【8】 「あいつ、誰だ?」 急いでもってきたお茶会セットをテーブルに並べ直しながらウィアがつぶやけば、それを聞きつけたフェゼントが聞き返してくる。 「あいつって?」 「セイネリアと一緒にきた、鎧のやつ」 「それなら、黒の剣傭兵団の人じゃないんですか?」 「……うん、そうなんだろうけど、誰かなって。みたことない奴だったからさ」 確信はもてないからヘタな事を口に出したりはしないものの、怪しい、と思うのは仕方ないではないかとウィアは思う。 だって、鎧と兜でかなり誤魔化されていたとはいえ、あの人物の身長は丁度シーグルと同じくらいだ。シーグルが死んだ事を疑っているウィアとしては、もしかして、と思ってしまって当然だろう。 たとえば、あの処刑は王が偽装して行ったもので、シーグル本人はこっそりセイネリアが救い出していたとする。そうであるなら、セイネリアはきっとシーグルを常に傍に置いておく筈だ。 その場合、シーグルが何故家族の元に帰らずセイネリアの傍にいるのかという疑問が湧くが、そこは脅されてるとか、助けてられた恩の為だとか、もしかしたら記憶を消されているとかもあるかもしれない。 ともかくウィアとしては、本当にシーグルが死んでいたならセイネリアがあんなに冷静でいられる訳がない、と思うのだ。全ての根拠はそれで、それは絶対に自信がある。あんな、力がありすぎて全てがどうでもいいような男が、あれだけ愛した彼を失ってそんなすぐに立ち直れる筈がない。復讐の為に動いていられるという前提だって、ここまで冷静に王を追いつめていける余裕があるとは思えない。 「ウィア、どうしたんですか?」 考え込んでいた事が、口には出さなかったもの顔には出ていてしまったらしい。フェゼントが深刻な顔をしてこちらをみているのに気づいて、ウィアは急いで笑顔を作った。 「あ、あぁいや、あんな顔を隠した怪しい奴が、ロージェンティさんやシグネットに近づいて大丈夫かな、ってさ」 「それは……あの男がつれて来たのですから、十分信用出来る人物だと思っていいと思いますが……」 確信がもてない限り『あれがシーグルなのではないか』とはフェゼントには言わない方がいいと、それくらいの分別はウィアにだってある。 シーグルが死んだと聞いた時のフェゼントの嘆きようを思い出せば、ヘタに希望を持たせた後でそれが違った時を考えたくない。 だからウィアはセイネリアに真意を問いただすのも未だ出来ないでいた。あの男とウィアが二人だけ――いや彼の部下やらここの領主はいてもいいが――ともかくロージェンティやシーグルの兄弟達が一緒でない時にしか聞けないからまだ聞けていないのだ。 「あの人は前に、奥様のお父上せいで犯罪者にされてしまった方だそうです。今回、あの男が協力する条件の一つに、彼の無実を奥様が証明するというのがあったそうですよ」 そう話に入ってきたのは、客に茶をいれて帰ってきたターネイであった。普段なら客がいてもロージェンティの傍にずっといる彼女だが、会話の内容が内容の為、今回は下がらされたらしい。 「そんな話があったんだ」 「はい、それでその犯罪者にされた事件で顔に酷い傷を負ったそうで、人前に顔を出さないらしいです」 「へー」 「旦那様とも無関係な方じゃないそうですけど……私もそこまで詳しくは聞いてません」 理由付けがはっきりしている分ウィアとしては益々怪しい……気もする。 ウィアがそれで顔を顰めて考え込めば、思いがけない下方から声が投げかけられた。 「私、あの方は悪い方ではないと思いますわ」 ここにいる者の中で、ウィアがここまで思い切り下を向いて顔を見なくてはならない人物は一人しかいない。 「だってあのお方、なんとなく感じがシルバスピナ卿に似ていましたもの」 シグネットの許嫁である少女がにっこりと笑顔で言った言葉に、ウィアは一瞬慌てて、それからすぐに苦笑いをして他の面子の顔を伺いながら苦笑して答えた。 「そ、そか……まーシーグルもいっつも鎧のイメージだったからなぁ〜」 苦しい誤魔化し方だと思いつつも、まだウィアはフェゼント達には自分のように余計な事を考えて欲しくはなかった。 真剣に取って貰えなかった事に拗ねた少女を宥めながら、あの鎧の男の事は今後もよくみておくべきだろうとウィアは思った。 「――成程、随分増えたな」 「えぇ、来るだろうと想定していたところからはもう6割程届きました。文書まではまだでも返事だけは来ている者を含めればほ全てです。あとは……協力してくれるかどうかは五分五分と考えていたところも3割は届いています」 「ふん、協力すると決めたなら急いだ方が得だと考えたのだろうな」 各地の貴族達から届いた山のように積まれた文書を前にして、セイネリアとロージェンティが話している。 既にエルはネデと共に別室に移動しているから、この部屋にいるのはロージェンティとセイネリア、それからウルダとシーグルと……籠の中にいるシグネットだけであった。 「本当に……思った以上に、貴方の言った通りになっていますね」 ロージェンティが苦笑しつつ嫌味を込めてそう言えば、積まれた文書を一つ一つ確認していたセイネリアは平坦な声で返す。 「当然だ、そうなるように手を回してあったからな」 「本当に、逆らえば死ぬより恐ろしい目に合う――そう言われているだけはある人物ですのね、貴方は」 ロージェンティがセイネリアに対して話す言葉は全てふしぶしに棘があった。彼を見つめる彼女の瞳は冷たく、まるで敵を見るようで、シーグルは初めて見るそんな彼女の顔を見ているのが辛かった。勿論、セイネリアはそんな彼女の態度など意に介していなかったが。 「まぁこのままなら、事が起こるまでは想定していた通りに持っていけるだろう。引き続き貴族共はそちらに任せる、俺は暫くはごたごたが起きてる方への指示で忙しい」 全くロージェンティを見ずに文書を見ながらセイネリアが告げた言葉に、僅かに彼女は驚いたように目を見開いた。 「もう、どこかで戦闘が起こっているのですか?」 「あぁ、地方砦でな。こちらの名を出して反乱を起こしてる連中があちこちにいる。大抵は貴族騎士側についた兵達が説得されてどうにかなったようだが、戦闘になっているところには魔法使いをやる事にした。協力するというんだ、奴らも心置きなく使ってやるさ」 地方砦で反乱――という事は、元シーグルの部下であった者達が飛ばされたノウムネズ砦でもそれは起こっているのだろうか。そう考えればシーグルの胸に重いモノがまた溜まっていく。もしそうであってもセイネリアは彼らを見捨てる気はなさそうだが……どちらにしろ今のシーグルには彼らの無事を祈る事しか出来なかった。 「報告と確認事項はこんなところか。何か必要な物や、不自由している事はないか?」 「いえ、大丈夫です。……少なくとも、ここへ来てからは問題ありません」 それを聞くと、セイネリアの持つ空気が唐突に緩んだのがシーグルには分かった。全く表情のなかったその顔の中で僅かに瞳が優しく細められ、口元が薄く笑みを浮かべる。その理由が分らず驚いたシーグルだったが、その後の彼の台詞でそれはすぐに分かる事となった。 「シグネットの顔を見てもいいか?」 それだけでシーグルは、セイネリアが自分の息子であるシグネットにもまた愛情を感じてくれているのを理解してしまった。 「いいですわ」 ロージェンティがそう言ってセイネリアを籠の方へ誘うと、最強と恐れられる黒い騎士はらしくない柔らかい表情でその籠の中をのぞき込んだ。彼は何もいわずただ籠の中を見つめているだけだったが、その顔が自分を見つめる時のあの優しい表情を浮かべている事に何故かシーグルは泣きたくなってしまった。 「あー……」 シグネットの声に、シーグルはどきりとする。 籠から伸びて動く小さな手が見える。どうやらずっと大人しかったのは寝ていたせいらしく、籠を掴んでいる手を見ていれば、暫くして起きたシグネットの頭がひょこりと籠から顔を出す。それだけでなく赤子が動きだしたせいで、ギシギシと蔦で編まれた籠が音を鳴らして揺れ始めた。 それを見て、シーグルは自然と兜の中で目を細める。体が震えてしまいそうで、手をぎゅっと握り締める。 「シグネット、起きたの?」 言うとロージェンティは籠の中に手を伸ばして、手足を動かす元気な赤子を抱き上げた。大きくなった――思えばその姿を近くで見たのは2か月ぶりで、記憶より大きくなった赤子を見た途端、とうとう耐えきれずシーグルの瞳からは涙が零れた。 「うぅーあぉ?」 舌足らずではあるものの、言葉になりかけているその声からも赤子の成長が分かる。シーグルが最後に見たのは自分で座れるようになった頃で、シーグルが出かけようとするといつもこちらをじっと見つめていた事を思い出す。……親衛隊に捕まったあの日の朝も、見送ってくれたロージェンティの腕の中で、シグネットはじっと自分を見ていた。 「うぅー」 母親の腕の中で、シグネットがセイネリアに向けて手を伸ばす。 それを目を細めて愛おし気に見つめているセイネリアに、ロージェンティが少しだけ微笑んで尋ねた。 「抱いてみますか?」 「駄目ではなかったのか?」 意外そうにロージェンティを見つめたセイネリアの顔からして、きっと前に、彼女は彼に向かってシグネットに触れるなとでも言った事があるのだろう。先ほどまでのセイネリアに対する彼女の態度を考えれば、それは容易に想像出来る。 見返したセイネリアのどこか嬉しそうにも見える顔に、彼女は軽くため息をついてシグネットを前に出した。 「えぇ――でも、この子が貴方を信用しているようですから……私も貴方をもう少し信用する事にしました」 そうすればセイネリアはロージェンティからシグネットを受け取る。華奢な女性には重そうな赤子は、立派な体躯の黒い騎士の腕の中にしっかり抱かれて、迷いなくその胸にしがみついた。 「ぉうーぉー」 セイネリアの腕の中のシグネットが楽しそうに手足を動かす。 黒い鎧を手でぺたぺたと触って、触れた黒いマントを不思議そうに掴む。 それを見下ろす優しい琥珀の瞳を青く澄んだ瞳が見あげ、小さな赤子は嬉しそうにはしゃいで笑った。 シーグルはそれに、すまない、と何度も心で謝る事しか出来なかった。 それはシグネットへだけではなく、ロージェンティと、そしてセイネリアに向けての言葉でもあった。 --------------------------------------------- そんな訳でこのエピソードはこれにて終了です。次回からは現王を倒す内戦のお話に入ってきます。 |