【9】 「うーん、忙しくて忘れてたけど、やっぱここに俺って場違い感たっぷりだよなぁ」 部屋の中を見回して、思わずウィアはそう呟いてしまう。 今日、リシェのシルバスピナ家の屋敷を訪れた客人達は、まずは最初にここの当主であるシーグルが直々に相手をして、古くからの家の知り合いは前シルバスピナ卿のシーグルの祖父の元へ、それ以外の人物はこの屋敷唯一の貴族らしい装飾が施された広い部屋、夕陽の間へと通される事になっていた。ここは一応、貴族を呼んでパーティをする時の為の部屋らしいのだが、シーグルの話では年に1、2回使う程度の場所だとウィアは聞いていた。 ちなみに今日のウィアの仕事は、ここへ通された客人の案内役だったりする。後は料理や酒が足りなくなった場合、厨房にそれを言いにいったり、手が足りなければ運ぶのも手伝う。 実は、いくら社交的なウィアだって、本当は貴族相手なんて堅苦しい事は嫌で断りたいくらいではあったのだ。だが、貴族といえば大抵がリパ信徒というのもあって、リパの神官服そのままのウィアに対しては皆、思った以上に態度が柔らかかった。だから最初の内はかなり緊張していたものの、昼過ぎにもなってくれば忙しさもあってかなりウィアも慣れて来ていた。 「あー……そこの可愛い神官さん、暖かいお茶が欲しいんですけど」 声に振り向けば、珍しくも自分とそうそう身長的に変わりのない小柄な人物が、にこにこと笑ってウィアを見ていた。 「えーと、ハーブ茶でいいでしょうか?」 流石に今日は出来るだけ言葉遣いに気をつけて営業スマイルで聞き返せば、その人物は今気づいたように目を丸くしてウィアの顔をまじまじと見てくる。 「おやおや〜、貴方はもしかしてフィラメッツ大神官の弟さんですね?」 兄の名を出されれば、ウィアの(自称)完璧な営業スマイルも崩れそうになる。 「あ……兄をご存知ですか?」 唇を引き攣らせながらもそう聞き返せば、にこにことやけに愛想がいい客人は、顔の角度をいろいろ変えながらウィアの顔を眺めてくる。 「えぇまぁ、前にちょぉっとお話した事がある程度なんですけどね。しかしあれですねぇ〜兄弟というには余り似てないのですね。お兄さんの方は、貴方くらいの歳の時はもっとこう大人っぽいというかぁ……」 耐えろ俺、とウィアは心で呟きながら、落ち着く為に頭の中で数を数えたりしてみた。 「ん〜まぁ、良くいえば大人っぽくて落ちついてて、悪く言えばスレてふてぶてしくてイイ性格でしたねぇ、いや本当に。この子は出世するだろうなぁって思った少し後に大神官抜擢でしたからぁ」 相変わらずにこにこと笑っている青年を見ていた、ウィアの表情が今度は不審そうに顰められる。 「アンタ、何者だ?」 聞き返せば、相手は笑みを崩す事なくウィアの前に一歩出てくる。 「今ここの当主様とお話し中の、地方砦勤務のとある騎士の付き添いですよ。暇でしたのでいろいろ興味深い人達を観察中、というところです」 「……もしかしてアンタ、魔法使いか?」 「おや、分かりましたか?」 悪びれもせず意外そうに驚いて見せたその人物に、ウィアはため息をついて答えた。 「だってアンタ、どうせ見た目通りの歳じゃないんだろ、あのクソ兄貴を『この子』なんていう段階で確定だ、しかも実は結構偉い人だったりすんじゃないか?」 そうすれば今度は、本気で驚いたようにその人物は黙ったまま目を開いて止まる。 「下っ端魔法使いなら、あの兄貴の本性をちゃんと見抜けるかよ」 魔法使いはくすくすと声を出して笑いだした。 「いやいや〜、貴方は見た目以上に侮れない人物ですね、今度は本当に驚きました。確かに貴方もまた、鍵になれるだけの人物なのでしょう」 「鍵って?」 ウィアが思い切り顔を顰めれば、魔法使いは今度は一歩ウィアから遠ざかる。 「これからこの国は大きく動きます。その時の鍵となれる人物が何人か見えます。誰が実際に流れを動かす鍵になるかはわかりませんが、貴方は間違いなく新しい流れを動かす一人にはなるでしょうね」 「はぁ? 何の話だ?」 まったくこれだから魔法使いという奴は、とウィアは思う。煙に巻くようなよく分らない抽象的な言葉で言うだけ言って、説明もせずに一人で分かっているというような顔をする。 「最後にこの館の主に伝言です。貴方の剣の魔法使いに呼びかけるなら、その名は『ノーディラン』だと」 「ノーディラン?」 「そう、その名をあの銀髪の麗しい青年に教えてあげておいてくださいね」 言って魔法使いは唐突に掌をウィアの顔に押し付けてこようとして、ウィアは身構えて目を閉じる。だが、何も起こらなくて目を開けば、先ほどまでいた小柄な青年に見える――中身はおそらくじーさん――な魔法使いは、その場から姿を消していた。 おとなしく眠る小さな姿眺めていれば、それだけで唇が微笑んでしまう事を止められない。小さな息子にお休みのキスをしてから、シーグルは乳母に頼んで子供部屋を後にした。 長い一日が終わってやっと夜がきたものの、つい先ほどまでシーグルは泊まりで来た遠方からの客の相手をしていた。ほぼ一日中、苦手な接客ばかりで正直かなり疲れてはいるものの、これで明日も早朝から議会に顔を出さなくてはならないからそろそろ寝なくてはならないだろう。……それなのにこっそり、庭で剣を振ってきたのは妻には内緒ではあるが。まぁいつもよりかなり短く切り上げて来たのだし、とシーグルはちょっとだけ罪悪感に痛む胸を抑えた。 寝室に入れば、ロージェンティは丁度本を読んでいるところで、相変わらず勉強家な彼女に感心して微笑みながら、挨拶を交わしてテーブルの向かいの椅子に座る。 「旦那様もお茶をお持ち致しましょうか?」 妻付きの侍女のターネイに聞かれて、それに了承を返す。彼女が去ったのを見てから、シーグルは妻の持つ本を見ながら聞いてみた。 「何を読んでるんだ?」 「アウグに関する本です」 澄まして答えた彼女は、だがシーグルがそれに驚いた顔をしたことでクスリと表情を崩して笑った。 「貴方があの国でどんな生活をしていたのだろうかと思ったのです。……それに、次にあの国に貴方が連れて行かれた時には交渉出来るように、私もアウグの言葉をもっとちゃんと覚えた方がいいと思いましたし」 「いや、次はない……と思う、そうそうには」 強く否定しようとしてから自信がなくなって語尾が小さくなってしまえば、やはりロージェンティは楽しそうにくすくすと笑う。つられてシーグルも思わず笑って、それから二人して示し合わせた訳でもないのに笑いを止める。ふいに訪れた沈黙の中、ロージェンティが呟くように小さな声で言った。 「本当に、貴方が無事帰って来てくださって良かった。慈悲深きリパに感謝します」 手を祈りの形に合わせて、震える声で祈る彼女に、シーグルは『すまない』という言葉を掛けるのが精一杯だった。 シーグルがいない間、領主としての仕事が滞る事はなかったという。祖父である前シルバスピナ卿がいた事も大きいだろうが、それでも身重の体で彼女が領主としての仕事も完璧にこなしていたのだと思うと、申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちと、そしてそこまでして自分を待っていてくれた彼女を愛しいと思う気持ちが湧き上がってくる。 何か声を掛けようとして手を伸ばした掛けたシーグルは、そこでふと現実を思い出して表情を硬くする。 ――もう大丈夫だから、などという言葉を掛けられるような情勢ではないか。 そこでシーグルの頭の中に、今日チュリアン卿から相談された話が思い起こされる。 あのノウムネズ砦の戦いの後、やけにチュリアン卿のもとに王から文書が来るようになったという。しかもそれにはチュリアン卿を褒め称えるような文が必ず入っていて、彼が調べたところでは、どうやら王はチュリアン卿を持ち上げる事でシーグルの名を兵達の間で忘れさせようとしていたらしい。その所為か、シーグルが生還した後は、遠回りにシーグルとの接触をするなという警告のような文書も来たという事で、だから彼はもしかしたら状況によっては今後連絡を絶つ事があるかもしれない、と言ってきたのだ。 勿論シーグルは、なら自分との接触を今すぐ絶つべきだと言ったのだが、騎士団の勇者はそれにはあっさりとこう返してくれた。 『まぁ、公的な理由がある時は問題ないでしょう。それにですね、前のような手紙のやりとりは出来なくなったとしても、もし何か頼み事なり重要な用件があれば、遠慮なく貴方は私に連絡を取ってくださっていいんですよ。私が言いたかったのは、今後連絡をとれなかったとしても、何時でも私は貴方の――その、友として、味方だと言いたかったのです』 それはとても、シーグルにとってはありがたく、嬉しい言葉だった。 けれどもまた、そんな彼に頼る事で彼の立場までをも悪くする事はしたくないとシーグルは思った。王はおそらくチュリアン卿を自分の側の人間として取り込もうと思っている――ならもし、それでチュリアン卿が王の意に反すれば、王は激怒して反動のように徹底的に彼を潰そうとするだろう。 だから――もし、頼るとするなら。 「ロージェ、次にもし俺に何かあって君やシグネット……この家の者にまで危険が及ぶ事があったら、その時はセイネリア・クロッセスに保護を求めるんだ」 途端、ロージェンティの顔がこわばってシーグルを見つめる。 「君も分かっている筈だ、そういう事も考えなくてはいけない状況だと。……恐らく、何かあれば、彼の関係者――黒の剣傭兵団だ、エンブレムは分かるね? その中でもフユと言う灰色の髪と瞳の男が接触をとってくる可能性が高い。後は君が最善だと思うようにセイネリアと交渉してくれ。すくなくとも彼は嘘を付かない、君を騙して引き渡すなんて事はしない。出来ない、したくないという事ならハッキリ言ってくる。君が騙したり誤魔化したりしない限り、彼の言う事は信用していい」 泣きそうな顔でシーグルを見つめてきたロージェンティは、耐えきれずに涙を零してから震える声でシーグルに返した、わかりました、と。 勿論シーグルは彼女に言いながらも、そんな事態にならないようにしなくてはならない、と自分に強く言い聞かせていた。……だがそれと同時に、どこかでそれが現実になるだろう予感も感じていた。 END. >>>> 次のエピソードへ。 --------------------------------------------- そんな訳でシーグル帰還の章は終わり。次回は騎士団復帰から。 |