から絶対的な支持を得ていた。

 そんなリシェの街であるから、領主が結婚するとなれば街中が喜びと祝福の声に湧きかえるのは当然であり、公の式典を行った訳ではなかったものの、街のリパ神殿と領主の館までの道には馬車ごしでもいいから一目でも彼らを見ようとする者達が押し寄せた。商魂たくましい商人達はこぞって露店に記念の品を並べ、酒場は勝手に祝いの杯を掲げて盛り上がる者達で溢れた。
 慎ましやかに行う予定だった祝宴の方も、大量に届きすぎた街の有力者達の祝いの品を民に振る舞う事になって、結局は街を上げての宴会になってしまった。後日、最初からそれを狙って議会の者達が結託し、わざと各自で食料と酒を大量に贈ったということわかったのだが、それを申し訳なさそうに、折角の領主の婚儀なのだから盛大に祝いたかったのだと本人達から言われてしまえば怒れる訳もなかった。なにせ、王の即位式が近いからと、シーグルが領主となった祝いの式典をしなかったというのもあるので、だからこそ今回は絶対に祝いたかったのだという彼らの意見には、シーグルの方が申し訳なくなってしまうくらいだったのだ。

 ともかくそうして、たくさんの人々から祝福の中、シーグルとロージェンティの婚儀は行われたのだった。








 部屋の中はわざと明かりを落とし気味にして、いかにも秘密の話らしく、声を大きくして話せない話をする男達は、互いに顔をちらと見て相手の出方を伺っていた。

「……かと言っても、そうそう予備隊を送れるだけの大規模な戦いが起こる訳でもないですし」

 一人が言いにくそうに返せば、もう一人は大きくため息をつく。

「だが、さすがに平時に、あれだけ部下に守られているシルバスピナ卿を事故でどうにかするのは難しいだろうが」

 少し偉そうに……実際彼の方が地位が上なのだから当然ではあるのだが、騎士団の運営の決定権を持つ者の一人であるその男の言葉を聞いて、リーズガン・イシュティトは顔をわざと難しそうに顰めた。

「平時なら平時で起こりやすい事故を起こせばいいのです。なぁに、彼はその手のトラブルには巻き込まれやすい理由がいろいろありますから」

 その内容とそれに付随するお楽しみを思い浮かべて、リーズガンは歪んだ笑みを口元に浮かべる。

「ほう、という事はつまり、何か策があるという事か」

 片眉を跳ね上げて、上司である男は冷静さを保とうと口ひげを撫でながらも、僅かに身を乗り出して耳を傾けてくる。
 その小物くさい態度を内心馬鹿にしながらも、リーズガンはもったいぶった言い方で返した。

「えぇ……まぁ、そうですね」

 そうすれば少し顔に苛立ちを浮かべ、相手はあからさまに顔を前に出してくる。

「それはもちろん、失敗しても我々にまで手が届く事はない方法だろうな」

 思わず反射的に、小物め、と心の中で毒づいて、反して顔には機嫌取りの笑みを浮かべ、リーズガンは相手にあわせて声をひそめた。

「それは勿論、あくまで平時にありがちな事故というかトラブルを装いますので。もし失敗したとしてもそいつらが自主的にやった事でかたずけられる、そんな方法です」
「ふむ、それならいい。すぐ実行に移してくれ」

 満面の笑みで、満足そうに答えた上司の顔は失笑ものだが、この計画が自分の為の計画でもあるからこそ、リーズガンはにやける口元を抑える事が出来ない。

 現在、騎士団の上層部には大きく分けて二つの連中がいる。一つは、大きな問題を出さないでこの地位のまま安泰でいたいという層、そうしてもう一つは、まだ権力地盤が固まっていない新王に取り入って更に旨い目に合いたいという者達だ。
 とはいえ、後者の野心を抱える者達であっても、既にある程度の地位にいる者は前者とほぼ同意見でもある。つまり、新王に取り入ろうとしているが、それはあくまで今の地位を維持したまま、出来るだけ危ない橋は渡りたくはないというものだ。
 だから積極的に動けない。だから部下に相談して、暗にお前がどうにかしろと、案も策も何もなくただ投げる。

 とはいえ、そういう無能だからこそこちらも動ける訳だが、とは彼がいつも思うところではある。せっかく投げられた話なら、自分の都合のいいように、自分が楽しめるような策を練って実行するというものだ。上はどうせ結果しか求めていないし、そもそもその結果だって、今回は失敗したとしてもそこまで問題になる訳でもない。
 なにせ、現状はとりあえず、王に協力している、という事実がほしいだけなのだ、彼らは。
 彼らにとってはこの計画が成功する事よりも、失敗した時に自分の地位に傷が付かないかの方が余程重要で、その条件が問題なければ成否は問わない訳だった。
 だからはっきり言えば、リーズガンはこの計画を最後まで成功させる気は全くなかった。彼の目的はこの計画の過程であって、結果としての――シルバスピナ卿の暗殺、という部分を成功させる気は全くなかった。

 現、シルバスピナ家当主、アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナ。銀髪に痩身の美しい青年を、騎士団に入ってきた時からリーズガンはずっと目をつけてきた。今までも、地位をもって気に入った者を自分の趣味の毒牙に掛けてきたリーズガンであるが、彼の場合は騎士団の地位より圧倒的な貴族位の差があるため、どうしても思惑通りに手に入れる事は叶わなかった。
 とびきりの極上品を前にして、手をこまねいてみているだけの日々が終るのだと思えば、無能な上司に媚びる事だって笑いが止まらないというものだ。

――そうさ、ただ殺しちゃ勿体ないじゃないか、まだ今は、な。

 隅々まで味わいつくしてからでないと、と内心ほくそ笑みながら、リーズガンは部屋から退出する男に頭を下げた。







 首都から近い、クリュースの海の玄関口、港町リシェ。
 当主が代替わりし、おまけにその当主が結婚して妻を迎えたそのリシェの領主シルバスピナ家であるが――実は現在、リシェのシルバスピナの屋敷は少々複雑な状況にあった。
 当主が交代した訳であるから、本来ならシーグルが当主の部屋を使い、前当主であるシーグルの祖父は屋敷でももっと奥の部屋に移るか、もしくはリシェから少し離れた別荘のどれかに移るのが今までの慣わしであった。ところが、シーグルは騎士団の仕事でリシェの屋敷にいない事が多く、代わりに領主としての仕事は祖父がまだこなすという事も多い為、結果的に当主の部屋は祖父がまだ使用していてシーグルは前の部屋のままという状況になっていた。
 だから仕方なく、シーグルの妻であるロージェンティはかつてフェゼント達が住んでいた別館の方に住む事になり、シーグルはリシェに帰ってくると仕事を元の自分の部屋で済ませて別館に泊まるという事になっていた。
 元々、フェゼント達が住んでいた別館は当主の奥方が出産とその後の育児の為に使う館であるから、彼女がそこに住む事自体はおかしい事ではない。
 だが、住んでいる当のロージェンティとしては納得できない事があるのは仕方なかった。

「あの……やはり、まだお忙しいのでしょうか?」

 仕事に関しての相談事ははきはきと答えてくれる彼女が、そういう時は相当に遠慮がちに言ってくる。それが、シーグルにはかなり辛かった。

「あぁ、出来るだけはこちらに帰れるようにはする、が……」
「遅くなるようでしたら無理なさらないで下さい。貴方の健康が一番ですもの」
「すまない……」

 謝る事しか出来ない自分が本当に申し訳なくてシーグルの表情が曇れば、ロージェンティは笑ってくれる。それで更に申し訳ない気持ちになるのだが、彼女が笑ってくれるならとシーグルも笑って別れの言葉を交わすのも毎度のことだ。

 現在、騎士団上層部でちょっとした移動があったという事で、それの説明やら何やらで、隊長以上の貴族騎士の間では連日会議が開かれていた。会議が終わった後、ほかの者達のように後は文官任せで帰ってしまえばいいのだが、シーグルの性格的にそれが出来ないのであるから仕方ない。それでも気を利かせたキールがある程度は仕事を整理してくれるのだが、その日の仕事はその日の内に出来るだけ上げてからシーグルが帰る為、結局遅い時間になり、首都の屋敷の方に帰るしかない――という日の方が、リシェに帰ってくる日よりも多くなっていた。
 結婚前なら、騎士団から帰るのはいつも首都の館で、遅くなったとしてもフェゼントからの夕食をどうしたのかという追及に困るくらいの問題で済んでいた。ところが今は、遅くなれば仕方なく首都の館へ帰るしかなく、そうなれば結婚間もない妻をリシェに放っておくという事になる。

『だったら、奥さんもこっち住めばいいだけじゃねーか。んで前みたく、休日前だけ仲良くリシェに戻りゃいいんじゃね』

 相談したウィアは気楽にそう言ってくれたのだが、それで簡単に解決する話でもない。なにせただでさえこじんまりとした別館での生活をさせているのに、もっと手狭になる首都の館へ来てくれとは言いにくいし、それにそもそも首都にいけば他の貴族達と顔を合わせる可能性もある訳で、彼女にとても気まずい思いをさせてしまうかもしれない。
 更には追い打ちを掛けるように、朝、騎士団でテスタやらグスに会うと、今朝はリシェからか首都の館から来たのかをいちいち確認されるのだ。そして勿論……首都の館から来たと言えば、奥方を一人にするなと言われる訳だった。

「……で、今日はリシェに帰れそうですか?」

 基本的に、リシェと騎士団の間はウルダとリーメリが送り迎えについてくる事になっていた。従者であるナレドも一緒な事は勿論、更に帰りは首都を出るまでアウドもついて来るのだから結構な大所帯となる。という事で、夜も迎えにくる彼らからすればそれは当然の質問ではあるのだが、どうにも心情的にはそれさえ責められている気がしてしまって、シーグルの声は思い切り低くなってしまう。

「出来るだけは帰れるようにしようとは思っている。帰れないようならキールから連絡がいく筈だ」
「つまり、いつも通りですね」

 リーメリのあっさりとした返事さえ心に刺さる。
 軽く落ち込みながら、シーグルは馬上でため息をついた。

「やはり……俺は彼女の夫として失格なのだろうな」

 思わず呟けば、悪気があるのかないのか分からないようなリーメリの声が返る。

「女性の望む『いい夫』でいる事なんて、貴方の立場で出来る訳ないじゃないですか」
「そ、そうか……」

 その断定的な言い方に思わず気圧されれば、リーメリの声は益々怒って不機嫌になる。

「いいですか。貴方は元々仕事を掛け持ちしてる上に、暇があれば鍛錬なんて習慣があるわ、食事をきちんと取らないのが普通だわで、そもそも平時で奥方とご一緒する時間がないじゃないですか」

 そこでまたシーグルの胸に深々と刺さるものがある。
 実はシーグルは、彼女にまだ、自分の食事の問題について詳しい話をしていないのだ。
 幸い、フェゼントのお蔭で昔よりは普通の食事を出されても多少は食べれるようになっていたため、単なる小食、という事にしているのだが、本当はもっときちんと話し合わなくてはならない問題だというのは承知しているところだった。それでもどう言えばいいか悩んでしまって、結局言えなくて忙しくてそもそもじっくり話す暇もなくて、ここまで来てしまったのだ。
 その所為もあってか食事中は気まずくて、一緒のテーブルについていても少量の食事をさっととってすぐ退席しているものだから、思い出すといくらなんでも酷いと我ながら落ち込んでしまうくらいだ。

「貴方の容姿と誠実さの補正で誤魔化せていますが、確実に『良い夫』になれる筈がありません」
「おいっリーメリ、流石にお前そこまでいうか?! ……あーアルスオード様、その、奥方は確かに寂しがっておられますが、貴方の事を怒っていたり責めていたりはしていませんので、ですからそんなに落ち込まなくてもっ」
「そうか、やはり彼女は寂しがっているんだな」

 そこでシーグルがまた落ち込んで肩を落とせば、リーメリがあからさまに非難の視線をウルダに向ける。

「ウルダ、お前がヘタな事を言うから我が主がまた落ち込んでいるじゃないか」
「待て待て、俺か、俺が悪いのか?! お前がそもそもアルスオード様にとんでもなく非礼な事言ったからだろっ」
「俺は事実を分析しただけだ」
「いやどう考えてもお前の方がすっごい失礼な事いってただろ」

 いつも通りのそんな二人のやりとりに思わずくすりとすれば、ナレドもくすくす笑っている。二人の喧嘩のようなじゃれあいには彼もももう慣れたらしく、前のようにうろたえる事もなくなっていた。
 そんな彼らを見て、少しだけ気を取り直したシーグルは姿勢を正す。
 
「ともかく二人共、俺が彼女についていられない分も、彼女の事をよろしく頼む」

 そこで二人揃っていい返事を返してくれた事で、シーグルの胸に溜まった重さは少しだけ軽くなることが出来た。





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新エピソードってことで、出だしは状況説明的なあまり面白くない話ですいません。



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