戦いと犠牲が生むモノ




  【2】



 もう冬なのに、それでも青い空を見上げてシーグルは思う。
 例年ならこの時期はもう寒くて何時雪が降るのかと思う頃だが、今シーグルがいるここアッシセグはずっと暖かくて、晴れた日にはまだ窓を開けて外を眺めるなんて事が出来る。そこまで考えてから、去年のこの時期はもう完全に冬の風景だったかと、遠いアウグの地とあの豪快な男を思い出す。楽しい思い出の筈などないのに、やはり憎めないあの男の直接的過ぎる愛情表現を思い出せば、僅かに口には笑みが湧いた。けれども、そこから逃げてセイネリアと過ごし、別れた時まで思い出せば、今の自分の立場に向けて考えてしまう事があった。

 自分はここにいていいのだろうか、と。

 青と白のコントラストが眩しい街の風景はもう見慣れた筈なのに、見るたびに何処か違和感を感じてしまうのは、やはりここがかつての自分の居場所からは遠いところであるからだろうか。現状を納得して割り切った筈なのに、それでもこの場所にいる事に罪悪感を感じてしまう。更には、その思いを振り切って頭を切り替えようとして、家族の事を思い出してしまうのだから最悪だ。

「シーグル、準備は出来たか?」

 掛けられた声に振り向けば、いつも通りに全身黒を着込んだ騎士が不機嫌そうに立っていた。

「あぁすまない、準備は出来てる」
「なら何故さっさと俺の部屋に帰ってこない」
「いや、行ったんだが……まだ話し中だったようだからな」

 セイネリアの元に至急の使者が来た事で、顔を見られる訳にいかないシーグルは別室で出かける為の身支度をする事になったのだが、いくらセイネリアの側近という立場でも重要な話の最中なら入っていける訳もない。

「お前なら気にせず入ってきていい」
「そういう訳にはいかないだろう」

 シーグルは苦笑して彼に近づいていく。傍まで行けば引き寄せられて、問答無用で折角被った兜をとられる。そこから当然のようにキスをされるのは、彼の不機嫌そうな声を聞いた時から覚悟はしていたことではあったが。

「話は終わったのか?」
「終わらせた」
「おい……」
「どうせこの後会議で聞く内容だ。それが浮かれて先に報告に来ただけのことだな」

 未だ声は不機嫌そうでも、シーグルの髪や顔を撫でてくる内にセイネリアの表情は柔らかくなっていく。

「浮かれた、というならいい報告なのか?」
「あぁ、これが来た」

 そうして彼が気楽に見せた文書に目をやったシーグルは、呆れてため息をついた。

「それは……出来るだけ早く渡した方がいいと思うだろ、普通」

 セイネリアが手にしていたのは、ファサンが敵国としてあった頃の国境地帯に領地を持つバン卿からの署名が入った文書だった。地理的に王の軍とやり合う事になれば、かの地周辺が決戦場所になる可能性が高い事もあって、彼からの同盟参加があるかどうかは一つの鍵だと言われていたのだ。

「別に、分かっていた事だしな。バン家も騎士に拘る家でシルバスピナ家を支持していた。お前の処刑にも抗議文を送ったくらいだ、そりゃこちらにつくだろう」
「バン卿が、抗議文を?」
「首都からも程よく距離がある上に、自分の領地が重要地点である事を分かっているからな、首都回りの貴族共より強く出れたんだろう。……まぁだからこそ、ここで王につく事はあり得ない。返事が遅れたのは回りの領主に探りを入れていたからと、準備を進めていたからだろうな」

 バン家の屋敷があるヴネービクデの街は、かつてファサンとの大戦の時に最前線となった都市でもある。その時の名残で街は強固な壁に囲まれている為、そこに受け入れて貰えるというのは戦略的に大きな意味を持つ。
 ただし、その地が重要な意味を持つのはそれだけではない。バン家の領地であるシシア地方の隣には、現王アルスロッツの母方の家であるコルデ家の領地があるのだ。であれば王は必ずコルデ領を死守しようとする訳で、そこで戦端が開かれるのはこれで確定された事になる。
 いくらバン卿がこちらにつくと最初から決めていても、ぎりぎりまで返事を伸ばしたのは仕方ない事だろう。

「いくら分っていたといっても今後を決める最重要案件じゃないか、そんなぞんざいに扱っていい内容じゃないだろ」

 まさかその報告にきた使者に対して不機嫌そうに睨み付けたのだろうかと思えば、シーグルは使者に対して同情したくなる。彼は恐らく興奮して、セイネリアが喜ぶと思ってやってきたに違いない。

「別に報告なぞ会議でいい。わざわざお前を追い出してまでする話じゃないな」

 ……まぁ結局、セイネリアが機嫌が悪い理由は全て、その使者の所為で自分がいなくなったからな訳である。本当に、どれだけ常時傍にいなくてはならないのだと呆れて、シーグルはがっくりと肩を落とした。天下のセイネリア・クロッセスが、自分が少しの間いなくなっただけでヘソを曲げるなんて外に知られる訳にはいかない――と思ったものの、それをこの男が隠そうとなどしないだろう事も瞬時に理解して頭が痛くなる。

「お前にとっては、大勢の命運が掛かる報告より、俺が近くにいない事の方が重要なのか」

 言えばセイネリアは僅かに微笑んで、シーグルの顔を引き寄せ、触れるだけのキスを頬にしてから囁く。

「当然だ、お前の為でなければ、他の奴らがどうなろうと俺にはどうでもいい事だからな」

 そんな事を迷いなく言い切ってしまうのだから、呆れると同時に怖くなる。自分という存在が彼の中でどれだけの意味を持つのか、それを測りかねて怖い。こんな時、彼にそれだけ愛されているという悦びよりも、それが怖くて堪らなくなる。
 不安が表情に出てしまったのか、セイネリアが他の誰にも見せない優しい顔でまた微笑んで、頬と耳元に唇で触れてくる。

「大丈夫だシーグル、お前は何も不安に思う事はない。お前の守りたいものは全て俺が守ってやる」

 だが言われた言葉に、シーグルの笑みは苦し気に歪んだ。

――違うセイネリア、俺はお前のその想いの強さが不安なんだ。







 現王リオロッツを倒す事を目的とした同盟が成立してから3回目の会議になる席上で、この軍の最高司令官であるセイネリアから、その日、とうとう開戦に向けての具体的な話が出た。
 バン卿がこちらにつく事は王側も予想済みであったらしく、既にバン領の隣であるコルデ領に向けて派兵の準備が進んでおり、完全に冬になる前に一度大きな戦いが起こる事は確定だろうとされた。

「ここで双方兵を配置したとして、睨み合いをしたまま冬を越す可能性もあるのでは?」
「それはない。王としては時間が経つ程、自軍に不利な現状が広まってこちら側につく者が増える事は分かっているだろうからな、それを抑えるためには一度自分の力を誇示しておかないとならない。シシア地方なら雪が本格的に降り出すまでまだ一月はあるから十分一戦は出来る。それに向こうも兵の編成がすぐに出来るというのが自軍の強みだと分かっているだろうからな、こちらの準備が出来る前に仕掛けてこようと急いでいるところだろうよ」
「それは確かに……こちらはそれに間に合うのか?」

 そう、普通に考えれば急造で寄せ集めの同盟軍は、きちんとした軍隊として動かすまでに時間がかかる。騎士団という組織からすぐに部隊を編成出来る王側に比べるとそれはかなり不利な点だ。だがセイネリアは不敵な笑みを崩さずに、難しい顔を並べる貴族達に向けて言い放った。

「まぁ、言うほど王もそうそうに兵の数は集まらん。その程度を迎え撃つなら、こちらも数は揃うだろうしな」
「それは、人数だけなら揃うだろうが……」
「数は欲しいが、使える人数はそこまでいらない。それに冬をまたいでだらだら睨み合いを続ける気もない」

 あまりにも自信満々にそう告げたセイネリアに、他の者達は何も言えなくなる。根拠など示さなくても言っているのが『あのセイネリア・クロッセス』というだけで、彼らは大人しく従う事を誓ってくれる。

――まったく、これで王になる気がない、というのだからな。

 発言権がある筈もなく、ただ会議を見ているだけのシーグルは、この会議場の主がセイネリアである事が見えていた。というよりもこの状況は既に、セイネリアが彼らの王であるようにも見える。寄せ集めの同盟軍では各領主間が利害関係でもめるのが問題で、バラバラな連中をどれだけ一つに纏められるかが重要な鍵となる。だからこそ、軍隊を組織するのは命令系統がきっちりできあがっている王側が有利なのだが、こちらにはそれを補って余りあるその名前だけで兵を纏められる絶対的指揮官がいるのだ。
 セイネリアに聞いた話では、ここに集まっているものの内半数はなにかしらセイネリアに弱みを握られている、もしくは恩を売ってある、または痛い目に合わせたことがある者であるらしい。半数が恐れるようにあっさりセイネリアに従えば、噂を知っている他の貴族たちも恐れて大人しく従うという訳だ。

――貴族達からの扱いを見れば、セイネリアは既に彼らの王のようにさえ見える。

 何故セイネリア自身が王にならないのか――それは分からなくても、それにとやかく意見をする権利はシーグルにはない。ただ少し頭が働く者なら、この状況に危機感を覚えてはいるだろう。

 もしこの戦に勝って現王を倒せたとしても、シグネットはただの傀儡で、実質の権力は結局セイネリアが握るつもりではないかと。

 事実はそうでないとしても、この状況を見ればその不安を抱えて当然だ。それをどう払拭するかも問題で在る訳だ、とシーグルは思う。
 軍事会議の席では、ロージェンティは同席はしているがまず発言をする事はない。セイネリアが結論を出し、諸侯達に納得させた後で、最後に彼女の同意を得る時に発言するだけだ。彼女がそれに了承以外を示した事はなく、あくまで形式的なものと見えるからこそ、シグネットを立てるという事に同意して集まった者達からは不安の声が上がるのは仕方ないだろう。
 あくまでシグネットを王としロージェンティを盟主とする旧貴族達と、どうせセイネリアこそが実質の王なのだろうと考える南部の領主達の間に亀裂が入る事もあり得る。セイネリアがこの状況から王との戦いに勝利を収めれば、後者の意見が大きくなって問題が起こる可能性は高い。それをセイネリアが考えていないとは思わないがどうするつもりか――それを考えながらも、シーグルもまた、それをそこまで本気で気に病んでいない自分にも気づく。
 セイネリアならどうにかするだろう、と。それが信頼なのか、彼の力を知っている為か、どうにも自分は彼の能力を全面的に信じ切っているらしいというのが分かって我ながら呆れる。
 そうして、自分に言い聞かせる。彼もまた人間だと、それを忘れるなと。
 セイネリアが座った事で、口ぐちに貴族達は議論を始めだしていた。それを黙って聞いているだけだったセイネリアだが、ふとこちらに視線を投げてきて、シーグルの姿を確認すると作っていた無表情を僅かに和らげた。

 少なくとも自分だけは、セイネリア・クロッセスの弱い部分を認めていなくてはならない。彼が自分に見せる不安と、優しさと、迷いを、自分だけはちゃんと見ていなくてはならない。彼を……愛しているなら。




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 とりあえず出発前の状況説明的なお話でした。でもどんなときでもシーグル優先のセイネリアさん。



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