行く者と送る者の約束




  【1】



 このところ、この将軍府は平和だった。
 将軍府の平和はイコールここの主である将軍セイネリアの機嫌がよく、彼の大切なシーグルに何事も問題が起こっていないという事でもあって、元団の連中も忙しくはあっても平和な日常という奴を過ごしていたのだ。
 なのに……と、頭を抱えて、エルはシーグルの部屋のドアをノックした。



「さて、とりあえずはお前がどーゆーつもりか、それを兄ちゃんに聞かせてくれ」

 向かい合って座ってからエルがそう切り出せば、少し困った顔をしてここの主の最愛の青年は口を開いた。

「離れる、といっても一時的なもので、あいつに愛想をつかしたとか、傍にいたくないとかいうのではないんだ。ずっとあいつの傍にいる、という約束を破る気はない」
「なら離れたいって理由はなんなんだ」

 エルがセイネリアやカリンから聞いた話では、シーグルが一時的に将軍の側近としての仕事を休んで旅に出たい、と言ったという事で、正直何故唐突にそういう事になったの分っていない。セイネリアは……また不機嫌というかヘタにそれ以上を聞けない雰囲気だったし、カリンも狼狽えている感じでセイネリアを宥めるのに一杯一杯といった様子で、そうなったら本人に聞くしかないとこうしてやってきたのだが。

「俺は、強くなりたいんだ。あいつに勝てるくらいに」

 それを聞いて、彼の真っ直ぐに向けられた強い瞳を見て、それが冗談でも何でもなく本気だというのが分ってしまって……それでエルはおおよその事を理解出来た。

「つまりあれか……武者修行に出たいって事なのか?」

 そうすればこの見た目だけなら『武者修行』なんて言葉が似つかわしくない綺麗な顔の青年は、苦笑しながら少し首を傾げて呟いた。

「まぁ……そういう事だ」
「なんでまたわざわざ……外に出なきゃいけない理由があんのか?」

 彼の目的が強くなりたいというだけなら、何もそれはここにいるままでも問題がない筈だった。仕事で訓練する暇がないというだけならここにいるまま仕事だけ少し休ませてくれといえばいい。それこそここに居てくれるというなら、おおよそどんな条件だってセイネリアは飲んでくれる筈だとエルは思う。

「……そうだな……確かに、ここにいても鍛錬は出来る。団の者やあいつと剣を合せていれば少しづつでも強くなって行く事は出来るとは思う。だが俺はあいつに勝ちたいんだ、そうでなければ意味がない。あいつの下で普通に強くなっていったとしてもあいつに勝つことは出来ないだろう、いくら鍛えたところで俺があいつを越す事は無理だ」

 それでなんとなくではあるが彼の言いたい事が分ったエルは、大きなため息をついて頭を抱えた。

「だから……外に出て、マスターが知らない鍛え方をしたい、勝つ方法を見つけたいってところか?」
「そうだ」

 エルだって鍛錬が教義であるアッテラの神官だ、シーグルの考えは理解出来る。確かに、普通に考えていくら鍛えても勝てないと分かっている相手に勝とうとするなら、未知の戦い方か鍛え方かを探すしかないとは思うだろう。あとは多分、このどこまでも自分に厳しい青年は、あの男の庇護下にいるままでは甘えが出てしまってだめだとも思ったのだろうとまで想像出来る。
 とはいえ……やはり彼が傍を離れる事をセイネリアが承知するなんて思えない。エルは頭をまた掻いて、それからまた大きくため息をついて真剣な顔を作ってからシーグルに向き直った。

「で、マスターにはなんていったんだ?」
「暫く離れたい、と。もっと強くなりたいから、少し旅に出て鍛えたい、とだけ」

 あの男に勝ちたい、という事を言わないのはきっと何故勝ちたいのかと聞かれるからだろう――エルだって正直を言えば『ンな無茶してまで勝たなきゃならない理由があるのか?』と聞きたいところである。ただ、あの男に『離れたい』という言葉がどれだけの意味を持つのかそれをシーグルが分っていない筈はない。それでも言ったのだから相当の理由と覚悟がある事は確実だろう。

「……まぁ、それだけじゃ納得出来ねぇだろうなぁ」

 頭を掻いて、考えて……それで多少思いつく事があったエルは、思い切ってハッキリ彼に聞いてみる事にした。

「なぁ、マスターに勝ちたいって、そうでなきゃ意味がねぇってんなら、理由があんだろ?」

 シーグルは顔から笑みを消すと、一度黙って考えてから、実は、と話し始めた。








 一体、シーグルが何を考えているのか、セイネリアには分らなかった。

『お前の傍にいたくない訳じゃない』
『だがお前の傍にいてはだめなんだ』
『必ず帰ってくる』

『お願いだ、暫く離れて自分を鍛え直したい』

 それで彼が何を考えて、何を望んでいるかなんて分る訳がない。
 ただ、それでもセイネリアに分かっている事はある。それが彼にとって重要で、『どうしても』な願いだという事だ。

 彼の願う事なら叶えたい。『どうしても』な願いならば尚更。それに、自分が許す筈がないと分かっている願いを彼がそれでも言ってきたという事は信頼の証でもあるのだと――それを理性で分っていても、やはりセイネリアはその場で了承の返事を返す事は出来なかった。

 強くなりたい、と。それはずっと彼の願いであった事は分かっている。かつて自分も望んでその為だけに生きてきたセイネリアにとって、更に強くなりたいと願い、それを実現させてきたシーグルの姿はたまらなく愛しいものであった。自分と違い、まだそれを望める彼を羨ましく思うくらいに……その彼の意志を否定などする気はないし、彼の願いを叶えたいと思う。

 けれどもそれで何故離れなくてはならないのか。いや、彼にとっては離れなくてはならない理由がある、そうでなければ彼がそんな事を言ってくる筈がない。

 いくら考えても堂々巡りで、考えが纏まらない、結論が出せない。
 ……それでも少し前のセイネリアと違って、今のセイネリアには本当は自分がどうすべきか、一番重要なその答えは分ってはいた。ただその答えを感情が出したくなくて思考を止めているだけだ。

 彼が望むのなら、彼を信頼するのならば、彼の願いを聞くべきだ。

 だから後は、臆病な自分が覚悟をするだけで恐らく全て上手くいく。自分がすべき事は彼が無事で目的を叶えられる為、とれるだけの対策を考えて準備をしてやる事だと。

 けれど、分った、と一言いえば済む言葉はついに口から出せなかった。
 彼と離れる不安を押さえ込んで、その手を離す覚悟は出来なかった。

「俺は、とんでもない臆病者だな」

 呟けば、カリンは悲しそうに首を振る。

「いいえ、恐れる心は誰にでもあるものです」

 セイネリアはこちらを心配そうに見つめるカリンを見て、それに力なく笑いかけた。

「そうではあるが……俺の場合、今までそれに気付かなかった分、その恐れる心に打ち勝つ事が出来ない、あいつのように強くなれない」

 幼い頃から、愛する人達との別れを経験してきたシーグルは、失う恐怖と哀しみを乗り越えて前を向ける。自分にはないその強さをセイネリアは羨ましいと思う。

「ならばその強さはシーグル様に任せればよいのです。ボスはシーグル様にない強さでシーグル様を守る……互いにないものを補う、ボスは彼とそういう関係ではないのですか?」
「そう、割り切れればいいのだがな……」

 人は自分に無いモノを持つ存在に惹かれるという。自分が彼に惹かれたのはそういう理由もあったのだろうと考えていれば――廊下の見張り兵が中扉の前までやってきて、エルが来た事を告げて来た。
 それに了承を返せばすぐに扉は開かれて、青い髪のアッテラ神官が真剣な顔をして入ってきた。

「マスター、折り入って話がある、レイリースの事で」

 セイネリアには彼の顔を見た時から何の話か分かってしまった。だが、それでも部下の話を聞かないなどという事はしない。

「いいぞ、話せ」

 言えばエルは数歩こちらに近づいて来て、代わりにカリンが数歩退いた。

「あいつは、強くなる為に旅に出たいと言ってる」
「あぁ、聞いている」

 即答しても、エルは特に表情を変える事なかった。

「そんでまぁ……早い話、俺はレイリースの為にあんたを説得しに来た訳なんだけどさ……」
「それで俺がそう簡単に、許す、と言うと思うのか?」
「そうだな、あんたがそれを許せない、って理由は分かる。だがレイリースもどうしてもな理由があるって事でさ」
「そんな事は分かっている」
「そっか、ま、そうだろうな」

 エルはそこで初めて表情を崩し、苦笑して頭を掻く。

「あんたとは長い付き合いだ、けどあいつの事に関しちゃ俺の顔に免じて……なぁんて手が使える訳ないのは分かってる。そんでもまぁあんたの長年の部下として、俺の願いを聞いちゃくれねーかなってな……勿論、それ相応の覚悟を見せるつもりで来た」

 言ってエルは持っていた彼の武器である長棒を前に出すと、セイネリアに言った。

「俺と一勝負してくれないか、マスター」



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 エルにーちゃんがんばる。
 



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