喜びと後悔の狭間で




  【6】



「フェ〜ズぅ、たっだいまー」

 首都のシルバスピナの屋敷に入ってすぐ、ウィアはそう叫びながらフェゼントに抱きつこうとした。

「ただいまじゃなくって、ウィアの家はあっちだろ」

 それを阻むのは、背が伸びたせいでくやしいが体格的に勝てなくなったラーク。彼がフェゼントの前に立って壁となった為、ウィアは愛しい恋人に抱きつくことは叶わなかった。
 周りの者からもそれには苦笑が返されるものの、彼らの目は既にウィアの後ろからやってきたこの館の主に向けられていた。

「おかえりなさいませ」

 使用人達が一斉に頭を下げる中、流石に貴族様だけあって慣れた様子で入ってくるシーグルにウィアは感心する。ついでに言えば彼は現在鎧を着ている事がないので、あの綺麗な顔はいつでもそのままで、服装の方も貴族様らしいいかにも上等そうな(それでも貴族としてはかなり簡素にしているらしいが)格好をしている。使用人の中を背筋を伸ばして歩いてくる彼の姿は思わず『かぁっこいいなぁ流石シーグル』なんて呟いて見とれてしまうくらいだ。

「お帰りなさいませ、あなた」

 最後に、使用人達の列が途切れたところでロージェンティが彼にそういって近づいていけば、シーグルは笑みを浮かべて彼女と軽く包容を交わす。

「ただいま、ロージェ」

 二人とも銀髪で、どちらも容姿は整っているから、そうしている姿は本当に絵になるとウィアは思う。ちなみに彼女はウィアとほぼ同じくらいの背の高さなので、シーグルと並ぶとその身長差的にもウィアの理想の姿だったりする。
 俺もシーグルくらい背があったら人生変わってたんだろうなぁ、なんて愚痴りたくなっても仕方ないだろう。

「どうしたんです、ウィア? ため息なんかついて」

 言われてウィアは、自分はそこまで羨ましそうにしてたろうかと思って急いで顔を取り繕った。

「あぁいや、美男美女は目の保養になるなってね」

 言えばフェゼントもにこりと嬉しそうに笑う。

「そうですね、とても二人はお似合いだと思います」
「僕はてっきり、ウィアはあの二人の身長差が羨ましいのかと思ったよ」

 さらりと後ろから自然にそう言ってくれたのはヴィセントで、ウィアが振り向けば、即座にフェゼントの横からラークも言ってくる。

「ウィアの事だから、自分もシーグルくらい身長あったらなぁ、って考えてたんじゃない? ま、身長あったとしてもウィアの顔じゃ似合わないだろうけどね」

 ヴィセントのつっこみはまぁいいとしても、ラークの言葉には事実な部分があるだけにカっと頭に血が上る。なにせ彼は自分より背が高くなってから――さらに正確にいうならシーグルが帰ってきてから、物理的高低差的にも態度的にも見下してくる事が多くなって、前以上に会うとまず口喧嘩が始まるのがお約束だった。

「んだっとぉ、俺はなぁっ……」

 と、ウィアが怒鳴り返そうとすれば、フェゼントが人差し指を唇の前に立ててウィアを見つめてくる。それでウィアもすぐにその理由に思い当たって口を閉じた。

「……シグネット、寝てンのか?」

 声を潜めて聞けば、フェゼントがくすりと笑う。

「えぇ、さっき寝たばかりなんです。……大丈夫ですよウィア、奥の部屋ですから大声を出さなければいいんです」
「でもまぁ、ウィアの声は響くからね、何度かウィアの声で起こした事あるよね」
「う……分かってる、気を付けるって」

 実際事実な上に、傍には被害者(?)の親がいる以上大人しく退いたものの、勝ち誇った顔のラークにムカツクのは仕方ない。
 すると意外なことに、いかにも貴族らしい優雅な歩き方で近付いてきたロージェンティが、ウィアに助け舟を出してくれた。

「あの子はどうやら貴方の事が好きなようですから。貴方の声には敏感に反応してしまうのでしょう」

 話し方も優雅で、ウィアとしては別に苦手ではないのだが、いかにも雲の上の世界の住人ぽい彼女を前にするとどうしても妙に緊張してしまう。

「え、あ……へへ、うん、可愛がってやってるからな」

 それでも言われたことは嬉しくて、照れくさくなりながらも胸を張れば、隣にきた人物がすかさずつっこみを入れてくる。

「というかウィアは、精神年齢が子供と同レベルだから気があうんだろうね」
「ヴィセント〜その言い方はどういう意味だよ」
「そりゃウィアがいつまで経ってもお子さまだってことでしょ」

 さらりと言ったヴィセントの言葉に、再びラークが悪意を持って追従する。ラークだけならいいのだが、妙に彼と気があうらしいこの友人までが一緒だと、どうしてもウィアの方が旗色が悪くなるのは仕方ない。

「まぁラーク、ウィアはちょくちょくシグネットと遊んでいましたからね、気に入られたんでしょう」

 それをみてとったのか、フェゼントがそう言ってくれて、ウィアとしては、やっぱりフェズは俺のことを愛してくれてるから……(――以下略)と思い切り感動した。

「おう、日ごろの行いの成果だな」
「そうか、ウィアはそんなにシグネットと遊んでくれていたのか」

 今度はシーグルが外套を脱いでからやってきて、ウィアは更に胸を張った。

「そうだぜ、好きなだけ感謝してくれていいぞ」

 ここにいる中で間違いなく一番偉いシーグルに対して思い切り偉そうな態度をとったウィアをみて、それを見慣れている使用人達の顔に苦笑が浮かぶ。
 だが勿論、当のシーグルは含みなく素直にほほえんで、ウィアに礼を言ってくる。

「あぁありがとう、感謝してる、ウィア。出来ればこれからもよろしく頼む。騎士団に復帰したら、俺はあまりあの子を構えないと思うから」
「任せろ、俺がいろいろ教えてやるぜ! これでも俺も神官だからな、初期の勉強くらいなら教えてやれるしなっ」

 だから気分よくウィアがいつも通り調子に乗れば、そこでシーグルは何か思いついたように表情を変えた。

「あぁ……そうか。なら、ある程度の歳になったら正式にウィアには家庭教師になってもらおう。冒険者事務局を通して正式に依頼すれば評価ポイントがつくし、勿論ちゃんと報酬も払う。どうせこの子もその内リパの洗礼を受ける事になる、リパ神官のウィアなら丁度いい」

 確かに神官登録の冒険者にとっては、貴族や裕福な家の子の家庭教師は街での仕事としては代表的なものの一つではある。ただかなり冒険者としての信用が高くないと出来ない為、普通はただの平民出の上級冒険者でもない準神官に回ってくる仕事ではなかった。そしてまた、一度雇われれば長期契約になる上にポイントも報酬も高いという相当に美味しい仕事であるから、益々ウィアのような下っ端冒険者の仕事ではないのだ、本来なら。
 それを分かっているから、一瞬、ちょっと喜びそうになったウィアだったが、はたと気づいて顔をぶんぶんと横に振った。

「いや、シーグル、お前から金貰う訳にはいかねーよ」

 身内と思っている相手から金は受け取りたくないというのはウィアの拘り部分だ。何せ普段が普段、身内だと思って屋敷に入り浸って好き勝手やってる手前、こちらが何かやってやる場合にだけ金を取るのは都合が良すぎると思うのだ。
 だがシーグルはそんなウィアを睨むような……冗談で誤魔化せそうにない真剣な目で見つめてくる。その表情だけで、彼が退く気がないのがウィアには分かった。

「ウィア、きちんとした『仕事』として受けてもらいたいんだ、そこはちゃんとけじめをつけよう。『先生』として正式な契約があった方が、シグネットも甘えすぎなくていいと思う」
「えーよした方がいいよ〜ウィアが先生なんてさ、きっと悪戯とかサボる事ばっかり教えるよ」

 こいつなら言うだろうな、と思っていた事をラークが言えば、そこでシーグルの表情が僅かに笑みを浮かべた。

「だからちゃんと仕事として受けて貰うんだ。ウィアの性格的に、『仕事』で受けたからには遊んでばかりいる訳にもいかなくなるだろ?」

 今度はそれにフェゼントが大きく頷いた。

「確かにそうですね、ウィアは責任感がありますから」

 そしてそこまで言われれば――ウィアも、まぁいいか、なんて気分になる。実際のところ仕事として受けられるのはとても嬉しいし、彼の言う理由が理に叶っているというのも理解出来たし――元々が深く考えない性質の為、皆にとっていい結果になるならいいんじゃね、くらいの気持ちであっさり切り替える事にした。

「そこまで言われちゃ仕方ないな、んじゃま、俺がシグネットの先生になってやるよ」

 シーグルがにこりと笑う。

「あぁ、頼む」

 ただウィアにも、貴族の跡取りの先生なんて大役をするからには言っておく事はあった。

「でもシーグル、俺はその……そこまで高度な勉強教えるのは無理だぜ、それって分かってる、よな?」
「あぁ、そういう勉強が必要な歳になったら、それにはまた別の者を雇う事になるだろう。ただウィアには……あの子が物心ついた頃から自分の立場を自覚するまでの時期に、勉強だけでなくいろいろ教えてやって欲しいんだ。俺は、あの子にはウィアみたいになって欲しいと思ってる」

 そう言ってシーグルは、綺麗に整った顔に見惚れるくらい優しい笑みを浮かべた。
 それに一時、本当に見惚れたウィアは、その言葉の意味を理解していく内に自分の顔が赤くなっていくのを自覚した。

「いや、俺みたいってさ……え、そのぅ、えぇぇ?」
「俺は、ウィアのような考え方が出来る事を尊敬している。あの子がウィアのように、皆に愛されて、皆を愛して、真っ直ぐのびのびと育ってくれる事を願っているんだ」

 勿論その後に、ヴィセントやラークやらの外野の声がいろいろ抗議の言葉を言っていたのだが、ウィアは見惚れるというかすっかり顔に熱が回った状態で、ただ呆然とシーグルの顔を見ている事しか出来なかった。




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 って事でシグネット君は将来、外見はシーグルっぽいけど中身はウィアみたいなちゃっかりしたとこがある悪戯っ子になる……かも。



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