残された者と追う者の地




  【8】



「まったく、怪我人相手にどれだけ無茶してるんですか」

 ひょろっとした印象の青年、ラウが言えば、立場は主人であるものの、レザ男爵は思い切り小さくなって項垂れた。

「まぁその……もう耐えれなくてな」
「だから、もうちょっと良くなるまでは近づかないでくださいと言ったじゃないですか。まったく貴方は下半身に正直に生き過ぎです」
「といってもなぁ、こんな美人が近くにいるんだ、夜なんか寝てる間に自分でやらないように滅茶苦茶押さえてて限界だったんだぞ」
「それにしても、一体何度やったんですか、怪我人にどれだけ無茶してるんです」
「仕方ないだろ、我慢してた分一発じゃとてもじゃないが収まりきれなくてな。やばいくらいよすぎたからつい……」
「ここは貴方のお屋敷じゃなくて戦地です。何時何があるか分からないのですから、もっと気を引き締めていてください」
「とはいってもなぁ……」

 彼らのやりとりを遠くに聞きながら、シーグルはうっすらと目を開いた。
 部下に怒られれてしゅんとしている男を見ながら、そういえばどれくらい自分はあの男を受け入れたのだろうとぼんやり考える。悪化していないか確かめる為に胸に触れれば包帯は新しいものに取り換えられていて、ならあのひょろりとした青年がまた処置をしてくれたのかと思う。体にべたべたしている感じもないから、きっと体も拭いて貰えたのだろう。

 これからアウグへ連れていかれて、そうして交渉が終わって家に帰れるまで、一体どれくらいあの男に抱かれるのか。考えただけでうんざりして、それ以上に怖くなった。もし毎日あの男にあの勢いで抱かれ続けたら、本気でいつでも男を欲しがるような体になってしまうのではないかと。男に抱かれたくて、男が欲しくて仕方ない体になってしまうのではないかと。

――本当に、こんな事じゃ、あいつを拒んだ意味がない。

 実はシーグルは意識が怪しくなってきたあたりから、レザに抱かれているのにセイネリアに抱かれている気分になっていた。だからおそらく、そう頭が勘違いをしだしてからは相当派手に喘いでいただろうと思う。それが予想出来て、そうして今後も途中でそんな幻覚を見てしまえば、体が男を悦んで受け入れてしまう事が想像できた。
 完全に体が堕ちてしまったら、シーグルは自分が自分のままでいられるか自信がない。そうなる前に帰れなければ自分はどうなるのだろうと、漠然とした不安が心を蝕み出していた。






 夏の盛りを過ぎ秋の風が吹き付ける荒野に立ち、セイネリアは遠くにある険しい山々を見つめていた。つい最近まで、大量の蛮族の部族達が終結していたここは今はただ寂しい風が吹くばかりで人影はまったくなかった。

「マスター、ここから一番近いのは、東に少し行ったゼンタ族です」
「そうか、ならそこから行ってみるか」

 現在ここでセイネリアについているのは、クーア神官の少女ソフィアと、双子のアルワナ神官の片割れであるラストの二人だけだった。戦力としてはセイネリア一人でいい為、移動手段としてソフィアがつき、言葉の通じない蛮族達から強制で情報を引き出す為とアッシセグとの通信手段を兼ねてラストがいる。
 どちらも自分から志願してついてきたのだが、特にソフィアに関しては何もせずに待っていろと言っても出来る訳なかったろうとセイネリアは思う。
 セイネリアが戦闘が終ったという報告とほぼ同時にアリエラの転送でここへ来た時、待っていたソフィアは酷く憔悴しきった顔で出迎えて、そうして直後に泣き崩れた。

『申し訳ありません。全て私の責任です。私がシーグル様を飛ばした後、すぐに追いかけなかったのが悪かったんです。何を言われても、どんな罰を受けても構いません。お願いです、私にシーグル様を探す事をお許しください』

 確かに、結果から言えば彼女の言う通りだろう。だがセイネリアはそんな事で部下に罰を与える気はなかった。彼女がシーグルの為に最善を尽くそうとしたのは間違いなく、ただ結果としては、そう思って判断したことが全て裏目に出ただけの事だ。
 そうして、今回の責任云々という話なら、それは全てセイネリアにある。シーグルを守ろうとして、何重にも駒を配置して……それがやり過ぎたともいえた。策士策に溺れるとはまさにこのことかと自嘲せずにいられない。今回の件を考えれば、そもそもソフィアを出さなければ、チュリアン卿が駆けつけて無事だった可能性さえある。

『当然だ、お前にはあいつを探すのを手伝って貰う。罰など与えている暇などない』

 そうしてセイネリアは、ソフィアにいくつかの事前調査を命じて一度クリムゾンの遺体をアッシセグに運び、カリンに以後の指示を出してからラストを連れてまた現地へと戻ってきた。
 現地周辺の捜索に関して言えばソフィアが相当念入りにしている為、これ以上探しても見つかるとは思えなかった。それにそもそもこれだけの時間が経っている段階で、彼の怪我を考えればどこかに放置されているなら生きていないだろう。
 となれば後はシーグルを誰かが連れ去ったと考えるのが自然で、あの状況でそれを出来るのは蛮族達かアウグの部隊かになる……可能性だけなら魔法使いというのも一応あるが。ただもし魔法使いのせいなら、魔法ギルドの方で何かしらこちらに接触を取ってくると思われた。
 だから現状すぐに取れる手段として、アウグに関してはラタが潜入したままの為調査は彼に任せる事にし、セイネリアはあの戦闘の後散り散りになって自分の住処へと戻っていった蛮族達の方を調べる事にした。アウグに捕まっているなら、待遇的に捕虜として最低限守られるべき扱いを受けているだろうが、蛮族の元なら何をされているか分からない――その上での危急性を考慮したというのもある。
 蛮族達の住処は北の山脈の周辺に点在している為、ソフィアの持つ千里眼と転送の能力を使わなくては無駄が多い。移動を転送に頼るとなれば、余計な人数を連れ歩く訳にもいかない為、連れて行く人数は最小限に絞った。

「ゼンタ族というのは何人くらいいる?」

 一度彼らの住処の近くまで飛んでからセイネリアが聞くと、ソフィアは目的地を『見て』答える。

「女子供を合わせても二百に届くかどうか。戦えそうな者は2,30人というところです」
「随分と少ないな」
「あの部族の旗には見覚えがあります。現地で相当の死者が出た場所に配置されていました」
「成る程な。中に、シーグルに似た者はいるか? もしくは捕らわれているような者だ」
「いえ、恐らくはいません。どうしますか?」

 最初から当たりを引当られるとはセイネリアも思っていない。だが、シーグルが生きているなら、必ずどこかに手がかりがある筈だった。セイネリアは、既にクセになってしまっている、今はグローブの下にある指輪をそっと唇に押し当てて考えてから答える。

「なら最初は穏便にいくとしよう、ラスト」
「はい」

 これから回る蛮族達の数を考えて、出来るだけは騒ぎを起こさず、ラストが見張りを眠らせてまずその部族の状況を読むというのは事前の打ち合わせで決まっていた。後は、そのままその人間を操るか、他の人間を眠らせて読むか、もしくは力でねじ伏せるかは状況による。

「では、いくか」
「はい」

 今度はソフィアが返事を返して、直後に、三人の姿はその場から消えた。







 向かう先には荒野だけが広がっている。

 蛮族達がノウムネズ砦まで下がった後、それよりずっと後方に下がっていたアウグ軍には、本国から帰還命令が出ていた。
 だから戦いが終わる前、まだ蛮族達がノウムネズ砦周辺に集結して最後の戦いに備えて騒いでいる中、シーグルはアウグの部隊と共にアウグ本国に向けてその場をあとにしていた。

「ヘンなところを触るな」

 言えば、馬上で自分の後ろに座っている男は、嬉しそうに余計に体を撫でまわしてくる。

「触るくらいならいいだろ。流石にここで入れる訳にはいかんからな」
「当然だ、回りにはお前の部下がいるんだろ」
「まぁ、あいつらも俺のこういうのは慣れてるからな。見て見ないふりをしてくれる」

 言って嬉しそうに、レザ男爵の手は毛皮つきのマントの下に手を入れて、シーグルの下腹部を撫でてくる。それをどうにか耐えていたシーグルだったが、レザの手が服の隙間から入ってきて、直に尻を撫でてくるに至っては流石に後ろを振り返って睨んだ。

「本気でここで俺を嬲るつもりか」

 言えばレザは少し背を丸めて、シーグルの頬に唇を落とした。

「お前のその耐えようとしてる顔が堪らなくてついな」
「趣味が悪い」
「お前が無意識に誘いまくっているのも悪いぞ」

 まったく、馬上で何をするつもりなのか、この男の事がよくわからないとシーグルは思う。そもそもこんな大男の乗る馬に二人目を乗せる事自体、常識としてあり得ない。だから最初、お前の場所はこっちだと持ち上げられた時には本気でシーグルは冗談だと思ったくらいだった。馬に掛かる負担を考えれば無茶だと思った。

『あぁ、わが国の馬はお前さんとこのとはちと種類が違ってな。足が遅い分力はある。それに普段は俺の装備も一緒に運んでいるんだからな、その重量分よりお前は軽いから大丈夫だ』

 確かに見た目からして馬の種類が違うのは分かる。シーグルが普段乗っている馬より毛が長くて、それに脚も太くてその分短い。確かに力がありそうではある。
 更にはシーグルの状況として、今は他の部下に顔を見せる訳にいかない事を説明されれば、負傷者用の引き車ではなく大人しくレザの馬に乗るしかないというのは納得できた。それでも、身長的にそこまで低い訳でもないシーグルを自分の前に乗せるのはおかしいとは思っていたのだが、それがこういう意図だったのというのが分かればこの男のそういう方面での節操のなさに頭が痛くなる。
 まったく、よりによってとんでもない男に拾われてしまったのものだと思っても、逆に考えれば、体さえ差し出せば割合面倒なく扱い易い男だとも言える。

「バロン、あまり調子に乗らないように。部下達に見られますよ」

 参謀だといういつもレザの傍にいる男が馬を近づけてくれば、舌打ちをしつつも微妙なところをまさぐっていたレザの手は離れていく。
 シーグルは顔を隠している毛皮に縁どられたフードを更に引いて顔がちゃんと隠れるようにし、レザに少し開かれてしまった、体をすっぽりと覆っているマントの方の合わせも直した。

 後ろを向いても、既に彼方へと消えたノウムネズ砦が見えるはずもなく、ただ前方と同じ荒野が広がるだけだった。
 クリュースの国境は既に遥か遠く、ここから先は蛮族とアウグの勢力下になる。シーグルの知らない敵地の奥へと行く事になる。

――それでも、あいつは俺を見つけるだろうか。

 生きている限り絶対に自分を探すだろう黒い騎士の事を思うと、胸が酷く痛んだ。
 戦が終わっても帰ってこない自分の事を聞いて、あの男は何を思うのだろう。
 約束が果たせなかった自分を、あの男は何と言うのだろう。

 行く先に見えるのは荒野だけ。
 秋が近づくこの時期、北西へ向かうにつれて風は少しづつ冷たさを増していた。






 まったく、これは完全に自分の失態だ、とキールは思っていた。
 シーグルが落ちて死んだと言われた場所へいけば、キールの能力でそれがシーグルではないと確定する事までは簡単だった。
 だが問題は本物のシーグルがどこにいるかという事だ。
 ただでさえ戦場は人が多くて、キールの能力を使っても目的の時間の目的の人物の記憶を捕まえる事は困難を極める。場所が相当確定されていないとほぼ不可能といっていいだろう。
 シーグルの馬が倒れて部下達と合流した辺りも調べてみたが、特に手がかりと言えるものはなかった。ただ、シーグルの馬があんな事態になった事については、とある厄介な者達の企みがあった事は分かった。……それを事前に阻止できなかったのは、完全にキールのミスだといえた。
 クーア神官の少女は、既に黒の剣の主であるあの男の元にいる筈だった。あの男に連絡を取ってシーグルを飛ばした場所を教えてもらう事も考えたが、そうする事に意味があるかは悩むところでもあった。あの男がシーグル自身を保護しているというのならそれで解決するが、そうでないならその場所が分かったとして後をこちらで追えるかは怪しかった。なにせ戦場のあちこちに断魔石を持ったものがいたせいで、記憶が途切れて追えなくなっていたからだ。
 戦闘終了間際、クーア神官の少女があちこち飛び回っていたところまではキールも確認していた。状況的に見て、あれはシーグルを探していたと考えて間違いないとキールは思っている。つまり彼らの元にシーグルはいない、そもそもいるなら魔法ギルドの方でも大まかに彼の居場所を特定できる筈だった。
 もし、代わりに死んだ男がシルバスピナの鎧を着て逃げた理由が、シーグル本人から敵を引き離そうとした為だったというなら、シーグルの傍には敵がいたと考えられる。となればほぼ確実にシーグルは敵に捕まったと思っていいだろうとキールは思う。

 それならば、その内捕まえた敵から接触がある筈。

 キールはそう読んでいたからこそ、まだシーグルに関してはそこまで心配しなくていいと思っていた。敵ならば、シーグルを殺していれば遺体を丸まる持っていくはずがない。生きていて金になる状態だから連れていったのだ。――ここまでシーグルの遺体が見つかっていない事を考えれば、彼が生きている可能性は高い。

「とはいえ、もし連れて行ったのがアウグだとしたら……厄介ですねぇ。あそこにはポイントがありませんし、魔法使い達は誰も行きたがりませんからねぇ」

 アウグの国教であるデラ教は、魔法使いを悪魔と繋がる者だと定めている。魔法素養を持って生まれた子供は見せしめに殺される事もある国だ。あの国に望んで行きたがる魔法使いはまずいないし、だから当然『道』が通してある訳がない。
 ただその分、一応マトモな国家であるから、そこにシーグルが連れいかれたのなら彼の無事は保証されている筈だった。
 だからキールは、蛮族側の調査をするべきだとの結論を出し、ギルドにもそう伝えた。どちらにしろ交渉が始まれば判明するだろうが、蛮族達に捕まっていた場合は、シーグルが生きてはいても交渉が終るまで無事とは言えない可能性があるからだ。

 ……だがキールでさえ、シーグルを捕まえたのがどんな人間かまでは予想がつく筈はなく、その人間がまさか、いくらでも金になるだろうシルバスピナ家の当主を捕まえたままその領地へ身代金の請求どころか、蛮族にも自国の王にさえ隠しているなど考え付く筈もなかった。

 そうして、蛮族からもアウグからも何の知らせもこないまま時が過ぎ、シーグルは死んだという事が貴族院において判断され、リシェの街ではひっそりと、彼の死を信じない者達によって形式だけの葬儀が行われたのだった。




 END.
 >>>> 次のエピソードへ。

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 こうしてシーグルはアウグへと……って事で次のエピソードはアウグ編です。



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