【12】 翌日、明日出発という事で今日は一日将軍府の事務仕事をする事になっているシーグルを置いて、セイネリアはカリンを連れて朝の謁見へ向かった。 シグネットはレイリースがいない事を寂しがったが、別れのあいさつは昨日していた為すぐに諦めてはくれた。どうやら父親に会えた後からシグネットは少し変わったらしく、前以上に聞きわけがよくなったし、自分でやれることは自分でやると甘やかしたがる部下や侍女達がしてくることを断るようになったらしい。 セイネリアが『偉いな』と言えば、嬉しそうに笑いながら小さな少年王はこっそり耳打ちで教えてくれた。 「おれはね、つよくなるの。おれがね、ははうえとみんなをまもるんだ」 父親に抱いてもらった事さえ覚えてないだろうに、血の繋がりというのは侮れないとセイネリアは思う。やはりシーグルの子であるとそれが実感できてしまえば、シグネットが小さなシーグルにしか見えなくなりそうで困る。そこらへんはちゃんと弁えておかないとと今更ながらに思って、けれどシーグルに暫くあえなくなってもこの少年王のおかげでどうにかなりそうだとも思う。 「カリン、お前は先に馬車に戻ってろ、俺は少し寄り道をしていく。なに、そんな遅くはならん」 摂政との謁見も終わってあとは帰るだけとなったセイネリアだったが、途中でそう行ってカリンと一度離れた。 本来なら一分一秒でも早く帰ってシーグルに会いたいところだが、城壁で所在無げに街を眺めている小柄な人物が目に入ったら、なんだか話をしたくなったからだ。 「おいガキ、お前がこの時間にシグネットから離れているのは珍しいな」 声を掛ければじとりと睨んでくるものの、すぐにため息をついて小柄なりパ神官はまた視線を街の風景に戻した。 「ガキっていうなよ、俺もうとっっっっくに20過ぎてんだぜ」 「ならちびの方がいいか?」 「……まぁそりゃあんたからすりゃ俺は確かにガキだしちびだけどさ」 どうやら落ち込んでいるらしい、と思ったセイネリアは城壁に肘をついて自分もセニエティの街を眺めた。 美しい街だと、今のセイネリアは素直に思える。 別にこの街に特別な思いなどないし、そもそもこの街出身でもないから何も思わない筈なのに、この街で過ごした様々な記憶達を思い出せばおそらく愛着と言えるだろう感情が自分の中にあることに気づく。ただそうして思い出す記憶のほとんどにシーグルがいる事からして、この感覚もすべて彼のおかげなのだろうと思うところだが。 「……最近、俺は思った以上にガキだったということが分かってな」 言えば、小柄な神官はぶっと吹き出してその場でコケる。それからかなり訝し気な目でこちらを見上げて来たから、セイネリアも神官に笑ってやった。 「大切な存在が自分の傍にずっといてくれるのかが不安で、暴れたり意地を張ったり相手の事も考えられず勝手に落ち込んだりと……思った以上にガキだったんだと分かった訳だ」 「……お前の大切な人って、シーグルだろ」 「さぁな」 それには2,3呼吸分の間が空いたが、相手はそれ以上追及するのはやめたらしい。 「あんたのイメージ的に『ガキ』なんて言葉は冗談にしか聞こえないくらい似合わねぇけど……まぁそりゃガキだな」 「だろ、俺も初めて自覚した」 今度は神官は声を出して笑った。最初は小さく、けれど腹を抱えて笑い出した後、唐突に笑うのをやめて大きくため息をつく。それから、またセニエティの街を眺めて呟いた。 「……なぁ、やっぱ俺ってすごいガキだよな」 「今更だろ、ガキ」 成人しているとは思えない顔の神官は、それにはきっとこちらを向いて睨んでくる。 「ガキガキいうなよっ、俺ぁこれでも傷ついてるんだぞ」 「悪かったな、ガキ」 「……あんた本当は悪いと思ってないだろ」 「お前はだからといって大人になろうとも思ってないだろ」 セイネリアは街を見たまま神官を見なかった。そうすれば神官は怒るのをやめて、また城壁に腕を置いて街を眺めた。 「……思ってない訳じゃない、けど……そんなすぐ変えられるもんじゃないだろ」 「そうだな」 「なんていうかさ、俺よりガキだガキだって思ってた奴らがさ、このところ急に聞きわけがよくなったっていうか、こいつ大人になったなーって思ったら、なんか自分のガキさ加減がすごいよくわかったっていうかー……あーもうっ、なんか自分がガキ過ぎて嫌になって……んでもそうそう大人になれって言ってもなれないしさ」 彼の周りで大人になったと言えば、シーグルの弟と、シグネットの事だろうか。どちらもきっかけや必要性があったのだから仕方ないが、それに比べれば確かにこのガキ神官は変わらないかとセイネリアは思う。ただ、彼の事を皆と違う評価をする人間もいるのは確かだ。 「シーグルはお前のことを自分より大人だと言っていたぞ」 神官はそれに驚いてすごい勢いでこちらを見て来た。 「へ? いやそれこそシーグルは大人だろ。てかあいつってそれこそ本当のガキの時からしっかりしてて大人びた子供で、基本若い時はずっと年齢以上に見られたタイプだろ」 「……だな。だがあいつは自分がガキだと自覚してた。そしてお前の方が自分よりしっかりしてると思ってた。……だから自分の大事な息子の家庭教師になってくれと言ったんだろ?」 「そりゃ……なんかシーグルはやたらと俺を買ってくれてたけどさ」 自信なさそうに呟く神官だが、それでも少し照れくさそうで嬉しそうだった。セイネリアも前はシーグルがこのガキ神官をやけに高く評価していたのを疑問に思っていたが、最近は少しわかった事もあった。 「まぁそもそも、大人というのにそれほどこだわる事はないだろ」 「え?」 そこでセイネリアが神官のほうに顔を向ければ、子供っぽい大きな目をさらに見開いて神官は驚く。 「お前はガキだが、何が大切かは分かってる。わがままは言うがわがままを言ってはいけない時も分かってる……まぁそれを我慢できるかは別としてもだ。そして何より……お前がガキな部分は周りに愛されている、お前のわがままは許されるわがままだというのが大きい」 「……なんだそりゃ、よくわかんねーよ」 「お前は人を頼るのがうまい。だが頼ってばかりではなく相手を助ける時も迷わない。思ったらすぐ行動する、言いたい事ははっきり言う、後先考えない言動はガキだがだからこそ信頼されるんだ。……シーグルには出来ない事だった、だからこそあいつがお前を評価するんだろうよ。そして息子には、お前のように人に頼れて、悪ガキでも愛されるような人間に育ってほしいと思ったんだろ」 「悪ガキかよ、結局ガキじゃねーか」 「いいじゃないか、お前のガキぶりは被害が笑って済ませられるくらいだが、俺のガキぶりは被害甚大だぞ」 それには面食らったように神官は目を見開いたまま止まって、けれど暫くしてから吹き出すと腹を抱えて笑い出した。 「……そらそーだろ、あんたが駄々っ子みたいに暴れたら街が壊滅しそうだ」 余程面白かったのか、目から涙まで出している。セイネリアはそれを見ても怒る事なく鼻で笑ってすまして答えた。 「街一つで済めばいいがな」 「……恐ろしい事想像させんな、シャレになんねぇ」 「お前は何やってもシャレで済むだろ」 まーな、と言いながらやはり神官は笑って……けれどもひとしきり笑うと大きく深呼吸をして、それから幾分かすっきりした顔をしてこちらを向いた。 「で、結局あんたは俺をガキだって馬鹿にしたいだけなのか?」 その時にはいつもの少し偉そうな口調が戻っていて、だからセイネリアも皮肉げに笑ってやる。 「いや……結局お前はガキでも構わんだろうという話さ」 神官は眉を寄せたが、セイネリアは笑みを浮かべたまま言う。 「お前はガキであるからこそおかしい事をおかしいと言える。嫌な事を嫌と言える。そしてそれが許される。……そういう人間に救われる者は多い、少なくともシーグルと……そしてシーグルの兄はお前に救われたと言うだろう」 「……つまり、俺をほめてくれてるのか?」 益々眉を寄せた神官に、セイネリアはなんだか楽しくなって喉を震わせる。 シーグルは分かっていた、セイネリアはわからなかった。つまりこの小さい神官の最大の利点は――本人も、その周りの人間も、本音を言い合い、楽しく気楽に生きられる――いわゆる愛される人間というやつである事だ。かといって愛玩動物のように何もできない小物ではなく、人を引っ張ることもできる、根拠のない自信でも周りを鼓舞することが出来る……確かに、人の上に立つ人間としてはこういうタイプの方が本人も周りも一番幸せになれるのだろう。 ただ有能で実力があるものが上に立つべきだとしか考えなかったセイネリアにとっては思いつけなかった。だが本人が有能であることが必ずしも上に立つものにとって大切な事ではないとシーグルは思った。そして重い責任を背負わなくてはならない息子には、この神官のようになってもらいたいと思った……シーグルが、本当はこの神官のように生きたかったと思っていたから。 「いや、感謝してるのさ。お前がいなければ今のシーグルはいなかったかもしれないんだからな。あいつはお人よしだが人を見る目だけは俺以上にある……と俺は思ってる」 シーグルが信じた人間、シーグルが愛した人々。彼らは確かに信じられる、そして彼らにはシーグルが願っているだろう幸せであって欲しいとセイネリアは思っていた。 「だからあいつの代わりに俺も言っておく、シグネットを頼むとな」 大人なのに子供っぽさの残る神官は、それにはにっと歯を見せて笑ってから、任せとけ、と胸を叩いた。 --------------------------------------------- 別名ガキ対談。とうとう次から最終話です。 |