【3】 それからすぐカリンがやってきて、エルと二人して仮眠だけでも取れと騒がれて、結局その日の午前中はシーグルは寝て過ごす事になってしまった。 シーグルが起きてすぐにカリンが体を拭く準備をしてくれて、さっぱりしたところで今度は世話を焼きたくてしょうがないという顔でエルが部屋にやってきた。彼は昼食を一緒に取ろうといろいろと持って来たのだが、一応セイネリアから自分があまり食べられないという事は聞いていてもその程度をよく分っていなかったらしく、実際シーグルが自分から食べるといって取った食事の量を見て大騒ぎをしたのだが。 「もちっと食えよ、ンなだから細いんだぞ」 「これでも十分食べてるんだ」 実際、昨夜のように動けなくなるまで剣を振った後なら、次の日はかろうじてケルンの実を食べるのが精いっぱいというのがいつもの事だ。それからすれば一応ちゃんと食べているのだが、倍以上の量をがんがん食べているエルは不満そうに言ってくる。 「なら毎日ほんのちょっとでも量増やしてけ。そすりゃその内普通量食えるようになんだろ」 「そんな単純にいけば苦労してない」 「ンでも全く食えないんじゃなくて多少は食えるんなら後は量の問題だろ。イキナリ増やしたらそりゃ無理だと思うが、ちょっとづつなら普通増えても分からないモンだろ。いけるいける」 「そうなればいいんだが……」 「カリンに言って、気付かれないくらいにこっそり増やすように言っとくか……」 それは自分に言ってしまった時点で『気付かれないくらい』の意味がなくなるのではと思ったのだが、彼くらい気楽に言われてしまえばなんとなく出来そうな気もするから不思議だった。エルもまたセイネリアのように体が資本の傭兵らしくその食べっぷりは見事としか言いようがなくて、それもシーグルが普段より食べる気になれた原因だったのかもしれない。 食事が終わってからは窓から見える風景についてあれこれ説明してくれたり等、いろいろ雑談をしてかなりゆっくりとした時間を過ごした。だが団員達も昼食が終わったらしく、中庭にバラバラと自主訓練の人影が現れると、エルが立ちあがってシーグルに言ってきた。 「さって、多少腹もこなれたところで少し体を動かしにいかねーか? お前もその鎧着て思い切り動いてみたいとこだろ? それとも疲れてそんな気はないかね?」 そう言って中庭を指さしたエルに、シーグルは『是非』と答えた。 黒の剣傭兵団所属と言えば、どれだけ下っ端でも他の冒険者達からは一目置かれる存在である。何せ長のセイネリアの名声だけでなく、団に入るためには相当条件が厳しく、その所為もあって精鋭ぞろいだという事で知られているからだ。腕のないものは試験さえ受けさせてもらえず門前払いで、試験に受かってもセイネリアと会ってそこで彼が気にいらなければ終わる。度胸も腕も一般冒険者とは数ランク上、と噂され、そしてまた実際そのエンブレムをつけて仕事をした者がその認識を否定されるような事態を起こした事もない。だからこそ他傭兵団からきた冒険者達とはランクが違う存在として、同じ仕事でも金額を上乗せで取る事が常識として通る――それだけの者達がプライドが高くない筈はなかった。 いくら絶対的な長であるセイネリアの決めた事であると言っても、いきなり入った新人が幹部になったら面白くないのは当然だろう。 勿論、セイネリアに逆らう気のある者はいないだろうし、気に入らなくても目に見えた嫌味や反抗なんてする馬鹿者もいる訳がない。ただそれでも心情的には納得できないだろう事はシーグルにも想像出来た。 シーグル――レイリース・リッパーについては事前にある程度までは団員達に知らされていたらしく、エルからの紹介は簡潔に名前を言う程度で終わった。その後にじろじろと敵意に近い目で見られるのは、シーグルとしても当然だと思い覚悟していた事だった。 なにせ、兜を被ったままで顔を見せない胡散臭さに加えて、見ただけで鎧が立派過ぎる。特に冒険者間で名声がある訳でもない人間がこれだけのものを着ているとなれば、セイネリアが作らせたとしか思われない。そうなればいろいろと邪推するものが出るのも当然だろう。 「んじゃまレイリース、まずはかるーく体を解そうじゃねぇか。俺も通常ランク程度の術ありでいくからよ、ちっと本気で来てみろよ」 背中から彼の得物の長棒を取ってくるりと回せば、各自の訓練に散っていた者達の視線が一斉にこちらに向くのが分かった。 軽く、と言っておいて本気でこいというのはどうなんだと思いながらも、シーグルはエルの意図を正しく理解していた。実力主義の傭兵達は、自分たちの力に自信がある故に、その地位に相応しい実力を見せれば認めてくれる。だから彼らを認めさせてみせろという意味でエルは本気でと言ったのだろう。 正直、シーグルはまだこの鎧での動きに慣れていない。それどころか全身鎧(プレートアーマー)を着たのが久しぶりすぎて、しかも確実に魔法鍛冶の鎧より重いこの格好で、どれだけ体力が持つかと考えればかなり自信がなかった。 それでも、昨夜この鎧である程度剣は振ってみたし、ここへきてからのひと月はひたすら訓練に明け暮れる事が出来た分、王に捕まる前よりも体は動くようになったと思う。ともかく、自分の事を弟としてこれだけ世話を焼いてくれるエルに恥をかかせないよう、精一杯の力を見せるしかないだろう。 兜の下でシーグルは、大きく息を吐くと剣を構えた。 はじまりの合図と共に、シーグルはまず走る。 その速さに声が上がるが、近づく前にエルの術は完成し、最初の一撃は彼の長棒で弾かれた。 ――さすがに神官だ、術の完成が早い。 術ありの試合の場合、術を使う隙を狙うのは基本である。だからこそ戦いの中で術を使う事が前提のアッテラ神官の術の完成は早い、とは聞いた事があったが、これは予想以上だと言わなくてはならない。 しかも術が完成した事で、屋上で手合せした時の感覚よりもずっと強い力で弾かれというのもあって、シーグルは一度体勢を整える為に下がらなくてはならなくなった。 更にいえば、強くなったのは腕力だけではない。 今度は彼の方から踏み込んでくれば、そのスピードもまた以前の手合せよりも格段に上がっていて、足の筋力強化分だけの能力の上乗せが実感できる。持っている得物の差からしても間合い分不利なのは確かで、牽制しつつ隙を狙うか、それとも思い切ってとびこんでみるべきかをシーグルは迷う。 ――どちらにしろ、長引けば長引くほどこちらが不利になるのは確実だな。 鎧分の防御力の代わりに、その重量分こちらは体力の消耗が激しい。鎧なしでも体力では負けると思うだけに、長期戦で勝てるなどとは到底思えない。となればこちらの間合いまで、まず飛び込んでみなくては話にならない。 シーグルは牽制して伸ばしてくるエルの長棒を捌きながら、彼の足元に注意する。そうして彼が一歩強く踏み込んだところで彼に向かって走った。 踏み込んだ直後なら、すぐに次の踏み込みへ移るのは難しい。 案の定彼の反応は僅かに遅れて、剣を受ける位置が中途半端な角度になる。となれば力が入りにくい、体勢が崩れる、意識が武器同士の当たった箇所にいく。それでも腕力では勝てないだろうから、剣を横にして刀身を掴んで両手で押し込みながら、エルの足を足で引っ掻けるようにして払った。 「うわっ」 それで完全に体勢を崩したエルだったが、彼はよろける体を支えようとせずに背中からわざと倒れて、途中から長棒を地面につき、それを支えに体を捻って空中で横に回転して体勢を立て直した。それにはシーグルも追撃を入れるのは間に合わず、自分の体勢を整えて構えを取るところまでしか出来なかった。 「さすがに速えぇな」 「そちらこそ、立て直しが早い」 エルは歯茎を見せるようににぃっと笑って、今度は長棒を前に出してかなり低くまで腰を落とす。となればシーグルも合わせて腰を落とす。 そこからほぼ同時に踏み込んで一気に距離が詰まる。とはいえシーグルの剣の間合いにはまだ届かず、エルの攻撃が先に届くのは仕方ない。 だがシーグルは真っ直ぐ突き出される長棒の先を剣で受け流そうとせず、それに腕をわざと当てた。 「あ、ずりぃ」 腕の板金装備の曲面に当てれば、長棒の先は滑ってシーグルの体の横を通り過ぎていく。エルは当然、そこで長棒を回して叩こうと切り替えるが、その時にはもうシーグルの間合いに入っていた。 「……ったく、そういやお前が鎧着てからやったのは初めてだったぜ」 負け惜しみを言うエルの喉元近くには、止められたシーグルの剣の切っ先があった。 「鎧分の優位性を有効活用させてもらった。生身だったら分からなかった」 「まぁその場合はお前ももっと速かったろうからな。どっちにしろ俺の負けだよ」 そういって二人して戦闘体勢を崩した後、エルは大笑いをしてシーグルの背中を叩いてくる。そこで一斉に拍手と外野の声が飛んできた。 「エル、弟に負けてちゃ兄ちゃんとして情けねぇぞ」 「レイリース、お前強いじゃねぇか、その格好でよくあれだけ速く動けるもんだ」 「なぁ、次俺とやってみねぇか?」 先ほどまで向けられていた敵意とは変って、『仲間』に掛ける明るい声がシーグルを包んでいた。それにエルはウィンクしてシーグルの背中を更にぽんと叩くと、こちらを向いている面々に向かって声を張り上げた。 「残念ながら弟は、昨日ちぃっと寝不足でな、今日はお前らの相手させてはやんねーよ」 そうすればあちこちで不満の声は上がるもののその顔には笑みがあって、彼らが本気で怒っているわけではないのが分かる。 「んじゃ次の機会には、是非」 「だな、俺もよろしく頼むわ」 あちこちから掛けられる声に驚きながら周りを見回して、シーグルはそこでやっと安堵の息を吐いた。戦っている最中は夢中で忘れていたが、どうやらエルに恥をかかせなくて済んだらしい。それと、受け入れてもらえたらしいという実感に、自然と口元にも笑みが浮かんだ。 顔が出ない程度に僅かにバイザーを上げ、顎を開いて、そこで外気を思い切り吸う。 それから少し息を整えて、こちらを見ている彼らに向かってシーグルも答えた。 「あぁ、ぜひ、次はこちらからも頼みたい」 だが、そうして団員達の声で沸いていた中庭の訓練場が、突然静かになる。 その原因が正面から近付いて来たのを目にしたシーグルは、兜をきっちり止め直すと背筋を伸ばして他の団員達と同様の礼を取った。 「慣れない格好の割りには、動きは悪くなかったようだな」 「はい、マスター」 セイネリアの声も表情も平坦で、感情は一切入っていない。 「少しは寝たのか?」 「はい」 「そうか……」 ただ最後に彼が僅かに安堵の笑みを浮かべたのは、目の前にいたシーグルとエルだけには分かってしまった。 セイネリアはそこで長く話してくることはせず、すぐにシーグルに背を向ける。だがそうしてすぐにその場を去ろうとしたセイネリアを、思わずシーグルは引き止めてしまった。 「マスター、お待ちください」 セイネリアの足が止まる。ゆっくり振り向いた彼に向けて、シーグルはその場で跪いた。 「よろしければ、私とお手合わせ願えませんでしょうか?」 最強の黒い騎士は、琥珀の瞳に一瞬驚きを浮かべてから、体ごと振り向いてシーグルに告げた――いいだろう、と。 --------------------------------------------- 次回はセイネリアとシーグルの戦闘(?)シーン。久しぶりですね、あまり長くはならない筈ですけど。 |