残された者と追う者の地




  【3】



「隊長っ」

 ぐったりと動かなくなったシーグルを抱えてアウドが叫ぶ。彼は急いでシーグルに顔を近づけてその呼吸を確認すると、大きく安堵の息を漏らした。それからすぐにシーグルの体に触れてその傷の具合を確認する。

「隊長は無事だ、出血が酷くはないから痛みで意識を失ったんだと思う。左足と……おそらく胸もあやしいな。……隊長、失礼します」

 アウドはシーグルの左足の装備を外して怪我の具合を確かめ、それが折れていると分かると剣の鞘を縛りつけて固定しようとした。

「我慢して下さい……貴方の足がだめになるなんて事あっちゃならないですからね」

 シーグルの意識はないものの、痛みには体が跳ね上がり、その口からは悲鳴に近い声が漏れた。
 あらかた傍にいた敵を倒した他の隊の者達は、その声に辛そうに顔を顰めながらシーグルを守るようにして囲む。
 彼らはまだ、安堵する訳にはいかなかった。
 何故なら、彼らの目にはこちらに向かってくる敵の姿が見えていたからだった。先行していた、馬でシーグルを追った者達を倒しても、すぐに迫ってくる歩兵達が彼らの目には映っていた。

「隊長を馬に乗せて連れてく暇は……ねぇか」

 せめてシーグルの意識があればと思っても、現状どうにもならない。
 グスは舌打ちをしたが、その直後に、蛮族達とは違う方向から向かってくる騎馬の姿に気が付いた。

「あれは……」

 目を細めたグスの隣で、この隊では一番目がいいテスタが答える。

「ナレドだな。後ろに誰か乗せてるが」

 敵でなかった事にはほっとはしても、まだ戦力としては未熟な従者の少年がきたところでどうしようもない。それどころか、このどうにもならない状況で彼が来て、彼までここで無駄に命を落とすような事になるのは避けたかった。
 だからグスは叫んだ。

「来んじゃねぇっ、お前は逃げてろっ」

 けれどもナレドは馬を止める事もなく、そのまま突っこんでくる。
 そうしてグスにも彼の顔がはっきりわかる程近くに来たところで、彼が叫んだ。

「クーア神官っ、クーア神官を連れてきましたっ」

 その場にいた者達から喜色を帯びた声が上がる。
 この状況で、わざわざクーア神官を連れてきたというなら、転送が出来る神官を連れてきたと思って間違いない。そしてそれならこの場で動けないシーグルを逃がす事が出来る――例え、自分達は助からないとしても。それはその場にいた全員が思った事で、誰一人としてそれを喜ばない者はいなかった。








 神様、どうかあの人をお守りください、と馬上でソフィアはずっと祈っていた。
 クーアの千里眼でシーグルを追っていた彼女だったが、シーグルの馬が転倒した後は怖くて見る事が出来なくなってしまった。ただその後、ナレドがシーグルは無事だと言ってくれた事で、彼女はどうにかまた目を向ける事が出来た。
 シーグルは酷い怪我をしているようだった。
 それでもどうにか敵と戦ってる彼の姿に、ソフィアはやはり祈る事しか出来なかった。左足が使えない状況で、それでもまだあきらめないその姿に彼の強さを再確認しても、ソフィアの目からはぽろぽろと涙がこぼれてくるだけだった。

「お前さんがクーア神官なのか?」

 その場についてすぐに寄ってきた騎士は、聞きながら手を貸してソフィアを馬から下してくれた。

「はい、まずシルバスピナ卿を安全なところまで転送します」
「あぁ頼む、有難い」

 すぐにソフィアは辺りを見回す。この時彼女にとって予定外だったのは、この状況になるのはノウムネズ砦の近くだと思っていた為、あらかじめ想定しておいた転送場所が使えなかったという事だった。
 だから急いで、ここから飛ばせる範囲で安全そうな場所を探す。

「急いでくれ、奴らがくる」

 その声に彼女も焦る。そうして目に入った離れた林に敵がいない事を確認し、彼女はすぐシーグルをその場へ転送した。彼を出来るだけ動かさないように、正確に地面へと転送する為、共に飛ばずにシーグルだけを慎重に飛ばした。途端沸き起こる歓声に、彼女は無事シーグルが目的の場所に飛ばされた事を確認すると、安堵と共に彼らを振り返った。

「よっし、これで後は安心だぁな。あぁ出来ンならな、ナレドも連れていってくれ」
「ボーズ、隊長の事はよろしく頼むな」
「セリスク、どっちが多く倒せるか勝負しようぜ」
「多く倒せても先に倒れたら負けだからな」

 敵はすぐそこまで迫っていた。
 シーグルの部下達は皆かなりの腕だと聞いてはいるが、あの数はどう考えても無理だろうと彼女は思う。
 けれど彼らの顔はその軽口のまま皆笑顔で、動揺も恐怖も微塵もない。
 見ている前で戦闘が始まる。剣と剣、鉄と鉄がぶつかりあって、火花を散らす。

 もし、彼らが死んだ、なら。

 ソフィアは考える。この人達が死んだら、シーグルはどれだけ悲しむだろう、自分を責めるのだろうと。
 隊員達は、ソフィアとナレドを守る壁となって戦う。

「俺残りますっ、俺も戦いますっ」
「ばっかやろう、今のてめぇはここで戦える腕じゃねぇだろ」

 横にいたナレドが剣を抜いて前に出ていく、引ける腰で敵の攻撃を受ける。
 その姿を見てソフィアは決断した。

「クリムゾンさん、シーグル様の位置ですが――……」

 取り出した親書用の石にシーグルの位置を伝えた声を込め、クリムゾンのところに合図と共に転送する。現状、渡されているアイテムの所為で参加している傭兵団の面々の位置が分かる彼女は、シーグルを転送した先の一番近くに彼がいる事が分かっていた。周りに敵はいなかった筈だから、能力的にも彼に任せれば問題ないだろうと彼女は思った。
 そうしてから、彼女は腰から短剣を抜いて持ち、隊員達の戦いに加わった。

「おいっ、ボーズは隊長のとこへ早くいってくれ」
「シーグル様のところへは信用出来る人物が向かっています、大丈夫です」

 そうして、剣で受けたものの体勢を崩してよろけたナレドを斬ろうとしていた敵の横に回り込み、その敵に彼女は触れる。直後、敵兵は消える。

「え?」

 ナレドには何が起こったのか分からなかった。
 彼女は構わず次の敵に向かっていくと、相手の武器を短剣で弾いてから懐に入り込み、またその体に触れて敵を消した。それを見た、グスが呆れた声で呟く。

「成程、こりゃ心強い戦力だ」

 つまるところ、転送術である。
 転送が使えるクーア神官である彼女は、手で触れた者を転送出来る。敵相手に転送先の安全確保なんて考えなくていいから即飛ばせる。それどころか、彼女が敵を飛ばしている先は敵がやってくる方向の地上から相当高さのある空中だった。やってくる敵の上に敵を落としているという訳だ。
 クリュースの人間ならクーア神官というだけでそう理解は出来ても、魔法が使えない蛮族達にとっては何が起こっているのかがまず分からない。彼らに分かるのは彼女に触れられると消されるというだけで、得体の知れない状況に、数で優位な筈の彼らの顔に恐怖が広がる。

「だが、本気でヤバイ時はすぐ飛ぶんだぞ」
「分かっていますっ」

 ソフィアの術を見てつっこんでくるのを躊躇するようになった分、隊員達も一呼吸置く程度の余裕が出来る。それでも、倒しても消しても敵の数は減らず増えるばかりで、彼らにも疲労と限界が見えだしてきていた。
 シーグルの援護に来ようとしていた味方は他にもいた筈だった。彼らはどうなったのか、途中で蛮族達に捕まったか、無理だと引き返したか。どちらにしろ、もう長くは持たないと彼らが思い始めた時――再び、戦場には大きな変化が訪れた。

 突然、蛮族達のドラが鳴り出す。それを聞いた敵兵達が口ぐちに何かを言い合いだして、そうして急にそこから逃げ出す。ノウムネズ砦の方に逃げるように、蛮族達の群れは一斉に走っていく。数人は諦めきれず向かっては来たものの、数で押せる人数でなければそれらは簡単に退ける事が出来た。

「助かった?」

 喜ぶというよりも何が起こったのか分からない彼らは、向かってくる敵がいなくなると、呆然とその光景を見つめる事しか出来なかった。

「――てか、何が起こったんだ?」

 そして、クリュース軍本隊が逃げていった筈の方向から一斉にやってくる整然とした集団を見て、彼らはやっと理解した。

「援軍が来たのか?」
「どこの隊だありゃ」
「待てよ、あの旗の絵は見覚えがあるぞ……」

 言って考え込んだ直後、グスは思い出したように叫んだ。

「ありゃ、バージステ砦の紋章だ。ってことはチュリアン卿率いるバージステ砦の槍騎兵部隊か」

 そこから戦況はまた一転した。
 横一列に、一斉に駆けてくる騎馬の群れに、蛮族達は明らかに動揺して逃げ出した。その整然とした動きと突撃の早さは見惚れる程で、次々と蛮族の部隊をおもしろいように蹴散らしていく。ただ、騎兵隊の者達も深追いはしないように言われているらしく、蛮族達を蹴散らして押し返した後は一度引く。蛮族達も、敗走というよりも前線の者達が散り散りに散開してしまった状態で、隊列を整えるようにと指示を出すドラの音が戦場に鳴り響いていた。

「よし、俺らも本体と合流するぞ。ボーズ、隊長はどこに……」

 聞こうとして、クーア神官の少年兵に尋ねようとしたグスは、その少年兵が既に姿を消していることに気付いた。

「隊長ンとこいったのか」

 クーア神官なら、きっと急いでシーグルを本隊まで連れてきてくれる筈。グスはそう考えたが、それでもどうにもシーグル本人の姿を見るまでは安心できない。大丈夫だと自分に言い聞かせても、どうにも不安で落ち着かない。

「大丈夫ですよ、あの神官はキール様の知っている方のようでしたし。すっごく、本当にアルスオード様の事心配していました。それに……」

 ナレドが言いかけて、口を噤む。
 『それに、あの少年は本当は女の子だ』と、馬上で後ろから抱き付かれて分かってしまったナレドだったが、それはここで言わなくていい事かと思い直す。

 ともかく、シーグルを飛ばした位置がわからないのだから、どちらにしろ彼らは本隊に戻るしか道はなかった。そうして彼らは、各自不安を抱えながらも本隊を目指したのだった。




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 次回は飛ばされたシーグルサイドの話。



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